第5話 口調

 部屋の動きが止まると、入ってきた時と同じ大きさの穴が開きイブロとチハルは外へ出る。


「ここは……」


 出た場所は地上でなく、暗闇であったがイブロは何となくこの場所がどこなのか感じ取っていた。

 それなら、ちょうどいい。試してみるか。


「チハル、その魔石をこっちにもらえるか?」

「はい」


 チハルは握っていた魔石をイブロへ手渡す。魔石の色は先ほどイブロが受け取った時に比べて心なしか赤色の濁りが取れているように感じられた。

 イブロはさっそくチハルから受け取った魔石をランタンにはめ込む。すると、ランタンが輝きを放ったのだった。


「お、おお」

「まだ充填が完了しておりませんが、よろしいのでしょうか?」

「ここからすぐ外に出ることができる。これで問題ない」


 光を灯したことでイブロは現在自身がいる場所がどこなのか確信した。「ここは、俺が『落ちた』ところに違いない」と。

 今度はイブロが前に立ちチハルを先導していく。

 

 ◆◆◆

 

 イブロの勘は正しく、彼らはすぐに地上へと出ることができたのだった。

 久しぶりの太陽の光に目を細めるイブロに対し、チハルは暗いところから明るいところへ出たばかりだというのに眩しさを感じた様子もない。


「チハル、『目』を探す前にまず街へ行こうと思う」

「そうですか。ではここでイブロさんとはお別れでしょうか?」


 目をぱちくりさせ、このまま去って行きそうなチハルの肩へそっと手を置くイブロ。

 こいつは……人間社会の常識ってもんを少しは教えておかないと不味そうだな……。イブロはもう一方の手を額にやりはあと息を吐く。

 

「チハル、お前さんは厄介ごとを招きたいわけじゃあないよな?」

「どういう意図か分かりかねますが、私は真っ直ぐ『目』を求めて動きたいのです」

「……」


 予想通り、何も分かっていない……。理解してもらう必要があるが、どう説明していけばいいのか……。

 イブロは慎重に言葉を選ぶ。

 

「そのままだとお前さんはとても『目立つ』。そうなるとだな、人間はお前さんを捕まえようとするかもしれない」


 さすがに古代の遺物アーティファクトだから、目立つとは言えぬイブロは言葉を濁しチハルへ問題点を簡潔に伝える。


「それは困ります」


 チハルは眉一つ動かさず、即返答をする。

 これは……困ると言いながらもそのまま突っ走りそうだな。イブロは顎に手をやり無精髭へ触れる。


「チハルは武芸の心得……戦闘能力はあるのか?」

「いえ、ワタシにそのような性能はありません。そうですね……物理的な力は人間の十歳程度です」


 ならば尚更一人で行かせるわけにはいかない。戦闘能力はともかく、彼女のこの「正直」さと「警戒の無さ」は人間社会に入るには危険に過ぎる。

 物珍しい古代の遺物アーティファクトを捕らえようとする者へ対しても彼女はきっとイブロへ答えたのと同じように話すことだろう。

 それでは困る。

 イブロは両手をチハルの肩へ置くと、彼女と同じ目線になるまで膝を落とし真っ直ぐ彼女を見つめながら口を開く。

 

「いいか、チハル――」


 イブロは淡々と子供に言い聞かせるように丁寧にチハルへ説明をしていく。

 チハルは人間社会に入ると珍しい存在で、悪意ある者に狙われる可能性が高い事。彼らに捉えられると閉じ込められ、目を探すことさえ不可能になること。最悪、命まで失うことになること。


「理解いたしました。感謝します」


 ここまでイブロが説明しても全く表情を変えないチハルへイブロは頭を抱えた。

 

「チハル。お前さんはどうやっていこうと思っているんだ?」

「人間と出会わぬよう行動すればいいのでは?」

「そうじゃない。例えば『目』が街の中にあったらどうするんだ?」

「それは、困ります」


 言葉につまるイブロ。いや、ハッキリと方針を示さなかった俺の説明も悪かったんだ。と彼は思いなおし再びしかと彼女の目を見つめる。

 

「チハル。お前さんには人間として振舞ってもらう。そうすれば、無用な厄介ごとは避けることができるはずだ」

「人間ですか……」

「そうだ。例えば『目』のありかが海の向こうだとしたらどうする? 船が必要になるだろう。深い谷底ならどうする? 道具が必要になるだろう?」

「理解しました。イブロさんのおっしゃることは理にかなってます」


 ようやくコクリと頷きを返したチハルへイブロは大きく首を縦に振るう。

 こんこんと理路整然と彼女を説得したイブロであったが、ハッキリと意識していないところである種の思いが根底にあった。

 確かに、チハルの危険性を顧みると彼女が人間らしく振舞うことは合理的である。しかし必須ではない。片時もイブロが傍に立ち、彼女をフォローすればいいのだから。

 つまるところ彼の無意識的な思いとは――チハルに人間であって欲しい――ということだったのだろう。

 

「チハル。街へ向かおう」

「はい。よろしくお願いします」

「チハル。こういう時は、会釈をするんだ」

「はい。分かりました。イブロさん」


 チハルはペコリとお辞儀をしてイブロの横に立つ。

 

「お、会釈の意味は分かるのか」

「はい。人間のことは記録に残っています」

「なら……チハル」

「はい。何でしょうか?」

「その喋り方はお前さんの見た目に相応ふさわしくない。同じくらいの少女のように話すことはできるか?」

「……記録にあります。可能です」


 「記録」か……「記憶」ではないんだな。イブロはチハルの言葉選びを正確に汲み取ろうとしていた。

 つまり、記録とは本で読みそれを覚えているということなんだろう。実際に彼女が経験したわけではない。

 

「じゃあ、今後はそれで頼む」

「うん、イブロさん」

「イブロさんじゃなく、イブロだ。チハル」

「うん、イブロ」


 うーん、前途多難かもしれない……。イブロは頭を抱えそうになるが、これまでよりは大きく前進したと考えることにした。

 

 チハルの速度に合わせてゆっくりと遺跡から外へ向かうイブロとチハル。道すがらイブロはなるべくチハルへ話かけるようにしようと思っていたが、元来無口な方である彼にとって難しいことであるようで、問いかけても話が膨らまない二人の会話はすぐに途切れいつしか無言になってしまう。

 それでも不思議とイブロは居心地の悪さを感じることはなかった。

 そして、二人は遺跡の出口へとさしかかる。

 

「チハル。気になることがあれば何でも聞いてくれ。特に人間の振舞いに関することは少しでも疑問に思ったらすぐに聞いてくれよ」

「うん、イブロ」

「何か今疑問に思うことは無いか?」

「ないよ」


 これではきっと、チハルは今後何も聞いてこないような気がしたイブロは一計を案じる。


「チハル。お前さんの好きな食べ物は?」


 我ながらもう少し気の利いた言葉を言えないのかと思ったイブロはチハルに気がつかれぬよう眉間にしわを寄せた。

 しかし、チハルの返答は斜め上だったのだ。

 

「んーと、わたしの好きな食べ物はマナかな」

「マナ?」

「うん、空気中にいーっぱいあるの」


 待て待て、それって何も食べずに平気ってことなのか? 疑問に思ったイブロはすぐにチハルへ問いかける。

 

「チハル、それって口で食べるものではないよな?」

「うん、経口摂取は必要ないんだよ」

「その単語は少女らしくないが……この場合は仕方ないか。つまり、チハルは人間の食べるような食べ物を口にしないってことか」

「ううん。食べることはできるよ。消化し、エネルギーに変えるのに余り効率がよくないんだけど」

「そうか、食べることはできるか」

「うん」

「なら、もう少し歩いたら食事にしよう。人間の気持ちを少しでも分かってもらうためにチハルにも食べてもらう」

「うん、イブロ」


 イブロはチハルの「うん、イブロ」が彼女の口癖のように思えてくる。そうではないと彼は理解しているが、いずれ「口癖」になればいいなとも彼は考え口元を綻ばせるのだった。

 

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