第30話 本心

 「目覚めた時、母さんは拘束されていたわ。そして」

 話しの途中でエレベーターが開いた。遂に最上階に着いたのだ。

 最上階。そこはまるで博物館の様な有様だ。壁に飾られたのは今では一品物の名画の数々、人の歴史に幾度となく晒されるも今に形を残した彫刻など美麗な物もあれば、物々しい甲冑に鎧一式、美しい曲線を描く武器の数々、生物の化石におそらく拷問器具と思われる道具の数々、失ってはならない人類の文化遺産がこれでもかと陳列されている。

 「凄い・・・人間がこれを全て作ったの・・・?」

 「三百年前の人間がな。今では作り手も技法も失われて、ここにしかない一品物だ」

 「そんなお宝を、どうして人の目に届かない場所で独り占めしてるんだ?」

 「失いたくないんだ。遺産と同じく、自分をな」

 人類の遺産が並ぶ奥に、大きく、そして来る者を拒む様な扉がある。思わず二の足を踏んでしまう様な威圧感がその扉にはあった。誰も扉には近づかない。リンが静かに歩み寄り、扉を開いた。部屋の中央にはウインドがカプセルの中に閉じ込められ水に浮かんでいた。

 「ウインド!」

 リンが駆け寄りカプセルのガラスを砕き割る。溢れ出る水と共にウインドが外に流れ出す。

 「ウインド!しっかりしてウインド!」

 リンはウインドの身体を揺するがまるで反応がない。胸は微かに上下し、呼吸はしている様だ。体温も感じ、心音もある。だが、目覚めない。まるで死んだ様に眠っている。

 「起きろ!起きてくれウインド!」

 「返事をしてウインド!一緒に家に帰りましょう!」

 「お前の新しい家族だ!自己紹介させてくれよ!」

 マーレとフルールとファミーユの呼び掛けにも反応を示さない。ウインドは、ただ安らかに眠りに落ちている。

 「こいつに聞けば早いだろ」

 ファミーユが視線を向けるその先には、バアトがいた。怯えた動物の様に部屋に隅に縮こまり震えている。その姿にはとても人の上に立つ風格は感じられない。

 「ハッ・・・ハハッ・・・殺してくれ、僕を殺してくれ・・・」

 リン達が近づくとバアトは更に身体を丸めた。それはまるで親の怒りに怯え部屋の隅に逃げ込む子供の様だ。

 「貴様、ウインドに何をした!!?」

 マーレが詰め寄ろうとすると何かにぶつかった。透明なガラスの壁がバアトを守る様に囲んでいる。

 「殺せ!殺してくれ!僕を解放してくれ!」

 殺してくれと叫びながら身を守り逃げようとする。その不可解な行動には戸惑うしかなかった。だが、ウインドの事を聞かなければならない。

 「話せ!ウインドに一体何をしたんだ!?」

 「植物状態にしたんだ」

 重々しく、罪を告白する様にインパが言った。リンだけが言葉の意味を理解し、涙を流しウインドに抱き付いた。

 「・・・どう言う事だ?」

 「酸欠、又は重度の脳への衝撃で脳に障害が起きると、脳の機能の一部が停止しただ生きるだけの植物の様な状態になるんだ。・・・治療方法はない。おそらく一生このままだろう」

 「そんな・・・」

 「馬鹿な。私達の身体機能は優れている。銃で受けた傷だって三日で治る!治らない傷などないはずだ!」

 「どうしても治らない器官もあるんだ。・・・脳は繊細にしてデリケート、当人が奇跡を起こさない限り永遠にこのままだ」

 フルールはその場に泣き崩れた。マーレは涙を流し、血が流れる程に拳を握りしめた。

 「・・・・・・貴様ッッッ!!!貴様!!貴様!!貴様ッッッッッ!!!!!」

 マーレは幾度となくガラスの壁を殴りつけた。マーレの力を持ってしても、軽くヒビが入る程度であった。だが皮が裂け、骨が砕ける程に幾度となく殴りつけるとヒビは幾重にも広がり、遂に砕け散った。その時にはマーレの拳からは骨が露出していた。

 「殺してくれ。もう殺してくれ・・・」

 マーレはバアトに掴み掛りその爪を頭に振り下ろそうとした。だが、ファミーユに腕を掴まれ止められた。

 「離せファミール!バアトを殺させろ!」

 「・・・駄目だ。俺達は、バアトを殺せない」

 「何故だ!?」

 ファミールの身体は固く盛り上がっている。それは彼が本気で怒りを感じている証であり、何も出来ない歯がゆさを表していた。

 ファミールは何も言わずリンに目配せした。

 「・・・殺せない。如何なる理由があっても、家族は殺せないのよ」

 「・・・どういう意味だ?」

 「バアトは・・・私達の父さんなのよ」

 何故だ?何故こうも現実とは辛く非情なのだ?殺すべき相手が、決して殺してはいけない相手だと言う事実にフルールはその場に崩れ落ち、マーレは糸が切れた人形の様に力が抜け、茫然とバアトを見つめた。

 「・・・話しは、途中だったな。母さんの・・・全てを話してくれ」

 

                     *


 「よくも、よくも!!!」

 力の入らない身体、それでも凛は渾身の力でベッドを握りしめた。その身体は汗で濡れ、膣からは体液が漏れていた。

 「君が悪いんだ。僕の全てを無下にしようとする君が。だから君には僕の子供を産んでもらう事にしたよ。優れた者同士の子供だ、必ずや僕の研究を完成させてくれるはずだ。安心したまえ、子供を産むまで君の世話はちゃんとするよ」

 産まれたら用済みの自分は処分される。それがわかっていながらただ何もしない訳がない。

 一回の性交で必ず妊娠するとは限らない。だからバアトは凛に特殊な薬を飲ませる事で必ず妊娠できる様にしたのだ。

 確かに感じる。腹部に宿る命の感覚、まだ細胞の段階であるにも関わらず、確かにここにいると感じてしまう。おぞましい、汚らわしい、だが同時に、愛おしい。母性、母としての自覚が出てしまう。もう、この命を殺すことは出来ない。

 「・・・私を拘束するんですか」

 「まさか、そんな事はしないよ」

 「・・・は?」

 「ストレスは子供に悪いだろ?君には健やかに生きてもらわないとね」

 言っている事は最もだが、この状況下で凛を自由にする事がいかなる結果を生むかわかっているはずだ。それなのに自由にすると言う事は・・・

 「・・・では、私は家に帰らせてもらいます」

 バアトは一切止めるような事はせず、道中のユニットも凛に何の反応も示さなかった。考えなしではない、行動には必ず理由がある。

 家に戻ると部屋の中は荒らされた形跡も無くそのままだ。凛は電話でデメテルを家に呼び出した。

 「どうしたの凛。急に呼び出したりして」

 「・・・私はこの国を出るわ」

 開口一番そう告げられ、デメテルは一瞬何を言われたのか理解できなかった。

 「ま、待って、何をいきなり」

 「飛行機を盗み出す。特殊研究用の大型機をね。私はそれに乗って行けるとこまで逃げるわ」

 「不可能よ凛!飛行機は厳重に警備されているし、特殊研究用の大型機はバアト様が操作しない限り飛び立てないのよ!」

 「・・・私の予想が正しければ、おそらく飛び立てる」

 「予想?」

 「バアトは・・・解放されたいのよ。でも矛盾に苦しんでいる。だからこそ私を外に逃げるのを止めないし、後押しするわ。

 デメテル。あなたも近い内にこの国から逃げ出しなさい。どうするかはあなたに任せるわ」

 「でも凛、一体どうして?」

 凛は静かにお腹を擦った。その仕草にデメテルは凛の身に何が起きたのかを察し、同時に強い憤りが湧き出した。

 「私の子供達が、この国と人類の歴史を変える。そう信じて託すわ。必要な事は全てやる。私の子供達が大変な思いをしない様に、出来る限りの準備はするわ」

 「凛!なら私も!」

 「あなたにはやる事があるでしょう。私には出来なかったけど、あなたなら実験体を救う事が出来るわ」

 「凛・・・」

 「いずれ私の子供達があなたに会う時が来るでしょう。その時は、よろしくね」


                     *


 「母さんは飛行機を盗み出し、チコモストクから逃げ出した。そこで私達を作った。五人の子供として、ただバアトがいずれ私達に手を出す事はわかっていた。だから私と言う記憶を引き継いだ瓜二つの存在を残したのよ。

 そして飛行機はあの島に不時着した。私にはその後の母さんの記憶はないけれど、きっと最後まで私達の事を想ってくれていたと思うわ」

 それはただの希望だ。だが、そうであると信じたい。信じなければ、とても耐えきれない。

 その時外から鈍い爆発音が聞こえ部屋が微かに揺れた。窓から外を見ると研究エリアが吹き飛び煙が吹き上がっている。バアトは起き上がり窓ガラスにへばりついた。その顔には歓喜に満ち涙で溢れていた。

 「やった・・・これで僕は解放された・・・」

 バアトのその姿は、最早理解が出来なかった。全てに矛盾が生じている。部屋の中に映像が現れ、そこにはパリシが映っていた。

 「パリシ・・・お前が母さんに協力していれば・・・」

 『私は臆病者だ。何かを行動するにも、恐れて二の足を踏み結局行動をせず、逃げ出してしまうんだ。私は、バアト様の命令を忠実にこなす事しか出来ない、情けない男なんだ。

 だが、そんな私が凛をあの様な目に合わせてしまった。恐ろしかったが・・・バアト様の期待に応える為にも私は覚悟を決めた。・・・だが、遅すぎたんだ』

 その顔には己の後悔と深い罪を背負った罪人の如く暗い影を落としている。同時に、責任を負い全てを背負う強い意志が見受けられる。その姿に最早臆病者の面影はない。

 パリシの背後で人々が燃え盛る研究エリアをただ茫然と眺めていた。だが、次第に人々はパリシの周囲に集い、救いを求め指示を乞う様に、誰が何も言わないうちにその場に座し始めた。

 『バアト様は狂ってしまっている。初めは純粋に人類を救う為に生きて来た。だが失敗をすれば過剰なまでに自身を糾弾し罵倒し、何かを成し遂げると出来て当然と言わんばかりに人々は感心を示さない。そんな人類の指導者としている事がどれ程の苦痛と苦悩か、私には考えも及ばない。

 今の責務から解放されたい。しかし、人類を救いたい。今までの研究を無下にしたくない。雁字搦めに縛られたバアト様は・・・周囲に期待するしかなかったのだ』

 黒煙上がる研究エリアを眺めて歓喜の涙を流すバアト。その姿にマーレは言い様のない感情を抱いた。

 「こんなの・・・こんな結末があってたまるか!殺したい相手が父親などと、私はどうすればいいんだ・・・!?」

 ウインドを傷つけた相手だからこそ殺したい。命を無下にした相手だからこそ殺したい。多くの実験体を苦しめた相手だからこそ殺したい。父親だからこそ殺せない。余りにも、やりきれない。

 「お前達は、傷つけられない。だが、俺なら問題ない」

 インパはバアトに近づき、右耳を引き千切った。バアトの甲高い悲鳴が上がり、床にのたうち回る。

 「誰であろうと、バアト様は殺せない。やり方はどうあれ、人類を救おうとしていたのは事実。何より、このドーム建設の偉業がある。指導者でなくなった後も、バアト様はチコモストクに必要な人なんだ。だから、これで妥協するしかない」

 『私が、バアト様の後を継ぎ、新たな国に作り変える。上手くいくかどうかわからないが、少なくとも凛が言っていた様に、文明に溺れた国にはしないつもりだ』

 「それでも、人間が生きて行くには文明が必要よ」

 リンはパリシを見上げた。その顔は、パリシがよく知っている凛の姿に瓜二つであった。

 「人間は文明と生きて行く権利がある代わりに自然の中で暮らす権利を失った。私達は文明を捨てた代わりに自然の中で暮らしていける権利がある。

 もうお互い、不干渉でいましょう。今はまだ、その方が人類にとっても私達にとっても最善よ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る