第28話 スパイダー
平らななだらかな壁、岩肌よりも強固で指も爪も立たない。僅かな起伏に指や爪を引っ掻け登って行かなければならない。
「フルール、大丈夫!?」
登り始めて十分、既にリンとフルールの間には二十数メートルの差が出来ていた。
「私は平気よ!構わず自分のペースで登って!」
リンは上を見上げた。遅滞のない動きで登ってきた事もあり既に半分を超えている。後もう少しで頂上のバアトの部屋に辿り着く。本来なら五分程度で登りきれる高さだが、滑りやすい壁面が否応にでも動きを慎重に遅くさせる。
再び登ろうと腕を動かした時、真横から何かが壁面を這う音が聞こえた。静かに、しかし粘着質な音を立てている。振り向くと同時に何かに蹴り飛ばされ勢いそのままに窓ガラスを突き破りミミルの塔内部に叩き込まれた。
「リン!」
フルールの声が微かに聞こえる。僅かに身体に突き刺さるガラス片の痛みに顔をしかめながら顔を上げると、床に這う様にそれはいた。
四本腕に四本足、不揃いな大きさの複眼、それは一番最初に作られた実験体スパイダーだった。だが、リンが知っているスパイダーとは姿が異なっている。体格が1,5倍程に大きくなり、本物の蜘蛛の様に壁を這っていた。何よりも口からちらつく長い舌、あんな特徴は母の記憶に存在しない。
「バアトが更なる改造を施したのね。自分の身を守る為に・・・!」
スパイダーは大きく吠え、リンに向かって突進してくる。リンは仰向けの体制のまま身体を丸め、バネの様に飛び跳ねスパイダーの上を飛びすぎようとした。しかしスパイダーの舌が伸びリンの腕に巻き付くと大きくしなりを描き壁に叩きつけられた。
「がはっ!!」
強烈な痛打と共に肺の中の空気が一気に吐き出される。幸い何処にも負傷はない様だ。リンは腕に巻き付いたままのスパイダーの舌を力任せに引っ張る。抵抗するスパイダーだが力ではリンが勝るらしく勢いよく床を引きずられリンに顔面を殴打された。リンの腕から舌が離れ、大きく吹き飛ばされスパイダーは床の上を転がりぐったりと動かなくなった。
「本当は殺したくなかった・・・。でも、あなたにとっては死が救いなのかもしれないわね・・・」
哀れ、後悔、悲しみ、罪の意識、リンは良心の呵責に僅かに目を閉じた。時間にすればほんの数瞬、しかし行動には十分な間だ。
「いぎっっっ!!!?」
左肩に鋭い痛みを感じ目を向けると、まるで刃物の様な鋭い舌がリンの肩を貫いていた。舌が引き抜かれスパイダーの口に戻っていく。
全力で殴ったのに、スパイダーの顔には痣があるだけで一滴も血を流してはいない。歪に浮かべる笑みから見えるのは、歯並びの悪い不揃えな大きさの牙だ。
「頑丈さなら私達と同じって事ね」
再びスパイダーは吠える。その吠え声には明らかに優越感が含まれていた。八本の手足が規則正しい動作で動き、リンに向かって駆け寄って来る。リンは一時その場から逃げ出した。狭い上に遮蔽物が全くない廊下では相手の方が圧倒的に有利だ。
走るリンは手近にあった扉を強引にこじ開け中に入り扉を閉めた。程なくスパイダーが扉を突き破り部屋に入りこむが、同時にパソコンを頭に叩き込まれか細い悲鳴を上げ身体を痙攣させた。
リンが逃げ込んだ部屋はオフィスだった。部屋はかなり広く、机や棚が多く存在している。これらは武器になると言う以上にリンの機動力を上げる要因になる。木々をかき分け飛び回るのは十八番だ。
リンは決して深追いはせず机の上に飛び乗り様子を窺った。その用心深さは正しく、程なくスパイダーはパソコンを頭から振り落とし怒りを滲ませた吠え声を上げた。スパイダーはリンに向かって槍の如く舌を何度も突くが、リンは左肩の負傷を感じさせない動きで机や棚を飛び回り躱していく。業を煮やしたスパイダーが直接リンに飛び掛かって来るが、ギリギリの所まで引き付け机を軸に右に躱しスパイダーの右腕を一本掴み机に叩きつけた。鉄製の机が叩き潰される程の力にスパイダーも堪らず弱々しい声を上げ血を吐いた。
「出来れば安らかに死なせてあげたいけど、大人しくしてくれないわよね」
リンは更に机に叩きつけ、それを繰り返していく。この時リンはスパイダーに対する憐れみと罪の意識で忘れていた。追い詰めれた動物程恐ろしい存在は無いと言う事を。
スパイダーは振り回されながらもリンが掴んでいる腕にもう一本の右腕で掴み、その皮膚を引き千切った。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!!」
余りに激痛に絶叫を上げリンはスパイダーを掴んでいた手を離してしまう。その瞬間スパイダーに伸し掛かられ両腕両足をそれぞれ二本の手足で抑え込まれる。スパイダーの舌がリンの頭部に狙いを定める。拘束を解くより先に、頭部を貫かれて死ぬ。その瞬間リンには全ての動きが遅く見えた。己の死を体感する時、これ程までに時間が緩やかに感じるものなのか?
「リン!」
その呼びかけにリンは正気に戻った。同時にスパイダーの甲高い悲鳴がこだまする。フルールが爪でスパイダーの脇腹を引き裂いたのだ。
スパイダーが苦悶に顔を歪めながらも怒りを込めてフルールに顔を向ける。押さえつけている腕に力が弱まるその瞬間をリンは逃さない。スパイダーの顔が横を向いたまま口に両手を突っ込む。歯が指に食い込み血が流れるがそんな痛みを気にしてはいられない。スパイダーの咬合力にリンの腕力が勝り、スパイダーは上顎から上を千切り飛ばされ絶命し、喉から吹き出す空気が噴水の如く血を噴き上げている。
「こうするしか、なかったのよね・・・?」
「殺す事でしか救えない命なんて、間違ってる。行きましょうフルール、全ての元凶に会いに」
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