第24話 薄氷の平和
自分が何をしているのか、理解が出来ていない程恐ろしいものはない。無知と言うものは愛おしいが失敗した時は果てしなく恐ろしいのだ。無知故に際限なく行動し、際限なく破滅をもたらす。
何度も何度も考えて、この結論に何度も至った。問われているのは己の勇気と決断力と指揮能力だ。混乱による恐怖や怯えが伝播し、やがては暴動となる。狂気に陥れば最早手の施しようがない。
だが、作り直すには全てを一度壊さなければならない。正しい選択肢などはないが、選択をしなければ前に進めないのだ。停滞して立ち止まっていても、現状が好転するはずがない。それは自分が嫌と言う程知っている。
「・・・あれがお前の選択だった。叱責や処罰を恐れた私は見て見ぬふりをしてしまった。だからお前を追い詰めてしまった。私が強き心を持っていれば、こんな事にはならなかったかもしれない。後悔してもしにきれない。全く自分の虚弱な精神が嫌になる。お前は私よりもずっとずっと優れていた。知識も、決断力も、判断力も、行動力も、全て私の上を行っていた。
わかっている。過去は変えられない。今からでも変わるしかない。遅すぎるかもしれないが、もう私は見捨てたくはない。一度お前を見捨てた私だが、子供達まで見捨てたくはない」
全ての段取りは整っている。後は扉を開くだけ、そしてその瞬間はまさに今だ。パソコンの映像に映るリン達の姿、助け出せるのは自分しかいないのだ。
「バアト様。このパリシ、あなたのご期待に応えます」
*
非常にむず痒い。身体を小さな針でプスプスと刺されて傷口を縫い合わされ、弾丸を丁寧に摘出される。痛みもあるが、そのせいでくすぐられている様でじっと動かずにいるのが辛い。
「後どれぐらいで終わるんだ?」
「大体・・・十数分じゃないのか?本来なら丸三日掛かってもおかしくない傷だが、こんなに早く済むとは、やっぱりすごい身体だな」
褒められても曖昧な顔をするしかない。正直身体が悶える感覚ですぐにでも機械から出たいが、三人の為にもしっかり傷を治さなければならない。
傷の治療中マーレはインパの部屋の中を何度か見渡した。適当にしまわれた食器に皺だらけで洋服が散らばっているベッド、作業用のパソコンには資料が乱雑に置かれており、床の上にはごみや服が散らばっていた。
部屋は心を映す鏡。マーレにはこの部屋を通してインパが内面に秘めた想いを感じ取っていた。他を顧みないたゆまぬ努力は孤独の表れだ。
(家に帰ったら、森を少し切り開かないといけないな。沢山の家族が寝泊まり出来る場所を作らなければいけない。寝床に食事場、勉強出来る場所も作った方がいいな。遊び場は・・・必要か?まぁ私が決める必要はない。皆の意見を持ち寄って話し合って決めないとな。
誰もが笑い合って楽しく過ごせる家を作る。ウインドならば、良い案を出してくれそうだ)
想像とは楽しく、夢を見るのは心地いい。そしてそれを直接行うのはもっと素晴らしい事だろう。家族の為にも、子供達の為にも、ロップス達の為にも、インパの為にも、なんとしてでも成し遂げなければならない。
そんな甘い夢は突然の暗闇覆われ光を閉ざされた。部屋の明かりが消え、機械も動きを止めてしまった。
「どうしたんだ?」
窓から見える外の景色も明かりが消え失せ薄暗くなっている。マーレの耳には不安そうに狼狽えている人の声が聞こえてきていた。
「・・・そうか。遂にやったな。覚悟を決めたのか」
「一体なんだと言うんだ?外の人は明かりが消えた事に動揺している様だぞ」
「明かりが消えたんじゃない、電気が消えたんだ」
「電気?と言うと・・・静電気や雷のあれか?」
「文明を身体とするなら電気は血液だ。電気が発生しなければ文明機器は活動を止める。その電気を生み出し全身に送るのが動力エリアだ。今、その動力エリアが活動を停止いているのさ。
堰は壊された。もう水の流れを止める事は出来ない。マーレ、お前はこの状況でどう行動する?」
「行動?決まっている。それは・・・」
扉が蹴破られた。軍服の格好をした男達が雪崩れ込んでくる。その顔は仮面の様に無表情で、銃をこちらに構えていると言うのに呼吸に一切の乱れがない。歴戦の猛者か、それとも別の何かか。
「こいつらをどうにかしてからだ。何者なんだ?」
「ユニット。バアト様が生み出したクローン技術による兵隊だ。心も感情も無く、ただ命令を忠実にこなす人形、使い捨ての消耗品さ。
ミミルの塔でバアト様がいる最上階付近をユニットは守っている。それがここにいると言う事は、バアト様も腹を括った・・・いや、喜んでいるのかもしれないな。どちらにしろ矛盾だがな」
「使い捨ての命か・・・」
マーレは決してどうすれば彼らを救えるかと聞かなかった。聞いたところで不可能だと察していた。それが出来るなら、インパが既に語っている。
「完成品に告ぐ」
抑揚のない、平坦な喋り方だ。棒読み、誰かに言われた事をそのまま話しているだけの様だ。
「直ちに投降せよ。さもなくば失敗作と共に処分する」
「失敗作と言うのは、インパの事か?」
ユニットは答えない。必要以上の事は何も話さないと言う事だろう。
「・・・悪いが、私は大切な者を貶められて落ち着いていられる程、完璧な存在ではない!」
*
変わらない毎日が来ると人は無意識に思い込む。平穏で平和、仲の良い友達や親友、愛している家族に恋人、暮らしを豊かにしてくれる文明、当たり前になっている物が無くなるなどと露にも思わない。
裏を返せば恐れている。あって当たり前のものが無くなるのを恐れている。見ない様に蓋をしているが、臭いは漏れてふとした時に不安になる。不安は溜まりに溜まるが、日々の暮らしと慣れによりいつの間にか気にも掛けなくなる。
だが臭いは充満しているのだ。少しの刺激で思い出し、より強い恐怖と不安に襲われる。何の心構えも準備もないままその時を迎えるのだ。
生物は死を恐れる。故に周囲を死に囲まれたドームの中、自分達を生かしてくれる文明が消失したらなんて恐ろしい事は、わかっているからこそ誰も口にしない。しかし、その時が来たとするならば人は一体どうなるのだろうか?
「ふざけるな!一体どうなっているんだ!」
男性が怒鳴り声を上げて所員に掴み掛るが、彼らとて常にチコモストクの全てを把握している訳ではない。何が起きたのかわからないのは同じなのだ。
「あなた達は私達を守るのが仕事なんでしょ!?早く電気を元に戻しなさいよ!」
「ただいま早急に原因を調べている最中でございます!どうか落ち着いて冷静に行動してください!」
所員達が人々を宥め様とするがまるで通じない。興奮と恐慌状態なのは彼らも同じだ。そこから発せられる言葉に火を消す力はない。
徐々に広がる死への恐怖。それでも一線を超える事はなく人々はまだ人間であった。外に広がる死の世界と自分達を守ってくれている箱庭が、人を人でいさせてくれた。
しかし、突如として響く銃声、それは住宅エリアのミミルの塔にほど近い家で発せられた。空気を裂く発砲音が幾度となく響き渡り、一瞬の静寂が辺りを包む。その後に続くのは無秩序の混乱と混沌だ。右往左往する人もいれば、泣き喚き助けを乞う人もいる。そんな無力な人を狙うのは内なる狂気を表に出した獣たち。理性も常識も消し飛び、無意味に人を殴りつけ、意味を持たない叫び声を上げている。死人も出始めた。道端には深々とフォークが目に突き刺さった死体が転がり、折れた木片が腹部を貫いている死体もある。
つい少し前まで優雅に談笑していた男女であったが、男が女の衣服を掴み泣き叫ぶ女を気にも留めず暗がりへ連れ込もうとしている。恐慌状態に陥った数人がチコモストクの出入り口から外に飛び出した。外に出れば死とは忘れている。危険な場所から逃げようとして自らの命を自然に差し出している。
所員達はどうにか騒動を抑え込もうとするが焼け石に水で誰も話しを聞いてはくれない。彼らにも状況が飲み込めていない。研究エリアから全員が出る様に命令された時も、その理由を説明などされていない。恐怖と狂気は次第に彼らにも伝播し暴徒に変わり果てる者も現れ始めた。
「あの銃声間違いなくユニットだよな?くそったれ!バアト様は何考えてんだ!」
「バアト様にもパリシ様にもインパ様にも連絡がつかない。・・・終わり、もう終わりだ。人間はこれで終わっちまうんだ・・・」
銃声が響く。自らの頭を撃ち抜き斃れる所員。絶望に押し潰され、自殺する者まで現れ出した。
これが人間。死の間際になると理性も知性も吹き飛び衝動のままに行動する動物。最早彼らには、自らを律する事は出来ないでいた。
「これ程か。人間とは、これ程なのか!?」
この惨状を目にしたパリシは叫んだ。叫ばずにはいられなかった、余りにも浅ましい。文明の機器が僅か数刻使えなくなっただけで、これ程に狂気に満たされるのか。
「急がなければ。研究エリアに行き、リン達を助け出さなければ!」
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