第23話 作られた命

 重傷を負ったマーレとは、ここで一旦別れる事になった。インパが家で治療すると申し出た事に、異議を言う者など一人もいなかった。

 「ロップス。必ず助け出すわ。母さんの想いを果たす・・・!」

 「・・・先程は歓喜に満たされたが、お前はお前であろう。凛ではないのだ。己自身が本当にどうしたいのか、自覚しておるのか?」

 「ウインドを助け出して、母さんの想いを果たす。親孝行、したいもの」

 その答えにロップスは何も言わず、満足げに頷いた。

 母の記憶が全て自分の中にある事、自分が母に瓜二つである事、そして自分達が五人姉弟であった事、それらは全て身勝手にしてエゴである。同時に、歪んだ愛情でもある。

 このカーゴが何処に向かっているのか、リンには見当が付いていた。生産エリアと動力エリアの間にある、研究エリア。間違いなく、バアトは自分達をそこに向かわせる。

 見えてきた研究エリアは、意外な程小さかった。ドーム形の建物が置かれてあるだけで、他には何もない。余りに殺風景、故に異様。その綺麗で安全そうなドームの中身は、余りにえげつないのだ。

 「何か、思った程怖い場所じゃないのね・・・」

 カーゴから降りてフルールがまず発した言葉がそれだった。

 「見た目はな。これは間違いなく見た目で判断するなって言ういい見本だろ」

 「中に入れば全てわかるわ」

 研究ラボの入り口には受付と所員証をかざして通過する事が出来るゲートが備え付けられていた。淡いピンク色で包まれ、観葉植物が優しい雰囲気を醸し出している。上っ面だ。仮面の下の素顔は見ただけではわからないのだ。

 「誰もいないの?何で?」

 誰かがいた臭いの残滓はあるが、誰もいない。臭いの感じから、おそらく数時間前まではいたと思われるが、いなくなった理由がわからない。

 「リン、行きましょう。ウインドを助けないと」

 「フルール!待っ」

 その言葉は最後まで言えなかった。ゲートをフルールが通ると、何も起きなかった。リンは知っている。そのゲートは所員証をかざさなければ警報が鳴り響くのだ。しかし、無音。

 「これって・・・」

 「わざわざ連れてきたんだから、中身を見せたいんだろ?まぁ伏線としては丸解りで緊張感に欠けるけどな」

 (違う。ここはバアトにとって命そのもの、自分が積み上げてきた全て。確かに腹の中だし、いくらでも罠を仕掛けられるけど、中に入り込ませて破壊行為なんてされたらそれこそ目も当てられない。入り口で捕らえに来ると予想してたけど・・・)

 違和感が拭えない。リスクとメリットを天秤にかけ合わせた場合、間違いなく内部で騒ぎを起こしたくはないはずだ。逆に考えると、自分達が後に引けないからこそ内部に誘い込むのだろうか?

 受付から奥の廊下に進むと、壁に作られた水槽の列が目に入り、その中にはあの首輪が浮かんでおり薄い膜の中で胎児が蠢いていた。

 「こんな、命を雑に扱うなんて・・・」

 「命じゃないのよ。バアトも、ここの所員にとってもただ物に過ぎないのよ」

 「胸糞悪くなる見世物だな。こいつらはどうなるんだ?」

 「データを取られた後、用済みとなって処分されるか闘技場に送られるかのいずれかよ」

 「そんなの・・・産まれた時から死ぬ事が決まっている命なんてある訳ないのに!」

 「それは間違ってるぞ。命は皆死ぬ。生きて、死ぬ為に生きているんだ。だから今のセリフは「生きる事の出来ない命はない」だな」

 延々と続く水槽の列、一番奥まで進むと中心の中に入る扉が現れた。自分達はドームの外側を歩いてきたのだ。

 扉には鍵が掛かっている。鍵穴は無く、何かを打ち込むキーボードと何かを読み取るカメラが備え付けられていた。

 「わかるのか?」

 「母さんが知っているもの」

 リンはキーボードに「NYUKAI」と打ち込み、最後にマーレから受け取っていた写真をかざした。何かを読み取る音が聞こえ、鍵が開く音がした。

 開かれた扉の中に広がっていたのは、透明なガラスの床下に広がる乳白色の水で満たされた巨大な水槽だった。その水の中に沈んでいる多くのカプセルの中に、あの首輪と胎児が浮かんでいた。

 「この水・・・まるで母乳みたい・・・」

 「期待度の高い実験体はここで産まれる。女性の子宮内環境を再現した命始まる水の中で産まれるこの子達は、栄養状態や健康状態が非常に優れた状態で産まれるの」

 「要するに差別か。自由も何もあったもんじゃないな」

 「生き残る為なら、何でもするのが人間。なまじ優れた知能と不安定な感情を持つが故に、追い詰められれば追い詰められるほど手段は問わなくなる」

 複雑にして、戸惑い、混乱、当惑。説明をしているリン本人も理解しがたい極地がここにある。

 「どうして?どうしてそこまでして生き残ろうとするの?」

 「私にも、わからない。だって、記憶として知っていても、理解できる訳じゃない。ただ、弱いんだって、母さんは思っていたみたい。弱いから、常に怯えているって・・・」

 「追い詰められれば鼠だって猫に噛みつくって事か?結局全部、現実から目を逸らす為の享楽って事だな。

 ・・・やってる事は外道だが、なんか同情しちまうよ」

 「同情って、バアトのせいで沢山の人が苦しい目にあったのよ?」

 「だけど俺達はまだ本心を知らないだろ?そうじゃないのか、リン」

 そう、何も知らない。記憶はあっても、それは本で知った知識の様なもので、直接目で見たものではない。何より人の内面に他人の評価は当てにならない。自分の目で確かめなければならないのだ。

 「この研究所の地下に行こう。そこで、私自身の眼で真実を確かめたい」

 「そこに・・・ウインドがいるの?」

 「わからない。まずいるとは思うけど、確証は持てない」

 「可能性があるなら、行ってみようぜ。一刻も早くウインドを助け出そう」

 ファミーユの言葉に応えるかの様に、奥のエレベーターの扉が独りでに開いた。

 間違いなく、誰がどう見ても罠だ。おそらく何処からか見られている。積み重ねて来た物の全て、その場所に容易に誘い込むと言う事は、周到な準備がしてあると言う事。

 それでも三人はエレベーターに乗り込んだ。この目で真実を知りたい。何より、ウインドがここにいる可能性が一%でもあるのなら行かないと言う選択肢は存在しない。


                  *


 エレベーターが止まった。開いた扉の先には白く清純として病的なまでに清潔にされた廊下であった。下の床は透明なガラスで、強く踏み鳴らすと硬質で固い音が耳に響く。廊下の先には薄いガラスで仕切られた部屋がいくつもあり、中には様々な薬品に冷凍保存機に顕微鏡にパソコンが置いてある。

 「この部屋、何なの?」

 「新人類となり得る確率が低い生命の誕生はこの部屋で行われるの。なんの抗菌処理も無く、横の椅子でコーヒーを飲みながら命が産み出される。

 昔は奥の研究施設で行われてたんだけど、より上へを目指す様になってからはこんな形になったわ。なんの情も感動も無く産まれる命に母さんは辟易してたわ」

 「ここまでくるといっそ清々しいな。痛みも苦労もない達成に感動は無しだな」

 研究エリアは地下に蟻の巣の様に広がっており、チコモストクの地中全体をこの研究エリアが覆っているのだろう。産まれる前から人に踏まれ人の下に敷かれる嘆きの奴隷、慣れと無関心とはえてして非情だ。

 「ここで働いている人は、何も感じないの?」

 「・・・意見も反論も、進言なんて出来る訳がなかった。自分の意にそぐわない者には相応の末路が待っていたから」

 「あの女性も言っていたな。逆らうと恐ろしい目に合わされるって。拷問、とかだったらまだマシなんだろうな」

 「人を守る意思だけは変わらない。ただ、人の未来を得る為に様々な実験の実験体にされるの。母体にされるのは勿論、今の人類を放射能に適応出来る様に人体実験を行う。でもこれは研究員や所員に課されるもので、一般人には外の探索員に選ばれるだけ。この事は、決して誰も公にしないけどね」

 「自分から滅びるのはもうごめんだろうしな」

 軽い口調ながらもファミーユは拳を固く握りしめている。説明をするリンも不快げな表情をしている。

 また別の部屋にはホルマリン漬けにされた子宮・心臓・腎臓・肝臓・大腸・睾丸・胃・脳などと言った身体における全ての臓器器官、更には背骨・肋骨・頸椎・脛骨などの骨格までも保存してある。極めつけは十数体の実験体が丸々ホルマリン漬けにされている。

 「正気じゃない・・・何なのよ一体・・・どうしてこんな事を・・・」

 「それそれ質の良い臓器や骨を保存してある。産まれた実験体を測る為に」

 「正義も行き過ぎれば狂気か。順応って奴はつくづく恐ろしいな」

 正義も悪も表裏一体。正しさは常に己自身の心である。

 母の記憶があるからこそ、リンは全てを知っている。この研究所でどんな研究がされていたのかを。だからこそ、理解できない。

 診察台が置かれた部屋には宇宙服の様な防護服に様々な機械を操作するパネルが設置してある。解剖部屋、説明をしたリンも吐き気を覚えた。

 檻の中に入れられた動物達が音を鳴らしている。その姿は何処か苦し気だ。まるで何かを訴える様に鳴き声を発している。

 「この部屋は・・・」

 「動物実験を行う場所よ。放射能による適応検査、放射能による身体への影響、既存の現生物と生殖可能な種を作り出せるかどうかを」

 「もういいわ!・・・聞きたくない・・・」

 フルールは悲痛な声で頭を振った。

 「こっちを見ろ。見てるだけで生きるのが嫌になってくるぞ」

 ファミーユが言い示した場所には巨大な檻があり、中には十数人程の人間が虚ろな表情で座り込んでいる。いくら話しかけても反応がなく、小声で「人類への未来に我が身を捧げます」と呟き続けている。

 「・・・バアトによる人間の人体実験の成れの果ての手前。麻薬と洗脳で意識と自由を奪い、ここの動物達と同じ実験を行っているの」

 「何がしたいんだあいつは?」

 「私にもわからない。でも、人を救いたいって言う気持ちだけは確かみたい」

 「こんなのが、救い!?そんなの、絶対間違ってるわ!」

 フルールは檻の鉄柵に手をかけ開こうとした。だがその寸前でリンに腕を掴まれた。

 「駄目よフルール。・・・もうこの人達を救うことは出来ないの」

 「そんな、どうしてなの?」

 「傷は治せても、心と脳は治せないわ。・・・母さんが救えなかったのに、私達が今ここでこの人達を解放しても、何もできない。外に連れ出すことも出来ないのよ」

 正論とは時に無情だ。正しい故に、救いがない。自分達の無力さ、フルールはその場に崩れ落ちすすり泣き、リンも歯を噛みしめるしかない。

 「出来る事と出来ない事は誰にでもある。俺達は救世主じゃないんだ、誰彼も助けようなんて傲慢も甚だしいだろ?出来る事を出来るだけやり通せて救えるだけ救えれば充分だ。手を広げすぎれば救える者も救えないだろ?」

 「・・・そうね、あなたの言う通りよね。ファミーユって、いつも落ち着いてるわよね」

 「何のことはない。俺はまだ俺がないだけさ」

 「それがあなたなのかもしれないわよ」

 部屋を出て、三人は更に先に進む。

 この研究エリアは下層に進むほど重要な施設が増えてくる。上層部は会議室や事務室に休憩室などがあり、期待度の低い実験体を生み出す為の人工授精が行われている。下層に進むごとに密閉された研究室や重要な資料をまとめる部屋が増え、口外が出来ない人体実験や期待度の高い実験体の人工授精が行われる。

 ある研究室に入ると、机の上に置かれていた資料にはこの様な事が記されてあった。

 『外界の生物における身体の変質。高濃度の放射能による遺伝子の変質によるものだと思われる。外見、臓器、知覚知能に異常などは見られず、生殖行為も依然可能』

 『動物実験により外界と同じ濃度の放射能に満たした部屋に隔離した結果、最短で七日、最長で三十日での死亡が確認。チコモストクに現存する全ての動物での結果も変わらず。これにより全ての動物が放射能に適応し生き延びた訳ではない事が判明』

 『放射能による植物への変質は確認されず』

 『クローン技術により産み出した人間を外界と同じ濃度の放射能に満たされた部屋に隔離した結果、最短で三日、最長で五日での死亡が確認。動物に比べ遥かに耐久力、適応力の低さを確認。

 低濃度の放射能で満たされた部屋に隔離した結果、死亡は確認されず。放射能の濃度を僅かに上げていく事による身体、体調の変調及び悪化を確認、死亡は確認されず。しかし、生身の人間による実験の結果、低濃度の放射能に問題は無し。外界と同レベルの放射能まで僅かづづ上げると臓器器官による異常を確認。嘔吐、鼻血、血便、吐血などの症状が発生し、生殖器官も破壊された事が判明。後日、被検体は全員死亡が確認された』

 『現人類が外界の環境に適応するのは不可能と判明。これによりバアト様により外界と適応できる新人類誕生計画が発足された』

 『外界と同濃度の放射能を遺伝子に組み込み、卵子に人工授精させる事により新たな人類を生み出す。しかし、遺伝子を破壊する放射能が新たな生命の誕生に繋がるはずもなく、計五百七十三回の人工授精は失敗に終わる。次の人工授精により遂に細胞分裂を確認、選抜の母体に移し替え成長の過程を観察。身体による異常を確認。腕及脚の数が計八本に増えている事を確認。

 母体からの主産後、実験体を隔離観察。二足歩行は確認できず、動物の様に手足を地に着け這い廻っている。不揃いな複眼に裂けた口などの特徴から実験体を「スパイダー」と仮称する。

 生後三年、教育の成果なく言語を話せず知能の発達が見られない。検査の結果肥大した頭蓋骨に脳が圧迫される形で縮小している事が判明。また臓器器官なども異常が見られ、正常に機能している臓器は半数に満たないと判明、寿命はおよそ十数年が限度との事。人間との交配も不可能と判明、これ以上の観察及びデータ収集は不要と判断し「スパイダー」を凍結保存する事が決定した』

 『母体による出産では新人類完成まで多大な時間が掛かるとし、子宮内環境を再現した装置の開発が行われる。これにより実験数が増え、より優れた実験体が産まれる足掛かりとなるだろう』

 『提供された卵子を保存し、子宮内を再現した膜を発生させる首輪を製作。これにより体温程の水温にした水場があれば多くの実験体を作り出す事が可能となり作業パフォーマンスの大幅な向上が望めるだろう』

 『実験数は千回を超え、実験体の身体も向上が見られ異常率も低下していっている。しかし、新人類と呼ぶにはほど遠い。失敗作はデータ収集後に処理処分とする』

 読めば読む程に、自分が嫌になって来る。資料の内容を説明された二人も説明のしがたい複雑な表情を浮かべている。

 研究エリアを進んでいると、廊下に微かに血の臭いが漂ってきた。換気や清掃、気密性が高いこの場所において血の臭いと言うのは異常であった。

 「どうする?」

 「行ってみましょう。もしかしたらウインドがいるかもしれない」

 「何があるかわかるか?」

 「・・・バアトの兵隊よ」

 血の臭いが発せられているのは「複製部屋」と言う表札が掲げられた部屋であった。外から内部の様子を把握する事は叶わず、耳を澄ましても物音一つ聞こえない。リンは扉に手をかけ力を込めて強引にこじ開けた。

 「写真や入力とかで開かないのか?」

 「ここに入れるのはバアトだけ。母さんは何度か入った事があるみたいよ」

 扉を開くと中から何かが飛び出しリンに飛び掛かって来た。それは体毛のない肌の白い人だった。獣の様な唸り声を上げリンに喰らい付こうとするが、その前にファミーユに胸を蹴飛ばされ吹っ飛んだ。胸には脚の形がくっきりと残り倒れた姿のまま動かなくなった。

 「何だこいつは?」

 「まだ来るわ!」

 部屋の中から更に三人が飛び出してくるが、一人は飛び出したと同時にファミーユに頭を潰され、二人目はファミーユの腕に喰らい付くが腕で挟み込む事で首の骨を折り、三人目はフルールに襲い掛かったがあっさりと転ばされ怯んだところをファミーユに頭を踏み潰された。

 「殺す必要はなかったんじゃ・・・」

 「殺す気で来たのなら殺されても文句は言わせない。それより何なんだこいつらは?」

 「・・・何でこんな事になっているの?一体どう言う事なの?」

 部屋の中は凄惨極まる地獄絵図、喰い千切られ、引き裂かれ、殴り殺され、血と臓物が飛び散り部屋の中を真っ赤に染め上げていた。

 「獣の方がまだ行儀がいいぞ。なんでこんな事になったんだ?」

 部屋の中には計ニ十個のカプセルが置かれてあるがその全てが割られている。その割られ方は中から砕いたかの様だ。

 「ここは人間のクローン、複製を作り出す部屋よ。でも、どうしてこんな事になってるの?母さんの記憶では、バアトの私設兵隊を作り出す重要な場所なのに」

 「私設兵隊?リン、今の人達が複製ってどう言う事なの?」

 「言った通りよ。人間の遺伝子情報から同一の人間を作り出す、それがこの部屋よ。ここで生み出された人間はバアトの命令だけ従う様にされ、ミミルの塔においてバアトの身辺警護を行うの。寿命はおおよそ一年、使い捨ての兵隊、バアトは「ユニット」とも呼んでいるわ」

 「何の為のそんな事・・・!」

 「母さんは狂気の所業と思っていたみたい。・・・私も今の光景と母さんの記憶を読むとそう感じる。

 でも、どうしてこんな事になっているの?誕生前の複製体が殺し合って装置まで破壊されて、バアトは一体何を考えているの?」

 『もう必要ないからさ。機械は壊して解体して再利用だ、そうだろう』

 突如部屋に響き渡る物腰の柔らかい男の声。部屋のモニターにバアトの顔が映っていた。バアトの視線が三人に向けられる。その表情は見た目は慈しみに満ちたものだった。

 『あぁ、あの子を抱きしめた時もこんな感情だった。これを父性と言うのかもしれないね。

 君達は僕の研究が生み出したまさに収着地の一歩手前の存在なんだ。さぁ帰っておいで。外で遊ぶ時間は終わりだよ』

 「私達の親は母さんただ一人よ。そして私達の家はここじゃない。そして私達は物じゃない」

 『そうだ。君の言う通り物として産まれる命などあってはならないんだ。しかしそうならざるを得ない時もある。遥か昔地上を人間が覆っていた頃、幾度となく戦争が行われた。その時の人間の命は物同然で消費されていく!わかるかね?平和への礎は常に人柱で出来ているんだよ。

 人類は今窮地に立たされている。己が犯した罪の為に自然から隔絶された今、仮初の平和の元滅びの道を歩んでいくだけなんだ。それを救えるのは君達しかいないんだ!わかってくれ、君達は人類の栄えある未来の為に必要な存在なんだ。君達の名は、偉人として人類の歴史に刻まれていくだろう』

 「地球の歴史に刻まれるのならともかく、滅びて忘れ去られる歴史に刻まれて何の価値があるんだ?」

 バアトの言葉が途切れた。表情は変わらないが、その瞳は死んだ魚の様に濁った。

 『言葉には気を付けたまえよ。言葉と言うものは最も取り扱いが難しいんだ。甘い言葉は疑わしく信じられず、心無い言葉は精神を傷つけ狂わせる。おかしなものだよ。本心で言っている事が全く理解されず、軽い気持ちで言った中傷罵倒は永劫癒えぬ傷跡を付けるるんだ・・・・・・』

 次第に仮面が崩れて来た。歪な笑みが浮かびだし、壊れた機械の様な不規則にして不愉快な擦れた笑い声が出る。

 『ヒヒッ・・・全く、どうして言葉を軽く扱うんだ?キキ・・・キッ・・・吠えろ、喚け、無知蒙昧の愚劣ども。ヒャハハハハハハ!!自分で自分の脳を傷つける奴がいるか!?いいさ!好きなだけ言えよ!そうして皆死んでいくんだ!』

 余りにも突然な、糸が切れたかの様なイカレた笑い方。動揺、恐怖、異常、狂気、様々な感情がバアトの中に見て取れた。

 ややあってバアトは平静を取り戻した。深呼吸をして、先程と同じく笑みを浮かべた仮面を被った。

 『・・・これは失礼。みっともない所をお見せしたね。

 しかし、わざわざ僕の大切な兵隊を作る装置を犠牲にして呼び寄せた甲斐があるよ』

 「どういう事?あなた一体何をしたの?」

 『わからないのかい?催眠装置で自分以外を敵に見える様にして、興奮剤を投与しただけさ。君達血の臭いには敏感だろ?こんなに簡単に釣れるんなら、パリシの作戦もあながち臆病じゃなかったのかもしれないね』

 部屋の扉が閉じ、更に強固な扉が上から降りて来た。

 『壊そうなんて思わない事だよ。強い衝撃を加えれば君達は塩素ガスで死ぬ事になるよ。どこまで耐えられるか検証するのも面白そうだけど、なるべく生きた状態で君達を手に入れたいからね。

 さて、取引だ。僕に従って投降するか、それともここで抗って死ぬか、どちらがいいか決めてくれたまえ』

 「その取引に俺達が応じて何が得られる?」

 『それはこれさ』

 画面の一部が切り替わり、そこには水に満たされたカプセルの中に閉じ込められたウインドの姿が映った。口にはマスクが付けられ、僅かに胸が動いている。

 「ウインド!」

 『生きてるよ。少なくとも、今はね。わかるかい?君達をこの研究エリアに導いたのは退路を断つ為さ。ここは僕の腹の中だ。君達が如何に優れた肉体を保持していようとも、生物である以上毒には耐えられないだろう?

 リン、君はわかっていたはずだ。ここが危険で怪しい事ぐらい。それでも踏み込んだのは「ここにウインドがいるかもしれない」と思ったからだろう?実際その通り、つい最近まで彼女はここにいたよ。だけど危ないからね、大切な者は身近に置いておこうと思って少し前に僕の部屋に移したんだ。

 君達の家族愛は素晴らしい!人間などとは比べ物にならない程に純粋だ!だからこそ容易だ。君達がどう行動するのか手に取る様にわか』

 話しの途中で突然映像が消えた。部屋の明かりも消え、暗闇が辺りを包んだ。

 「これもバアトの仕業なの?」

 「流石に違うと思う。だって、これ以上小細工をしなくても全てがうまくいくはずだったのよ」

 その時凄い衝撃音が部屋に響いた。見るとファミーユが扉を殴りつけている。扉には大きな凹みが出来たが壊れるには至らない。

 「ファミーユ!何してるの!?そんな事したら私達死んじゃうって」

 「それを確かめたんだ。当然消えた映像に明かり、多分何か異常が起きたんだろう?現に俺が殴りつけても何も起きない。だったらこの隙に逃げ出すのが吉だ。さっさとミミルの塔に向かってウインドを助けだそうぜ」

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