第21話 負の象徴

 共感は出来ないが、それでも一定の理解が示せる場所を巡って来た。人間となり学び、知り、差異を感じつつも理解をしつつあった。井の中の蛙は知らない事に驚く。怒りを感じる事はあっても、それが人間にとっての普通なのだと思う事で飲み込んできた。住む場所違えば習慣も異なるのだ。

 だが、カーゴで連れてこられたこの場所は、今までの場所に比べて明らかに異質、花束の中に造化が混じる様な違和感を感じる。円形の巨大な建造物、入り口は東西南北四つにある。人が住む場所とはしては余りに無機質。この国の住居は大なり小なり装飾を施されている。何よりもおかしいのは、この建物の中から血の匂いが漂って来る。しかもその匂いが、濃い。

 「ここは・・・一体何なんだ・・・?」

 「入ればわかるわ」

 建物の入り口に近づいた時、突然虚空に映像が浮かび上がった。映像からは人々の悲鳴の様な絶叫と雄叫びが響き、思わず身を窄め耳を塞いでしまった。怒号飛び交う映像には、人々が中心を囲う様に座り、何かを見て興奮している。

 その何か、映像が少しづつ中心により全貌が見えてきた。それは互いに殺し合う実験体の姿だった。かたや五メートルもの巨体で四本腕の単眼巨人、かたや鎧と剣で武装した目無し口無し耳無しの三人の男だ。巨人は剣で身体中を斬られ傷だらけだが、余裕はまだまだありそうに見える。口無し男がとどめを刺そうと巨人の喉元に斬りかかるが、待っていた言わんばかりに巨人の手に捕まってしまう。片手に握られたその身体、鎧で身を守っていても守り切れず身体を握り潰されてしまう。骨が砕け、肉と臓器が潰れ、血が噴き出す音がした。それを見た人々が狂気じみた掛け声を上げる。「殺せ!」・「潰せ!」・「もっとやれ!」と。

 「何なんだこれは・・・」

 マーレの身体がわなわなと震える。フルールは口を塞ぎ泣いていた。

 「行き場のない鬱憤の発散場所って事か。実に頭の良い発想だよ。吐き気がする」

 映像に映る巨人は単眼から涙を流していた。殺し合いは巨人の勝利に終わる。目無し男は踏み潰され血と臓物を撒き散らし、耳無し男は巨人に天高く放り投げられ地面に叩きつけられると同時にその身を飛び散らせた。

 目を覆いたくなる様な惨状、悲鳴が飛び交い嘔吐する者逃げ惑う者が現れてもおかしくない、いや当然のはずだ。しかし映像に映る人々は言葉にならない言葉を発し、興奮極まった歓声が天まで届かんとする程だ。

 「・・・こんなものは嘘だ。出鱈目に決まっている。人間がこんな事をするはずがない!リン!そうだと言ってくれ!」

 それは切な願いだった。受け入れがたい話しを聞かされた人間が否定を求めて叫ぶ。「嘘だと言ってくれ!」それは弱さだ。現実は非常であり、真実は残酷だ。受け入れる覚悟がないのなら、初めから何もしなければいいのだ。

 リンは何も答えない。ただ黙って固く閉ざされている入り口に近づいた。リンが手を伸ばすと、それはまるで飢えた獣が待ちわびた獲物が訪れ喰らわんとするかの様に開かれた。入り口から見える廊下は暗く、濃い血臭が風に乗って流れてくる。気のせいではない、地獄の底から響く様な怨嗟の慟哭が聞こえてくる。

 リンは中に入って行く。ファミーユも続く。マーレとフルールは、二の足を踏んでいた。もし、もしもあの映像が真実だとしたら、一体どうなる?それこそ、自分達に家族を殺された女性の様に憎しみと殺意が湧き上がるのだろうか?

 「・・・行こう。恐ろしくても、止まらずに進むのが生きる事なんだ・・・」

 暗い廊下、だが自分達には暗闇でも見える眼がある。壁に貼られてある色紙には、おそらく実験体の名前と数字が書かれてあった。売店や食事場がある。こんな場所で平然と食事が出来る神経が理解できない。野性において屠った獲物を喰らうのは当然。だがここは、狂気と怨嗟が交じり合い血潮が飛び散る負の凝縮場所。普通であるのなら、こんな場所ないのが当然なのだ。

 廊下の先に光が見えた。それは出口ではなく、惨劇の始まりにして入り口。中心に穴の開いた天井から差し込む陽光が、円形の広場を照らしている。周囲を硬質なガラスで覆われた広場は見世物、数千人は座れるであろう椅子が円を描く様に敷き詰められている。

 「こんな・・・こんな・・・」

 マーレはガラスに爪を立て強く歯を噛みしめた。涙流れるその瞳は、真摯な怒りに満ちていた。

 「何故、何故こんな事が出来る!どうしてなんだ!?」

 マーレはガラスを渾身の力を込めて殴った。やり場のない怒りが、ただそうさせた感情に任せた行動。何の意味のない行動が意味を生む事がある。ガラスは殴られた箇所が割れ、割れた箇所から連鎖する様に蜘蛛の巣状にヒビが広がり、僅かな間を待ってガラスは粉々に砕け散り周囲に雨となって降り注いだ。

 「うおおぉ!?」

 「何してんだ!」

 降り注ぐガラスの雨からファミーユがマーレに覆い被さり守った。

 「ファミール・・・」

 「全く、とんだ馬鹿力で殴ったもんだな」

 「い、いや、あそこまで脆いと思わなかったんだ。・・・ありがとう、もう大丈夫だ」

 ファミールが立ち上がると背中からガラス片が音を立てて落ちていく。

 「大丈夫二人とも!?」

 「私は平気だ。ファミーユ、お前、怪我はしてないか?」

 「虫に刺された方がまだ痛いな」

 そう言うファミーユの背には服にガラス片が刺さっていても身体には傷一つ負っていない。

 「・・・そんな減らず口が言えるのなら、心配する方が馬鹿と言うものだな」

 「おいおい、もう少し労わってくれてもいいだろ?」

 こんな状況だと言うのに、何処か和やかな空気が流れる。雰囲気と言うのは、えてしてどんな環境であろうと人を落ち着かせ、狂わせる事が出来る。

 「本当は別の場所から行くつもりだったけど、こうなったらこっちの方が早いわね。中に降りましょ」

 リンが広場に降り、三人が続く。下に広がる砂の地面には、よく見ると爪、歯、骨が散らばっている。死者の大地、地上全てがそうであり誰も気づかない事。だがこの場所は、その事を強く意識させる。

 広場には二つの鉄柵が降りている。分厚く強固な鉄柵は、如何にファミーユであっても破壊する事は不可能だ。だが、持ち上げる事は出来る。全員で一斉に鉄柵を持ち上げ、リン、フルール、マーレが先に行き、ファミーユが最後に入り込む。支えを失った鉄柵は大きな硬質な音を立てて落ちた。

 砂の足場は柔らかく、目に見えない血で染まっている。奥からは先程よりも呻き声と鳴き声と恨み節が聞こえてくる。

 明かりのない道を進む事二分程、現れたのは巨大な鉄檻。複雑に交差された鉄檻は腕一本通るのがやっとで、冷たく固いその身は物言わぬ番人だ。そんな僅かな隙間から腕を伸ばし、救いに喘ぐ者達がいる。

 「助けてくれ・・・」

 「出してくれ~・・・」

 「何でもする・・・もう嫌だ・・・」

 地獄の底、醜い負の収着地、ここには自然ではありえない、人間により生み出された地獄が作られていた。

 「誰だ・・・そこにいるのは・・・?」

 牢獄にいる一人が四人に気づき声を掛けてきた。物言わぬ視線が四人に向けられる。

 「所員・・・じゃないな・・・。あんたら一体・・・」

 「・・・私達は、望まれぬ完成品」

 「完成品!!?」

 その声は牢獄に何度も反響し響き渡った。牢獄の中からざわめきがする。「嘘だ」、「だったらどうしてまだ・・・」、「でも、もし本当なら・・・」そのざわめきの中、牢獄の奥の暗闇から巨大な人影が動き、鉄柵の前に現れた。その男は、先程の映像で戦っていた単眼四本腕の巨人だった。

 「・・・まさかとは思ったが、その声とその姿、忘れようもない。戻って来たか・・・いや捕まったのか?凛、哀れなものだ。死を賭してもあの男からは逃げられぬ。お前も俺達も、あの男の掌の上で生涯を終えるだけなのだな・・・」

 「ロップス、私は違うの」

 「何?」

 リンは被っていた帽子を脱いだ。二つの獣耳が露になりロップスは大きく目を見開いた。

 「ま、まさか・・・よく見れば髪の色が異なる。お前は・・・」

 「私達は、母さんの子供よ」

 驚き目を見開いていたのは僅かな間、ロップスは大きく口を開き豪快な笑い声を上げた。死臭が漂う牢獄に、場違いに明るい笑い声が響き渡り他の者は戸惑い驚き身を窄めている。

 「そうか。やり遂げたのだな。凛。大したものだ、流石は俺を作り出しただけの事はある。バアトの嫉妬と怒りに歪む顔が目に浮かぶわ。

 だが、何故だ?何故お前達がここにいる?捕まったわけでもなし、ここに来る理由などあるまいよ。それに、何故俺の名を知っていた?」

 「母さんはバアトの事をよく知っていた。だから、バアトが何をするかわかっていたのよ・・・」

 「瓜二つなその外見・・・そうか、リンは己の全てを我が子に与えたのだな。・・・辛い目にあっただろう。悲しき事よ・・・」

 巨人はその場に座し、深く瞑目した。その労りの気持ちに心打たれたフルールは牢獄の扉に手を掛けた。

 「駄目!待ってフルール!」

 慌ててリンが扉を握るフルールの腕を掴んで止めた。

 「どうして止めるの?こんなの間違ってる。こんな場所、存在しちゃいけないのよ!自分の子供を子供と思わない親なんていない!救われる権利も、幸せになる権利もある!」

 それは怒り、それは優しさ、それは感情。山から崩れ落ちた岩は地面に落ちるまで決して止まらない。

 「わかってる。だけど待って。話しを聞いて」

 「どうして止めるのリン!?助けたいって思わないの!?あの子達と約束したのよ!必ず仲間を助け出すと!だから」

 「フルール!」

 鋭い音が響いた。マーレの平手がフルールの頬を叩いたのだ。赤く染まる頬を抑え、フルールはマーレを見る。彼女は泣いていた。

 「・・・フルール、助けたいのは全員同じだ。だが、冷静にならなければいけないんだ。ここは人間の英知の結晶、私達には考えの及ばない何かがある!」

 「優しき子らよ、その気持ちだけ受け取ろう。だが、俺達は逃げ出せん。この牢を破壊すると入り口が塞がれ天井から睡眠ガスが放出されまた捕まるだけだ。それにこの首輪、俺達の産まれた番数を表したものであり奴隷の象徴。チコモストクから一歩でも外に出れば爆発してしまうのだ」

 ロップスの首には、リン達が産まれた時にしていた首輪とよく似ている首輪がしてある。そこには『4689』と表示されている。

 「皮肉なものだ。俺達が産まれた物に、俺達を殺す権利があるとはな・・・」

 「それって、どういう事・・・?」

 「俺達は遺伝子を操作され、放射能に適応する様に作られた。だが、物事は簡単ではない。初めは整った施設で行われた研究も、成功に近づく為に幾度とく繰り返す様になれば質より数となる。提供された卵子を受精させ、この首輪の中で受精が確認されれば、子宮に似た膜の中に受精卵が放出され、首輪から栄養を得て成長し人の姿となる。体温程度の水の中に放置すれば問題ない。大量生産品なのだよ」

 それは正しく、命を命と思わない所業。冷徹にして無情。人はこれ程までに産まれてくる命に対して無慈悲なれると言うのか?

 「・・・どうすれば外せるんだ?」

 「これを外す事が出来るのはバアトだけだ。どうやるのか知らんが、奴の部屋に何かあるのだろう。

 よもやとは思うが、俺達を助けようと言うのではないのだろうな?悪い事は言わん。それはやめておけ。お前達の目的を果たした後速やかにこの国から逃げるのだ。もう二度とバアトが追いかけられない様な場所までな」

 「な、何でそんな事を言うんだよロップス。助けてもらえるのならありがたいじゃないか。そうすれば地獄から救われるし、デメテルにも子供達にもまた会える」

 今までは話しを黙って聞いていた男が発したのは、至極当然の事だ。何であろうとも人はすがる。神頼みであれ他力本願であれ、それがか細い蜘蛛の糸だとわかりながらも、希望にすがりたいのだ。そうでなければ、生きていられない。

 「ロップス、お前が私達の事を心配してくれるのはありがたい。だが、どう言われ様とも私達はお前達を助ける。子供達との約束なんだ」

 「会ったのかあ奴らに!元気にしておったか!」

 それはとても親しい友人に話しかける様な、気さくで朗らかな声だった。だからこそ、その言葉は四人の心に突き刺さる。

 「・・・子供達は元気だった」

 「・・・・・・デメテルはどうした?」

 「先生は・・・死んだ。私達のせいで・・・」

 和やかな空気は死んだ。その静寂は、死者を悼んでいるかの様だった。

 次第にすすり泣く声が聞こえて来た。そして大声で泣き出す者も。

 「嘘・・・デメテルが死んだのなんて・・・」

 「そんな、俺達の希望が・・・」

 「子供達はどうなるんだ・・・?あんた達、子供達はどうしたんだ?」

 「この一件が済んだら、子供達は私達が産まれた島に住まわせる。そして、お前達もだ」

 「島って・・・」

 「暖かく、自然が豊かの自由な場所だ。美しく雄大な自然に囲まれて暮らせるぞ」

 一様に呆気に取られている。解放なんて信じられない。でも、もしかしたら、そんな希望が湧くと共に、何者にも虐げられず自由に生きている自分の姿を想像するのだ。

 「素敵・・・」

 「本当に、本当に俺達を助けてくれるのか!?」

 「必ず助ける!だから、もう少しだけ待っていてくれ」

 牢獄の中で希望の歓声が沸き上がる。行動をしなければ助からないが、ただ耐え抜いて待てば救われる事もある。それは非常に低い確率だが、だからこそ奇跡と呼ばれるのだろう。

 「ロップス」

 リンはロップスに話しかけた。ロップスは答えず目を閉じている。

 「あの時の約束を、果たすわ。あなただけじゃない、皆も助けるから」

 ロップスの単眼から涙が滲み流れ出す。

 「なんと・・・慈悲深きこと・・・。お前達が姉弟で産まれたのも、愛情故なのかもしれぬな・・・」

 生きる活力、身体がうずく生命力、楽しく輝かしい未来、絶望の住人に生きる事の意義が生まれ始めた。

 そんな明るい場に水を差す突然の点灯、明かりに満たされたが、それは死地へ赴く絶望の灯火。先程までとは異なり恐怖に慄き悲鳴が上がる。

 「そんな!どうして明かりが点くんだ!?今日は休みだって言っていたのに!」

 その発言を裏付ける様に、左右の牢獄の間に映像が浮かび上がった。映像越しでもわかる程艶やかな長髪に、意図しなければそうならないとまで思わせる程に美しい肢体をしている。顔に被ったガスマスクを除けば、絶世の美男と言えるだろう。

 『か細い希望にすがっている所に水を差す様で悪いが、お前達に明日はない。何故なら、今ここで死ぬからだ』

 「ふ、ふざけるなインパ!デメテルを殺したのもお前だろ!いつも見下してたもんな!そうだろ!?」

 その指摘にリンとフルールとファミーユの表情がキツクなる。だが、マーレは複雑な表情を浮かべていた。

 『だったらどうした?出来損ないが吠えるな。

 そこの四人。この失敗作ども助けたかったら俺の指示に従え。お前達の中で代表者を一人選び出し、闘技場に来い。

 策を弄しても無駄だと忠告しておく。行動は常に監視しているのはわかってるだろう。おかしな真似をすれば逃げ道を塞ぎ、貴様達でも耐えられない致死性の猛毒ガスを放出する。別に死体でも構わんとの事だ。私はチャンスを与えているのだ、どうするのかよく考えて決めるんだな』

 映像は消え、僅かな静寂の後不安のざわめきが広がる。

 「インパ・・・。唯一故に、まだ拘ると言うのか・・・」

 「だからこそ、奪われたくないのだろう、存在意義を」

 マーレの言葉にロップスは驚いた顔をした。

 「知っているのか?インパの事を?」

 「先生が・・・私に託してくれたんだ。私がやらなければならない」

 「まさかマーレ、あなたが行くつもりなの?」

 「危険は百も承知だ。・・・フルール、私はお前みたいに優しくないし慈しみの心もない。それでも・・・救いたいんだ。先生が愛したインパを」

 初めて見た。マーレのこんな優しく儚げな表情。それは憂いでもあり、何処までも子を信じる親の様だ。悲しげではあるが、今のマーレは子供達を見守っていたデメテルとよく似ている。

 「覚悟があるのなら、俺達が横槍を入れる野暮はなしだ。見届けさせてもらうけどな」

 「皆に支えてもらえれば、どんな苦境であろうとも乗り越えられるな」

 三人は顔を見合わせた。常に責任を一人で負おうとするマーレが、自分達を頼ったのだ。直接的ではないにしろ、精神的な支えにしてくれた。

 「マーレ、私達は常に共にある。だから・・・インパの事を理解してあげて」

 救いではなく、理解。それが何を意味するのかマーレにはわかっていた。

 四人が去った後、ロップスは深く瞑目した。

 (救い、理解か・・・皮肉な事よ。日々の恐怖と不安の捌け口となる吹き溜まりの場所があ奴の運命を変えるのか・・・)


                  *


 闘技場に出ると、背後の分厚い鉄柵が閉まった。インパは身動ぎ一つせずマーレの事を出迎えた。

 「貴様が来るとは思わなかったが・・・まぁ誰でも構わん。さぁ始めるか」

 インパは特殊なスーツに身を包んでいる。それが防御に優れている事ぐらい、マーレも気づいた。銃を構え、引き金を引こうとしている。

 「教えてくれ。何故親を殺したんだ」

 インパの動きが止まる。ガスマスク越しではわかり難いが、明らかに動揺している。

 「先生は、デメテルは、お前を愛していた。お前に殺されるとわかっていながらも愛していた!何故だ・・なぜ殺したんだ・・・?」

 マーレに充てられた手紙。それにはインパに対する想いが綴られていた。

 『マーレ、あなたにこの手紙を残したのは、お願いがあるからです。

 私はおそらく私が育てた子、インパに殺されるでしょう。でも、それは自業自得。インパの心の闇に気づいてあげられなかった私の罪なんです。

 インパは、神に愛された子でした。だからこそ不幸だった。普通であったからこその不幸、なんと言う皮肉でしょう。生きる権利はインパに幸せを与えず、異なる不幸を与えたのです。

 インパはただ、愛してほしいだけなんです。ただ唯一に。でも、私では駄目でした。だからこそ、あなたにインパを救ってほしいんです。押し付ける様な事をしてごめんなさい。ですが、インパもまた被害者なのです。どうか、インパを恨まず、許してあげてください。あの子はただ、寂しがりやなだけなんです』

 マーレはインパの事を何も知らない。だからこそ、彼の事を知りたいのだ。

 「貴様には関係ない」

 「・・・お前も、実験体なのだろう?」

 ガスマスク越しでも伝わる、刺し殺す様な殺意。

 「俺をあんな失敗作どもと一緒にするなぁぁぁぁぁ!!!」

 銃声が鳴り響く。銃弾が腕に、腹部に、胸に、脚に、肩に、めり込んでいく。マーレの強固な身体をもってしてもこれ程身体にめり込む銃の威力、本気で殺しに来てるのだ。マーレは微動だにせず銃弾を受け切った。

 「野蛮人め・・・悲鳴の一つすら上げんとは。身体だけは丈夫だな。何処まで耐えられるか見物だな」

 「悲鳴を上げているのは、お前の心ではないのか?」

 殺意が更に強くなる。殺意のみならず、怒り、嫉妬、怨恨、インパの念が闘技場を包み込み、空間を歪ませる様な錯覚を感じる。

 「その減らず口を今すぐ黙らせてやる」

 「私でもわかる。お前は素直になれない、反抗期なだけだ!私を見ろインパ!自分の気持ちに正直になれ!」

 「黙れ。黙れ。黙れぇぇぇぇぇぇ!!!」

 激高したインパは銃を乱射しながら突進してくる。マーレに近づくと銃を投げ捨て鋭利なナイフで何度も切りつけた。それでもマーレは、耐え続けた。

 「どうした?抵抗しないのか?何故耐える?家族の為か?失敗作どもの為か?耐えても無駄だぞ。全員殺す。殺してやるんだからな」

 何を言われようともマーレは歯を食いしばって耐えた。

 「教えてやろうか?お前らの家族、ウインドと言ったか?あいつを連れ去ったのは私だ!奴に放った銃弾で咲いた血の花は見事だったぞ!」

 その事実に、鉄柵の向こうからマーレを見守る三人は見の内に得体の知れないどす黒い感情が沸き上がった。そして思う、これがあの女性と同じ気持ちなのだと。だが、耐える。マーレの覚悟を邪魔してはいけない。信じるのだ。同じ気持ちであり耐えているマーレを。

 「・・・・・・恨まない」

 「何?」

 「私は・・・お前を恨まない・・・」

 インパの動きが止まった。幾度となく切りつけられたマーレの身体は血塗れで、傷のない所を探す方が困難に思える。

 「デメテルの・・・教えだ。私はお前を恨まない。だから、教えてくれインパ。お前の事を」

 これ程凄惨な目に合いながら、マーレの表情は優しかった。

 「・・・そこまでされても言うか。ならば教えてやる。俺の全てを、正体を」

 インパはガスマスクを取り外した。そこにある顔は、最早人間とは思えない程に異形、今まで見たものの中で一番恐ろしく残酷なものであった。

 口から上の部分に皮膚が無く、筋繊維が露になっている。そこに大きさも並びも不揃いな目玉が複眼の如く存在し、独立した意志があるかの様に周囲に視線を巡らせている。

 「恐れたか?気味悪がったか?これが俺の姿だ。俺は産まれた時からこの醜悪な顔と共に生きて来た。その苦しみが、お前にわかるのか?

 だが俺には!生きる権利があった!俺こそ完成品なんだ!俺は人間との間に子を生せ、新人類の祖となり得る唯一無二の存在だ!俺の存在意義だ!

 お前達は俺から存在意義を奪う驚異でしかない。だから殺す!命令反故も俺の存在意義が、俺が積み上げた実力が守ってくれる!俺の存在意義を・・・奪われてたまるか!!」

 「奪わない!私が全てを受け入れる!私を信じろ!」

 「黙れ!!貴様に何がわかる!何の苦労も無く暮らし、恵まれた容姿を持つ貴様に、妥協された失敗作である俺の、何がわかると言うんだッッッ!!!」

 インパの脳裏に浮かぶのは、自身がこれまで歩んできた人生の軌跡。産まれた時から少年で物心を持っていた。だから知ってしまった。あからさまな嫌悪の目を向ける者、研究の向上と進歩を期待する者、自分は所詮物だったのだ。

 だが幸運か、自分には生きる権利があった。だが不幸にも、自分は普通、凡人であった。研究が発展すれば自分は存在意義を奪われ生きる意義を失う。だから積み上げてきた、知識を、技能を、それが新たな存在意義となる様に。それでも、妥協された失敗作である自分に居場所はなかったのだ。どんなに手を伸ばしても、足掻いても、届かず手に入らない。

 「わからない。私にはお前の苦しみも辛さも理解できない。そもでも!居場所を与える事が出来る!受け入れる事が出来る!」

 ナイフを振り降ろそうとするインパをマーレは優しく、包容した。柔らかい布が空から覆いかぶさる様な感覚に、インパは僅かに弛緩した。

 「一人じゃない・・・一人じゃないんだ・・・」

 インパは泣いた。その目から涙は流れずとも、心が泣いていた。だが彼は意固地だった。

 「黙れ。黙れッッ!」

 インパは幾度となくマーレの背にナイフを振り下ろした。深々と突き刺さり、血が噴き出す。生温かい血でその手が汚れ、気が付くと振り下ろすその手は止まっていた。

 「ずっと一緒だ・・・。もう一人じゃない。私がお前を愛してやる」

 「・・・嘘だ。そんな事は嘘に決まっている。お前達は俺のせいで家族を失ったんだぞ。そんな俺を、愛せるはずがない。俺だけを愛してくれる訳がない・・・!」

 「傷つけあうのは、悲しみと恨みしか生まない。私もお前も、一生罪を背負って生きるんだ。だから、恨まない。何より、ウインドはそんな虚しい連鎖を望んでいないしな・・・

 お前だけを、ただ唯一に愛してやる。だから・・・だからもうやめよう。インパ、私はずっとあなたと一緒にいるから・・・」

 慈愛、情愛、真心、慈しみ、自分だけを愛してくれている。自分だけを見てくれている。ずっとそうしてほしかった。誰も、自分だけを愛してくれなかった。自分だけを見てくれなかった。

 闘技場にインパの叫び声が響く。それは喜悦の泣き叫び、インパはマーレを抱きしめた。それは彼が、他人に初めて行った甘えた事だった。

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