第20話 文明都市

 それは、余りに大きく、美しく、雄大で、壮大で、異質で、異様で、不自然だった。

 白い半透明のガラスのドームが広大な大地を覆いつくしている。自然に満ち溢れた外の世界に対して、ドームの中は人の手により作られた建造物が立ち並んでいる。それは高層ビルも多く、かつてマーレに見せられた海の中の遺跡と酷似していた。

 建物の中は点々と光が灯っていた。外から見るその光景は、不自然な星空の様で異質で綺麗だった。だが絶景と言うにはほど遠い。あの建物の中に人がいて動いている事を想像すると、ロマンも夢もない。

 地面は灰色で固そうだ。踏み心地が良く柔らかい地面ではなく硬質な石で覆われている。その上を、人間が歩いている。初めて見る人間の姿は、想像よりも小さく脆い様に見えた。身体付きも、着ている衣服も、激しい運動には不向きにしか見えない。

 沢山の巨大な機械が稼働しているのが見える。それはまるで心臓の様に休みなく動き続けており、心臓が止まらない様に人間と言う細胞が日々検査をしている様だ。あれ程の巨大建造物と機械を生み出す人間の並外れた行動力と可能性、それは素晴らしくもあり己を滅ぼす危険物でもあった。

 「これが、あの子達を生み出したチコモストク。・・・楽園だな。だが、その裏にあるのは汚れた真実だ」

 「俺達が知っているのが全てか、はたまたまだあるのか、それはこれから明らかになるな。望ましいのはこれ以上何事もない事だが、きっとそんな都合の良い事はないんだろうな」

 「例えどんな事が待ち受けていようとも、私達は逃げない。そうでしょ?」

 「勿論だ。それで、一体どうやって入るんだ?流石にこのドームを壊して入るなんて事をすれば人間は大混乱でスムーズに事は運ぶだろうが、流石に人類に終止符なんて打ちたくはない。考えなしに忍び込んでも程なく見つかって終わりだろう。

 リン、お前何か思い出したんじゃないか?あんなにのたうち回ったんだ、少しは期待してるんだが」

 リンはドームを静かに眺めた。記憶の奥底にあるのは、人間の素晴らしさと享楽と醜さ。ここには人間の全てが詰まっている。自分達が最も怪しまれず簡単に侵入できる場所は、最も醜悪な悪臭が漂うあそこしかない。

 「チコモストクは五つのエリアに別れてる。私達が今いるのは国の東エリアの外側、動力エリアの傍。西側には文明機器と食料の生産エリア。南側には人間の暮らす居住エリア。中心には国の政治を執り行うミミルの塔。そして北側には・・・研究エリアがあるわ」

 その後の方だけ言い難そうに言葉を淀ませた。三人とも研究エリアと聞き、そこがどの様な場所かは見当がついた。言うまでも無く、子供達を生み出した忌まわしき場所だ。

 「居住エリアとミミルタワーの間には、私達が忍び込むのに適した場所がある。そこに行ければ、国の中において行動の拠点が出来る」

 「それはわかったが、そこまでどうやって行くんだ?全員でうろつくのは目立つし、何より私達の姿は人とは異なっている。国に侵入できてもすぐに見つかってしまうぞ」

 その時、まるでタイミングを見計らっていたかの様に扉が開いた。開かれた扉はまるで入れば蓋がされる罠。見え見え、余りにもわざとらしい。

 「・・・行こう」

 「待ってリン。こんなの、どう見ても罠じゃない」

 「罠なら甘んじて受け入れるだけ。向こうが誘いをかけてくるのなら乗ってやる。どの道このチコモストクには地上の出入り口以外に中に繋がる道はない。引き返す訳には行かないでしょ」

 最早退路はない。今更怖気づいている場合ではないのだ。進んだ先に何があるか、わかる訳がない。それでも進まなければならない。臆病者は安全だが、何も得る事は出来ない。

 自分の身ではない。罠を危惧し家族の心配をしてやや臆病になっていた。だが、その家族を助けに来て臆病になってどうする?フルールは深く頷き、臆病は消えた。

 「そうだ。入る前にこの首輪を壊して」

 産まれた時から身に付けている首輪。まるで身体の一部の様な気がして今まで全く気にもしてこなかった。

 「全く気にしてなかったが、この首輪は何なんだ?」

 「それも後でわかる」

 リンとファミーユは首輪を両手で掴むとあっさりと引き千切った。若干の戸惑いの後マーレとフルールも引き千切った。

 そうして開かれた扉の中に入るとそこは四方を白い壁に囲まれ、無数の小さな穴に囲まれた通路だった。見ていると何処となく生理的嫌悪に苛まれる。

 『放射能の除染を開始します』

 どうすれば良いのか戸惑っていると急に声が響いた。四方の壁から風が吹き出しスカートが大いに捲れ上がり、慌てて抑えるが今度は後方が捲れ上がる。大慌ての三人を、ファミールは愉快そうに笑っていた。

 「見事に罠に引っ掛かったな」

 「これだけならいいんだけどね」

 「それより、何か変な臭いがするな。放射能を除染する薬品か何か?」

 初めて嗅いだ異臭、特に身体に異変は起きていないが、余り呼吸はしないでおこう。

 除染は約五分で終わった。人間にとって危険極まりない放射能だけに念入りに長く行われた。

 除染が終わると同時に扉は独りでに開いた。外に出ると、それは想像していた光景に近かった。しかし百聞は一見に如かず、例え想像は出来ていても初めて見るその異様して圧倒される光景にマーレとファミーユとフルールは馬鹿みたいに口を開けて茫然となってしまった。リンのみ、圧倒はされているが落ち着いている。

 右を向けば、様々な形をした家が建ち並ぶ。レリフの家のよりはこじんまりとしているが、二階建てで五~六人は住めそうだ。他にも広い庭に水が溜まった池があったり、レリフの家よりも更に大きく何十人でも暮らせそうな窓が沢山付いた縦に大きく横に長い建物などが建ち並んでいる。それぞれの家は必要性を感じられない卓越奇抜な作りをしている。芸術性とでも言うのだろうか?住まいにそんな事を求めるのは理解不能だった。

 左を向けば鉄製の大きな建物がいくつも建ち並んでいる。漂って来る臭いは肉・魚・果物・野菜、他にも甘い臭いや鼻にツンと来る刺激臭も感じる。帽子を被っている為やや聴こえづらいが、それでも右の住宅街よりは沢山の人が動き回っているのがわかる。

 そして、前方にぞびえ建つのはミミルの塔。その高さは一体何メートルか。百メートル?二百メートル?もっとあるかも知れない。チコモストクの象徴にして、まるで他を見下す様に威圧している様に感じる。

 そうしていると、目の前にカーゴがやって来た。まるで出迎えに来たのかの様にドアが開き、誰も乗っていないのに手招きされている様に感じる。

 躊躇う事なく乗り込んだ。正確には、リンが迷いなく乗り込んだから三人も乗り込めた。リンにはわかっていた。あの男が何をさせたいのかを。だからこそ、甘んじて誘いに乗ったのだ。

 カーゴの中には柔らかい毛糸の帽子が四つ置かれていた。頭の耳を隠す事が出来、かつ普通の耳がない事を誤魔化す事が出来る。だが流石にあからさますぎる。しかし罠にしては雑すぎる。軽く振って叩いて、危険がない事を確認してから被った。

 カーゴは独りでにドアが閉じ、動き出した。窓から見える景色から察するに住宅エリアの中を移動しているらしい。住宅エリアだが人は少なく、閑散とした静けさに包まれている。

 しばらくしてカーゴが止まり、ドアが開いた。リン達は外に出ると、そこは噴水の置かれた柔らかい緑の芝生が生えた広場で、そんな明るい広場に不釣り合いな灰色の建物が目に映る。草原に佇む巨大な岩山とも言うべき存在感を放っている。

 周囲にいる人はこちらに視線を向けるが、興味なさげにすぐ逸らす。自分達が疑われていない事に安堵し、四人は建物の中に入って行った。こんな場所で止まった以上、そこに向かえと言われているも同義だ。

 『ようこそ。チコモストク霊安施設に』

 建物の中に入ると同時に、立ち上る煙の様に一人の女性が現れた。僅かに透ける身体に色合いが人として明らかに不自然だ。声が何処となくくぐもりノイズがあり、幻覚の様に体臭も体温も感じない。

 「こ、これは・・・」

 「ただのホログラム映像だから危険はないわ」

 「映像?」

 「ようは喋る看板よ」

 淡々と語るリンはまるで見慣れているかの様に驚きがない。実に冷静にして平然。三人は周囲に怪しまれない様に平常心を保とうとしているが、こんな物を人間が作れるのかと驚きと驚異に満たされていた。

 『バアト様よりご案内する様に命じられております。どうぞこちらに』

 映像の女性は滑る様に進みだし、四人はその後に続いた。霊安施設と呼ばれたこの場所は清楚で清潔な白い壁に覆われ、広い空間に何も置かれていない殺風景な場所だった。だが壁にはいくつのも棺の形をした溝が付いており、その脇に何かを入力する機械が取り付けられている。

 『この霊安施設では死んだ方々の遺体を保存し、いつ何時でも変わらぬ姿を拝見できる様になっております』

 「死体を、保存?何の為にだ?」

 『何時までも会いたい、語り掛けたい、そんな孤独と悲しみを癒す為です。ずっと傍にいたいと願う方は保存機をご自宅に持つ事もあります』

 「・・・気持ちはわかるけど・・・でも、それって・・・」

 矛盾している。生と死の循環に逆らっている。死した命は大地に、海に還る。そうして新たな命の糧となる。四人にとってそれが常識にして生命の規則だ。悲しみも苦しみもわかるが、答えず語り掛けない死体を保存して一体何になると言うのだ?

 「・・・自己満足、だな」

 ファミーユの言葉は決して大きくなかったが、周囲の人に伝わった。こちらを見る目は、猜疑や怒り、厳かな場所故に決して誰も声を荒げなかったが、人と自分達の差異を肌で理解は出来た。

 二階へ上がるとそこは一階と違い部屋の中心に石碑が置いてあった。石碑には無数の文字が彫られており、石碑の傍には沢山の花束や物が置かれていた。

 『この石碑は外の調査時に事故で亡くなり、遺体の回収が出来なかった方々の名前が刻まれております。ここに置かれている物は遠征調査時に亡くなった五名の方のご家族や友人様による慰霊の品々です』

 バアトが何故この霊安施設を見せたのかがわかった。悲しみを、痛みを、苦しみを、そして罪の重さを教える為だ。家族の為に相手を殺した、聞こえはいいが、相手の事をまるで考えていない。死は深い苦しみと悲しみとなり、際限のない恨みと憎しみと怒りを生み出す。

 リンもフルールも、そして直接手を下したマーレとファミーユも罪の意識に苛まれ無意識の内に瞑目していた。

 そうした時、一階から女性が上がって来た。ややこけた頬に少しやせた身体、雑に切られた髪が哀愁を漂わせている。女性はこちらに一礼をし慰霊碑の前にしゃがみ込み手を握り合わせて瞑目した。死者への手向けと祈り、その作法をまねる形で四人も手を握り合わせた。

 しばらくして女性は立ち上がり、四人の方を向きお辞儀をした。

 「あなた方も、ご家族か友人を・・・?」

 違う。だが否定をすれば何故慰霊碑の前で祈りを捧げていたのか怪しまれるかもしれない。痛々しい女性の姿に安易で無神経な嘘など言える訳もない。しかし、真実を告げる勇気もない。

 「・・・ごめんなさい。聞かれたくない事を聞いちゃって・・・」

 「いや・・・」

 「私の夫も・・・他の人達も・・・人類と、バアト様の犠牲なんですよね・・・。安然とした安息の日々・・・それだけが望みだった・・・」

 何処か遠い所を見つめる様に女性は虚空を向いて話す。愛しき者、死者に対する悲しみと憐憫の情、その瞳から流れる涙には感情が現れている。同時に、瞳の奥に微かな怨念と怒りが見え隠れしている。

 「結局・・・自分の事だけなんですよね・・・。それが悪い事ではないんでしょうけど、せめて他の人の為に身を費やして考えてほしいですよね・・・。でも・・・所詮人は一人で本当に理解し合えない・・・。幻想・・・なんでしょうか・・・」

 それは四人に対して話してはいない。女性の目はここではない何処かを見据え、独り言の様に話している。あるいは、自身の胸の内に秘めたものが何かの拍子に溢れているだけなのかもしれない。

 「あ・・・ごめんなさい。変な事を聞かせてしまって・・・。あなた方も辛いでしょうけど心を強く持ってくださいね・・・」

 そう言い女性はその場を去ろうとした。その儚く、脆い背を見てマーレは訊ねずにはいられなかった。

 「恨まないのか?大切な家族を殺した者を憎まないのか?」

 「・・・憎いです。殺したい程の殺意を感じる事もあります。でも、駄目なんですよ。殺しても・・・夫は戻って来ません・・・。私がそんな事をするのも・・・夫も望んでいません・・・。

 でも、もし夫を殺した人と出会ったら・・・自分がどうなるかわからないんです・・・。もしかしたら・・・殺そうとするかもしれません。私は・・・そこまで綺麗な人間ではないので・・・」

 人を殺せば殺される。恨みを買えば仕返しされる。頭では不毛と理解しても、感情が人を焚きつける。繰り返される負の連鎖、永劫回帰はどれだけ時を重ねようとも変わらない。それは余りにも非情の真実。

 「すまない・・・悪い事を聞いてしまって・・・」

 「いえ・・・お気になさらないでください・・・」

 女性は去って行った。

 因果は巡る。罪を犯せばいずれ自分に返って来る。マーレもファミーユもわかっていた。そして、自分達が犯した罪の重さを今身に染みて理解した。

 「ファミール、私達はいずれ罪を償わなければならんな・・・」

 「冷静だよ・・・お前は。・・・俺は自分の行いを後悔なんざしちゃいないが、罰は受けるべきだな。じゃないと、ウインドに顔向けが出来ないな」

 

                  *


 霊安施設を出てカーゴに乗ると、カーゴはゆっくりとした速度で住宅エリアを移動し始めた。人気の少ない住宅エリア、そんな場所にいるのは自由な者だけだ。

 「待ってよアンナー!」

 「クリス!早く来ないと置いてっちゃうわよ!」

 カーゴのすぐ傍を子供達が走り抜けていく。子供達は様々な遊具が備え付けられた公園で遊んでいた。無邪気、純粋、可愛らしい。人間と言えども、子供は同じなのかもしれない。追いかけっこし、転んで泣いて、負けて悔しがって、勝って居丈高になる。それは限りなく簡略化された縮図でもあった。

 「何処であっても、子供は変わらないな。無邪気で愛おしい、善悪なく他者と触れ合う事が出来る」

 「安心して暮らしていける子供達。ここは、理想的な環境なのね・・・」

 「こんな場所にも子供は生まれるか・・・。罪人なんて、実際は少ないのかもしれないな・・・」

 「でも、私達はまだ全てを見ていない」

 子供と言うものは、ありのままの自然体であり、裏表なく正直だ。無知無学無垢、白いキャンバスをどう彩るのかは周囲の環境によって決まる。何がどう作用して変わるかなど誰にもわからない。変化は起きる様で起きない、切っ掛けは何事もないふとした事でも起きる。それにより起きた変化が良いか悪いかは運否天賦、しかし堕落するにも成長するにも悪化するにも好転するにも切っ掛けは不可欠だ。

 カーゴは動き出し、住宅エリアを抜け生産エリアに入った。そこは住宅エリアとは比べ物にならない程に人が溢れていた。活気と賑わいに満ち溢れ、目を回しそうだ。

 優雅に談笑をして、危険な事など何もない様に呆けて道を歩き、紅茶を飲みながらつまらない会話で盛り上がっている。店舗からは何やらよくわからない物を買って出て来る人や綺麗に奇抜に作られた衣服が並べられている店が目に入る。この上ない程の平和、それを初めて見る者からは滑稽にしか映らない。

 止まったカーゴから降りると同時に、建物に取り付けられた巨大スクリーンの映像が広告からバアトに移り変わった。ここは腹の中、こちらの行動は筒抜け、おそらくタイミングを計ったのだろう。

 『チコモストクに生きる全ての人々の皆様、本日も暖かい陽気の中如何お過ごしでしょうか?

 今を遡る事三百年前、人類は愚かにも核と言う禁じられた武器を使用し自らと世界を滅ぼしてしまいました。生き残った人類は放射能が消えるのを夢見て二百年の眠りにつき、そして目覚めたのがこの世界なのです。圧倒的に広がる大自然!生命に満ち溢れる原初の姿!かつて人類が破壊した自然が再生し、目の前に広がっていたのです!

 しかし、人類は未だその地を踏む事は出来ていません。それは人類が残した罪にして背負う十字架として残った放射能による為です。

 案ずる事はありません。これは神の試練なのです。人間は泥より神により作り出された特別な存在にして、拭う事の出来ない罪を背負いし存在。蛇の甘言に惑わされ禁断の果実に手を出してしまった罪により楽園を追い出された、それは大自然と言う楽園から追い出された人間なのです。

 耐えなければなりません。神の試練に。人類の子孫の為にも、耐えなければなりません。人間が今の大地に踏み入れる事はもう叶わないでしょう。しかし、新たなる人類、放射能に適応した人類ならば再び大地に足を踏み入れ地上に繁栄する事でしょう。新たなる新人類!その誕生は刻一刻と近づいているのです。

 耐え忍ぶのです。人類の栄えある未来の為に。・・・今を生きる人類が生命に満ち溢れる大地に踏み入れる事が出来ないのは遺憾の極みです。新たなる人類を生み出し、再び人類を繁栄させる。それが今の人類に出来る唯一の生きる道なのです。

 私は決して今を生きる皆様を見捨てはしません。約束します。安然と充実した日々がいつまでも過ごせる事を。皆様に神のご加護があらん事を・・・』

 それは自分の演説に感動してか、それとも本当に人類の為を想っての事か、はたまたただの演技か、バアトは芝居がかった口調で涙を浮かべていた。

 バアトの演説放送を、食い入るように見ていた四人だが、放送が終わると共に周囲から視線を向けられている事に気づいた。それは怪しいでもなく警戒している様子でもない、怪訝な様子でこちらを見てくる。

 だが、それはまた四人も同じだった。この国の支配者の演説放送を聞いていただけで何故その様な視線を向けられるのかさっぱりわからなかった。

 「はーい!そこのガタイの良いお兄さん!」

 何とも言えない淀んだ空気の中底抜けに明るい声で一人の女性が話しかけてきた。

 「俺の事か?」

 「そうそう!突然で悪いんだけど、荷物運ぶの手伝ってくれない!?沢山あって一人じゃ手間なのよ!」

 「俺は構わないが・・・」

 「私は別にいいぞ」

 「皆で一緒にやればすぐに終わるわよ」

 「ええ、その方がいいわ」

 「ありがとう!なんて良い人達なの!そうだ!お礼にお昼ご飯をごちそうするわ!」

 女性は大袈裟に感謝の意を示し、四人を生産エリアのある一角まだ案内していった。そこは人通りが余りない裏通りで、微かに異臭が漂っていた。

 「廃棄物回収車が故障するし、それなのに上の連中は大事な仕事だとかで人員寄こさないし最低よ!一人じゃ一日は掛かるのよ!女一人でどうしろって言うのよ!」

 そんな事言われてもどうしょうもない。ただの愚痴、やり場のない怒りを誰かにぶつけたいだけだ。

 「・・・そう怒るなよ。折角の綺麗な顔が台無しだぞ」

 「あら、嬉しいお言葉。でも四人も彼女がいるんじゃ私の入る間はないでしょ?」

 「俺達は家族だ。大切が付くけどな」

 「そうなの?じゃあもっと近くに寄ってもいい?」

 言うよりも早く女性はファミーユにすり寄っている。大胆と言うか積極的と言うか礼儀知らずと言うか・・・

 今目の前で行われている行動は後に続く三人には別世界の出来事の様に感じられた。

 「・・・はぁ、逞しい身体って素敵。ここの男なんてどいつもこいつも案山子みたいな奴ばっか。力は弱いし体格は貧弱だし。パリシ様は別だけどね。

 やっぱり統治者が頭脳派って言うのが駄目よね。確かに頭も良くないと駄目だけど、重要なのは身体でしょ?技術者研究者ばかり重要視するからどんどん体格が貧相になるのよ」

 「その統治者、バアトの演説だが、あれ聞いたか?」

 「はぁ?聞く訳ないじゃない。どうでもいいのよ新たな新人類とか。そんな事を言うんだったら今の人間を放射能に適応出来る様にしろって言いたいわよ。あ・・・今の事内緒にしといて。誰かに聞かれたら大変だから」

 「大変か。確かに外の調査に無理矢理連れ出されるのはキツイよな」

 「それだけじゃないわよ!なんかよくわからない人体実験の素体にされたり、生身で外に放り出されて何時まで耐えられるのか測ったり・・・。私なんて女だから、あの実験体の母体にされるかも・・・・・・」

 女性は身体を抱いて本気で恐れている様に震えた。戦慄が走った。まさか、人間を救うのに人間を殺すなどと言う矛盾があり得るのだろうか?

 「・・・本当なのか?」

 「噂よ。でもね・・・バアト様の不敬や怒りを買った人は何処かに連れられたまま戻って来てないのよ!どんな噂も本当みたいに聞こえちゃうのよ!」

 火のない所に煙は立たず、煙は風と共に広範囲に散らばって行く。やがては消えるその煙も、閉ざされた国の中では霧散する事なく充満し続ける。煙はやがて様々な形に性質を変え異臭を漂わせ始める。

 しかしながら、ファミーユには些か疑問だった。少なくともさっきの生産エリアを見た限りではその様な不安を感じさせる要素は皆無だった。

 「それは俺も知らなかったな。その割には皆呑気そうだな」

 「そりゃあ一々気にしてたら明るく生活出来ないでしょ。今日の我が身は明日の我が身、皆自分の事だけしか考えてないのよ。でも、あなた達みたいな人がまだいるなんて思わなかったわ。あんまりお人好しが過ぎると外の調査に連れ出されるわよ」

 「・・・調査か。正直俺は頭は余りよくないんだけどな」

 僅かに三人は苦笑した。決して馬鹿にしたのではなく、口八丁の三枚舌に笑ったのだ。

 「そんなに身体付きがいいなら関係ないわよ。調査って言っても言われた事をするだけらしいし」

 「随分と詳しいんだな」

 「知り合いに調査班の人がいてね」

 そうこうしている内に目的地に着いた。それは肉か野菜が腐った様な悪臭を漂わせるビニール袋、よくわからない機械や部品などが山積みになっている。確かにこれを一人で運ぶのは無茶が過ぎる。

 「凄い臭いだな・・・」 

 マーレは鼻と口を手で覆い顔をしかめた。フルールは鼻をつまんで苦虫を噛み潰した様に顔が崩れている。平静を保っているのはリンとファミールだけだ。

 「そんなに?臭いけどそこまでじゃないでしょ?」

 「悪いな、お姉ちゃん達は少し臭いに敏感なんだ」

 「ふ~ん、そうなんだ。・・・お姉ちゃん!?あなた弟なの!?」

 「ああ末っ子だ」

 「し、信じられない・・・どう見たってあなた一番年上でしょ?」

 「まぁ長男ではあるな」

 そんな会話もしつつ、廃棄物の回収を始める。女性は持ってきた荷台の上に生ごみや粗大ごみを乗せれるだけ乗せるが、それでも全体の一割にも満たない。ファミーユは勿論、後の三人が持てるだけ持っても後一往復はする様だ。

 「あなたはわかるけど、お姉さん達も凄いわね。私なんて粗大ごみ一つ持ち運ぶだけで限界よ。一体どんな物食べてるの?」

 「好き嫌いせず残さず食べる事だ」

 少しばかりキツの口調でマーレは言った。

 「それは今後の教訓ね」

 「ごみ・・・だったな。これをどうするんだ?」

 ファミールはややバツが悪そうに眉を顰め、女性は怪訝そうにマーレの方を向いた。

 「あ・・・す、すまない。当たり前の事と言うのは忘れやすくてな・・・」

 「キツめな顔している割には可愛いとこあるのね。

 生ごみは焼却施設で処分、粗大ごみは再生施設で別の部品として作り変えて再使用するのよ」

 「食い物のごみは再利用できないしな」

 「どうやって再利用するのよ?畜産動物の餌にもならないわよ」

 再び口を開きかけて、すんでの所でマーレは自制した。

 「腐った物を食わせたら腹を壊して病気になるしな」

 「まあね。それにしても肉を残すなんてどういう神経してるのかしら?腐って虫が湧いて最悪よ。臭いも酷いし」

 喋らない。話したくない。どうしてそんな非情な行いが出来るのか理解不能だった。目の前の女性も、この国の人達も命を得る事に対して何の感情も抱いていない。善悪の概念がないのは当然、だが自然の理に反している。

 そのまま生産エリアの裏通りを歩いていきある建物の前で女性は立ち止まった。鍵を開き中に入ると噴き出す熱風に肌が焼けるかと思った。内部は巨大な鉄製の機械が黙然と座し、その異様さはまるで神殿の中にを見下ろす巨大な石像の様だ。女性が近づくと中央の蓋が独りでに開いた。

 「ここに生ごみを捨てて。間違っても粗大ごみは捨てないでよ」

 僅かに躊躇したが、郷に入っては郷に従えで言う通りにした。穴の中からは更に熱い熱気を感じた。命を燃やし、灰すら残さぬ消滅。この炎は、余りにも冷たい。

 「粗大ごみはすぐ隣の再利用加工工場に持っていくわよ」

 無機質で冷えた鉄製の建物。人の手により作られた人工物は、死して人の手により新たな命へと生まれ変わる。それは人の手により行われる輪廻転生。

 間違いではないが、間違いだ。それは何処までも終わらないパラドックス。堂々巡りの思考と初めて嗅いだ鉄が溶ける臭いも合わさって立ち眩みがする。

 人間にとっては、正しいのだろう。きっと、彼らが生きる為にはなくてはならない事なのだ。だからこそ、初めて知る者には理解できない。


                  *


 「本当に助かったわ!お陰でこんなに早く終われたわ!」

 レストランに案内された四人は女性に豪勢な食事をごちそうされた。

 本当に、見ただけで豪華で、色とりどりに装飾され、実に手が込んでいる。見る分には申し分のない芸術作品だが、食欲はまるでそそられない。レリフの家で食べた食事の方が、まだちゃんとした食事だった。

 「これは、凄いな・・・」

 感嘆と皮肉が混じったマーレの称賛。フルールとファミーユ態度にこそ出していないが明らかに引いている。

 「このレストランチコモストクじゃ五本指に入る高級店なのよ!今回の不祥事を上に言いつけたら良い額の賠償金を貰ったから皆にごちそうするわ!遠慮なく好きなだけ食べちゃって!」

 女性は見ている方が恥ずかしくなる程に上機嫌だ。手伝ってもらい、賠償金まで支払われ、災い転じて福となり満足なのだろう。

 仕方なしに料理を食べ始める。状況が状況、ファミーユも面倒そうにしつつもしっかりとナイフとフォークを使用した。

 小さく、そして無駄なく美しく切られたキュウリを口に運ぶ。本来ならキュウリ独特の苦み、甘み、瑞々しさを感じるはずが、何とも強い香辛料とソースの香りが口内全体に広がり喉の奥にまで染み渡って行く。それは粘着質な空気の様に纏わり付き、何かが閊えている様な不快感を感じる。

 「う~ん美味しい・・・。一度は食べたいってずっと思ってたのよ。は~、幸せ・・・」

 うっとりとした表情で化粧された食材に魅了される女性に、四人は曖昧な返事をする他なかった。食べれない事はない。しかし、自分達には余りにも合わない。猫が毛玉を吐く為に草を食べる様な、致し方なしに口に運ぶ料理だ。

 「確かに、独特の味わいね・・・」

 「でしょう!?やっぱり食の探求は人間の意義の一つよね!」

 「そうだな。でも俺はもう少し素材の味を生かした薄味が好みだな」

 「あら、意外と質素なのが好きなのね」

 素材そのものの味わいが質素。噛み合わない齟齬、文化や暮らしの違いと言うものを強く痛感する。

 料理と言う名の香辛料を食べた後は、口直しにアイスコーヒーを女性が頼んでくれた。単なるティータイムだが、これは非常にありがたかった。少し苦かったが、スッキリとした味わいが口内を洗浄してくれた。

 レストランを出た後はファミーユに気があると言う事なのだろうか、女性が「一緒にショッピングでもしない?」と誘い、この国の人々の暮らしをもっと知りたい四人は誘いに乗る事にした。

 色合いが違うだけで全て同じ形をした衣服を売る衣類店、小説や図鑑によくわからない分厚い本を売る本屋、装飾品や小物を売る雑貨屋、理解が及ぶ店舗もある。だが、鉄製の小さな檻に入れられた動物を売る店を見た時、思わずフルールは叫んでしまった。

 「どうしてあんな可哀そうな事をしてるの!?」

 「えっ!?何、どうしたのよ?」

 余りの衝撃につい口が滑ってしまった。周囲の視線が自分達に向けられている事に気づきフルールは慌てて場をとりなした。

 「そ、その・・・動物が檻に入れられるのはどうかなって思って・・・」

 「それってそんなに気にする事?」

 「だ、だって可哀そうでしょ?」

 「売り物が逃げたら困るじゃない。それにここで売ってる動物は三百年前のもので、地上ではもうここにしかいない希少種なのよ」

 女性の発言からは、生き物を見る目ではなく自身を彩る装飾品としか見てないと言う思いが含まれている。すぐ脇を首輪をして紐で子供に従わされている犬が歩いていく。だが、犬は決して嘆きも怒りも発しない。動物にとって、自由よりも自分が生きられる充分な環境がある方が望ましいのだ。リスクを犯さず安然とした日々を送れるのなら、それに越した事はない。

 だが、命として見た場合、これは生命に対して妥当な扱いとでも言えるのだろうか?檻の中に入れられた動物達には、言葉も通じず、力で捻じ伏せられ、盲目と付き従うしかない。それではまるで、同じではないか。怒りよりも、むしろ憐れみ。

 女性はペットショップに入るかと促したが、フルールは断った。気づいていない惨めさ、あの店の中に入ればもう涙をこらえきれない。

 様々な機械が置かれてある店に入った。家電と呼ばれる機械は非常に便利だ。生活を豊かに暮らしを助け日常生活における家事などをこなしてくれる。故に麻薬、故に依存、四人にとっても魅力的に映る家電類は、一度味わえばもう二度と戻れない快楽の入り口に思えた。

 出来事はいつも突然に起きる。女性と共に生産エリアを歩いていると前を歩いていた人が食べていたサンドイッチを脇のごみ箱に捨てたのだ。何処に問題がある?何気ない普段の光景、それが常識ではない者からは食物への冒涜としか映らなかった。

 マーレは掴み掛ろうとした。実際身体がその寸前まで動いた。ファミーユがマーレを止めようと手を伸ばしたが、マーレはそのギリギリのところで止まった。

 「どうかした?」

 「・・・・・・すまない。私達はそろそろ行かなければならないんだ・・・」

 唐突。しかし何処か異様で何か心に訴えかける様な意思を女性は感じた。惜しい。だが、見ず知らずの自分を助けてくれた人達に迷惑をかけたくはなかった。

 「そう。わかったわ。今日は手助けしてくれてありがとうね!本当に助かったわ!よかったらまた会いましょう!」

 快活な明るい声を残し、女性は去って行った。四人は生産エリアから少し離れた憩い場にやってきた。植えられた木々が連なり、色とりどりの花が咲き誇る。中心部分には噴水があり、理解は出来なくともどれだけの月日をかけたのかわからない程に美しい彫刻の美女の持つ壺から水が流れ出している。人々は静かに和みながら安らかな一時を過ごしている。

 「・・・私があそこで騒ぎを起こしたら、どうなる?」

 「・・・バアトの私設兵隊がやって来て私達を捕えようとする。でも、それは人々の不安と恐怖、怒りを煽ってしまう。バアトにとってはそれだけは避けたい事。私達からしても、人達が抱え込む鬱憤を煽り立てて爆発なんてさせたくない。暴動と言う名の山火事を起こせば全てを燃やし尽くすまで火は消えない。・・・これ以上、悲しい事は嫌でしょ?」

 「当然だ・・・」

 「だからあの時、自制で来たんだな。お陰で変に人目を引く事もなかった」

 軽口叩くファミーユだが、口調と裏腹に顔は笑っていない。

 「やはり、違うな。人間と私達は。あそこまで命に対して冷酷などなれない」

 「悪いと思わない事をしても悪くないのよ。善悪の概念とか、難しい事はよくわからないけど、これだけはわかったわ。人間は、人間と言う種を上に見ている」

 「他の動物と同じ様に産まれたはずなのにな。それともあの演説の誕生説を信じてるのか?その割には随分と指導者様には手厳しい意見だったがな」

 「人を纏めるには、自分達は特別な存在だと思わせるのが一番簡単なのよ。それを一番最初に語った者には指導者としての力が与えられる。でも、バアトは本気で信じてるのよね・・・。

 ただ、人類の為の目的が保身へと変わってしまっているから、だからこそ慕われず求心力も失っている。・・・可哀そうだけどね」

 全ての元凶にして発端のバアトを可哀そうと言う。リンの中にある記憶は全て呼び覚まされていると、疑う余地はない。今の発言に一体どんな意味があるのか、興味はあるが、聞く必要もない。そんな事を知った所で、自分達に何の影響もない。

 カーゴがやって来て、扉が開いた。生産エリアから移動すると言う事なのだろう。カーゴに乗り込み、建物と人々を眺めながら移動する。

 ふと思う。人に限らず、生命とは常に何かを成す為に生を受ける。基本的には育ち、喰らい、子を生し、糧となって死ぬ事だ。だが、人はその枠には当てはまらない程に無限の選択肢がある。彼らは、毎日を何を成して生きているのだろうか?

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