第18話 開かれる箱
デメテルの遺体は、海に水葬される事になった。初めは土葬にしようとしたが「生きとし生ける全てものの母である海に彼女を還したい。海はいつも私達を見守り、命を育み優しく包んでくれる。・・・私達の母も、母親と共に暮らしたいと思うんだ・・・」マーレの強い希望があり、最終的に全員が賛成しデメテルの遺体は重りを付けられて海に沈められた。
そして、マーレが手に持ってきた封筒。中身はデメテルの遺書だった。彼女はこうなる事を予見していたのだ。なのに何故逃げなかったのか?その理由が全てそこに書いてある。ただし、マーレは字が読めないのでケイルが代表して遺書を読み上げた。
『この手紙が読まれていると言う事は、私はもうこの世にはいないでしょう。辛い思いをさせてごめんなさい。悲しい思いをさせてごめんなさい。
バアトから連絡があった時、彼はリン・マーレ・フルール・ファミーユを探していた。電話でははっきり言わなかったけど、おそらく彼は私がこの子達を匿っている事に確証を持っていた。
逃げる事は出来ないわ。この大陸から逃げ出そうにも、彼らの文明の速さには敵わない。
戦う事は出来ないわ。バアトによって送られてくる所員にも友人や家族がいる。殺し殺され、恨み恨まれ、その連鎖は三百年前の人間と同じ過ちを繰り返しかねない。
私は、どうすればいいのかわからなかった。逃げる事も、守る事も出来ない。こんな頼りない先生でごめんね。もし誰かが傷つく事があったら、私の事をいくらでも恨んで構わない。
こんな事を言う資格はないかもしれないけど、最後に先生としての教えを残しておきます。誰も、恨まないで。誰も、憎まないで。誰も、嫌わないで。人は皆、純粋から染まってしまってだけだから』
ケイルが読み上げた遺書を子供達は黙して聞いていた。その姿は、今までと変わらぬデメテルに教えてもらう子供の姿だ。
強大な力には敵わない。それでも彼女は最後まで優しかった。それは素晴らしい美点であるが、同時に大きすぎる弱点でもある。子供達は決してデメテルを責めない。彼女の全てを知っている子供達は決して恨む事はない。
だがマーレ達の心には暗く重いものが圧し掛かった。デメテルは決して自分達を責めていない。むしろ守ろうとした。その分余計に、自分達がいたせいでデメテルは死に、子供達に辛い思いさせてしまったと強く痛感してしまう。
遺書を読み終えたケイルは四人の元に近づき、一枚の手紙を渡した。
「先生の遺書の入った封筒に、あなた達への手紙もあった。手紙と言うか・・・顔写真だ。僕には全く理解できないけど、あいつの顔写真をリンさんに見せればわかるって書いてあったよ。それと、マーレさんへの手紙もあったよ」
手渡された手紙をマーレは見つめ、今は開けずにしまい込んだ。
もう1通の手紙を開けると、ケイルの言う通り一枚の写真が入っていた。その写真には長髪の眼鏡を掛けた一人の男性が写っていた。優しい顔をしているが、目が笑ってない。何処か胡散臭く、神経質そうにも見える。
「この男は・・・?」
「バアトだよ。僕達を生み出した、元凶だよ」
バアト、バアト、バアト、バアト・・・・・・。ケイルの言葉がリンの頭の中で反響する。それは決して消える事はなく、むしろ反響を繰り返すごとに大きな音となりリンの脳内に響き渡る。
そしてその反響が臨界点に達した時、リンの中に閉じられていたパンドラの箱が開かれた。
「ああ・・・ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁッッッーーーーーー!!!」
決壊したダムの水の勢いの如く、雪崩れ込む記憶。その情報量は膨大にして甚大、一度に多量の情報を得た事で脳は破綻し、それでも尚流れ込む記憶の嵐は想像を絶する苦痛となってリンを襲う。
「リン!?どうした!?しっかりしろ!!」
マーレがリンを抑えようとするが苦悶にのたうち回るリンは強い力でマーレを弾き飛ばしてしまう。
「この・・・!!」
ファミーユがリンをどうにか押さえつけるが、それでもリンは止まらない。幾度となく殴られ打たれ蹴られ、ファミーユは苦悶に顔を歪める。
「どうしよう・・・!このままじゃリンが・・・!」
リンは口から泡を吹き血涙を流している。身体からは尋常ではない量の汗をかき、このままでは脱水症状を引き起こすか、最悪狂い死んでしまいそうだ。
「睡眠薬と鎮静剤を持ってきます!薬剤ならいくつか無事だったんで!」
「そうか!頼む!」
ケイルは大急ぎで走り出す。リンの異常事態に子供達も集まり、心配そうに見守っている。悲しみに打ちひしがれ、本来なら他者の事など気にする余裕もないであろうに、子供達は他者に労りと心配をする。
なんて強い事だろうか。何て強い意志の強さだろうか。デメテルの想いは、確かに子供達に伝わり受け継がれている。
不意にリンの身体から力が抜けた。弛緩した腕と足は地面に垂れ下がり、ピクリとも動かない。
「・・・リン?・・・おい、冗談を言うな。返事をしてくれ・・・頼む・・・!!」
「・・・大丈夫だ。気を失っただけだ」
「本当!?・・・はぁ、良かった」
安心からか全身から力が抜け、フルールは地面にへたりこんだ。
「安心はできない。リンが目を覚ますまで、ここに留まる事にしよう。フルールはリンと子供達の事を見ていてくれ。ファミーユは動物を捕ってきてくれ。私は魚を捕って来る」
「わかったわ」
「ま、そうなるな」
「睡眠薬と鎮痛剤を持ってきました!・・・てっもう寝てませんか?」
*
「インパ!貴様一体どういうつもりだ!」
チコモストクに戻ったパリシはインパを見つけ胸倉を掴み怒鳴り声を散らした。
「何だ?貴様がそんな風に怒鳴り散らすとは数年ぶりだな」
自身より頭一つ大きいパリシに怒鳴られても、インパは平然としている。
「当たり前だ!貴様私の部下と入れ替わり、任務に勝手に付いてきたな!それだけだったのなら問題はない。だが!貴様が独断で行ったレリフの家への放火!その上デメテルの殺害!一体どう責任を取るつもりだ!?」
「責任だと?何故そんな事で責任を取る必要がある?失敗作を始末するのは今まで散々行ってきた事だ。俺も勿論、貴様もな。それを今更、殺すのが悪い事?随分と勝手な言い草だな。
バアト様は充分にあの女に温情を与えた。救う道も指示した。それを自ら拒否したのであれば、殺されても文句など言えるはずがないだろう。
責任を取るのはお前一人だ。任務の失敗はお前の作戦の失敗、私には何の関わりもない」
「ふざけた事を。私の作戦が完了するまでまだ時間は掛かった!お前が放火した時にはまだ途中段階!とどのつまりお前の勝手な行動は、予想外の出来事が無ければ成功していた作戦を失敗させていた!
監視カメラでバアト様も既にお前の独断行動を把握済みだろう。私もお前も、罰則は免れぬな」
インパは苦笑せざるを得なかった。パリシの言う通りなら、パリシには何の責任はない訳だ。それなのに一部とは言え罪を背負おうとしている。
「外見と性格が一致しないと言うのは可笑しいものだな。いずれ呼び出しが来るだろう。その時までに、叱責に耐えられる様に覚悟しておくんだな」
インパはそう言ってその場から立ち去ろうとした。その背に一抹の感情の揺らぎを見たパリシは言葉を投げかける。
「・・・何故、彼女を殺した?デメテルはお前にとっても」
「貴様に俺の何がわかる?余計な事は何も言うな」
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