第16話 偽り
夜九時を回った。子供達は寝静まり、レリフの家は静寂の時を迎えている。
仄かな明かりの付いた部屋の中で、デメテルは椅子の上で何をする訳でもなく座っていた。本来なら明日の勉強の準備をしているのだが、あの時フルールが見せた写真が頭を離れなかった。
『・・・あなただから打ち明けたい。私の独占と勝手な行いを。皆に打ち明ける前に、あなたに話しておきたい。
私が産まれた時、隣の部屋で人の白骨死体が椅子の上に横たわっていた。私は字が読めないからわからなかったが、この写真だけは見つける事が出来た。よく見てほしい・・・リンに似ていると思わないか?
この人は、私達にとって大切な人だと思う私はこの白骨死体と共にいた時、先生に抱かれていた時と同じぐらい心が安らいだんだ。・・・先生、あなたはこの人の事を何か知っていないか?』
『・・・さぁ、わからないわ』
その場は言葉を濁す事で回避した。知っている。知っているからこそ、言えない。
(・・・あの人が、命を捨ててまでやり遂げた事。あの子達にそれを教えて何になるの?平穏に暮らせていればそれでよかった。それなのに、あの子達はここに来てしまった!五人ではなかった・・・一人攫われたのよ・・・
何て事・・・何て事をするのよ!あの男は・・・一体どこまで悪魔なの!?)
机を拳で叩きつけそうになり、慌てて手を抑えた。物音をたてて子供達を起こしてはいけない。
その時、扉がノックされた。デメテルは僅かに身体を震わせたが、深呼吸をしてから「どうぞ」と言った。扉を開けて入って来たのはリンだった。その顔を見ると、デメテルは泣きたくなってくる。
「・・・あら、どうしたの?眠れないの?」
「・・・少し話したい事があって」
心臓の鼓動が早まるのを感じる。手に汗が滲むが、決して態度や表情には表さない。
「何かしら?」
「先生・・・いやデメテル。私の事を知ってる?」
「知ってるって・・・昨日会ったばかりじゃない。これからお互いの事をよく知って行くんでしょう」
「うん・・・それが本当の初対面の人同士の打ち解け方だと思う。でも、私はあなたと初めて会った気がしない。まるで、久しぶりに会った知り合いみたいな・・・懐かしい感じだった。
・・・こんなの、変だよね?私は一度も会った事がないのに、久しぶりに会ったなんて。デメテル・・・あなたは私の事、もしかしたら皆の事を知ってる?」
「う~~~ん・・・・・・わからないわ。リン、どうしてあなたがそんな風に思うかはわからないけど、何か勘違いしているんじゃないの?」
「・・・まだ沢山の仲間が酷い目にあっているのに、あなたはそれでいいの?」
その言葉は鋭利なナイフよりもデメテルの心に深く突き刺さり、笑みは消え失せ後悔と嘆きの深い悲しみの表情が浮かび上がった。
「・・・・・・ごめんなさい。今は・・・出てってもらえる・・・」
「・・・・・・私も、ごめんなさい・・・。でも、私は自分の記憶に逃げないから」
そう言い残し、リンは部屋から出て行った。
手が届かない。力が足りない。どんなにあがいても叶わず、敵わない。己の無力さを呪い、叫びたくなる。だが、自分を責めても虚しいだけだ。
きっとリンは明日もこの事を聞きに来るだろう。そしたら、どうやって誤魔化す?そんなのは無理だ。リンの瞳には真実を知る覚悟が秘められていた。話しを濁すのも誤魔化しも通用しない。
(リンは自分を見て「懐かしい感じ」と言った。そして仲間たちの事を知っていた。もしかしたら、彼女はこうなる事を予見していたのかもしれない・・・)
自分がどうするべきが?一体何をするのが正しい行動なのか?そう考えようとした矢先に部屋に置いてある電話に光が灯った。
子供達にはもしもの時に備えて携帯電話を持たせてある。それは部屋の電話や自分の持つ携帯電話にしか通じない。その子供達は今全員寝ている。それなのに電話が通じる場所は、一つしかない。
出たくない。しかし、無視した場合どうなるか考えると、出るしか選択肢がない。子供達を救う為に子供達を生み出した存在に縋るとは、何と言う皮肉だ。
「・・・もしもし」
『やぁデメテル。久しぶりに君の声が聞けて嬉しいよ』
電話の相手は大袈裟に喜んだ様に言うが、むしろ嘘っぽく聞こえる。
「こんな夜中に電話を掛けるだなんて、バアト、あなたには相手への気遣いがないの?」
『これは失礼。こちらは九時なんてまだ働いてる時間だから勘違いしてしまったよ。研究者だった君も、子供達に合わせて規則正しい生活を送っている様で何よりだ』
「・・・あなたは本当に相変わらずね。それで、一体何の用なの?食料?電気?それとも物資?人員を送るなんて馬鹿な事言わないわよね?」
『結論を決めつけるのは愚の骨頂だよ。優秀な君らしくないな。
用件は単純明快だよ。デメテル、彼女の遺産が何処に行ったか知らないかい?』
僅かに受話器を持つデメテルの手に力がこもる。喉を鳴らして唾を飲みそうになったが、疑われてはいけないとギリギリで堪えた。
「何故それを私に聞くの?彼女は飛行機を奪って逃げ去ったけど、行き先まで私が知っていると思いますか?」
『そうじゃないんだ。居場所は判明した。前にインパの部隊に回収に向かわせたんだけど、尊い五人の犠牲の末捕らえられたのは一人だけだった。それからしばらくした後また向かわせたんだけど、島はもぬけの殻だった。
優秀な君ならもう気づいただろ?残りは島を出て仲間を助けに向かったに違いない。だが何処にいるかがわからないんだ。
人類の栄えある未来の為、残りの研究産物も必要なんだ。君ならわかってくれるだろう?犠牲者も出てしまっている。僕は彼らの為にも新たなる、新人類を創りださなといけないんだ』
強い決意、悲しみ、悲壮、相手に訴えかける言葉が盛り込まれている。しかし、バアトと言う男をよく知っているデメテルにその演説は通用しない。
「島を出たと言う事は海の上にいるんじゃないの?その島が何処にあるのかしらないけど、何の技術も持たないで海に出れば遭難確実よ。私に電話している暇がるのなら、海の上で死ぬ前に見つけた方がいいんじゃないの?」
『全く持ってその通りだ。実に合理的、的確な判断だ。子供達と過ごしても君は全く変わっていないね。
故に電話を切って捜索を行おうと思うんだが、まだ君の答えを聞いていないな』
「・・・知らないわ」
『そうか。わかった。ありがとう。夜分遅くに失礼したね、今度は直接会いたいものだよ』
電話は切られた。デメテルは叩きつける様に受話器を置いた。
(会いたいですって!?もう二度と会う筈がない、会いたくもない!そんなセリフは一度でもここに来てから言いなさいよ!)
腹の底が煮えくり返る。一度噴火した火山はすぐには鎮火しない。流れ出る溶岩が冷え固まるまでデメテルは部屋の中を歩き回り心の中で毒を吐き続けた。
数分後、ようやく興奮が収まると深呼吸をしてソファに座った。噴火は収まり溶岩は固まったが、そのしこりが残った。
(・・・どうして私の所に電話を掛けてきたの?あの男なら、確率の上で海の上で遭難していると決めつけるはず。万が一ここに上陸できていたとしても、この家に来るとは限らない。それも、低い確率を捨てずに用心深く念を入れたから?
・・・いや、あの男は確率の上での運任せな行動はしない。その行動は無意味じゃない、意味がある。・・・まさか、でも・・・・・・)
一抹の不安が頭をよぎる。だが、それこそあり得ない。気づかれているはずがない。何故なら、気づかれる要素は全て排除したからだ。
*
そこは、一面ガラス張りの壁が背後に広がっている広い部屋だった。今ではここでしか見れない桜が満開に咲いている。かつて人々の心を癒した静かなジャズが部屋に染み渡る。一方の壁には最早世界に作り手はおらず、世界遺産と呼べるワインやウイスキーと言った酒が並んでいる。そんな洒落た空間、しかし中央の机の上には大量の資料が置いてあり、周囲の雰囲気に馴染んでいない。
椅子に座る男は、長髪の眼鏡を掛けた人当たりの良い笑みを浮かべた中年男性。しかしその目は笑っておらず、何処か冷めて何処とも知れぬ場所を見ている様だ。
「・・・残念だ。実に残念だ。君もそう思うだろ?」
男、バアトは自身の机の前に立つ男性に問いかけた。その姿は岩を削った彫刻の様に大きく粗削りで、厳めしい顔つきは睨みを利かせるだけで万物を制しそうだ。そんな男の瞳はやや落ち着きがなく右往左往としている。
「バアト様・・・本当にそうなさるのですか?」
「パリシ、優秀な君ならわかるだろう?人類の未来の為なら多少の犠牲は已む得ないのだよ。彼女もずっとそうしてきた。自分の番が回って来たに過ぎないんだよ。
垂らされた蜘蛛の糸は一度離せばもう降りてこない。二度目は無いんだ。
君に教えておこう。優秀とは素晴らしい事だが、常に謙虚でなければ真に優秀とは言えないんだよ。優れている、才がある、経験が違う、そんな思い上がり命取りなのさ。
家の中の監視カメラも盗聴器も全て破棄された。家の中はね。外にあるとは思っていない。木の幹、土の中、葉っぱへの擬態、探せばまだあるのに、優秀だからもう全部見つけたと思い込んでいるのさ」
そも可笑しそうにバアトは笑うが、パリシはその異常なまでの用意周到さに恐れを抱いた。
「しかし・・・彼女は子供達にとってなくてはならない存在です。何より、彼女がもたらした貢献は計り知れ」
「失敗作に情はない。あれは正当な対価だ」
余りにも非情な物言いにパリシは一体何度目かの背筋が凍る気配を感じた。
「本当ならインパの方が適任なんだけどね。彼は島での捜索で疲れているだろうから、君にお願いしたいんだ。パリシ・・・人類の栄えある未来の為にやってくれるね?」
「・・・・・・わかりました。しかし、バアト様。あの様な行いは・・・流石にどうかと・・・」
「だって人間との生殖が行えないんじゃ意味がない。だったらより有効活用しないと資源の無駄だよね?」
「仰る事はわかります。しかし彼女は」
「尊い犠牲だ。
さあ話しはここまでだ。時は金成、無駄にしている暇はないよ。まだまだ研究材料は足りないんだ」
恐ろしい。恐ろしいが、同じに素晴らしいと畏敬の念を抱く。一礼をした後にパリシは部屋を出て行った。
誰もいなくなった部屋でバアトは窓の外を眺めた。立ち並ぶ家々の数々、明るく輝く電気の光、そこで暮らす人々の姿、バアトの身体が小刻みに震え乾いた笑い声が漏れ出す。
「ヒヒッ・・・人は、考える葦。考えてこそ人間・・・!羊だ・・・キヒヒッ・・・何も生み出さず考えないお前らは羊なんだ・・・!私が羊飼い・・・!!ハハハハハハッ、人間の指導者じゃないんだ!!
縋れ。もっと僕に縋ればいい。そうして・・・ヒヒッ・・・羊飼いを追い詰めるがいいさ・・・!」
笑い、叩き、蹴り、転げまわり、そんな行動をひとしきり終えると、先程までの異常な行動が嘘の様な冷静さを取り戻していた。
「・・・僕は人間の指導者だ。考える環境を作らないといけない。人間は地上の支配者なんだ、こんな箱庭に閉じこもっていてはいけないんだ。
そうとも、ここは人類の新たなる起源の地、チコモストク。人間はこの国より新たな時代を迎えるんだ。僕にはその責任がある!必ず成し遂げないといけない・・・!」
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