第12話 レリフの家の暮らし
「なんでこんな格好をしなければならないんだ・・・」
気恥ずかしそうにマーレが言った。その姿はセーターにカラフルな模様が付いたスカートと、凛々しい大人の女性な雰囲気のマーレにはギャップの強い格好だった。
「可愛いわよマーレ。そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃない」
フルールも同じ格好をしている。優しく世話好きなフルールには然程違和感なく馴染んでいる。ますますを持って親しみやすさが強くなっている。
「だから恥ずかしいんだ・・・」
「堂々としていないともっと恥ずかしいぞ?狼狽えてるお前を見てるのも面白いけどな」
ニヤニヤしながらファミーユが言った。ファミーユの衣服はそのままだ。
「なっ・・・!!ならお前も着てみろ!私と同じ辱めを味わえ!」
「やめなってマーレ。それこそ恥ずかしいよ」
マーレを宥めるリンもまた同じ姿だ。
事の経緯はこの家に滞在する事が決まった後に起きた。この一週間道なき道を進み、泥や埃に汚れ汗に塗れ、一度も身体を洗っていない。デメテルは「汚れてるみたいだからお風呂に入ってきたらどうかしら?」とはっきり言わなかったが全員それが何を意味するのか即座に察した。要するに臭いのだ。
その後衣服の臭いや痛みが酷いと言う事でデメテルの衣服を貰い受ける事になった。遠慮はしたが、デメテルの押しの強さに最後は折れてしまった。しかし男性用の衣服はないのでファミーユはそのままだ。
「とってもよく似合ってるわよ三人とも!男性用の衣服がないのが残念だけど・・・」
デメテルの発言に四人の脳裏に温かく何処か可愛いセーターとスカートを着たファミーユの姿がイメージされた。げんなりする者や顔をしかめる者や引きつった笑顔を浮かべる者や何とも言えない微妙な顔をする者、誰が誰とはあえて言わないが似合わないと言うのが共通の答えだ。
「これを俺が着たら地獄絵図だぞ」
「スカートではないだろうが・・・・・・やはり似合いそうにないな」
「そうかしら?取り合えず、今日はもうお休みなさいな。客室はないから子供達と同じ寝室だけどよかったかしら?」
「大丈夫ですよ。フルールも疲れているし早く部屋に行こう。私達が寝るベッドは何処ですか?」
「この部屋から下に廊下を進んだ部屋の、一番奥の二つの二段ベッドよ」
リンは部屋を出るその時までデメテルの表情を窺ったが、彼女は最後まで優しい笑みを浮かべていた。だが、リンにはそれは仮面の様に見えた。
部屋を出て廊下を下に進み扉を開けると、左右の壁に二段ベッドが隙間なく置かれていた。既に夜中、部屋の中は静かだが、ありありと視線を感じる。まるで身体を射抜かれる様な視線の中を歩いて奥まで進みベッドに入った。
明日から、この家での暮らしが始まる。それは幸か不幸か、どちらか、あるいは両方をもたらすのだろうか?
*
「あの・・・起きてください・・・」
「んっ・・・もう朝・・・?」
身体を揺すられてフルールは目を覚ました。ウインドが攫われ静かな朝を迎える事が多くなった最近、他人に起こされるのは久しぶりだ。
ゆっくりと起き上がると、怯えた表情で、それでも一定の好奇心と興味を抱いた瞳で一人の少女がこちらを見ていた。
フルールはその少女を見て驚いた。彼女は至って普通の顔なのだ。宝石の様な緑色の瞳に金髪のポニーテール、言うなれば精巧に良く出来た人形の様な可愛らしさがある。
「え、えっと・・・その・・・お腹空いてます・・・?」
こちらを見つめたままのフルールに少女は少し後退り震える声で言った。その言葉でフルールは察した。自分達は恐れられているのだと。
「起こしてくれてありがとう。もう朝食の時間なの?」
「は、はい。でも、疲れているだろうからって起こさずにおいて・・・皆は今先生と勉強をしています。わ、私はカッサンドラと言います・・・。
この家に御在宅の間、ケイルと一緒にお世話をする事になりました・・・。よろしくお願いします・・・」
丁寧な言葉は他人行儀、礼儀の正しさは恐怖によるもの。初めて知った。自分達の姿が他人から見て怖いものだと。
「ケイルは朝食の支度をしています・・・。一階に降りて玄関から見た左側の扉が食堂です。その・・・先に行って待っていますので・・・」
そそくさとカッサンドラは部屋から出て行った。他の三人を起こさずに自分を起こした理由、そんなのは考えるまでもない。自分が一番安全そうに見えたからだ。一人を起こせばその人が他の人を起こしてくれる。危ない橋を渡る必要もない。
(・・・仕方のない事だけど、やっぱり悲しいわ。もっと、私達の事を知ってもらいたい・・・)
兎にも角にもフルールは他の三人を起こし、朝食の用意が出来ている事を告げ部屋を出た。フルールも含め、全員まだ眠い。ベッドの寝心地は、今までの草や地面などとは比べ物にならない程柔らかく暖かく心地よかった。
一階に降り言われた部屋に入ると、そこは細長いテーブルが四つ並び、充分な間を取って椅子が前後に五つずつ、合計四十席もある。その真ん中あたりに四つのトレイが置かれ、朝食が置かれていた。
「初めまして。僕はケイルと言います。カッサンドラと一緒に皆さんのお世話をする事になりました。よろしくお願いします」
部屋に入って入り口のすぐの所にいた少年が礼儀正しく、感情のこもっていない抑揚のない声で言った。
ケイルの姿は、異形だった。カッサンドラが普通の見た目をしている為余計に目立って見えてしまう。言うなれば逆三角形の顔は顎が小さく頭部が肥大化している。四つの眼に小さな口が付いている。右腋からはもう一本腕が生えており、その手はポケットに入れられている。
「私はフルールよ。よろしくねケイル、カッサンドラ」
「マーレだ」
「ファミーユ」
「・・・リンよ」
穏やかに自己紹介したフルールに比べ他の三人は素っ気ない。一瞬の気まずさは、ケイルの「こちらにどうぞ」という案内で消えた。いや、飲み込まれた。
朝食は野菜サラダにポークビーンズにパンとバターに瓶牛乳が置かれている。が、パンも銀紙に包まれたバターも食べ方がわからない。そもそも手元に置かれているスプーンやフォークの使い方もわからない。何故なら、知らないから。
「ど、どうしました・・・?」
中々食べ始めないのでカッサンドラが不安そうに聞いてくる。食べれるだろうが、何となく自分達が今までやってきた食べ方で食べるのは憚れた。だが食べないと言うのは相手にも食物にも失礼だ。
「えっと・・・この銀色の物ってどう使えば」
「もう面倒臭い。このままいく」
フルールが訪ねようとした矢先にファミーユがそう言い、ポークビーンズの皿を手に取ると豪快に飲んで喰い、野菜サラダを手づかみで口に運んで貪る。
家族間ならまだしも他人が見ている前でのマナーがガン無視の礼儀知らずな蛮行。ケイルやカッサンドラが言葉を失う程に唖然とし、三人も突然すぎる行動に呆気に取られてしまった。
「ば、馬鹿ファミーユ!お前何をやってる!」
正気に戻ったマーレが開口一番怒鳴った。
「見りゃわかるだろ。喰ってるんだよ」
「礼儀と言うものを弁えろ!こういう場ではな」
「喰い方なんてどうでもいいだろ。俺の考えとしては「命は残さず喰う」だ。礼儀何てもんに囚われて残すなんて命に対する冒涜するぐらいなら、俺は礼儀を捨てるな」
言っている内に牛乳の瓶の蓋部分を手で軽く捻り割ると、そのまま一息に牛乳を飲み干しパンと銀紙を包んだままのバターをそのまま口に放り込んだ。
「中々うまいな。料理って言うのも悪くない」
「・・・それは、よかったですね」
「しかしこの銀色のこれ、嫌な感触だな。中の実は美味いが・・・」
「それは剥けるんですよ」
「そうなのか?」
確かに自分達は今まで道具をほとんど使わず食べてきたが、それでも礼儀と言うものはわかっている。知識としてある。故に恥ずかしい。カッサンドラが必死に笑うのを堪えてくる姿を見ると、ますます持って息苦しく汗塗れになる。
*
食後、マーレはファミーユの腕を掴みデメテルの私室に駆け込んだ。フルールとリンはそこまで気にしないが、マーレは酷く気にした。
「なんだ?そこまで怒るほどの事か?今までと同じだろ?」
「同じではない!他人の視線と言うものを考えろ!礼儀作法と言うものはお前も最低限わかってるだろう!」
「そんなに気にして何になる?大体お前がいつも礼儀正しく喰ってるのなら説得力はあるが、別にそうじゃないだろ?人前でいい格好をしたいなんて、子供じゃ・・・・・・いや子供か?まぁどっちでもいい。要するに自分を偽ってどうするんだって事だ」
「偽るなど、そういう話しでは・・・」
「そういう話しだ。礼儀正しい俺を見ていざ仲良くなったら実はこうでした、何て言うのが一番最悪だ。だったら最初からありのままの自分を曝け出しておいた方がまだマシだ。
とは言え、俺も流石に他人の視線と言うのを蔑ろにしすぎたな。ずっと家族同士、遠慮のない者同士で暮らして来たしな。まぁある程度は心がける様にするさ」
言い聞かせるつもりが、逆に言い聞かされた。ファミールの言う事は、正しい。そして、間違いでもある。だが、その間違いを追及する程マーレは真摯な気持ちでファミールを怒った訳ではない。自分が恥ずかしい。そしてそれを自覚した今も、自分が恥ずかしい。
「なぁマーレ。正直言うと俺は一番最後に産まれたし、あんな事があってすぐに家を出たからお前達とそんなに関わりを持ってはない。でも俺にとっては唯一無二の大事な家族であり大切な存在であり繋がりなんだ。・・・これでも皆の事を知ろうと今日まで頑張って来たんだぜ。
お前はさ、とにかく皆の事を引っ張ろうとするよな。自分に責任があるみたいに。まぁある程度は手伝いを求めたり任せたりしてたけど、よそよそしさが見ただけでわかったぞ。
そんなんじゃこっちも気を遣うし心配になる。気楽にやろうぜ。俺達は家族なんだから、今みたいに遠慮なく素直に言い合える仲なんだからさ。
外に出ようぜ。リンやフルールを交えて、子供達と遊べば何か掴めるさ」
「・・・すまない。少し、一人にさせてくれ・・・」
「・・・わかった。でも、思い詰めたらいつでも頼ってくれても本音をぶつけてもいいんだぜ。俺はマーレの事を頼りにしてるし、マーレも俺の事を頼りにしてくれてもいいだぞ。なぁ、お姉ちゃん。弟だからって遠慮する事はないさ」
温かい言葉、大きく受け止めてくれる身体をマーレの記憶に刻み込み、ファミーユは部屋から出て行った。
リンにも言われた、そして今ファミールにも。わかっている、自分一人で何かやろうとしても空回りしてしまうと言う事を。ファミール為、しかし本心は自分の為、しかも自分は礼儀正しくない、そんな事は最低だ。
頼ればいい。だが、一番最初に産まれた者として、長女としての意識故かどうしても自分が全責任を持って皆を守り助けようとしてしまう。頼る事に、抵抗を感じてしまう。
しかし、この一週間、皆に最も貢献したのはファミーユだ。それとなく、言葉少なく手助けをしてくれた。リンやマーレが不調になった時も、ファミーユが率先して背負ってくれた。自分が言うよりも先に。
・・・いや、そもそもその時心配はしたが、自分はリンとフルールを背負おうと言おうとしたのか?よく考えてみれば、ファミーユに対してほとんど守る事も手助けする事もしていない。如何に体格が良くても、如何に内面が成熟していても、産まれてからまだ一ヶ月も経っていないのだ。それなのに何故か自分は、ファミーユに何もしなかった。ファミールが皆の荷物を運ぶ時も、特に何も感じることが無かった。
自分は、自分の存在意義は何だ?家にいる時は皆を守る事助ける事が自分の役目であり義務だと思っていた。だが、それは今はファミールの役目だ。
「私は・・・私は皆に何をしてあげれる・・・?私の良さって一体何・・・?私・・・私は一体どんな人なの・・・?」
わからない。考えれば考える程に、もがけばもがく程に沈む底なし沼の様に、マーレは答えの見つからない深き思考の闇に沈んでいった。
*
「ねぇリン、私は外に出ようと思うけど、あなたはどうするの?」
「私は図書室で国の事を調べようと思う」
「えっ?でも、私達字が読めないのよ」
「絵を見るだけでも何か掴めるかもしれない。わからないと思って何もしないよりはマシでしょ?」
「・・・そうね」
リンの顔には、ウインドを助けたいと言う意志がありありと滲み出ていた。ウインドと過ごした月日で言えば自分やマーレの方が長い。しかしウインドと最も身近で過ごしたのはリンだけだ。その繋がりは、どんな鉱石よりも固いのだろう。
リンと別れ、フルールは外に出た。子供達の声はすれど姿は見えず。家の裏手に周ると大きな畑が二つあり、その上で子供達が水を撒き虫取りをしていた。
子供達の人数は三十三人、その全てが異形だ。身体に無数のコブの様な凹凸がある子、爬虫類の様な眼に馬の様な歯に手には膜の様なものが備わっている子、猫の様な体毛が全身に生え腕の先が二つに別れ手が二つの子など様々だ。
「さぁ皆。そろそろ森に木の実を採りに行くわよ」
デメテルの掛け声に子供達が元気よく返事をする。普通、至って普通の光景だ。
こちらを遠巻きに見ているフルールの視線に気づき、デメテルが微笑みを浮かべる。
「あなたも一緒にどう?」
「そうですね・・・・・・」
フルールは僅かに戸惑った。自分を見る子供達の視線は、恐れ、怯え、妬み、嫉妬、興味を含んでいた。
だが、自分は行く。子供達の事をよく知りたいと心に決めているのだ。
「それじゃあ、私もご一緒してもよろしいですか?」
「勿論よ。さぁ皆、新しいお友達と一緒に元気よく行きましょう」
子供達の返事、しかし先程より明らかに小さく元気がなかった。
フルールは一番後ろから集団の後を付いていった。ふと、子供達の一番後ろにカッサンドラがいるのに気づいた。歩みが遅い、しかし時折速くなる。意図的に遅く歩いている。その歩みが気になったフルールは声をかけた。
「カッサンドラ」
カッサンドラは身体を震わせ、それでも笑顔で振り返り返事をした。
「フルールさん、どうしたんですか?」
「フルールでいいわよ。・・・ねぇ、この皆の事や家の事をよく教えてほしいの。お願いできる?」
遅く歩いている理由は聞かない。きっと聞かれたくない理由がある。周囲の空気も考えて、訊ねて不自然のない事を訊ねる。
「・・・朝は七時に起きて皆で朝ご飯の準備をします。食休みを含めて八時半になったら大体十時まで勉強をします。その後は畑に水撒きと虫取りをして、今みたいに森に出かける事もあれば川や海に行く事もありますよ。十一時半になったら家に戻ってお昼ご飯の準備です。一時まで休んだら三時まで勉強をして、それから五時までは自由時間です。五時になったら夕ご飯の支度をして六時になったらお風呂に入って、八時に寝ます。偶にズレたり変わったりする事もありますけど、これがこの家の一日の過ごし方ですよ」
「随分と規則正しいのね・・・」
実に、丁寧。実に、礼儀正しい。実に、他人行儀。別にここまで話してもらおうとは思っていなかった。打ち解けていない、緊張故の話し方だ。
しかし今の言葉に嘘はない。家での生活は時間を測る術がなかったので日の傾きで判断していた。故に非常に大雑把、ルーズ、大らかな生活をしてきたフルールからはかなり新鮮に聞こえた。
「そうですか?別に普通ですけど・・・」
「私がそう思っただけよ。ところで、この家は先生が作ったの?」
「・・・・・・はい」
その時カッサンドラの顔に暗い表情が浮かんだのを見逃さなかった。何か事情があるのかもしれない。だが、その事情は今は置いておこう。自分は子供達の事をよく知る為に付いてきたのだ。
「こんなに沢山家族がいたら毎日楽しいでしょう?」
フルールの言葉にカッサンドラはキョトンとした顔で見上げた。意味が解らずフルールもキョトンとした。
「・・・・・・家族?」
たっぷり間を置いてカッサンドラは言った。
「ええ。だって、同じ家で暮らしていれば、家族でしょ?」
「家族・・・」
笑うとも、落ち込むとも、怒るとも違う。静かな口調でカッサンドラは「家族」と繰り返し呟いた。その異様な雰囲気に、フルールもそれ以上何も聞けなかった。
数分進んだのち、目的地に着いた。そこはやや開けた森の広場の様な場所で、寝転がったら心地よさそうだ。
「それじゃあ皆、今から一時間木の実とりをするわよ。だけど余り遠くに行かない様にね。危ないかもしれないから必ず複数で行動する事、何かあったらすぐ私に伝えるのよ。危ない事は絶対にしない様にね」
子供達の返事が森に響く。大きな声だが、元気というより軍隊の様な規則正しい返事の仕方だ。自分のせいで変な空気にさせていると思うとなんだか申し訳ない。
さて、子供達はそれぞれ思い思いに木の実を集め始めた。ただし、採れるのは基本的に熟して木から落ちたり風で落ちたりした実だけだ。必然的、傷んだり傷が付いたりと質はよろしくない。
「ねぇ!あの赤い実採れないかな?」
とある子供達が一本の木の周りに集まった。木には赤い実が沢山生っているが、子供達の手の届く距離ではない。
「高すぎて無理だよ」
「揺らしたら落ちるかな?」
「どうやって揺らすの?」
「じゃあ登って採ればいいよね!」
「危ないって!先生が駄目って言ってたでしょ!」
「でも他の木の実傷んでて全然駄目なんだもん」
「あれが欲しいの?」
子供達の話し声を聞き、フルールが近づき声を掛けた。子供達は一瞬驚いた顔をして怖いのか興味があるのかわからない顔をし、おずおずと答えた。
「・・・うん」
「じゃあちょっと待っててね」
フルールはするすると木に登り木の実を採り降りた。家族の中で運動神経が低いと言っても、これぐらいはどうと言う事もない。
「はい、どうぞ」
木の実を差し出すと、子供達は受け取ろうともせず口をぽかんと開けてこちらを見つめて来る。
「?どうし」
「すごーーーい!!!」
突然の大声に耳が震える。先程とは手の平を返した様な眩しい笑顔と好奇心に満ちた顔で詰め寄って来る。
「あんなに簡単に早く木に登るなんて、どうやったの!?」
「トカゲみたいに登ってった!」
「登り方教えて!」
「もっと登って見せて!」
「え、えっと・・・じゃあ・・・」
勢いに押されるがままに木に登り、そのまま木の上をスイスイと移動して見せた。子供達から歓声が沸き、いつの間にかほぼ全員の子供達が集まって見ていた。異形、しかしこちらを見るその表情と瞳は普通だ。誰がどう見ても、普通の子供にしか見えない。
フルールは胸の奥から熱いものが込み上げる感覚に襲われた。とても耐えられそうになく、木から降りた。当然だが、子供達にあっという間に囲まれた。もみくちゃにされ、質問攻めにされ、屈託のない笑顔にフルールは堪えきれない程の悲嘆と辛さに襲われた。
「ほらほらそんなに質問をしたら困っちゃうでしょ」
デメテルがやってきて子供達を落ち着かせた。興奮こそしているが、デメテルの言う事には素直に従い周囲に散った。先程までの何処か気まずい空気は雲散霧消となり、明るく賑やかな雰囲気が周囲を覆っている。
「ごめんなさいね。でも、出来ればああいう危ない事はしないでほしいわ。子供達が真似をすると危ないから」
「ご、ごめんなさい・・・」
「そんなに落ち込まないで。失敗は誰にでもあるんだから。次に生かせばいいのよ」
頭を撫でてくれるデメテルの手は、温かく、優しい。今まで自分が家族の頭を撫ぜてきたが、撫ぜられるのは初めてだ。
「どうしたの?何か辛いの?」
「えっ?」
言われて、フルールはいつの間にか自分が涙を流している事に気が付いた。目の奥が熱い、涙が止まらない。決壊した堰から流れ出る水は決して止まらない。
「先生・・・教えて下さい・・・子供達の事を・・・」
涙ながらに問うフルールに、デメテルは穏やかに答えた。
「・・・それはね、子供達に直接聞いてごらんなさい。一人一人、抱いている気持ちは違うから」
答えを求め、そして答えるのは簡単だ。しかし、それは近道であり誤りである。苦なくして得る真理に如何様な重みがあるだろうか?楽をしたいのは、当然の事。当然故に、自らの想いを汚してしまう。平坦な道を歩むか、山を登るか、その分岐で人の想いの価値は決まる。
覚悟を決めるのも、決意をするのも、簡単だ。だが打ち込んだ楔、その地面が固くなければすぐに外れてしまうだろう。フルールが楔を打ち込んだ地面、それは、虚空。
「・・・聞きます。逃げずに、向かい合ってきます」
「・・・そう」
真摯な声で、強い意志を宿した表情でリンは言った。そのリンを見て、デメテルは何処か悲しそうな眼をした。だがそれは、決してフルールの気持ちに反したものではない。
フルールは子供達に尋ねようとした。だが、訪ねられない。理由は当然、聞かれたくない事だとわかるからだ。
フルールも含め他の三人にも、知識として人間の全身像のイメージがある。自分達はまだ似通ってはいるが、子供達は余りにも異なる。異形、産まれて初めて見た自分の姿に驚いたフルールには、人とは余りにも異なる姿で産まれた子供達の衝撃・悲しみ・絶望が痛い程理解できる。
ここで平穏に暮らしている子供達に、どうしてかつての苦しみを思い出させる事が出来ようか。子供達の事を想うあまり、聞くに聞けない。しかし聞かなければ進めない。堂々巡りの矛盾がフルールに軽い眩暈をもたらす。
「・・・フルールさん」
声を掛けてきたのはカッサンドラだった。こちらを見つめるその顔は、真剣な面持ちだった。
「私達の事を、知りたいんですよね?」
「ええ・・・」
「私が教えてあげます。ただ、ここでは皆に聞こえちゃうから、家に戻ってからでいいですか?」
「・・・いいの?」
「はい。・・・大切な事を教えてもらった、お礼です」
それがどういう意味なのか、フルールにはわからなかった。
そうして家にも戻ろうとした時、二人の前にケイルが立ちはだかった。フルールを見据えるその瞳は、氷の張った冷たい水の様に冷え切っていた。
「ケイル・・・」
「・・・・・・お昼ご飯はどうしますか?何か食べたい物などはありますか?」
「あ、お昼ご飯はいいわ。私達は朝に一度食べれば十分だから」
「そうですか。助かります」
その声は何処までも静かで冷たい。
「あの、どうして二人が私達のお世話をしてくれるの?」
「・・・ただ、見たかっただけだからです」
それはどういう意味だ?何を見る?外見の身体的特徴?危険かどうかの判断?これもまた意味がわからない。
「カッサンドラ。まだ時間じゃないのに家に戻るのはいけないよ。皆の所に戻るよ」
「で、でも・・・」
「戻るんだ。君はまた同じ失敗をするのかい?」
カッサンドラは視線を泳がし、戸惑う様に手を胸のあたりで遊ばせ強く目を閉じてからフルールの方を向いた。
「ごめんなさい・・・!」
ただそれだけだ。しかし、その一言には深い謝罪の意が込められていた。走り去るカッサンドラとこちらを一瞥し去って行くケイル。
「待っ」
フルールは二人を追いかけようとした。しかし誰かに腕を掴まれ引き留められる。振り返るとそこにはファミールが立っていた。
「ファミーユ・・・?どうしてここに?」
「窓からお前が子供達と一緒に森に入るのが見えてな」
「ファミーユ離して。私、あの子達の事を知りたい・・・助けたいの・・・!」
フルールはファミーユの腕から逃れようともがくが、マーレの二倍はある体格に力の弱い自分とでは明かな力の差がある。その腕の力はまるで不動の大木の様に微動だにしない。
「フルール、お前が優しいのはわかってる。誰よりも優しくて、思いやりがある。あの子供達を見て、可哀そうと思っても、自分の身を捧げて助けようとする奴はそうはいない。
だが、半端な優しさは優しさじゃない。相手を傷つけ、馬鹿にし、追い詰める事になる。忘れた訳じゃないだろ?俺達はウインドを助ける為に旅をしてるんだ。一時過ごすのならまだしも、深く干渉して離れる事になったら子供達はどうなる?」
「それは・・・」
頭ではわかる。しかし言葉として出ない。おそらく子供達は自分を、恨む、妬む、怒る、悲しむ。あの子供達にとって必要なのは、ずっと傍にいてくれる存在だ。そう、デメテルの様に・・・
「仲良くなるのはいいが、同情するのはお門違いだ。同情が出来るのは同じ境遇を経験した奴だけ、そうじゃない奴の同情は自分の自己満足にしか過ぎないと俺は思うぜ。
俺はフルールの事を理解してるから、そんな上っ面の想いじゃない事はわかってる。だが子供達はフルールの事を知らない。自分が正しいと思った行動も、他人から見た場合どう思われるかも考えないといけない。
・・・こんな偉そうな事、俺が言えた義理じゃないんだけどな。経験も何もない、産まれてまだ一ヶ月程度の末っ子なのに、どうしてこんな知識や知恵があるんだろうな?だから俺自身の言葉として言うのなら、行動で示すしかないだろ。自分の想いが真実だと」
思い付き、目の当たりにし、勢いでの行動は真実とは言えない。冷静に、自分の心と向き合わなければいけない。自分が本心ではどう思っているのかを。
ずっとは居られない。ファミーユが言う様に、数日の内にウインドを助けにまた旅立たねばならない。そんな短い期間で何が出来る?どう自分の想いを行動で表す?
フルールは海へと向かった。何処までも続く青い水平線は自分の心を映す鏡。向かい合えば、本当の自分の気持ちがわかるかも知れない。
*
図書室に向かったリンは、静かに深呼吸をした。勇気が必要だった。恐怖か、疎外か、寂しさか、それとも知るのが怖いのか、おそらくは全てだろう。
知っている。そう、自分はあの子供達がどういう存在なのか知っている。そして自分達がどういう存在なのか、おぼろげながらわかってしまった。
リンは本棚に置いてある本を適当に選び抜き、開いた。本に書かれてある言葉、それが意味として理解できた。読める。読めなかった字が読めてしまう。
「・・・やっぱり、私は違うんだ・・・。あの船と、防護服の人達を見てから、自分じゃない記憶がはっきりし始めてる・・・。
デメテル・・・きっとあの人は、私の事を知っている・・・」
推測でも、予想でも、適当な思い付きでもない。初めてデメテルを見た時、リンは初めて会った気がしなかった。あの感覚は、まるで久しぶりに会った知人と言った感じだ。
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