第9話 起源

 船のモーターの音がするが、それで眠れなかったのは初日だけで二日目からは慣れてしまい全員平気で寝れる様になった。微かに波に揺れる船の揺れが、心地いい気持ちにさせてくれるのも要因かもしれない。

 家を出て何日経ったのか、十日だろうか?二十日だろうか?日にちの感覚が曖昧になっている。船で寝そべり夜空を眺めながらマーレは考えていた。

 特にこれと言った問題は起きていない。天候は安定しているし、食料も水も抑えて摂取しているのでまだ持ちそうだ。心配なのは、自分達は正しい道順で進んでいるかどうかだ。陸地が見えず野垂れ死に何て事になったら、ウインドに申し訳が無さ過ぎる。

 あの防護服を纏った人達の亡骸は海に還した。地に埋めると言う案も出たが、生命の始まりにして母なる海に還すとマーレが言い切り海に還す事に決まった。

 生命とは、自然と共に生き、ありのままに本能に従って生き、そして死ぬべきものだ。命を奪うとは、それ即ち喰らう事。意味も無く生命を断つ事など許される事は出ないのだ。それが身を守る為であろうとも、家族を守る為であろうとも、摂理に反している以上罪を背負事には変わらない。

 いずれ罪は巡り、戻って来る。マーレもファミールもそれがわかっている。だからこそ生きていられる内に助けなければならない。次に目を覚ます時は陸地が見えている事を願って。その願いが通じたかどうかはわからないが、その三日後遂に船は陸地に辿り着いた。


                   *


 浜辺はない。岩礁に沿う形で船を止め、近くの岩場に船を置いた。

 辿り着いたこの島は、余りにも大きい。左右を見渡しても果てが見えない。大地も何処までも草原が延々と続く。その草原は、家がそのまま収まってもいくらでも余裕がありそうだ。

 「これ程に大きい島があると言うのか・・・」

 「島じゃない・・・大陸だよ」

 「もの凄く大きな陸地って事か。で、これからどう進むんだ?」

 マーレは耳を澄ませ、嗅覚に意識を集中させ辺りの様子を窺った。 

 「ウインドの匂いも、怪しい物音もしない。とにかく進むしかないな」

 「進む道がわからない船旅の次は、当てのない旅か。こうも災難続きだと泣けてくるよ」

 その軽口に笑う気力も突っ込む気力もなかった。ウインドを助けに来たのに、行く先もわからない旅路は絶望だ。途中で野垂れ死んだらウインドに申し訳が立たない。そもそもこの大陸にウインドがいるかどうかの確証もないのだ。

 マイナスな事ばかりを考えていてもしょうがない。無言のまま岩礁を抜け草原を進みだした。家にいた時は違う匂いだ。何処か柔らかな草と土の匂いが心地いい。日の光が大地を暖かく照らし、暑すぎない絶妙な陽気だ。

 「良い所ね。こんな場所でお昼寝すると気持ちよさそう」 

 「昼寝は出来ないが、夜になったら寝心地を確かめるとするか」

 穏やかな気候の為か、暗く沈んでいた気持ちも明るくなってくる。その時ファミーユの耳がピクンッと動いた。

 「止まれ」

 鋭い声で制止され、和やかになりかけていた空気に緊張が走った。

 「どうした?」

 「あっちの草むらで何かが動いた。臭いもするだろ?」

 確かに風に漂い僅かに獣臭を感じる。

 「どうするの?」

 「こうするんだ」

 ファミーユは身を屈め音を殺しつつゆっくり前進し、放たれた矢の様に凄い速さで飛び出した。一瞬の出来事だ。ファミーユの手には白くて耳が長い愛らしい動物が握られていた。

 「ウサギだ」

 「か、可愛いな・・・」

 「わぁ可愛いわ。初めて見たけどとても愛らしいのね」

 「ファミーユ、そのウサギどうするの?」

 静かに訊ねるリンに、ウサギの可愛さに心奪われていたフルールとマーレは表情を硬くさせた。

 「聞くだけ野暮だろそんな事」

 「待ってファミーユ!本当にそんな事するの!?」

 「何今更綺麗ごと言ってるんだよ。魚は喰っていいけどウサギは可愛いから駄目、なんて自分勝手通らないだろ。

 俺達は捕食者だ。捕食者に捕まったウサギは喰われるしかない。自然は喰うか食われるかだろ?俺だって別の動物に喰われる事になったら足掻いたりはしない。命は別の命の糧となる。足元に詰み上がってる骨の山を思えば、一番悪いのは食べ残す事だろ」

 言っている事は理解できるが、共感が出来ると言われれば話しは別だ。フルールはまだ納得をしかねていたが、反論は出来なかった。

 「・・・お前の言う通りだ。自然に情は存在しない。何人も迎え入れるが、生き抜くのは己の力だ。ウサギに情があるのなら、余すことなく喰らうのが礼儀だろう」

 「私達は生きないといけない。ウインドを助ける為にも、こんな所で飢え死ぬ訳にはいかない。

 フルール、もう食料も水もほとんどないんだよ。辛くても、そうするしかないんだよ」

 「・・・・・・わかってるわ。これは甘えよ。辛い事、厳しい事から目を逸らそうとする甘えなの・・・」

 ファミーユは黙ってウサギの首を折った。その後ウサギを三羽捕え、全ての首を折った。

 その後夜になるまで歩き続けたが、森も川も、人も見つける事が出来なかった。

 マーレは石を二つ拾い何度か激しく打つと火花が散り、空になっていた木の実に火をつけた。リンもマーレもファミーユもウサギの頭を引き千切り胴体から流れ出る血を喉を鳴らせて飲んだ。しかし、フルールはそうしなかった。

 「気持ちはわからなくもないけどよ、そうしないとお前が死ぬぞ」

 「・・・わかってるわ」

 その躊躇いは、血を飲む事への抵抗か、動物に対する非道への抵抗か。だが、わがままを言ってはいられない。フルールもウサギの頭を引き千切り血を飲んだ。その後は腹を裂いて肉と臓物と別けて焼き、骨はそのまま食べた。残ったのは頭と皮だけだ。

 食後、星空を見上げながらの就寝。家にいる時とはまるで違う感覚にリンは中々寝付けなかった。

 「ねぇ・・・リン」

 「何?」

 「ウインドも、この星空を見上げてるのかしら?」

 「・・・わかんない」

 「きっと今頃逃げ出そうとして大暴れしているさ。ウインドはじっとしていられないからな」

 「そうよね」

 「私達が不安になってどうする?ウインドなら大丈夫だ。明日もかなり歩く。もう休め」


                   *

 

 大陸に上陸して三日が過ぎ、様々な場所を渡って来た。草木の乏しい荒野は歩き難く体力を使う。切り立った高い岩山は歩ける場所などろくになく、岩壁に爪を掛けて登るしかなかった。

 岩山の頂上から見渡す景色は壮大で、雄大で、物寂しさを感じた。

 「何かわかる?」

 「・・・風の音・・・鳥の鳴き声・・・動物の臭い・・・」

 「あれを見て見ろ。何かの建物の様だ。行けば何かわかるかもしれない」

 マーレが指を刺したのは岩山を降りてしばらく行った先に点在する小屋の様な形をした岩だ。どう見ても不自然、誰かが作ったに違いない。

 「そうだね。行ってみよう。皆平気?」

 「私は大丈夫よ」

 「問題ない」

 すぐ返事をした二人に対し、ファミーユは何処か遠くを見つめたまま答えなかった。

 「どうしたのファミーユ?」

 「・・・あの遠くに見える透明な壁みたいな奴・・・何だと思う?」

 ファミールが見つめる先を見ると、ここより遥か遠くに六角形の透明の壁が連なった丸い建造物がある。遠目故によくわからないが、大きな建物が一つだけ見えた。

 「どう見ても怪しいよな?」

 「もしかして、ウインドはあそこに・・・?」

 「かもしれないな。だが流石に遠すぎるし今日は後数時間で日が暮れる。今日はあそこで休む事にして明日からあの場所を目指す事にしよう」

 マーレの判断に異を唱える者はいない。そうして岩山を降り始めたが、リンはその建造物を見つめたまま動かなかった。

 「どうした、リン?」

 「・・・何でもない。今行く」

 何でもなくはない。あの建造物に、リンは見覚えを感じた。そして同時に、腹の底から湧き上がる嫌悪感にゲロを吐きそうになった。

 頭痛は起こらなかった。それはまるで、思い出すのを本能で拒絶しているかのようだった。あれはとても、恐ろしいと心が告げている。

 (あれは・・・私は、あれを知っている・・・)

 今までと違う、まるで頭の中がシェイクされているかの様に視界が揺れて見える。身体の中が掻き乱される様な不快感を感じる。身体がふらつき何度も地面に手を付いてしまった。

 「大丈夫リン?顔が真っ青よ」

 フルールが手を差し伸べ、どうにか立っていられる。

 「ちょっと・・・休めば大丈夫だから・・・」

 「どう見てもちょっとじゃないだろ。マーレ、俺がリンを背負うから俺の荷物を二人で持ってくれ。岩山を駆け下りて建物まで急いで向かうぞ」

 「わかった」

 「わかったわ」

 「それとリン。先に言っておくが、背中に吐くのだけは勘弁してくれよ」

 「・・・努力するよ」

 荷物を持ち替えリンとを背負い岩山を駆け下りていく。岩山は傾斜が厳しい場所が多く、両手が使えず脚だけでバランスを取るのは非常に難儀だ。しかし、ファミーユは絶妙なバランス感覚で平地を走る勢いで岩山を降りていく。余りに速いのでマーレとフルールが追いかける程だ。

 揺れる背中に担がれて、気持ち悪さは確かにあった。だが、温かく大きなファミールの背中に身を預けていると何故だが安心できて気分が安らいでくる。背中に耳を当てて心臓の鼓動音を聞いていると、ずっとその音に浸っていたい衝動にかられる。

 (ファミーユ・・・最後に産まれた私達の末っ子で、唯一の弟で、男・・・。きっとあなたは、私達の大切な人なんだね・・・)

 心臓の鼓動音を聞いていると、自分の心臓の鼓動音とシンクロしている様な気がしてきた。お互いの音が交じり合い、身体が溶け合い、一つになる様な陶酔感に酔いしれる。

 身体に感じていた揺れがなくなり、周囲の景色が消え、物音がなくなり、ファミーユと二人だけの空間にいる。いつの間にかファミールの身体に強く抱き付いている。何故だが呼吸が少し荒い、身体が熱くなり汗ばんできた。

 この異様な感覚・・・友情、信頼、家族愛とも異なる。欲している、どうしょうもなく欲している・・・これは・・・

 「おい、着いたぞ。いつまで俺の首を絞めてる気だ?苦しくはないが、流石に暑い」

 その声にリンは正気に戻った。同時に気持ち悪さと眩暈も戻った。だが、さっきに比べればマシになっている。

 そこはかつて建物であった残骸が散らばる廃墟だった。廃墟とわかるのは、崩れた瓦礫の場所が互いに離れているからだ。おそらく木材の建物もあったのだろうが、年月の末に雨風に晒され崩れて消えてしまったのだろう。残ったのは建物の痕跡を残す石壁と瓦礫、そして唯一残った石造りの大きな建物だ。

 かつては大きな扉が付いていたのだろうが、今は無くなり入り口が吹き曝しになっている。建物は縦に細く大きく作ってある。屋根には下の線が長い十字が付けられている。建物の中は無数の穴が開いているが、頑丈な作りではある様だ。少なくとも、今すぐ崩れる心配はなさそうだ。

 建物の内部にはいくつかの木材が散らばっていた。ファミールはその上にリンを寝かせ、自分の上着を被せた。

 「柔らかい地面じゃなくて悪いな。何か緩衝材みたいな物を探してくる」

 「ううん。大丈夫・・・ありがとう。優しいんだね、ファミーユ」

 「当然だろ。家族なんだから」

 今更何を言っているんだと言う感じだ。嬉しいが、何処か複雑だった。

 「やっと追いついたぞ!随分と速いなファミーユ」

 僅かに遅れてマーレが、次いでフルールが追い付て来た。マーレは平然としているがフルールは息切れている。

 「はぁ・・・はぁ・・・ここ、何の建物なの?」

 「さぁな。大昔の人が住んでいた建物、遺跡じゃないのか?」

 「遺跡か・・・この荒れ野に佇む唯一の建造物。それにこの不思議な造形、神秘的だが異様な感じだな」

 「物事には意味がある。きっとこの建物にも意味があるんだろうさ。俺達が知る由もないがな。

 まぁ都合がいいさ。今日はここで休めばいい。俺は身体の下に敷く物を探してくるから待っててくれ」

 そう言ってファミーユは建物から出て行った。

 「リン。大丈夫か?気分はどうだ?」

 「大丈夫。だいぶ楽になった」

 まだ少し顔が青いが、先程に比べれば遥かに血色がよくなっている。

 「よかったわ・・・。それにしても、マーレもファミーユと一緒に行くのかと思ったわ」

 「その方がいいかもしれない。だが、少しこの建物を調べたいと思ってな」

 興味は惹かれるが、調べると言っても他に部屋はなく、周囲の壁を探って見る事しか出来ない。しかし幸運。入り口から一番奥、僅かに段差になっている壁に微かだが何かが彫られているのを見つけた。

 それは、何か大きく神々しい存在が土から人間を創りだしている壁画だった。擦れてしまっているが、壁一面に大きく、知らしめる様に彫られている。

 「これって、人間が誕生する瞬間?」

 「特別な存在・・・だと言うのか?人間は・・・。もしそうだとするなら、私達は何なんだ・・・?」

 わからない。誰にも答えようがない。しかし、その壁画を見たリンの脳に声が響いた。

 (違う)

 ただそれだけだった。それは幻聴か、はたまた自分ではない記憶によるものか。

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