第7話 望まぬ成就

 「おはよーーーー!!!」

 産まれてから一ヶ月が過ぎた。この元気な声を聞かないと一日が始まった気がしないと感じ始めたのは何時からだろうか?川で顔と身体を洗い、朝ご飯を食べる。

 あれ以降、何かを思い出す事も無くなった。リンも気にしなくなくなり、周りにも特に気にする事も無くなった。

 ウインドと一緒に家を探索し何か新しい発見がないか調べたり、フルールの仕事を手伝ったり、マーレと一緒に魚を捕ったりして楽しく暮らしていた。

 マーレが産まれてからもうすぐ十ヶ月が経つのに、最後の一人はまだ産まれない。余りに産まれないから何処か異常がないか調べもしたが、何の知識もないので結局何もわからなかった。下手に触っては逆に異常を起こしかねない。

 平和な暮らし、しかしウインドは何処かそわそわしていた。落ち着きがないのはいつも通りだが、意味もなくその場を歩き回ったり海を眺め続けたりと行動に変化が見られた。それに気づいたのはリンだけだ。ウインドは、決して寝室の森でその様な行動は取らなかった。

 その日、リンはウインドと共に行動していた。山の頂上で、リンは何をするでもなく海の果てを眺め続けていた。

 「何があるか知りたくて、落ち着かないんでしょ?」

 「・・・皆と一緒にいる。それだけでとても楽しいよ!ずっと皆とここで暮らしていきたいよ!

 でも・・・何でだろう?この海の向こうに何があるのか気になってしょうがないんだ。知りたいって言うより、気になるの」

 海。この果てしない海原の向こうには何があるのだろうか?リンは何度想像してみても、漠然とした恐ろしさしか抱けなかった。

 「ウインド、この海の向こうには何があると思う?」

 「・・・・・・新しい発見。未知の体験。わからないからかな、なんだか怖いって思っちゃうんだ」

 やはりウインドも怖いと感じていた。もしかするとフルールもマーレも同じ様に感じているのかもしれない。戻ったら聞いてみよう。

 しかし、何故だろう?何故知らないはずの海の向こうの世界を恐れるのだろうか?まるで肉食動物を本能的に恐れる草食動物の様に。

 「・・・・・・んんっ?」

 ウインドが妙な声を出し目を細めた。

 「どうしたの?」

 「・・・ねぇリン、北の海の方から何かこっちに来てない?」

 言われてリンも北の方を目を凝らして眺めてみる。少しして視点が定まると、まだ遠い所に何か海に浮いた物が見えた。はっきりと形は捉えられないが、それは海を割る様な波を作りつつこちらに向かって来ていた。

 「うん・・・来てる」

 「行こうリン!きっと北の浜辺に着くよ!」

 言うよりも先にウインドは駆けだしていた。

 「待ってウインド!マーレとフルールに伝えないと!」

 「それは後!どんな人がいるのか確かめないと!」

 リンは迷った。ウインドは止まらない。二人に伝えに行けるのは自分だけだ。だが、自分がいなかったせいでウインドが危険に晒されたら?あれが危険ではないと言い切れない。リンは頂上で周囲の海を見渡し他に家に向かって来ている物がない事を確かめるとウインドの後を追った。北の一つだけなら、すぐには二人に危険は及ばないはずだ。

 北の浜のすぐ傍の草木に身を潜め、それが来るのを静かに待った。しばらくして、聞いた事もない音を響かせつつそれは浜辺の傍に止まった。

 それは、余りにも異質だった。正面から後方まで細長く、水に浮きやすい形状をしているのはわかる。しかし上に見える不自然の形状の小屋の様な物、それに凹凸もなく滑らかな側面、とても自然に出来た物とは思えない。不自然の塊だ。

 中から誰か出てくる。あれは、人・・・だろうか?茶色く膨らんだ身体にガラスの様な瞳のない大きな眼、口には無数の穴が開いており見ていると鳥肌が立ってくる。

 いや・・・あれは・・・あれは・・・・・・

 「リン。ここにいて。私、話してみるよ」

 「待っ・・・!!!」

 頭に鋭い痛みが走る。それは、一ヶ月前の頭痛とは比べものにならない痛みだ。頭が割れそうだ、まるで鋭い物で頭の中を突き刺され掻き乱されている様だ。

 痛みで声が出ない。虚ろな瞳で前を見ると、ウインドが茶色い人の前に立っていた。ウインドが何かを話している様だが、何て言っているのか聞こえない。茶色い人達は凄く驚いている様子だ。大きく狼狽え、多分指導者と思われる人に小声で何かを言っている。

 耳をつんざくような凄い音が響いた。余りの音で思わず耳を塞いで目を閉じてしまった。その音である程度正気に戻り目を開くと、ウインドの右肩が赤く染まっていた。

 何が起こったのかわからない内に、立て続けに空を割る様な音が響く。まるで何かで殴られているかの様にウインドの身体が身じろぐ。その度に、綺麗な白い砂浜が赤く染まっていく。

 「ウインド!!」

 何が起こっているのか?そんな事はどうでもいい。ただウインドの身が危ない、助けないといけないと言う気持ちしかなかった。リンの声に気づいた茶色い人達が、表情がわからなくてもわかるぐらい驚いた様子を見せた。ただ一人、指導者と思われる人のみは冷静だった。

 「逃げて!!」

 駆け寄ろうとしたリンを鋭い声で制止させた。

 「何言っているのウインド!!?あなた一人置いて逃げれる訳ないでしょ!!逃げるならあなたも一緒に!!」

 「二人にこの事を伝えて!!私なら大丈夫。皆の事、守るから!!」

 「ウイン・・・!!!」

 また頭に鋭い痛みが走った。足元がふらつく、眩暈がする、吐き気もする、気を抜けば気絶してしまいそうだ。

 リンは己を呪った。何故目の前で助けなければならない大切な人がいるのに頭痛が走るのだ。頂上で見回した時、他に家に近づいて来ている物はなかった。その事を知らないウインドがそう言うのはわかるが、だったら二人に伝えに行く必要がない。

 だがこの体たらく。これではウインドを助ける事が出来ない。むしろ足手纏いだ。二人揃って死んでは元も子もない。

 「・・・・・・助けるから!!必ず助けに戻るから!!」

 血が出る程手を強く握り、泣きながらリンは叫んだ。その時こちらを振り向いたウインドはいつもの明るく屈託のない笑顔を浮かべていた。

 リンは走った。ふらつき、何度も転びそうになったが走った。泣きながら、全力で走った。

 その様子を見送ったウインドは、茶色い人達と向かい合った。その表情は、誰も見た事もない本能的恐怖を掻き立てる恐ろしいものだった。

 「皆には・・・手を出させない!!!」


                   *


 耳をつんざく高温が鳴り響いた時、マーレは浜辺にいた。いつも通り海で泳いでいると、波の音に交じって聞いた事もない音が海の中に響いてきた。海面から顔を出し、音のする北の方を見ると、何かが海の上を渡りつつ家に向かって来ていた。急いで浜辺に戻り衣服を着ていると、あの音が響いたのだ。

 「マーレ!今の音は何!?」

 森の中からフルールが慌てた様子で駆けだして来た。今までにない異常事態に戸惑っている。それはマーレも同じだった。

 「・・・わからんが、行くぞ!何か嫌な予感がする!」

 戸惑い、狼狽え、静かな顔の下で混乱しかかっていた自分を落ち着かせたのは責任感だった。北の浜に向かって全力で走り出す。フルールは黙って付いてきた。無駄口を言っている場合ではなかった。

 その途中でこちらに走って来るリンを見つけた。真っ青な顔でふらつきながら、どうにか走っているといった有様だ。

 「リン!どうした!?何があった!?」

 駆け寄ったマーレはリンの身体を支えつつ聞いた。リンは息も絶え絶えで苦しそうだ。しかし、それは体力の消耗とは思えなかった。

 「ウインドが・・・お願い・・・助け・・・・・・うっ・・・」 

 最早こらえきれない吐き気。リンは浜辺に吐いた。フルールが優しくリンの背中を撫ぜた。

 「大丈夫よリン。マーレ、私はリンを看てるからウインドをお願い!」

 だがマーレは前を睨め付ける様に見つめたまま動かなかった。前からやって来るのは、人とは思えない茶色く膨らんだ身体を持つ四人だ。

 「あいつらが・・・・・・。貴様らウインドに何をした!!!」

 雷鳴の如く発せられた怒号にフルールは身を震わせた。これ程のマーレの怒号、フルールは初めて聞いた。

 マーレは矢の様に四人に向かって駆け出していく。風の様に速い動き、それに対して四人の動きはゆっくりで何かを構えた。

 それはまるで小刻みに何かを叩く様な音だった。先程の轟音とは違う軽い音、しかしマーレの身体からは血が飛び散った。

 「マーレ!!!」

 フルールの悲鳴の様な声が響く。マーレは身を翻して傍の森に駆け込み木々を盾にして攻撃を避け、一番身近にいた茶色の人を股下から勢いよく切り裂いた。派手に血飛沫が飛ぶ。茶色の外皮が裂けたそこには、頭に耳が生えていない自分達によく似た人がいた。

 茶色の人達は狼狽えたが、それでも攻撃の手を緩めない。緩めれば死ぬのは自分達だからだ。マーレはすぐ隣にいる茶色の人の頭を掴むが、その時糸が切れた様に膝から崩れ落ちた。

 「何だ・・・これ・・・は・・・・・・」

 歯を食いしばり不屈の意志で睨みつけるが、最早意識は風前の灯火だった。

 「ようやく効いてきたか・・・。全く何て奴だ・・・」

 その時、初めて茶色い人が喋った。くぐもった、奥から発せられる様な声だった。

 「こんなにあっさり死んじまうなんて・・・呆気なさすぎるだろ・・・まだ生きていたかっただろうによ・・・」

 「悲しむのは後だ。その二人もすぐに捕らえろ」

 フルールとリンに筒の様な物が向けられる。その時だった。森の中から何かが飛び出してきて筒を向けていた一人の首を千切り取った。千切り取られた頭から血がぼたぼたと流れ落ちる。

 「なっ!お前!」

 それが最後の言葉だった。腕が茶色の人の胸を貫き、その手にはまだ鼓動している心臓が握られていた。腕を引き抜き心臓を海に投げ捨てる。貫かれた胸から流れ出る血が赤い水溜まりを作る。

 「動くな!こいつがどうなっても構わないのか!」

 最後に残った茶色い人が筒をマーレの頭に向けている。マーレはもう意識がないのかぐったりしている。 

 「捕えに来たんだろ?それでいいのか?」

 一瞬の動揺、それが命取りだった。瞬きの一瞬の速さで頭を掴まれ木に叩きつけられた。まるで熟した果実がはじけ飛んだ様に血と脳漿が辺りに飛び散る。

 それは、自分達と似ている様で異なった身体付きをしていた。頭から生えた獣耳と白髪、鋭い爪と犬歯、変わらないのはそれだけだ。平たいが筋肉質で分厚い胸板。体格のいいマーレの二倍ぐらいはありそうな腕と脚の太さ、何より異なるのは股の間からぶら下がる妙な物体だった。

 「早くこいつの手当をするぞ。グズグズするな」


                   *

 

 船は既に島から離れていた。船内は陰鬱とした空気に包まれており、時折嗚咽が聞こえてくる。誰しもが茶色い衣服を脱がず、そのまま船の中で過ごしていた。

 そんな中でただ一人、顔のガスマスク以外は全て脱ぎ捨て行動している人がいる。艶やかで美しい長髪に美術品の様な線の細い身体付き。何処か艶めかしい色気を漂わせているが、この人は男だ。

 「インパ様」

 「何だ?」

 見た目の美しさとは裏腹に、声は低く威圧的だ。

 「被害報告です。重傷者三名、死亡者五名です。・・・彼らの生体反応の消失、確かなのでしょうか?」

 「ほう。お前はこの技術が信用できないと言うのか?」

 「い、いえ!決してそんな訳では!!」

 大袈裟な程に慌てた様子で狼狽えている。その様子にインパは低く笑った。

 「冗談だ。これ以上死人を増やしたくはない。で?奴はどうした?」

 「・・・麻酔銃が効いてよく眠っています。しかし、傷が大きいので治療カプセルで治療中です。その・・・決してインパ様の行動を批判する訳ではありませんが、やりすぎだったのではないでしょうか?」

 「あの程度で死ぬならばとんだ期待外れだ。何より、あの大口径の銃を使用してこの被害だ。手段を選んでいる場合ではない、違うか?

 マロニー達が死んだのは俺の責任だ。あの場で逃げ出した奴が似ていたとは言え、追わせるべきではなかった。外見が如何に好印象を抱く麗しい容姿であったとしても気を抜くなと忠告しておくべきだったな」

 「・・・わかりました。失礼します」

 茶色い服を着た人は一礼して去って行った。

 インパは甲板に出た。船は高速で遅滞なく進んでいる。肌に当たる風が心地いい、潮風の匂いが新鮮だ。今自分は、この世で最も贅沢な事を体験している。

 「皮肉だ。余りにも皮肉だ」

 インパは乾いた声で笑った。笑い声が船に、海に、空に響いていく。その笑い声には、深く、暗く、どす黒い感情が含まれていた。

 ひとしきり笑った後、インパは船の中に戻り、治療室に向かった。透明のカプセルの中で、銃撃で穴だらけになったウインドが静かに眠っていた。間違いなく死んでいてもおかしくない傷、しかしウインドの状態は安定していた。

 「お前は実験材料だ。あの箱庭から連れ出して、切り刻んでやる。お前の存在は、私の存在意義を抹消する危険なものでしかない。今ここで、細切れにして魚の餌にしてやりたいよ。

 ・・・羨ましいよ、お前が。逆らえない存在がいない、何者にも縛られていないお前が羨ましい・・・・・・」

 インパは治療室から出て行った。ウインドのカプセルには、爪で引っ掻いた様な後だけが残っていた。

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