第6話 マーレとの一日
「おはよーーー!!!」
三日目となると流石に慣れた。ウインドのこの声を聞くと新しい一日が始まると思える。今日も元気よく、晴れやかに過ごせそうだ。
川で身体と顔を洗っている時に、マーレに話しかけた。
「ねぇマーレ、海の事を教えてくれる?」
「構わないが、どうしてだ?」
「私も海がどんなものか知りたいの。それに、マーレの事もよく知りたいし」
「ふふっ、いいだろう。私の知る海の全てを教えてやろう」
朝ご飯の後、リンはマーレに連れ添い浜辺の傍の森で衣服を脱ぎ海に入った。感触は川の水と同じで冷たい。臭いでわかっていたが、舐めて見ると実にしょっぱい。
「海水は塩分を含んでいるから余り飲んでは駄目だぞ。いいか、お前も感覚でわかると思うが海で浮くには肺に空気を入れ身体の面積を海面に多く取る事だ。万が一泳げなくなった時は決して慌てずゆっくりと呼吸をして肺に空気を溜めるんだ。わかったな?」
「はい」
真剣だ。本気の指導に何処か緊張が走り身体が強張る。
「そう固くなるな。何事も力を抜いて落ち着いてみれば危険はない。海は私達が逆らわなければ牙を向く事はない。
よし、沖まで行くぞ。泳ぎ方はわかるか?」
わかる。わかるが、身に覚えもない知識の上でだ。誰に教わった事でもないのに、こう泳げばいいと勝手に判断してしまう。
きっとマーレも同じだろう。一々気にしてもしょうがない。あるものは有効活用すればいいだけだ。
「うん。わかるよ」
「・・・よし。私に付いて来い」
そのままマーレの後を追って泳ぐ事十分、気が付けば家からだいぶ離れた沖の方まで来ていた。
「リン、これからこの海の底に沈む遺跡を見に行くから、充分息を吸い込んで潜水するぞ。・・・この遺跡、私にはどういうものか理解できなかったが、お前ならわかるかもしれないな」
「どう言う事?」
「見ればわかる」
二人は息を深く吸い込んで海に潜った。透明な海は潜っていても透明で、まるで空を飛んでいるかの様な感覚だ。十メートル、二十メートルと潜ると、マーレが言っていた遺跡が現れた。
その遺跡は、巨大で乱立していた。縦に細長く、壁には無数の穴が規則正しく開いている。遺跡の壁に触れて見ると、ある物は石の手触りで、ある物は硬質だが石とも木とも異なる手触りだった。遺跡の中に入って見ると、まるで迷路の様に入り組んでいる。大広間の様な場所もあれば、狭い部屋に座る場所がいくつも並んだ場所もある。階段を見つけ泳いで下の階に行くが、さして変わった部屋を見つける事は出来なかった。
更に深く五十メートルまで潜ると海底に辿り着いた。水草や海藻が生い茂っているが、小さな遺跡が点々と点在している。その遺跡の中は、がらんどうとしているが細長いテーブルが壁に沿って置かれており、いくつかのテーブルと二つの椅子が転がっていた。
(・・・・・・・・・)
違和感を感じた。掴めそうで掴めないもどかしい感じ。垂れ下がった記憶と言う名の細長い糸を掴もうと手が空を切っている感じだ。だがそれは、自分はここを知っていると言う事か・・・?
その後も海底を泳いでいると、海底の砂が巻き上がったのか硬質で平らな岩盤が露になっている場所を見つけた。露になった岩盤には何か書かれてある。書かれてあっても自分にはわからない。しかし、その時頭に鋭い痛みが走り空気を吐き出してしまった。
(まずい・・・!早く浮上しないと・・・!)
急いで海面に浮上しようとするが、肺の空気を失い浮力を失った為中々上へと進まない。頭がボッーとしてくる。泳いでいるつもりで、実は全く泳いでいないのかもしれない。
その時マーレが凄い勢いでこちらに泳いできた。マーレもリンの傍で遺跡を見て回っていたのだ。リンを抱きかかえると口移しで空気を与え、そのまま海面へと泳いで行き一分で浮上した。
「リン!大丈夫か!」
「・・・げほっ!・・・はぁ・・・はぁ・・・ありがとうマーレ、大丈夫だよ」
「そうか・・・良かった・・・。一先ず家に戻ろう」
*
森で休んだ方がいいと言われたが、今は浜辺にいたかったから浜辺に横になっている。マーレはそれ程咎めなかった。負い目があるのだろう。自分が付いていながら危険な目に合わせた事に。
しばらくするとマーレが水を持ってきた。あの木の実を深く削って水を汲める様に改良した器に汲んできた。水を飲むと身体の底から冷えて気分が落ち着いてくる。
「済まない、私が傍にいながら危険な目に合わせて・・・」
「マーレは悪くないよ。遺跡を調べていたら急に頭に痛みが走ったせいだから」
「何?まさか何か思い出したのか?」
マーレはやや勢いづいたが、すぐに咳ばらいをして距離を取った。マーレはリンが何か自分達の事を知っているのではないかと期待しているのだ。
「遺跡じゃなくて、海の底にある文字の書かれた平たい岩盤、あれは「道路」だよ」
「ドウロ?」
「意味はわからない。ただ、そう言う名前であるものだと言う事しかわからないの」
「そうか・・・」
お互い口には出さないが、あれらはおそらく自然に出来た物ではない。意図的に誰かが作ったのだ。しかし、誰が何の為に?それはマーレにもリンにもわからなかった。
「ねぇマーレ、海の事もっと教えて!」
「そ、それは構わないが、大丈夫なのか?余り無理をしない方が・・・」
「・・・無理してるのは、マーレの方じゃないの?」
不意を突く発言にマーレは言葉を失った。
「皆の事、守ったり引っ張ったりするの、マーレだけの役目じゃないんだよ。マーレが全部背負う必要なんかない、何時でも私達の事を頼ってくれていいんだよ。
それに、失敗は誰にでもあるの。一つの失敗を余り気にしすぎないでね。逆にこっちが心配しちゃうから」
「・・・・・・まさかそんな事を言われると、思ってもみなかったな。リン、ありがとう。
海の事を教えてほしいんだったな。私のとっておきの場所に案内してやろう」
再び海に入って行った二人は、家の東側に泳いでいった。水深二十メートル程、海面はやや荒れているが、海の中は美しかった。色とりどりのサンゴが華やかに息づき、そこを住処とする魚達が優雅に泳いでいる。
「どうだリン。海は?」
「とても綺麗。そして、暖かい・・・」
「そうだな。だが、これは海のほんの一部の姿にすぎない。リン、海の真の姿を見せてやろう。かなり深い場所まで潜る。私の身体をしっかりと掴み離れるなよ」
お互いに深く深呼吸をし、リンはマーレの腕を掴み海に潜った。マーレは海の底までどんどん泳いでいく。日の光で照らされた淡い青から、黒が混じった濃い青色に変わりつつある。ふと上を見上げると、海面から見える日の光が僅かな小さな点となって見えた。
青は黒に徐々に染まり、最後には周囲を漆黒の闇が包み込んだ。何も見えない膝桶の海の中、しかし次第に目が慣れてくると周囲の景色が見えるようになってきた。
その景色は、余りにもおぞましく、余りにも凄惨で、余りにも感動的だった。海底に横たわっているのは巨大な鯨の死骸だ。そしてその死骸を取り巻く様に多くの魚や虫が集まり、一種の生態系を築き上げている。肉に張り付き、蠢き、喰らう、生理的嫌悪を抱く様な光景だが、リンには先程のサンゴと同じ様な美しい光景に見えた。
それは生と死の循環。喰らい、喰らわれ、そして死に、新たな命の糧となる。全てのものは自然の中で廻り廻っている。生命の、自然の神秘だ。
その後ゆっくりと上昇し海面に出た時には夕方になっていた。紅色の夕日が海を赤く染めている。まるで、血の様に真っ赤に。
「海は生命の揺り籠だ。触れて感じる冷たさではない暖かみがある。私達が産まれたのはあの不透明な水の中からだが、水と言う事には変わりない。全ての命は海から産まれていると私は思うんだ。
私達は自然と共に生き、自然と共に死ぬ、それでいいと思っている。無駄にしていい命など何一つも存在しない。死ぬ時は、この命を他の命の糧とする、それが生ある者の定めだ。生命を喰らう時は感謝の念を忘れず、余さず全てを喰らうのが礼儀だ。
リン、自然とは暖かく、厳しいものだ。自然を蔑ろにすれば厳しい罰を受ける事になるかもしれない。よく覚えておけ」
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