第8話 恋に落ちた日
「歯は抜かれ、顔は潰されている。それは私怨にも思えるが、死体を解体したことはそれとは全く異なる」
タチバナさんは先生と同じことを言った。それだけでも私は驚いた。
「そう考えると、犯行内容に一貫性がなくなる。一貫性を持たせるには、全てを同じ方向に向けるには、死体を偽装するという目的があったと考えた」
「死体の偽装ですか?」
タチバナさんはタバコに火をつけながら頷いた。
「歯を抜いたのは治療痕から特定されるのを防ぐためだ。顔を潰したのもそれと同じ。ばらばらにすれば背格好が不明になり、同姓である程度年齢が一緒ならごまかしやすくなるだろう?」
なぜだろう。タチバナさんを見ていると先生を思い出す。口調も仕草も全く違うのに、その端々から先生と同じ匂いを感じる。けれど、それがなぜなのか、私には分からなかった。
私は解けない謎をほっぽり出して、タチバナさんの話に耳を向けた。
「東方清三は、自分を死んだ人間にしたかったのさ。脅迫文から逃げるためにね」
「しかし、第一発見者は奥様ですよ。いくらばらばらでも、夫の死体だと見間違えますかねえ?」
「その辺は共犯だったとか、死体を見た時に夫の計画に気がついたとか、そんなところだな」
タチバナさん的にその辺はどうでもいいようで、かなり投げやりにそう答えた。
「さて、どうだ?あたしにお前が殺せないとまだ思うか?」
私は、答えられなかった。
私は、なにも言えなかった。
だって、私は自分を殺せる人間が目の前に現れることをずっと願っていて、けれどそんな人はどこにもいないと思っていて、諦めていた。
なのに、こんな簡単に、目の前に現れたものだから、私はどうしたらいいか分からなくなっていた。
「君がどれだけ死を望もうとも、君を殺せる人間など現れない」
そんな先生の予言が外れてしまい、目の前には私を殺せる人が座っている。私の望みを叶えてくれる人を前に、私の心は冷静さを保てなかった。
「殺してくれるんですか?」
私が聞くと、彼女は答えた。
「いつかね」
タチバナさんは曖昧な返事をして、伝票を持って去った。
残された私の心臓は大きな音を立てて鼓動し、頬がぽっと熱くなった。
あれとはきっとまるで違うのだろうけれど、私はまるで恋に落ちたかのような気持ちだった。
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