第7話 ばらばら談義2

 私は事務所があるビルの一階にある、小さな喫茶店にいた。目の前にはタチバナさんがいて、先ほどと同じタバコをぷかぷかとふかしていた。

「どうした?遠慮しねえで好きなもん頼みなよ」

 タチバナさんはにやにやと笑いながら言った。私はお言葉に甘えてイチゴパフェを頼んだ。

「ほんとに遠慮しないんだな」タチバナさんはそう言ってけらけら笑った。


「なんで気がついた?」

 心臓が跳ね上がったのを直に感じたのは、その時が初めてだった。内臓が跳ね上がる感触は生まれて初めてだったので、余計に驚いてしまった。

「臭いです……」私は怯えながら答えた。「あの車には、あなたを含めて、血の臭いがこびりついています」

 タチバナさんは首を傾げながら「ちゃんと掃除しているんだがな」とぼやいた。


「いえ、普通の人は感じないと思います。私は多分――特別だから」

 自分のことを特別だと言うのは、かなりむずがゆく恥ずかしいことだった。


「特別?」

「職人さんが、普通の人が感じ取れないものを、経験によって肌で感じるように、私も感じるんです。私でも形容しがたいその感覚を、私の脳が嗅覚というものを使って私に伝えているのだと思います」


 私は自分の特技を、そんな風に認知している。血の臭いが分かると言っても、サメのように切り傷で出した数滴の血を嗅ぎ当てることは出来ない。私が分かるのは、人の死が関わっている血の臭いだけなのだ。


「つまり、職人並みの経験値がお前さんにはあるのか?」

 私はこくり、と小さくうなずいた。

「なるほどねえ。どんな経験をしたのか聞きたいところだが、今日はやめておこう」

 タチバナさんは灰皿にタバコを押しつけて火を消すと、それと同時にイチゴパフェが運ばれてきた。

 私はてっぺんのイチゴを最初に食べて、さくさくと砂の山を崩すように食べ始めた。


「でも、たくさん人を殺して罪悪感はないのですか?」

 私はクリームを頬張りながら聞いてみた。いくら私でも殺人犯と、しかも連続殺人犯と話す機会など今までなかったので結構どきどきしていた。

「ないね、まったく」タチバナさんはなんの躊躇いもなくそう言って「野球選手がバットを振るたびに罪悪感を覚えないように、ナイフを振るうたびに罪悪感を覚えることなどないさ」という屁理屈を言った。

「それにあたしはね、殺されたい人間しか殺さないんだよ。いわゆる自殺志願者を、この世から跡形もなく消し去るのさ。そうすれば行方不明者扱いになる。そうしたいと願う人――つまり需要があるから、あたしが供給しているに過ぎないのさ」

 まるで自分が善人であることを信じて疑わないかのように、自信満々な物言いだった。


「嘘ですよね?」

 私ははっきりとそう聞いた。白々しい言葉に、僅かな不快感を覚えていたので、少し棘のある言い方だった。

「なぜそう思う?」

「だって、そのお仕事にはタクシーがいらないでしょう?無差別に人を殺したいからタクシー運転手を扮しているのですよね」

 これは推理とは言えなかった。だって先ほどタチバナさん本人がそのことをほのめかしていたから。


「それを分かっていてなお、驚きもなければ恐怖も抱いていないのか。より気に入った。今すぐにでも殺したいところだ」

 タチバナさんはやはりにやりと笑った。私はその笑顔と言葉を受けて、思わず笑ってしまった。


「私を殺すのは苦労しますよ。普段通りこの世から消すというのは無理でしょう。百パーセント誰かにばれます」

 そう言うと、タチバナさんは目を見開いて、意外そうな顔をした。


「だって私には先生がついていますから」

「先生?」

 私は先生について説明した。私の目の前で起こる殺人を、次々と解き明かす保護者について、まるで自分のことのように自慢した。


「なるほどねえ。でも、あたしだって頭は良いほうなんだぜ」

 私はそんな言葉を、タチバナさんの見栄だと思った。先生のことはちゃんと説明したというのに、まだ勝てると思っていることは、私には負け惜しみにしか見えなかった。

「あ、信じてないな。いいだろう。ちょっと問題を出してごらん。最近あった事件でも、昔の事件でもいいから」

 私は気まぐれに、今日先生が捜査した「ばらばら殺人」について説明した。


「ああ、分かったよ」

 説明を聞き終えてすぐ、タチバナさんはタバコの火を消しながらそう言った。それでも私はまだ、ただの見栄だと思っていた。この見栄っ張りさんめ、と思っていた。


「犯人は東方清三だな。そして被害者は使用人の男性だろう」


 それでも私は、タチバナさんが言ったその真実に驚いた。

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