第4話 ばらばら談義
平日の午前中に、制服姿でタクシーに乗り込んだ私に、運転手は怪訝な表情を示した。説教臭いことはしたくないが、を皮切りに始まった説教を私ははにかみ顔で受け流し、なんとか目的地についた。
そこは民家だった。しかし、民家と聞いて想像するような平凡な家ではなく、豪邸と呼ぶに相応しい建物だった。全体的に白を基調としていて、まるでお城のようだった。
中に入るにはまず鉄格子の門を通らなければいけないというのもまた、非日常感を醸し出し私をどきどきさせた。
こんなことで非日常感を感じる私は、どうやら相当の貧乏性らしい。
ドアベルを鳴らして待っていると自動で門が開いた。私はオートマチックな光景に感激しながら、中に入った。
ドアを開けると笹部刑事が出迎えてくれた。笹部刑事はばつが悪そうな顔をしていた。
「すまない。俺は必死に君を呼ぶことを止めたんだが……」
私は「大丈夫ですよ。慣れていますから」と子供らしい笑みを浮かべて言った。少なくとも私にとって一番無邪気な顔を使って、罪悪感に苛まれている笹部刑事の重荷を減らそうとした。
でも、子供であることをアピールしたのが悪かったのか、笹部刑事の顔はより曇った。
私は雰囲気に堪えられなくなって、事件現場に向かった。
初めて入る家でも、私にはどこで人が死んだのか臭いで分かる。新鮮な血と、渇ききった赤黒い血の臭いを嗅ぎ分けることさえ、私には容易いことだった。
長年の経験によって鼻に染み付いた臭いは取れず、悲しくも無意識に犯行現場へと向かった。
「遅かったじゃないか。待ちくたびれて寝そうになったぞ」
先生は犯行現場に置かれた革張りのソファに寝転がっていた。どうやら死体があったのはソファとはかなり離れているのだが、犯行現場で寝そうになる神経は狂っていると思った。
「あ、これ領収書です。あとで払ってくださいね」
私はタクシーで貰った領収書を差し出した。
「役に立ったらな」
先生は上体を起こしながらそう言って、大きな欠伸をした。
「そもそもなぜ私を呼んだんですか?」
「現場に来ればなにか分かると思ったんだがね、予想以上に汚くて調べたくないんだよ。だから君にやってもらおうと思ってさ」
つまり、汚れ仕事をやらせるために呼んだと……。私はドン引きで溜息すら出なかった。
「慣れているだろう?こういうのは」
まあ確かに、慣れている。私は人の血や死体で、ぎゃーぎゃー騒ぐような純白の乙女ではないないのだから。血で赤黒く汚れた、醜女と言って差し支えない存在だ。
犯行現場は客間だった。二十畳ほどある広い部屋で、床は大理石で敷かれたカーペットは何やら高そうな生地、壁際に置かれた私より二回り大きい食器棚には高そうな和洋の茶器が並んでいる。
高そうなもので囲まれた部屋の南側にある大きな窓際に、死体はばらばらにされて置かれていたらしい。そこにある血の汚れでそう推察できた。
私はかがんで見てみたが、なにも分からなかった。ただ血で汚れているだけに見えた。次に私は部屋中を見て回った。
「あれ?ここにも血痕がありますよ」
先生が寝転がっているソファの下に、数滴の血痕があった。
「ああ、それは多分、被害者が歯を全部抜かれた時の血だろう」
先生は淡々と恐ろしいことを言った。
私はその後も部屋中をくまなく調べまわったが、特に目ぼしい手掛かりを見つけることは出来なかった。
「使えないな、まったく」
先生は溜息を漏らし、私はむっとしながら、先生が座っているソファの向かい側に置かれた椅子に座った。
「先生はどこまで分かっているんですか?」
「おそらく犯人は晴美で間違いないだろう」
誰だろう?と思ったところで、私が事件の概要を何一つ知っていないということに気づいた。興味がなかったから聞いていなかったが、ここまで来たら聞くしかないだろう。
先生の話を要約すると、三日前の午後九時、この屋敷の主人である東方清三さんの遺体を妻の晴美さんが見つける。その時の叫び声で家政婦の和美さんが客間に駆け付け、警察に通報し事件が発覚した。
現場には荒らされた形跡はなく、玄関も窓も鍵がかけられていた。誰かが入り込んだ形跡はない。
被害者の遺体は四肢と頭を胴体から切り離されていた。凶器は鋸のようなものだが、屋敷から凶器になるようなものは見つからなかった。
「凶器が見つからないから、警察も犯人を特定できていないと?」
「というより、容疑者の二人には動機がないんだよ」
動機――ミステリーの世界ではさして重要視されないそれは、現実の世界では大いに意味を持つ。
「でも、ばらばらにはトリックがつきものなんじゃないんですか?」
「そうなんだがね。どうにも釈然としないんだ。もしかしたら快楽の為に解体したというのもあるかもしれない」
快楽殺人者やサイコパスが犯人の場合、私たちの理論的思考は役に立たなくなる。
一度、私の脳細胞が冴えに冴え渡り、先生より先に犯人を見つけたことがあるが、トリックの方は的外れも的外れ、結局はなんの論理的思考も介在しない意味不明なものだった。
探偵にとって一番の敵は、超絶IQの天才犯罪者ではなくて、意味不明なイカレ野郎なのだろう。
そういう意味では金田一少年の高遠遙一も、シャーロック・ホームズのジェームズ・モリアーテイも、先生の敵ではないのだろう。
「では、被害者は相当の恨みを買っていて、そのためにあんな姿にされたと?」
「そうだな、様々な脅迫文を送られていたらしい。これだけの豪邸を建てるほどの金持ちだ、そこらに恨みの一つや二つ買っていてもおかしくはないだろう」
「なのに、犯人は晴美さんだと思うんですか?」
「現場の状況的に考えればね。まあ一番疑わしいというのが結論だよ。どうやらこの家はセキュリティシステムも万全のようだしね。外部犯というのは考えにくい」
「奥さんもまた、夫に対して恨みを持っていたと」
「笹部の話ではそれはないらしいが、人間の感情なんて私には分からないしな」
先生はあきれ顔でふんぞり返り、頭を悩ませていた。
「奥さんのほかに怪しい人は?ほら、家政婦の人とか」
私は思いつく限り話してみることにした。ここにきてようやく、私は間抜けな助手としての力を発揮したわけだ。
「あの人はここに勤めて日が浅く、まだ一週間だそうだ。調べたが七十越えの優しいおばあさんでね、とても犯人とは思えんよ」
先生は珍しく心情的に結論を出した。まあ、私もその話を聞いて納得したが。
「一週間前?ということはそれまでは奥さん一人でこのお屋敷の管理をしていたんですか?大変ですね」
「いや、それまでは五十代の使用人――君に分かりやすく言うなら執事か?が働いていたらしい」
「その方は今どこに?」
「二週間前からバカンスだとさ」
先生はソファに深く座り、首をすぼめてお手上げ状態をアピールしていた。
「やっぱりつまらん事件だったな」
普通の人は先生が負け惜しみを言っていると思うかもしれないが、先生の凄さを知っている私には、先生が純粋に落胆しているように見えた。
「犯人は晴美でいいだろう。凶器は警察が血眼になって探せばでてくるさ」
冗談だとは思うが、先生はそんなことを言った。
「だから、それはあり得ないんだ」
突然現れた笹部刑事がそう告げた。私は笹部刑事の強い言い方に驚きながら「なぜですか?」と聞いた。
「俺は何度か話をしたが、人を殺せるような人物ではない」
所謂刑事の勘というやつだろうか。私はそんな言葉をなぜか信じることが出来た。多分好感度のせいだろう。
「じゃあ、使用人が実はバカンスに行っていなくて、この屋敷にいて殺したとか」
「だとしても、やはりばらばらにする理由が分からん。結局、そこが不明なら意味がないんだよ」
先生は珍しく泣き言のようなものを言った。
「では、もう一度ばらばらにした理由について考えてみてはいかがですか?」
「しかしねえ、このばらばらにして置いただけみたいなものに、理由があるとは……」
「ばらばらにして運んだり、ばらばらにして入れ替えたりするのではないのなら。ばらばらにすることに意味があったんじゃないですか?」
私は消去法によって浮き出ただけの言葉を、先生に言ってみた。なんてことはない、いつも通りの戯言のつもりだった。
でも先生にとっては違ったらしい。
どんな高性能なコンピューターでも、打ち込んだコマンドが間違っていては意味がない。それと同じように、思考の方向性が間違っていたなら、先生だって苦労することがある。
今回のことを説明するならそんな感じだろう。何も毎回、私の助言で先生は推理をしているわけではない。
今回は稀な例、偶然が重なって、先生の役に立てたようだ。
「よし、私はもう少し調べてから帰るから、君はこれで先に帰っていろ」
先生は命令口調でそう言うと、私に五千円を渡した。役に立ったと判断され、行きの分のお金もくれたのだろう。
私はお金を受け取ると「はいはい」とだけ言って玄関に向かった。
靴を履いていると、笹部刑事が重い足取りでやってきた。
「君は、本当にあの女の元にいて幸せなのか?君はなぜ、あの女を選んだんだ」
笹部刑事はなぜか悔しそうにそう聞いた。
そして不意に、あの日のことを思い出した。
先生と初めて会った時のこと。
「私と共に来なさい」
あの時も先生は命令口調でそう言って、笹部刑事がそれを咎めた。
結局、引き取ると言ってくれた笹部刑事の行為を無下にして、私は先生の元に行った。その時のことを、笹部刑事は今でも後悔しているのかもしれない。
「私は後悔していませんよ。だって、人より不幸なのはしょうがなくたって、それを卑下しなくていいのは、とっても幸せなことですから」
先生がそうしてくれた。そんなことを教えてくれた。
不幸でも、不幸なりに――幸せになる方法を教えてくれた。
「私は私のまま生きていきます。その為には、先生が必要なんです」
笹部刑事は、悲しみに満ちた顔で私を見ながら、ただ黙っていた。
気まずい沈黙に耐えかねて、お屋敷を出て行った。
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