『デペッシュ・モード』②
誠は資料を見ながら、考える。
桐原の先手を取るには、次のターゲットを先に知ればいい。そう簡単にはいかないが、行動範囲もなにもわかっていない以上、先回りというのは難しい。
ダメ元ではあったが、イタクァに「黒髪で童顔で知らない?」と訊いてみた。
「んー、そうだなぁ。探偵は、マスカレイド・クラブは知ってっか?」
「あぁ? なんだそりゃ」
イタクァは、胸のポケットから、ネックレスを取り出して、誠の前に置いた。赤い宝石が半分に割られたハートのような形になっていて、イタクァには似合わないな、と誠は思った。
「俺がするんじゃねえよ。マスカレイド・クラブへの鍵だ」
「……いや、だから、そのなんとかクラブってのは、まずなんなんだよ?」
イタクァは、バックバー(バーテンダーの背後の酒棚)から、ウィスキーを取り出し、それをラッパ飲みする。
「ここよりもっと過激なところさ。戦闘狂のイデア患者達が集う賭け闘技場。場所は俺ですら知らないが、正体は受けてる」
その招待状が、これさ、と、先程置いたネックレスを指先で突くイタクァ。
「これが招待状なんですか?」
何かネックレスに秘密でもあるんだろうか、と思い、ネックレスを持っていろいろな角度からジッと見ていた誠に変わり、今まで黙っていたはずみが質問をする。
「あぁ。このネックレス、もう半分を探すとクラブへの道が開ける、らしい。ネックレスをして、しばらく街を歩きゃ、ルールもわかるってよ」
「そのクラブ、桐原深苑のターゲット候補と、何か関係あるの?」
薫はそう言いながら、今度はモスコミュールを注文し、イタクァが酒を作り始める。
「あぁ。そこの人気ナンバーワン、通称『リップ・クイーン』その子が、桐原のターゲットになりそうな感じなんだよ。年の頃は、確かキミらとおんなじくらいかなぁ」
「……そのだっせえリングネームしかわからねえのかぁ?」
誠からの質問に、モスコミュールを薫に出しながら、頷くイタクァ。
「あぁ。なんせ、マスカレイド・クラブは、ここと違って、イデオロギーからのバックアップもない、完全な非合法だ。リングネームだけしかわからんかった」
「そのリングネーム、自分でつけたんかなぁー」
くっくっく、と、喉の奥で笑いを堪える誠。
「さあな。行きたいんなら、そいつを首にかけて、街をぶらつけばテストが始まるらしいぜ」
「……ずいぶん曖昧な。イタクァは試したのか?」
「何が起こるかわかんねえだろ? 俺は店もあるから参加しないことに決めてたから、ネックレスを首にかけたりもしてねえ。誰かに渡そうと思って、ずっと持ってはいたけどな」
誠はネックレスをポケットにしまうと、残っていた酒を一気に飲み干して、財布から万札を三枚抜いて、立ち上がった。
「情報と酒、ごっそーさん」
「またいつでも来いよ」
「この仕事が終わったらな。おら、行くぞお前ら」
誠が席を離れ、その背についていくはずみと薫。そんな誠に
「よぉ探偵! お前、女の子二人侍らせてデートか?」
「ここはおこちゃまがデートするとこじゃねえだろー」
「こないだの件、助かったよ。またお願いするからな」
「探偵ちゃーん、ちょっと私達とも遊んでよぉー」
など、年齢性別バラバラな人間たちが声をかけてくる。
その光景を見て、はずみは、誠がどれだけ深く医療都市に根を張っているのかを察した。
帰る時はエレベーターに特殊な操作はいらず、一階のボタンを押して、三人はマンションの外へ出た。
「……さて。こいつ、多分イデアだな」
マンションの前で、誠はポケットから取り出したネックレスを取り出し、様々な角度からそれを眺める。
「えっ、でも、しばらくイタクァさんは持ってそうな感じでしたよね。……イデアって、そんなに長い間出してられるんですか」
「タイプによる。大したパワーこそないけど、特殊効果と射程距離があるタイプは、ずっと出しっぱなしにしておけたりする。その分、ドツボにハマると怖いけど」
薫はそう言って、誠の持っていたハートのペンダントを横から取って自分も眺める。
誠たちのイデアは攻撃力があり、射程距離もそう長くはないため、持続力は高くない。二人共、出しっぱなしにしていられるのは三〇分ほど。
だが、直接的な攻撃力の無いイデアであれば、かなりの長期間出しっぱなしでいられるし、射程距離もほぼ無限と言っていい。
誠が持っているのも、おそらくそういう
『直接的なパワーこそないが、特殊能力に優れた遠距離タイプ』であることが推測できた。
「おそらく、こいつがマスカレイド・クラブへと案内してくれるんだろうが――正直、する勇気はねえな」
「だ、だったら、イデオロギーに相談するのはどうですか?」
柏手を打ち、ナイスアイデアと明るい表情で語るはずみに、誠はゆっくりと首を振って、そのアイデアが使えない事を示す。
「そいつぁやめた方がいいなぁー……。非合法クラブ、つっても、一応街のバランサーなんだ。イデアを使いたいが、暴れられないからムラムラしてるって連中の受け皿になってるようなクラブを、イデオロギーに調べさせたら、面子にかけて潰しちまう。それで俺の仕事が増えちゃあたまらんぜ」
「はぁ、なるほど……」
「そこが探偵とイデオロギーの違いだな。探偵ってのは融通が効く。マスカレイド・クラブに潜入しても、そこを潰さない動きが取れる。お前だって、もし俺に依頼するって指名がなきゃ、イデオロギーに相談したんだろうが、果たしてイデオロギーがそれを信用して充分な護衛を寄越してくれたかは疑問だな」
もちろん、はずみのイデアは医療都市のデータベースにも登録されているため、イデオロギーがまったく動かないということはない。が、未来を予知するイデアなど先例の無いもの、相談しても暇な捜査員を一人か二人寄越してそれで終わり、なんてこともありえるし、誠の見積もりでは十中八九そうなる。
起こっていない事に対して、とことん弱いのが公的機関だ。何人も巻き込んでおいて、なにもありませんでした、では話にならない。
だが探偵は、未然の調査ができる。だからこそ、イデオロギーという絶対的な権力者がいても、誠は仕事ができるのだ。
何も起こらなくても、依頼料さえもらえれば、それで事もなし。
「……これ、俺がすんのぉ?」
話が落ち着いて、ようやく誠が、手に持ったネックレスに話題を戻す。十中十イデアであるような代物、かければ厄介が訪れる呪いのネックレスなど、百戦錬磨のイデア使いである誠でもしたくはない。
「そ、それは、できれば私がしたいですけど」
「はずみちゃんは駄目だよ。自力で発動できないようなイデア患者がしていい代物じゃないでしょ」
薫の意見には、誠も同意する。
危険なことが起こるのなら、対処できる人間が首を突っ込むべきだ。
「薫は――するつもり、なさそうだなぁ……」
「当たり前。そもそも、あたしは誠に付き合ってあげてるってことを、お忘れなく」
この言葉通り、薫は暇だから誠の探偵業の助手をしているだけで、そもそも彼女は生活費に困っていないので、こんな仕事をする必要がない。
生活費に困っているのは、誠の方だ。
過去の事情で、医療都市から研究協力費として支給される支援金を大幅にカットされているので、危険な仕事にでも首を突っ込まないと生活していけないし、薫に家賃と助手としての給料も払わなくてはいけない。
「……ちっ! わかったよ! 俺がやりゃあいいんだろうがよぉー」
渋々、嫌々、夏休み最後の日、溜まりに溜まった宿題を『お母さんもうあんたの手伝い毎年手伝うのやだからね。やったけど忘れてきました、なんて時間稼ぎもなしだからね』と、手助けどころか逃げ道まで潰されたような顔で、誠はネックレスを首から提げた。
数秒ほど待った。
だが、何も起こらない。
変わった事といえば、何故か誠を見て笑っている女子二人だけ。
「なんだよ?」
「まっ、誠さんが、そういう女の子っぽいネックレスしてるの、似合わないですね……」
笑ったら不味い、という常識をしっかりと持ち合わせているのだろうはずみは、気を許した相手以外には出さないだろう本音を出すという、矛盾に満ちたリアクションを見せていた。
「やーん、かわいいー」
無表情が売りの薫は、しかし唇の端がぴくぴくと動くほど笑うのを我慢しながら、棒読みの感想を聞かせてくる。
三白眼で目つきの悪い、あからさまな不良少年が、おしゃれを気にしましたと言わんばかりに可愛らしい半分に割れたハートのネックレスをしていたは、こうなるのも無理はない。
はずみと薫でなくても「はじめての彼女にもらったのかな?」と訊きたくなるだろう。
「ちっ。変わった事が起こらないのはいいが、これいつまでしてりゃいいんだ?」
「しばらく、それで街を歩けって言ってたでしょ、イタクァは」
「オイオイオイオイオイオイ! ふざけんじゃあねえぞ! この女々しいネックレスして、俺が街ぶらつけってか! 舐められたら商売上がったりなんだぜぇー!?」
誠の仕事は、表と裏を行ったり来たりしている仕事だ。
裏に足を突っ込むとなると、やはり面子というのは大事になる。どんな事態、どんな敵、どんな場合であろうと、それを叩き潰せる男であるという、イメージは欠かせない。
どんな仕事にも、看板は大事だ。
そんな誠が、医療都市において、対イデア患者において、スペシャリストでもある誠が少しでも舐められる事は、それだけ死への確率と、呼んでもいない不幸を呼び寄せる。
「ちっ。だいたい、ハートの半分なんてイカさない趣味だぜ。なんで半分なんだよ? こういうの、普通に街でも売ってるよな? 俺ぁよぉ、こういう、既存の物を崩してみたらいいデザインになっちゃいました、みたいなアクセサリーが好きじゃねえんだよなぁー……」
「知るかバカ。アクセサリーに金を割いた事のないトーシロの意見を聞くほど、業界も暇じゃない」
薫の身も蓋もない言葉に、誠はがっくりと肩を落とした。
それはまるで、アクセサリーの重さが米袋程度になったような光景だった。
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