『デペッシュ・モード』

『デペッシュ・モード』①

 いつもの様に、誠の朝は薫からの罵倒と朝日を浴びるところから始まる。


 そうして、身支度と食事を済ませて、少しだけいつもより早く学校へ向かう途中、遠回りをして、はずみの住んでいる学生寮へと向かう。


 三階建てで、妙に横へ長いマンションのような学生寮の前で、登校していく誠たちと同じ制服を見ながらはずみを五分ほど待つと、彼女が小走りで「おはようございますっ」と言いながらやってきたので、合流して一緒に学校へ向かう。


「よぉ、はずみ。昨日は財布見つかったんかよ?」


 朝日の差す通学路を三人で歩きながら、二人の真ん中を歩くはずみに、にやにやした表情をするはずみ。見つかってなかったら面白いな、と思っているのは、悪ふざけが好きな男子高校生の悪癖である。


「えぇ! 見つかりましたよぉ、しかも、お金に手がついてない状態で! スリの人が、私の財布からお金抜き取って捨てる所を見られて、御用だったんですって」

「へえ、そりゃ、ついてるなぁー」

「荘明さんのファンカデリック、便利だね」


 あたしもやってもらおうかな、と、掌を見つめる薫。


「やってもらうのはいいがよぉ、明日にしろよぉー。今日こそ、スピーク・イージーに行って情報もらうんだからよぉ」

「そういえば、昨日もそんな事言ってましたね。スピーク・イージーって、なんなんですか?」

「簡単に言うと、バーだよ。お前も映画とかで見たことねえか? 酒場には情報が集まる、ってやつ」

「あぁー、聞いたことはあります」

「今日の放課後はちょっと、訊きたいことがあるからそこ行くが、はずみ」


 改めて、真剣な表情ではずみを見つめる誠に、少しだけ彼女はドキッとした。


「いいか、スピーク・イージーはこの街で、ある意味メディカル・タワー以上に重要な場所だ。あそこで暴れたヤツは、この街で生きていく術を失う。お前なら大丈夫だろうが、一応気をつけとけ」

「え、えと、それは一体、どういう……」

「着いたら説明してやる。あんま外でスピーク・イージーの話題は出したくないんでな。必要最低限のこれだけだ」


 今度は違う意味でドキドキしているはずみは、スピーク・イージーについていろいろな想像をしてみた。しかし、そもそもバーという物がよくわかっていないのだ。何も掴めないまま、はずみはモヤモヤを抱え、放課後まで過ごす事になってしまった。



  ■



 誠と薫は、基本的に学校というものにそんなに思い入れがない。


 それなりにクラスメイトと仲良く話したりはするが、依頼によっては自主的に早退したりするし、いつ依頼が来るかわからないので、放課後遊んだりはあまりしない。


 なので、一応依頼中といえど、放課後にクラスメイトと一緒にいるということは、二人にとって新鮮なのだ。


 放課後になり、そんな三人でスピーク・イージーへと向かう。繁華街を他愛の無い話をしながら突切り、誠達がやってきたのは、なぜかとあるマンションだった。


「……バーに行くんじゃないんですか?」

「あぁ、ちょっとわけがあるんだよ」


 はずみの言葉に短い返事をし、誠の先導でエレベーターに乗ると、誠は少し変わったパネル操作を始めた。


 現在一階にエレベーターがいるのに、一階のボタンを押しながら、緊急通話ボタンを同時に押したのだ。


「えっ?」


 現在止まっている階のボタンを押しても、通常、エレベーターは作動しないはずなのに、そう思うはずみの思考とは逆に、ドアが閉まり、地下へ向けて箱が落ちていく。


 パネルを見ても地下などという階数表示がなく、そういう現実離れした光景に、はずみは思わず、誠の制服の裾を掴んで「こ、これって、なんですか?」と、怯えたような目で彼を見上げる。


「スピーク・イージーの意味って知ってるか?」

「え、いや……知らないです……」

「もぐり酒場、非合法な酒場、って意味だよ」

「へ?」

「医療都市ってのはちょいと複雑な事情があってな。一応、この街全体が病院って括りになってるから、酒や煙草、その他娯楽品の輸入が制限されてんだよ」


 イデア患者の立場というのは、決していいとは言えない。

 危険だから隔離しろ、という声が大きいので、医療都市が作られる事になったのだが、そうなると今度は「イデア患者なんて人非人の為に税金を割くな」と言い出し、なんとか環境が整い、イデア患者が隔離される医療都市ができあがると「入院しているのだから煙草、酒なんてありえない」などと、何もわかっていない外野が様々な嗜好品の輸入を禁止した。


 しかし、煙草も酒も、必要な人間にとっては大事な物だ。


「制限されてるからってよぉ、我慢できる人間はそういねえだろ? ここは、密輸した酒と煙草が置いてあるバーなんだよ」

「そ、そんなとこ、大丈夫なんですか……? 治安とか……」

「ここで暴れたらそいつはもう、医療都市じゃ生きていけねえよ。この街で唯一、イデオロギーが羽目を外せる場所だぜ」


 そんな話をしている内に、エレベーターが止まった。

 誠がコントロールパネルの非常通話ボタンを押すと、スピーカーから酒焼けした男の声で『世の中みんな?』と聞こえてきた。


 一体何のことだがさっぱりわからないはずみだが、誠はわかっている。だから、なんの問題もない。


。――よぉ、久しぶり。俺、誠」

『おぉ、探偵かぁ! 今開ける!』


 スピーカーから嬉しそうな声が聞こえると、エレベーターが開いた。

 そこに広がっていた光景に、はずみは一瞬、鼓動が跳ね上がるほど驚いてしまう。


 テニスコートがいくつかすっぽり入ってしまいそうなスペースに、たくさん並べられた円卓を囲んだ酒呑みたち。

 各々が好きな飲み方をして、大声で叫ぶカオスが広がる空間の奥には、バーカウンター。


 まるで西部劇に出てくる酒場。


 誠と薫は慣れた様子でそこを突っ切っていき、はずみは背を丸くして、もともと小さい体を、できるだけさらに小さく見せるようにして彼らについていき、バーカウンターに三人で座った。


「よぉー探偵! 久しぶりじゃねえか!」


 そんな三人を出迎えてくれたのは、身長が二メートル近くはありそうな、肌が浅黒い、スキンヘッドの男性だった。ギャルソンのようなシャツと黒いネクタイを巻いていて、バーテンダーというよりも工事現場でスコップでも振り回していそうな風体だ。


「久しぶりだなぁー、イタクァ。俺、バーボンソーダちょうだい。あ、こっちの小さいのにはコーラでもあげて」


 と、誠は隣に座ったはずみを親指で差す。


「あたしはジントニック」


 誠と薫が頼んだのは、いくら詳しくないはずみでも酒だとわかったが、もう何度も誠の未成年喫煙を見ているはずみは、何も言わなかった。


「なんだよおチビちゃん。探偵と同じ制服って事は、もう一五は過ぎてんだろ? ウチの店じゃ酒は一五から飲んでいいんだぜ? 遠慮せず飲め飲め」


 と、言うよりも、何かを言う前に、ぐいぐいとバーテンダーの男がはずみに酒を勧めてきたから、何も言えなくなったのだ。


「い、いやぁ、だって、二〇歳まで飲んじゃ駄目ですし……。なんで、ここは一五からオッケーなんですか?」

「俺の国が一五からオッケーだからさぁー!」


 そう言って、胸を張り、豪快に笑うバーテンダー。


「あー、はずみ。こいつはイタクァ・アスタ。お察しの通り、外国人。この医療都市の裏の顔だ」

「おぉー、はずみって言うのかい? 探偵の依頼人? あぁー、言わなくていい、言わなくていい。依頼は守秘義務があるんだろう? 俺は秘密は守るし、守ってほしい。だから何も言わなくていい」


 誠はため息を吐いて「酒作りながら聞いてくれ。あと、俺の煙草、もう切れそうだからカートンでくれ」と言って、胸のポケットから煙草を取り出して、火を点けた。


「はいはい。まったく、探偵はせっかちで困るぜ」


 アイスピックで氷を砕きはじめ、へらへらと楽しそうに酒を作り始めるイタクァ。


「昨日起こった殺人、知ってっか?」

「あぁ。物騒な話だよなー。はずみちゃん、薫ちゃん、気をつけなよ? 昨日の殺人犯、女性しか狙わないシリアルキラーって話じゃないか」


 昨日の殺人の詳細までは知らなかった薫は、そこでやっと何かに気づいたみたいに「あぁ、なるほど」と、はずみの顔を見た。


「えっ、その、まさか……」


 薫の視線で気づいたはずみが、誠の顔を見たので、誠は頷いた。


「ちょいとした事情でよぉ、その殺人犯――桐原深苑の情報が知りたい。なんか知らないか?」

「んー……。外で三二人殺しやらかしたやつだろ? 悪いが、まだ目撃証言はないなぁ」


 言いながら、イタクァは、はずみにコーラを出した。


「さ、三二人殺し……」


 現在、桐原に殺される確率が最も高いはずみは、少し身震いしていた。それに気づいていたはずだが、イタクァはそれについて尋ねる事もなく、誠の前にバーボンソーダ、薫の前にジントニックを出した。


 誠は、それを一息で半分ほど空けた。


「目撃証言はないが、ほら、これ」


 と、イタクァは、クリアファイルにまとめられた書類を誠の前に放る。


「あんだよ、これ」

「桐原の被害者になったやつのリスト。昨日の女の子も含め、三三人分。何か共通項があったりするんじゃねえか、と思って、まとめといた」

「……仕事早いな」

「お客様の危機には迅速に、さ。ウチはちょっと悪い連中で成り立ってるからな。かなり悪いヤツには一刻も早く出てってもらわないと」


 誠はファイルを開いて、中を見た。


 初犯の被害者は『宮下七海』


 桐原とは大学の同級生であり、大学で浮き気味だった彼の世話を焼いたというきっかけがあり、桐原大学卒業間際に行方不明となり、数カ月後、近所の廃工場で子宮の無い状態で見つかった。


 爪の間に彼女自身の肉と血が挟まっていた事や、傷口の荒さから、彼女自身が腹を掻きむしって、傷を作ったのだと推測される。


 その後に見た被害者のリストは、基本的に『年齢が一〇代後半から二〇代前半で、黒髪の童顔』というタイプばかり。


「……なるほどね」


 はずみだ。

 誠の中で、きっちり人物像がハマった。

 黒髪のボブカットに、幼いとさえ言えるほどの童顔。年齢は誠と同じ一七歳。狙われる対象と共通項がある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る