『ファンカデリック』⑥

 そのまま三人は、近所の公園へとやってきた。


 路地をいくつか曲がって住宅街に入り、人影のない静かで小さな公園。ベンチとブランコ、滑り台しかないような。

 そのベンチに、誠は占い師を乱暴に叩きつけるようにして寝かせた。


「痛っ! と、年寄りを労らんか……。お前らみたいな若者と違って、年寄りの腰はガラス細工なんじゃぞ……?」

「うっせぇ!! 労ってほしかったらよぉー……労ってもらうなりの行動しろよなぁ……。いいから、とっととはずみにかけたイデア解けコラ」

「そっ、その前に、この手錠を外してもらえると……」

「駄目だ。もうテメーのイデアの患部エイドスも症状もわかってんだよ。手錠があっても、はずみのイデアを解くのに支障はねえはずだぜー」


 がっくりと項垂れ、観念したように小さな声で「……ファンカデリック」と呟き、手にボールペンを出現させた。


「手を出しなさい、小さなお嬢さん」

「はっ、はい」


 はずみが出した手に、占い師は、ボールペンのスイッチ部分から出た紫色の光を照射すると、はずみの手に白い線が浮かび上がってきた。


「これがお前さんに書き込んだ手相だ。簡単に言うと、財産線と運命線を妨害する線を書き込んだっちゅーわけじゃな」


 そう言って、ボールペンの爪部分を掴んで、グリッと捻り、今度は普通にスイッチを押した。


「これで消えたぞ。ほれ」


 また、紫色の光をはずみの手に当てる。

 先程まであった書き込まれた線は、もうない。


「あの……私、多分その不幸の所為だと思うんですけど、財布スられたので、できればそれが返ってくるような線、書けませんか……?」

「なんと。……仕方ない、ワシの責任だものな」

「はずみちゃん、いいの? このおじいさん、腹いせでまた変な線書くかもしれないよ」


 言いながら、いつの間にか薫はラヴィアン・ローズを握っていた。


「もう何もせんよ。ここじゃあカモが牙を持ってる。せっかくいい商売を思いついたと思ったんじゃがなあ……」


 占い師は、はずみの手に、再びボールペンで見えない線を描く。くすぐったいのか、少し身を捩りながら、それを見つめるはずみ。


「ほれ、これで君は運をつかみやすくなった。財布が戻ってくる保証はないが、まあ、きっと何かお金を得るような幸運が来るはずだ。――なぁ、もういいだろう? もう二度としないから、この手錠外しておくれよ」


 これ、すごい窮屈だよ、と言わんばかりに、手錠を填めた張本人である誠に手首を振って見せつける。


「まだ駄目だ。訊きたいことが残ってるんでよぉ」

「訊きたいこと? まぁ、答えられることなら……」


 誠は腰を屈め、占い師の手を拘束している蝋の手錠を掴んだ。彼がイデアを使おうとしても、抵抗しようとしても、何より先に動けるように。


「俺達がテメーを捕まえるまでに、死体を見つけた。あの死体は、テメーが作った不幸の巻き添えで死んだものか」


 誠の後ろで、はずみが息を飲むのがわかった。

 そして、目の前の占い師も、目を見開いて、首を勢いよく振った。


「ちっ、違う! ワシのファンカデリックは、あくまで対象者に対してのみ発動する。だから、ずっと一緒にいた君たちには不幸などなかったはずだ!」


 確かに、誠と薫は傷一つ負っていない。

 面倒な事にはなったが、それは、はずみを守ろうとして、自ら首を突っ込んだからだ。


「……手相というのは、その人間が掴める運命のカタチなんだよ。

 つまり、パズルのピースみたいなものだ。幸せの凸と、手相の凹が噛み合った物を掴んで引き寄せる。

 私のイデアはそれを書き換えるだけ。死体を見たというのなら、私のイデアが、死体を見るという結果を引き寄せただけだ! 不幸も幸運も、本人と環境が大きく作用する。

 さっき、ワシが負けたのもそういう理由だろう!? きっと君は考えたはずだ。あの弾丸から身を守るのなら、その手段が!」


「……丁寧にどーも。あんたが倒せたのが、証拠ってわけね」手錠から手を離し、指を弾いて、蝋を砕く誠。


「もう二度と、あんな詐欺みたいな真似すんな。不幸じゃなくて、幸運を届けてやれよ。迷惑をかけなきゃ、俺らみたいなモンが出てくる事もねえんだからよぉー」

「あ、あぁ……。今度からは、そうさせてもらう。そうだ、小さいお嬢さん」

「はい?」

「ワシのファンカデリックの効果は一日だ。二四時間きっかり。それが過ぎれば、書き込んだ手相は消える。それまでに財布が戻ってこなかったら……まあ、仕方ない。弁償させてもらおう。私は本寺荘明ほんじそうめい。あの辺りで占いをやってるさ」


 そう言って、占い師――荘明は、ゆっくりと立ち上がり、公園から出ていった。


 その背中を見ながら、誠は「やれやれ。あのじいさん、新入りか」と懐から煙草を取り出し、指先で火をつけた。


「え、そうなんですか?」


 はずみは、去っていく荘明と誠の顔を交互に見ながら、今までの会話を思い出す。確かにそれらしいことは言っていたが、あんな老人が? という疑問があるのだ。


「いくつになっても新しい事はあるもんさ。こんな場所に来ても、自分の能力が特殊だと思っちまう新入りは結構いるしよぉ。さっきのファンカデリックだって、俺と薫だけなら正直楽勝で制圧できたと思うぜぇー。あの程度の不幸なら、イデアでどうとでもなる」

「まあ、そうですね……」


 はずみは、自分に襲いかかってきた不幸が誠と薫に降り掛かってくる所を想像してみた。


 薫なら自分に降り掛かってくる物をすべて打ち抜きそうだし、誠なら誰にぶつかられようが拳一発でノックダウンできる。というか、事実していた。


「でも、さっき荘明さん言ってたじゃん。本人と環境が大きく左右する、って。ってことは、あたしか誠だったら、もっとすごかったんじゃない、不幸」


 紫煙を吐き、まるで煙が異常に苦かったかのように、渋い顔をする誠。


「はずみが対象で、、ってことかぁー……?」

「うわー、その言われ方、なんかちょっとカチンと来ますね」


 そんなはずみの言葉に、思わず誠は吹き出してしまった。それもまた、はずみの癪に障ったのか、彼女にしては珍しく、眉間にシワを寄せていた。


「おめーもたくましくなったもんだなぁ。今日の不幸ラッシュで、ちょいと揉まれたか」

「はは……そうかもしれないですね……」


 力なく、乾いた笑みを浮かべるはずみは、先程まで荘明が座っていたベンチに腰を下ろした。

 ちょうどその時である。誠のスラックスに入っていたスマホが、鳴り出した。取る前から電話の相手がわかる。


 どうせ、真子さんだ。


 呟きながらスラックスからスマホを取り出すと、やはり画面に映っていたのは真子の名前。


「はい、誠」

『とっととさっきの現場来なさい』


 それだけ言うと、電話はあっさり切れた。

 スマホが鳴ってから、誠は先程死体を発見した現場に来るよう言われていたのを思い出した。


「はぁー……。めんどくせえ、晩飯食えるのいつになるんだか」

「さっきの事情聴取?」


 薫が立ち上がろうとしたので、誠はそれを掌を突き出して制止した。


「あぁ、ちょっと真子さんとこ行ってくる。けどまあ、二人共現場見ないようにしてたろ? 俺だけで充分だろうし、そろそろ暗くなる。はずみ送ってってくれ」

「わかった。それじゃあはずみちゃん、私と一緒に晩ごはん食べて帰ろう」

「そ、そうですね。すいません、誠さん。お先に失礼します」

「おぉ、気ぃつけて帰れよ」


 そう言って、誠達は公園を出て、互いに反対の道へと別れていく。薫とはずみは学生寮への道。そして誠は、殺人現場への道。



  ■



 もうすっかり空は濃紺に染まり、地面には建物から照らされる窓からの明かりや、街灯の明かりが注がれ、街は夜の顔になっていた。


 そんな中を誠は我が物顔ですり抜け、先程死体を見つけた路地へ。


 大まかな場所は覚えていたが、細かくは覚えていなかった誠でも、その場所はすぐにわかった。野次馬が周囲を囲み、パトカーなどが近くに止まっていて、深緑の駅員めいた服を来た連中が行き来していたから。


 その深緑の服を着ている連中はイデオロギー。制服ですぐにわかった。

 野次馬を掻き分けていくと、黄色いテープで進入禁止と囲まれている路地の入り口までやってくることができた。


 なので、誰かが入ってこないようにと見張っている制服の男に、声を掛ける。


「あの、すんません」

「ん? ――あぁ、誠くんじゃないか。小松先生がお待ちかねだよ。さっ、どうぞどうぞ」


 と、テープを少し持ち上げ、誠を迎え入れてくれたので「ありがとうございます」と頭を下げ、現場に入った。背後からのあいつは何者だ、と言いたげな視線が鬱陶しいし、真子に協力しすぎてイデオロギーに顔を覚えられているのも面倒だった。


 これじゃあ悪いことできねえなぁ、と嘆くしかない。


 薄暗かった路地裏は、些細な証拠も見逃さないためか、かなり強い明かりのスタンドライトがいくつも被害者が倒れていた位置を照らしていた。


 倒れていた形にロープや、証拠品の位置を強調する番号札も置かれていて、今まさに捜査が行われているのだというのが見てわかる。


 この生々しさが、誠は少し苦手だった。


 怖いとかではない。人が死んでいた場所がこうなるという無慈悲さのような、あるいは冷たさのような物が。


「おっ、来たね誠」


 死体が転がっていた場所を覗き込むようにしゃがみこんでいた真子が、誠の気配に気づいて、コンクリートをハイヒールで鳴らしながら歩いてきた。


「ちっす、真子さん。まさか一日に二回会うことになるとは」

「あんたの事件に遭遇する率の所為でしょ。んで? わかった事は」


 誠は、周囲を見渡し、ぽつりと「他殺、それも、多分被害者と親しい男が犯人、だと思う」そう呟いた。


「根拠は?」


「被害者の腹に開いた穴。

 ありゃあどう考えてもイデアの仕業っすよね。腹にでけえ穴が開いてた。あれを自殺でやる理由がねえ。で、多分あの人がかけてたエプロン、勤め先の制服かなんかでしょ。

 名札がかかってるエプロンなんて職場でしかしねえ。

 ってことは、休憩中、誰かに呼び出されてここに来た。女が路地裏に警戒無しで来るなら、少なくとも、いざって時ボディーガードとして期待できる、信頼の置ける男、ってことじゃねえスか? 

 ……普通に考えりゃ。被害者が持ってたイデアにもよるけど」


 誠にも、この推理が脆いことはわかっているし、これが正解だと思って言っているわけではない。誠が持っている情報で、これがもっとも確率が高い、というだけの話。


「まあ、誠の推理は、半分正解ってところかしらね」

「半分?」

「まず、彼女はボディーガードなんて期待しなくてもよかった。彼女のイデアは『ホワイト・ストライプ』白と黒の剣を持った、二メートル近い甲冑の人形を召喚するっていう症状を持ってた。担当医の話では、単純なパワーだけで言えば結構強い、らしいわよ」


 頭の中でその人形を想像しながら、頷く誠。確かに、強いだろう。搦手で攻めてくるイデア使いは、本体が近くにいればそれだけで逆転の一手に繋がる。


 だが、単純なパワー型ほど、崩すのは難しい。


 自分が搦手で攻めるか、あるいは、それを上回るパワーを持つか。


「正解の半分、ってのは?」

「バイトの休憩中に呼び出された、ってとこ。彼女は近くにある梅松書店っていう本屋に勤務していて、休憩に入って少しコンビニに行ってくると言ったきり、戻ってこなかったと店主が証言してるわ」

「……一緒に休憩入ったやつは?」

「いないわ」

「ふうん……。って、あれ?」


 頭の中で、真子から言われた事を反芻していると、誠はおかしな事に気づいた。


「あのさ、真子さん。俺の正解したとこって、バイトの休憩中だった、ってとこだけっつったけど……。犯人の目星、ついてんの?」


 頷いて、真子は胸元からスマホを取り出して、スリープを解いて、画面を見せた。そこに映っているのは『異常! イデア患者の凶行!』とド派手な煽りが書かれたネットニュースのサイトだった。


「んだよ、こりゃあ」

「十年前、イデア患者はその理解度の低さから、誰しもに狂気と凶器をもたらす病だと思われていた。誠は知ってるでしょ? 狂気に染まるのは、実際のとこ、ステージが進行した一部のみ」


 イデア患者そのものが少なく、さらにステージ4ともなれば、貴重な才能と言ってもいいほど存在しない。


「けれど、彼が起こした事件が、イデア患者のイメージにトドメを差したと言ってもいい」


 誠の脳裏に、じゃりじゃりと砂を噛んだような音と共に、過去の記憶が蘇ってきた。

 外での記憶。まだ、自分が普通だった頃の記憶。

 それを振り払うように、誠は首を振った。


「……何やったんだよ、こいつ」


 スマホをしまい、まるで不味い肉を吐き捨てるように、真子は呟く。


「連続殺人。殺害人数、三二人。被害者は全員女性で、皆、腹に穴が開いていた。犯人の名前は桐原深苑きりはらみその。イデア患者史上最大の快楽殺人者」

「……ステージ4、か」


 真子は、路地の奥に向かって歩き出す。

 ちょいちょい、と人差し指で誠を呼び、誠も、それに従って奥へ向かった。奥には捜査官達がいない。つまり、周囲の捜査官達に聞かせたくない話をしたいのだ。


「桐原の最大の特徴は、その殺し方」

「……必ず腹に穴開けてく、ってやつか」

「そう。しかも、それをどうやってか、被害者の女性自身にやらせてる。時には素手で、時には被害者自身が持っていた刃物で」

「……ちょ、ちょっと待ってくださいよ真子さん。イデアでやったのか、それ」

「多分」

「たっ、多分? そんだけの事やらかしてんだ。キケロにいたんだろ? それとも、こんだけのことが起こってんのに、キケロの連中はまだ面子にこだわって、情報を寄越さないっつってんのか! データベースに、桐原の症状くらい――」

「……いえ、その、もっと重大な問題よ。こっちが恥ずかしくなるくらいの」


 予測ができなさすぎて、怖くなるほどの沈黙の末に、やっと真子は、口元を隠して言った。


「キケロの連中、忘れた、って言い出したのよ」

「……はぁ?」


 思わず素っ頓狂な声を出したが、誠は気を引き締め直し、真子の目を真っ直ぐ見つめる。


「すっとぼけてるだけでしょ、そりゃ」

「それが、そうでもないのよ。データベースに残ってる記録まで、最初からなかったみたいになくなってる。脱獄した患者が一体何人いるのかすら、今じゃ把握できない」

「今までキケロの連中が黙ってたのって――面子云々の前に、忘れてて答えられなかった、ってのが原因ですか」

「そう、なるわね……。ほんと、忘れたで済むんならあたしいらないっつーの」


 胸のポケットから煙草を取り出そうとして、真子は、舌打ちをしてその手を引っ込めた。殺人現場で煙草を吸わないくらいの常識は、彼女にもある。


「それで、なんでそいつぁ女の腹に穴開けてんスか。その殺し方にこだわる理由、わかってないんスか」


 真子の表情は、まるで、道端で潰れたゴキブリでも見るようなもので、その表情がどうして出るのか、不謹慎ながら、誠の好奇心が煽られる。


「やつはどうも、女性の子宮を抜き取っているらしいのよ」

「子宮って……」


 腹の中にある臓器。誠は下腹部に手を置き、その痛みを想像してみる。だが、子宮は女性にしかない臓器。誠にはないので、いまいち想像しきれなかった。


「なんだって、そんなことを」

「さぁ……。人格汚染の影響だと思うけど……」

「どんなイデアかわからねえってのはな……。凶悪犯ほど強いイデアと酷い人格汚染を持ってる場合が多い。できれば、事前に症状が知れた方がいいんだがなぁ」

「……それよりも、もっと大事なことがあるわよ」


 誠がなんのことか考えていると、答えが出るよりも先に、真子はまっすぐ、誠の目を見つめて言った。


「……もしかして、はずみちゃん、桐原に殺されるんじゃない」


 突風が誠の体を突き抜けていった。心臓が跳ねて、思わず、死体があった位置をマーキングしているロープを見てしまう。


 あそこに転がっていたのが、未来のはずみだと言うのなら、誠がそれを許せるはずがない。


「いくら医療都市と言えど、殺人はそう起こるもんじゃない。だとしたら、殺されると予言し、そのタイミングで脱獄した凶悪犯がいるのなら、そいつがはずみちゃんを殺すと考えるのが妥当。――違う?」

「……いや、俺も真子さんの意見が正しいと思う」


 今後の方針が決まった。誠は、真子の背中を軽く叩いて「情報ありがとうございます」と言って、入ってきた方とは反対の方から、路地を出る。


 確定ではない。


 しかし、可能性が一番大きいのは桐原深苑がはずみを殺すというパターン。

 決め打ちで動くのはよくない、が、どちらにしても放ってはおけないし、目に見える危険なら排除しておくのは、はずみの為になる。


 桐原深苑の一刻も早い排除。

 今夜から、その目的で誠は動く事になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る