『ファンカデリック』④
その後、回転寿司屋につくまで、はずみはまるで誰かに狙われている裏組織からの脱走者みたいに(誰かに狙われている、というのは間違っていないが)、周囲を気にしながら、おどおどしていた。
ボックス席に着いても、大丈夫かな、大丈夫かなと周囲を気にしていたので、薫が「そんなにおどおどしなくても、偶然だから大丈夫だよ」と、隣に座ったはずみの肩に手を置き、励ます。
「そうだぜぇー。こういうのはよぉ、腹減ってるからネガティブに捉えちまうんだよ。たっぷり食え、たっぷり」
言いながら、誠はテーブルの端に置かれていた注文用のリモコンを操作する。
「俺ぁ好きなもんは先に食って、最後にも食うタイプでよぉ、甘エビだよ、甘エビ。それから――イワシと、かっぱ巻き。ほれ、二人も頼め」
はずみは、誠からリモコンを受け取って、眺めて、ぺたぺた指で画面を触る。
「私は……たまごと、茶碗蒸しと、いくら……。あ、あと烏龍茶ほしいです」
「卵カテゴリばっかりだね」
「いやぁ、好きなんです、たまご」
横から、薫がはずみの持っていたリモコンを操作する。
「マグロ、うに、漬けまぐろ、っと」
「オメーこそよぉ、そのメイン級を初っ端から行くの、どうかと思うぜー」
送信ボタンが押されたリモコンを、薫が充電器に戻した。
備え付けのウェットティッシュで手を拭きながら、はずみはお茶用の蛇口を見つける。
「あっ、二人とも、お茶飲みます?」
機嫌が戻ってきたのだろうはずみが、にこやかな表情でテーブルについた蛇口のボタンを、湯呑で押した。
「あぁ、うん。ありがとう」
薫の分を渡すと、次いで、誠の分を注ごうとする。
回転寿司に行き、お茶用のお湯が出るあの蛇口を使った事のある人間はみんな知っている。妙に堅く、時に柔らかくなるあのスイッチが、とてもやっかいだと言う事を。
はずみが湯呑でそのスイッチを押した瞬間、力を入れすぎたのだろう。湯呑が滑って、はずみの手を離れた。
「うぉ、っとぉ!」
それを、誠がさすがの反射神経でなんとかキャッチする。
だが、湯呑を失うと、湯を受けるのは、はずみである。正確には、彼女の手だ。彼女の手に、思いっきりお湯がかかった。
「あつッ!」
勢いよく注がれた水が、はずみの手を焼いた。
焼いたと言うと少し大げさではあるが、彼女の手が少し赤くなった。
「だ、大丈夫か!?」
「すいませーん、冷たいおしぼりとかありますか? 氷でもいいんですけど」
慌ててはずみの手を取り、状態を見る誠とは反対に、冷静に近くを通りかかった店員に冷やす為の物を注文していた。
「うぅ……なぜ、どうして……」
「あぁ……まあ、なんだ。そういうの、よくあるよな」
誠が、どういう表情をしていいのかわからないのか目を反らしながら、ぼそぼそと独り言のように呟く。
「俺もさ、遅刻寸前で家出て、学校手前くらいで腕時計忘れたことに気づいてよ。取りに戻ったら遅刻確定時間になってて、学校行くの諦めた事あるもんな。あるよなぁ、そういう事よぉー」
「私はそんな時でも、学校行きます……」
「お前みたいな怠け者と一緒にするな」
はずみと薫から、不謹慎な事を咎めるような視線を受け、誠は「俺が悪かったよ」と、しぶしぶ言って、頭を下げる代わりに右手を小さく振る。
「すいません、こちら冷たいおしぼりです」
と、やってきた店員が、はずみにおしぼりを渡した。
「ありがとうございます。うぅ……」
「よぉ、やけどになってねえかぁ?」
「大丈夫です。ちょっとひりひりするくらいで」
「それから、こちら烏龍茶です」
店員が、長いグラスに入った烏龍茶をはずみの前に置こうとした、その時である。
今度は店員の手が滑った。持っていたのは、もちろん烏龍茶のグラス。落ちる先は、はずみの頭上。
「痛っ!」
グラスが頭に落ち、そして、はずみの髪を濡らした。
その光景には、さすがの誠も、薫も、店員でさえも唖然としてしまった。だが、店員は唖然としている暇ではない。自分のミスで、客の頭に烏龍茶をぶっかけてしまったのだ。
「すっ、すいませんお客様! すぐ拭くものをお持ちしますので……!」
「謝らないでください……」
はずみは項垂れ、自分の膝を見つめながら呟く。なんだか不幸を背負いすぎて、その重みで上を向けなくなっているようだった。
「私の不幸の所為で、ミスをさせてしまって……」
「おいおいおい……」
「これは……ちょっとやばいんじゃない……」
誠と薫は、アイコンタクトで相談を一瞬の内に済ませる。
「店員さん、悪いが注文は全部キャンセルだ。いいな?」
勢いよく立ち上がった誠。それに続くように、薫もはずみの腕を掴んで立ち上がった。
そうして店の外に出ると、ずぶ濡れになったはずみを薫が引っ張りながら、どこかへ向かって歩いていた。その後ろで誠がザ・キラーの力を使って自らの手をバーナー(指先から勢い良く出したガスを電熱で着火)にしてはずみを乾かす。
「どう思う、誠」
「さっきの占い師ンとこ戻るぞ。あの野郎がイデア使ってる可能性がでかいしな」
「これ、イデアなんですかね……? ただ、不幸なだけなんじゃあ……」
「あの占い師に触られてから不幸が襲いかかってきたろ。これ見逃すようじゃ、医療都市では暮らしてけねえぜー」
そう言って、誠は小走りで、元来た道を戻る。はずみの手を引き、薫もその後を追う。モタモタして、これ以上何か不幸が襲って来られても困る。だから、一刻も早く、イデアを解除させなくてはならない。
「あんな小さな不幸で済んでる内はまだいいがよぉ、こっからどんどん不幸が大きくなったりとかしたら、正直洒落にならねえ!」
だから急げ、と、体力の少ないはずみを鼓舞するように、誠は叫んだ。
そうして、背後を向いていたから気づけた。はずみの頭上に、植木鉢が降ってきた事に。
「薫ッ!」
誠の叫びと、その視線で、薫も植木鉢に気づいた。彼女がするべきことは一つ。
「ラヴィアン・ローズ!」
ラヴィアン・ローズで、はずみの頭に落ちてきた植木鉢を粉々に打ち抜き、すぐに巻き戻す。
先に地面へ落下した欠片に向かって植木鉢が修復されていくため、すでに地面へ落ちた状態で直った。はずみに一切の傷をつけず。
「い、今の……明らかに不幸のグレードが上がってる。まずいよ、誠」
「あぁー……。路地裏だ。路地裏通って行こう。できるだけなにもないとこを」
そう言って、誠は近くの路地裏に入る。シャドウズ・フォールとの戦闘を思い出し、少しばかり舌打ちが出てしまう。
「ちっと遠回りになっちまうがよぉ、路地裏で起こる不幸なら、そうそうでかいもんがあるとは思えね――」
言いながら、路地裏の奥へ目線をやった誠が、固まった。まるで時でも止められたように動き出さない。
はずみと薫も、誠が見ている方を見る。
そうすると、二人も止まる。それだけのインパクトがある物が、そこにあった。それを物と言っていいのか、少し迷うところではあるが、とにかく、物。
倒れている、女性だ。
しかし、死んでいるのは遠目でもわかる。なぜなら、彼女は自らが流したのだろう血の海で漂っていたから。
「はずみっ! 目ぇ閉じろ! 見るんじゃねえ!」
先に見たからか、誠が一番に衝撃から立ち直り、叫んだ。その言葉に、次いで意識を取り戻した薫が、はずみの顔を抱き寄せて視線を遮った。
「薫、そのままはずみに見せないようにしてろ。俺は近寄って、調べてみる」
「あっ、あれって、し、死体……ですか?」
しかし、思ったよりも落ち着いているはずみ。
誠は「お前って意外とたくましいんだなぁー」と、感心したように頷いた。
「い、いえ……何回か誠さんの死体見てる内に、なんか慣れちゃって……。あの、薫さん、柔らかいんですけど、苦しいんで……離してもらっていいですか?」
「いや、薫、そのままだ。あの血の量、相当な怪我を負ってると見て間違いねえ。俺のドタマに開いただけの死体とは、ショッキング度が違う」
「おっけ」
薫は、はずみの頭を「おー、よしよし、いい子でちゅねー」などと言いながら撫でている。
彼女なりのユーモアではずみの緊張を和らげようとしているのだろう。
誠は、周囲に犯人が潜んでいるだろう可能性を考慮して、ゆっきり近づき、その死体のそばまでたどり着くと、しゃがみ込む。
まずは首に手を当て、脈を確認する。が、当然血の量から考えてわかった通り、すでに死んでいた。
年齢は二〇後半から三〇前半。エプロンをつけていて、胸に名札があった。「佐竹陽子」誠は知らない人間だった。
腹部から血が流れていて、そこに致命傷があるのはすぐにわかった。見れば、どうも腹に穴が空いているらしい。腹部を穴が空いている。貫通はしていない。かなり苦悶の表情をしているところから、即死ではないようだった。
「――さっきの占い師の仕業か……? いや、それがマジかはともかく。こりゃあ、さすがに真子さんへ報告しねえとな……」
誠はスマホを抜いて、真子へと電話をつなぎ、耳に当てる。忙しいと言っていたのを疑いたくなるほど早い二コールで電話は繋がった。
『もしもぉーし。小松真子、反対から読んでも『コマツマコ』でぇーす』
「あれ、ほんとだ! 気づかなかった!」
長年の付き合いがある誠が今更知った衝撃の事実による驚きは、目の前の死体を見たことで一気にかき消された。
「いや、そうじゃあねえよ真子さん。俺、誠」
『なによぉ、さっき別れたばっかで、もうあたしの声聞きたくなったの?』
「そうじゃあねえっつの。事件だよ。死体を見っけた」
電話の向こうから、空気が張り詰めたような雰囲気を察した誠は、やっと聞く気になったかとため息を吐いた。
「年齢は二〇後半から三〇前半。名前は制服なのかわかんねえけど、エプロンにかかってた名札から佐竹陽子。腹部に大きな穴が開いてる。貫通はしてねえみてえだ」
『場所は』
「メディカルタワー近くにある回転寿司屋のすぐ近くにある路地裏。詳しい事は俺のスマホのGPSを追ってくれ」
『了解。すぐイデオロギーを向かわせるわ』
「俺はちょっと、はずみがイデア攻撃食らってるんでよ、そいつぶっ倒さなくっちゃいけねえんだ。事情聴取が必要なら後にしてくれ」
『はあ? ――わかった、必ずよ』
誠は「ありがとう」と言って、電話を切った。
「薫! そのままこっち来い。はずみに死体見せないようにここからバックれんぞ! 真子さんに通報しといたからよぉ」
頷いて、二人は社交ダンスのような足取りで、ゆっくり誠の方に歩み寄ってきた。その光景を見て吹き出しそうになってしまい、誠は、自分が毒されすぎているのを自覚する羽目になってしまった。
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