『ファンカデリック』③
「ラヴィアン・ローズはどう? 最初はただの拳銃だったけど、巻き戻しが開花した以来、何かできることは増えた?」
「そう、ですね……。弾丸の回転数と方向、弾速が操れる様になりました」
「へえ。拳銃使った事ないけど、それって便利なの?」
「かなり」
表情に乏しい薫が、少しだけ誇らしげに、大きく鼻息を吐いた。
真子は、まだ持ったままだったラヴィアン・ローズの弾倉を手の腹で回す。チキチキチキと小さく何かが弾ける音がして、空の弾倉が回る。
「そっか。んじゃあ、先月から変わりなし、っと」
ラヴィアン・ローズを薫に返し、パソコンの画面に表示されたカルテに、キーボードで診察結果を書き込んでいく真子。
「そいじゃ、定期検診終わりっ。薫ちゃん、誠を起こして」
「はい」
薫が頷くと、誠の傷から弾丸が飛び出してきて、飛び散った血が誠の頭に戻って、傷が塞がり、誠がゆっくりと、デスクに突っ伏していた体を起こした。
「くっそ……。死んでも洒落で済む能力ってのはやだぜ、ほんと」
「何度見ても、死んでた人が普通に話す光景に慣れそうもないんですけど……」
顔を真っ青にして、口元を抑えるはずみ。普通の女子高生だった彼女にはしんどい光景だろう。
「んで? 定期検診は終わったのかよー」
「終わったよ」
薫は、手元のラヴィアン・ローズを消して、立ち上がる。それに続いて、誠とはずみも立ち上がろうとしたのだが、その時、診察室のドアがノックされた。
「どーぞー」
真子が招き入れると、診察室に、少し長めの黒髪をセンターで分けた、身長が高く痩せた男だった。黒縁のメガネに黒いタートルネックと、ベージュ色のチノパン。その上に白衣を羽織っている事から、真子の同僚であることがわかった。
「あれ? 一ノ瀬さん、なんでここに……」
その男性医師は、ぽりぽりと困ったような顔で、頭を掻いた。
「く、九条先生こそ」
奇遇ですねえ、というような、ふにゃりとした笑顔を見せるはずみ。
それを見て、誠は「あぁ、担当医か」と察した。
別に興味がなかったので、誠は頭を下げて、診察室を出ようとした。しかし、何故か、九条と呼ばれた男が、「あなたが高城くんですね!?」と、誠の肩を掴んで止めた。
「は? そっ、そうスけど……」
「いやぁ、光栄だなぁ。僕は
「……はあ、それで? なんか用スか」
「僕、小松先生から、高城くんの話を聞いててですねえ。いやぁ、すごいですね! 数々のイデア犯罪を、その若い身でありながら止めてきた、医療都市唯一の探偵! 興味深いですよねえー」
面倒くさそうな顔で、完十の握手に応じる誠。そして、真子に「何くっちゃべってんだあんた」と一瞥をくれた。
「いや、あのね、こっちも依頼あるんで、もう行っていいスか?」
強引に握手を打ち切り、誠はそそくさと診察室から出た。あの手のタイプは苦手だ、と一人愚痴りながら。
「どーもすいません。また後日、お話聞かせていただけたら嬉しいです!」
ではまたー、と、室内から声がする。
年の頃は四〇近いだろうに、どうも落ち着きがない。ここにいるということは、きっと彼もイデア患者なのだろう。
誠はそれだけ考えると、遅れて出てきたはずみと薫と合流し、メディカルタワーを出た。
時間は夕方になろうかというほどで、さすがに護衛対象を、殺されるかもしれない人間を暗くなる時間に連れ回すのは、常識的にありえない話だった。
「はずみ、もう用事ねえか? ねえなら、どっかで飯食って帰ろうぜ」
「あ、はい。私はもうないです」
そんなわけで、誠達三人は、街をはずみの住んでいる寮へと向かって歩いていた。
「明日はよぉ、放課後になったら、とりあえずスピーク・イージーに行こうかと思ってんだけどよ」
誠の言葉に、少し不安げに薫がはずみをちらりと見た。
「大丈夫なの? はずみちゃん、連れてくつもりなんでしょ」
「えっ」
その一言は鈍いはずみでも、スピーク・イージーという場所が、危険な場所だと察するに充分な言葉だった。
「あぁ。けどよぉ、医療都市で一番情報が集まるのがあそこだろ? 最近街に出てきたイデア患者の情報、できれば欲しいしよぉ」
「スピーク・イージー、それって――」
訊こうとした瞬間、はずみの視線が目の前に釘付けになって、立ち止まった。
「あぁ? どしたぁー」
はずみの目から視線を追い、彼女の見ている先を突き止めると、そこには、占い師がいた。
占い師だとすぐにわかったのは、あまりにもステレオタイプな占い師だったからだ。歩道の端っこに机を置いて、提灯を揺らしながら、白髪頭にシワがたっぷり掘られた木みたいな老人男性が茶色い着物を着て、なにやら棒状の物をしゃりしゃりと手で擦っていた。
「うわぁ、すごい! あんなわっかりやすい占い師、初めて見ましたよ」
「ほんとだ。あんなの、居たっけ?」
薫は、腕を組み、訝しげに占い師を見つめる。
「私、占いって好きなんですよー。ああいうの、一度やってみたかったんです」
「ふぅん」
誠は興味なさげに、占い師を見ようともしない。
「あれっ、誠さんはあんまり興味なさそうですね」
「そりゃあなぁ。男で占い信じてる方が珍しいんじゃねえのか?」
「そういうものなんですか。私、ちょっとやってもらおうかな」
気持ち早めに歩き、はずみは占い師の前に立って「すいませーん」と笑顔で、占い師の前に座った。
「ほっほっほ。どうしました、お嬢さん」
人の良さそうな笑顔を見せ、しゃりしゃりとこすっていた棒を机の上に置いた。
(未来のわかるイデアを持ってるやつが、占いってのも、変な光景だなぁー……。まあ、任意発動できないから、逆に未来が気になる、ってのかなぁー)
「えっと、どういう占いで、一回いくらなんですか?」
「あぁ、私は手相を見るんだよ。一回五百円さ」
「なるほどー」言いながら、はずみはブレザーのポケットから、小さなピンク色のエナメル製二つ折り財布を取り出して、占い師に五百円玉を渡した。
「はい、結構。それじゃあ、左手を出してね」
占い師は、そうして差し出されたはずみの左手を、じっと見る。
「なあ、薫。なんで手相見ると、その人の事がわかる、なんて言うんだろうな」
はずみが手相を見られている後ろで、暇な誠は、隣に立つ薫の肩に自分の肩をぶつけて、耳打ちした。
「さぁ。ほんとかどうかはともかく、太陽の黒点で景気を占ってたって話もあるし、それが自分の体にあると思えば……まあ、自分の運勢とか、わかりそうって思っても、わからないではない、けど」
そんな話をしていると、占い師が渋い顔をしていた。
「あぁー、お嬢さん、こりゃだめだ。君、ちょっとついてなさすぎるねえ……」
「ええっ!?」
「ご覧よ」
と、占い師は裾からボールペンのような物を取り出し、はずみの手相を撫でていく。
「あのね、ここ、この小指と薬指の下辺りを流れる線。これね、感情を司るんだけどね、君ぃ、ちょっと短いんだよ。ノリがいいけど、そそっかしくて、焦りやすいから、ケアレスミスをしやすいんだよ」
「「あぁー……」」
後ろで、誠と薫が同時に額を手で叩いた。
「「あぁー」ってなんですか! 「あぁー」って!」
「どうやら、お友達は思い当たる節があるみたいだねえ。あとね、ここよ、ここ」
小指の下辺りをなぞる占い師。
「ここに財産線がないからね、君……金運には恵まれないね」
「そっ、そんなぁ……」
「あっ、あと、君結婚生活上手くいかないね。なんかこう……別れそうで別れない、みたいな、気まずい空気が流れ続ける家庭になりそうだよ」
「なんか……生きてるのが嫌になりますね……」
がっくりと肩を落とすはずみ。だが、占い師は、いやらしいんだか人がいいんだかわからないような、微妙な笑顔で「大丈夫」と言って、机の下から、何かを取り出した。
「これ、開運の御札ね。一枚、一万円。月に一枚買ってもらったら、どんどん運勢が上がって――」
「おらっ、はずみ行くぞ」
誠は、はずみの脇の間に手を突っ込んで、赤ん坊を持ち上げるみたいにして彼女を立たせる。
「わひゃぁっ! ま、ままま誠さんっ! 変なとこ触らないでくださいよぉ!」
「おい、じいさん。こいつが馬鹿っぽく見えるからって、そんな変なもん売りつけようとすんじゃあねえよ。医療都市でそんな詐欺まがいの行為、悪いイデア患者がひっかかったら、あんたみたいなじいさん、ぶっ殺される可能性だってあるんだぜ」
「いや、これは詐欺じゃ――」
だが、誠は最後まで占い師の話を聞かないまま、はずみを引きずってその場を離れた。
「はっ、離してください誠さん! 私は買うんです! 御札買って幸せになるんです!」
「あの手相占い、当たってるかもね……」
深い溜息を吐く薫。ジタバタ暴れるはずみを抑える誠。その光景は非常に視線を集めているが、誠と薫は気にしない。どうせ周囲の人間は「人格汚染」の一言で納得する。
「馬鹿かお前はよぉー。なんであの札買ったら幸せになれんだよ。幸せになら、俺がすぐしてやっから」
「ほえ?」
はずみの動きが止まる。
もう暴れねえだろうな、と思いながら、そっと羽交い締めにしていた手を退けた。
「飯、奢ってやるよ。焼き肉か? それとも、寿司か」
「い、いいんですか?」
「あぁ。ま、嫌な事は美味い飯食って忘れて、どかっと寝りゃいいんだよ」
「誠さん……」
「ごちでーす」
薫が小さく頭を下げた。
「あぁ? お前もかよ! ……ま、いいや。とっとと行こうぜぇー。はずみ、なに食いたいよ」
「そ、そうですね。お肉よりはお魚の方が」
「んじゃ、寿司か。回転寿司で我慢しろよー」
「はぁーい!」
繁華街は、人が溢れていた。誠が「はぐれねえように着いてこいよぉー」と先を歩き、はずみが「子供扱いしないでくださいよ!」などとプリプリ怒りながら、薫と一緒に誠の後ろを着いていく。
「気にする事ぁねえよ、あんなもん、なんの根拠もねえんだ。占いってなぁ、いい事だけ信じてりゃあ」
「……さっきの占い、いいとこ一切なかったですけどね」
「他人に人生の指針なんて訊くもんじゃねえ、ってこったなぁー」
「なんですかそれ……わっ、す、すいません」
はずみは誰かと肩をぶつけたらしく、誠がちらりと、肩越しに後ろを向く。その瞬間、誠は表情を険しく変えて、勢いよく振り返り「待てコラァッ!!」と、はずみにぶつかった男性の肩を掴もうとした。だが掴めず、追いかけようとするも、状況をわかっていないはずみが邪魔で追いかけられなかった。
「薫っ!」
仕方なく、はずみの隣を歩いていた薫に呼びかけるも、薫は「ごめん、影になって見えてなかった……」と、小さく頭を下げた。
「ど、どうしたんですか、誠さん?」
「……お前、財布あるか」
「そりゃ、ありますよぉ。ちゃーんと、ここに……」
はずみがニコニコしながら、ブレザーのポケットに手を突っ込んだ。間違いなくそこにあるはずだった。それは、誠と薫が二人そろって確認しているし、はずみも、制服を着ている時はブレザーのポケットに入れるのが常なのだが。
「あれっ、あれ!? な、ない! ないです、私の財布!」
「ちっ! あの野郎……。視界の端で、右手が透明になった気がしたけど、見間違いじゃなかったか……」
「それって……」薫が、もう見えなくなってしまった、スリの歩いていった方向を見つめながら呟く。
「あぁ。スリの常習犯で、イデオロギーの逮捕リストに載ってた野郎だ。確か、病名は『D-SIDE』右腕の物体透過率を操る能力だったはずだ」
つまり、透明になった右手で服の中を探り、財布をスッていくというのが、彼の犯行である。
「って、ことは、私の財布って……」
「戻ってきても、金が抜かれてる可能性は高いなぁー……。現金以外には手をつけないらしいからよ。しばらくすりゃあ、現金の入ってない財布が届くって」
「……現金が一番大切なんですけど」
言っていて、誠も「そりゃそうだわな」となったので、それ以上は何も言えず、はずみの肩を二度三度ぽんぽんと叩くだけに終わった。
「御札、買っといた方がよかったんじゃない?」
少し心配そうに言う薫だが、誠にしてみればそんなのはありえない話だ。
「おいおい。不可思議現象はイデアだけで充分だろぉー。あんな心霊っぽいもん信じてどうすんだよぉ」
「や、やっぱり……御札、買ったほうがよかったんですかね……。買いに戻りますか!?」
「馬鹿。偶然だっつーの、偶然。この医療都市じゃあ、結構ある事だ」
「私、ほとんどイデアが使えないような一般人なのにぃ……」
半べそをかくはずみ。確かに、誠でも同情してしまう。誠は戦闘向きで任意発動できるからいいが、はずみは戦闘向きでない上に任意発動できないのだ。イデアも持たずにこんな人外魔境に来るのは、誠でも遠慮したいことだ。
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