『ファンカデリック』②
医療都市は、人工浮島という事もあって、広さはそれなりにあれど、高いビルはそう立っていない。合っても三階建てが限度、なのだが、その例外として、島の中心にそびえ立つ『メディカルタワー』という物がある。
真四角の柱のような形をしたビルであり、六〇階建て。医療都市で唯一の医療機関であり、イデオロギーの詰め所であり、医療都市内にあるあらゆるセキュリティ――監視カメラや防犯システムなどの管理も行っている場所であり、人工浮島の地理的なバランスを取る役目も担っている最重要建造物だ。
そしてイデア患者は、月に一度、ここで担当医に検診を受ける事を義務付けられている。
階層ごとにセキュリティ管理エリア、医療エリア、イデオロギーエリアと三つに別れている。一階のエントランスから、行きたい場所ごとに別れたエレベーターに乗り、そこを目指す。混雑することが多々あるメディカルタワーには必要な仕組みである。
まあ、一般患者の誠達はIDカードを持っていないので、それが必要なセキュリティ管理エリア、イデオロギーエリアには入れないのだが。
そうして、医療エリアの最下層、ビルの階数で言うと二九階でエレベーターを降りた。
そこは普通の病院という感じで、白で統一された空間に、待合の椅子が並び、受付カウンターがあった。
カウンターで、誠と薫は保険証を出し「小松真子先生に、誠と薫が来たって伝えてください」と受付を済ませ、待合の椅子に座って待った。
「なんか最近、こうして待ってばっかな気がするなぁー」
誠がそうぼやくと、はずみが顎に人差し指を当てながら
「あぁ、そういえば、銀行でもこんな風にして待ってましたね」
「また人狼が来たりして」
クスクスと意地悪く笑う薫。
「冗談抜かせ。ここぁ医療都市で一番セキュリティの堅い場所だぜ。キケロだってこの地下にある。ここで暴れる馬鹿はいねえって」
言いながら誠は、そういえばキケロだってセキュリティ堅いんだもんな、と思い出していた。なんだか自分がすごく不吉な事を言ったような気になった。
そんな話をして、少し待つと、カウンターから「高城誠さん、風早薫さん、二番の診察室へどうぞー」と受付嬢の声。
「今日はあんま待たされなくて済んだな」
「病院って、なんか無駄に待たされるよね」
誠と薫の言葉に、はずみは「さすがに通い慣れてるんだなぁ」と、少しズレた感想を抱きながら、二人の後についていった。
診察室に入ると、そこには、デスクに座ってデュアルディスプレイのパソコンと必死ににらめっこしている小松真子がいた。
何故か、右目にはバニラ・ニンジャが装着されていて、顔面の右半分が凍っていた。
「ひうっ!?」
そして、それを見て、小さく悲鳴をあげるはずみ。
「んっ? あぁ、来たなーまこかおコンビとはずみちゃぁーん」
真子が椅子を回して、三人に向かい合って笑顔で手を振った。バニラ・ニンジャを装着したまま。
「それだと、真子さんと薫のコンビみたいになるじゃないっスか」
「誠と真子で、まこまこコンビ……」
ぼそりと呟き、にやっと笑う薫。
だが、それとは対照的に、はずみは震えながら真子を指差した。
「なっ、なななななんで顔面が凍ってるんですか!?」
「あれっ、バニラ・ニンジャ発動させちゃってた。ごめんねー、集中すると出ちゃうのよ」
フッと、顔の片眼鏡と氷が消した。
「そんな癖、直しましょうよ……」
「んな事やってっと、いつかパソコン凍らせまスよ」
「大丈夫大丈夫、凍らせる、って思わないと凍らないから」
「え、えと……?」
何がわからないのか、さっきからずっと首をかしげっぱなしのはずみ。そんな彼女を見て、真子は笑顔で手を差し出した。
「はじめまして。あなたの事は、誠から聞いたし、噂でも聞いてるわ。あたしは小松真子。二人の担当医で、イデオロギー第三分隊の隊長やってるわ」
「た、隊長……」
「そっ。誠にイデア戦のいろはを叩き込んだのが、このあたし」
「ま、誠さん、昔はイデオロギーに居た、とか?」
窺うような上目使いで、誠を見るが、誠は嫌そうな顔で「そんなわけねえだろ」とため息を吐いた。
「あたしはそうなってほしいんだけどねえ。楽だし」
物欲しそうに、期待するような目で、真子は誠の肩に手を置いた。
あぁ、こうなるから嫌そうな顔だったんだ、とはずみは納得した。
「え、えと、バニラ・ニンジャって……?」
「はずみちゃぁーん。いい? イデア患者に、イデアの事をあんまり尋ねるのは、エチケットに反するわ」
「そうなんですか?」
頷く真子。
「自衛のためにも、あんまりイデアの事を人に話すのはよくないわ。信頼できる人にくらいなら、言ってもいいけど」
そう言いながら、真子はなぜか、バニラ・ニンジャを発動させた。
「けっどぉー。あたしはやっさしいから教えちゃうわぁー。あたしのバニラ・ニンジャの症状、見たものを凍らせることができるのよぉー」
「で、でも、私達、凍ってないですよ?」
「そりゃあ、あたしが手加減してるから。でも、ちょっと寒いでしょ?」
はずみは、腕を摩りながら「確かに……」と呟く。
「注視すればするだけ、凍らせる強さを操作できる。だっかっらぁー」
真子は白衣の胸ポケットから、ボールペンを取り出すと、それをジッと睨んだ。かと思えば、一瞬でビキビキと音を立てて凍り、それを割ってみせた。
「わっ」
「こういう事ね。さっ、それじゃあ早速、定期検診はじめましょ。実は時間がないからねー」
「まだキケロの連中から情報引き出せないんスか?」
誠は、部屋の端に置いてあった丸椅子を三人分引っ張ってきて、薫とはずみを座らせた。
「地下暮らしの連中は性根まで暗くってやんなっちゃう! 何言っても「うちの問題はこちらで解決します」なんて言ってさぁー!」
誰のものまねなのか低い声で、目を細める真子。
まるで子供のような駄々のこね方で、相当ストレスを貯めている事を察した誠は、これ以上突っ込まないことに決めた。
「それじゃあ、お二人さん、服脱いでー。まずは聴診器ですよぉー」
「「はーい」」
誠と薫は、返事と共に、服の裾に手をかける。
だが、脱げなかった。慌てて、はずみが「ちょっ、ちょっと!?」と、隣に座っていた薫の手を掴んだ。
「……どしたの」
「ど、どしたのって、まっ、誠さん、お、男……」
「知ってるけど」
「そ、そうじゃなくて、だ、男性の前で脱ぐんですか……?」
はずみの言葉に、誠と薫は目を合わせ「あぁ」と同時に言った。
「今更だなぁ。昔っからこうしてるしよぉ。時短でいいだろぉ? パートナーの健康状態も知れるしよぉ」
「あたしは別に気にしないし……」
「い、いいのかなぁ……」
少し納得はいかなかったが、しかし、薫がいいと言うのなら、はずみが止める理由もなかった。と、言うより「これ以上余計な事言って遅らせるな」という真子の少し怒ったようなオーラを感じたので、何も言えなくなった。
はずみは、それからじっとして、定期検診を見ていた。
一体何をするのか興味があったからだ。
最初の方は、喉を見たり、聴診器を当てたり、問診があったりで、はずみも風邪のとき、似たような事をしたなと思うような、ありふれた物だったが、後半になると、誠と薫にイデアを取り出すよう真子が指示して、二人のイデアを受け取ると、それを様々な角度から見たり、軽く叩いてみたり、能力に関する質問をしたりと、イデアそのものの診断に入った。
「ザ・キラー、何かできることは増えた?」
と、真子が、ザ・キラーを撫でながら、誠を見ず訪ねた。
「いや、発電ができるようになってから何も無いっスねえ」
「薫ちゃん、誠に人格汚染の疑いは?」
「いえ……呆れるほど普段通りです。いっつも言ってますけど、一人で生活できないのが人格汚染なんじゃないですか」
「かもねえ。誠のザ・キラー、対人戦には抜群な割に、人格汚染が進んでないっていうのが、一医者として、ちょっと気になるところではあるんだけど」
「あ、あの……いいですか?」
と、はずみが手を挙げて問診に割り込んできた。
「ん? どしたの」
真子は、にこにこ笑いながら、はずみに顔を向ける。
「その……イデアが進むと、人格汚染? っていうのが進む、んですよね。でも、結構その、進んでない人が多い、っていうか……」
「まともな人が多い、って?」
言葉を選ぶはずみに、その意図を看破したように、少し吹き出す真子。
「あっ、いえ、そういうんじゃ……」
「んー、人格汚染って聞いて、はずみちゃん、日中から「ゔぇーゔぇーゔぇー」とか言いながらチャリンコ漕いで、鈴鳴らしまくってるおっさん想像したんじゃない?」
「いっ、いや、もう少しマイルドです……」
「まぁー、それに近い人もいるっちゃいるけどねえー。人格汚染って、そんなわかりやすいもんじゃないわよ、基本的に」
そうねえ、と、真子は自分のこめかみを人差し指でノックして、例を取り出す。
「誠は極端な例なのよ。ほっとんど人格汚染が見られないし」
「えっ」
はずみはそう言われて、薫を見た。彼女からすれば、薫にもほとんど人格汚染など見られなかったからだ。
「あぁ、薫ちゃんは、代表的な例よ」
「ちょ、ちょっと真子さん、その話は……」
言ってほしくなさそうな薫が口を挟むが、それを誠と真子のまこまこコンビが「まあまあまあ」と止めた。
二人揃って、似たようにニヤニヤしている辺り、同じ事を考えているのだろう。話したら面白くなりそう、というような。
「人格汚染って、見た目に頭がおかしくなるような物じゃないの。もちろんそういうパターンもあるけど、基本的に、何か特定の物に反応したり、特定の状況になると感情が膨らんだり、って感じなの」
「薫さんも、そういう感じなんですか……」
言いたくなさそうにしていたし、訊くのも悪いなと思ったのだろう。はずみは、それから口を開かったのだが、勝手に真子が口を開く。
「薫ちゃんはね、依存っていう人格汚染なの」
「い、依存……?」
はずみの勝手なイメージではあるが、薫は何かに依存するようなタイプには見えなかったので、表には出さないが、結構驚いていた。自立していて、かっこいい。それが短い付き合いで薫に抱いていたイメージ。
「依存って、何に……?」
「んっ」
と、真子は誠を指差した。
「へっ? ま、誠さん……?」
「そうなんだよ。まぁ、ちょいとここら辺は薫の過去に繋がるし、それ話すと殺されるから、詳しくは言わねえがよぉー」
誠は言いながら、薫の頭を乱暴に撫でた。殺される、という話が、はずみには冗談に聞こえなかった。ラヴィアン・ローズの能力なら、殺しても巻き戻せるのだ。そのまま数時間死にっぱなし、ということもあり得る。
「薫ちゃんは俺の事となると、顔色変えるもんなぁー?」
意地悪く、ニヤニヤと笑いながら、薫の頭を洗うようにゴシゴシと撫でる誠。
うつむき、顔を耳まで真っ赤にしながら「ラヴィアン・ローズ……ッ!」と呟き、手にバラの刻印が彫られたリボルバーを取り出し、それで誠の頭を撃った。
ズドン、と、思い切り何かを叩きつけたような破裂音がした瞬間、誠はこめかみから血を吹き出して、デスクに倒れ込む。
「ひっ、ひぃぃぃぃ……! い、生き返るとわかってても、この時は本物の死体なんですよね……? 怖いですよぉ!」
「問診が終わったら巻き戻す」
顔を赤くしたまま、そう言う薫を見て、はずみは「誠さんのことになると顔色変えるって、ほんとなんだなぁ」と納得していた。
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