『バニラ・ニンジャ』

 気絶したウェイターの手首と足を蝋で拘束し、地面に寝転がせ、誠は路地裏から出ないまま、ある人間を待っていた。


 煙草を二、三本吹かして、ザ・キラーの使いすぎでまた減ってしまった腹を撫でながら。


「おっせぇーなぁ」


 呟いた時、路地の入り口から「社会人で医者だと、そう簡単に出てこれないのよねえ」と、苦笑したような声が聞こえてきた。


 路地から、外の明かりで後光が差したような立ち位置で、腕を腰に当てて立っている女性こそが、誠と薫の担当医、小松真子こまつまこである。


 黒髪のポニーテールに、女性にしては長身の一七〇センチほどの身長と、大きな胸を包む縦セーターに黒いミニタイトスカート。その上から白衣を着込んだ、絵に描いたような女医だった。


「チッス、真子さん」


 吸っていた煙草を握りつぶし、手の中で燃やしつくして、誠は立ち上がり、頭を下げた。


「あんたねえ、未成年喫煙、いい加減やめなさいよねえ」

「いいじゃないっすか、こっちはイデオロギーが零した仕事してんスから。見逃すのも、報酬の一つ、ってことで」

「はぁー……」


 真子は、自分の白衣から、煙草を取り出して、咥えた。それを見て、サッと自然な仕草で、誠は自分の人差し指から火を出して、煙草に火を点けた。


「んで? どうなの、一ノ瀬はずみちゃんって子のイデア。あの子の差金で、銀行に居合わせたんでしょ?」


 真子は、害性存在者制圧部隊イデオロギーという、医療都市においての警察組織の幹部であり、街で起こったイデア犯罪にはほぼ必ずと言っていいほど関わるポジションにいる。だから、誠たちが現場に居合わせた事も、銀行の監視カメラで見て知っていたのだ。


「はずみのイデア、知ってんスね」

「あったりまえでしょーが。未来がわかるイデア、ステージ4よ? いくら担当医ごとに患者の守秘義務があるっていっても、それが研究意欲を上回ったら噂広まるわよ」


 まだイデアがどういう経緯で発症するのかはわかっていないので、医療都市の患者達には研究への強力が義務付けられている。


 わかっているのは、患部と呼ばれる、能力を司る道具をどこからともなく取り出せる事と、超常的な力を扱えるようになる事、そして、その能力は、大なり小なり精神、体に影響を与える事くらいだ。


 誠は、能力を使えば腹が減るし、

 はずみは、能力を使うと人格が変わる。


「んで? あんた、なーんで一ノ瀬はずみちゃんと一緒にいたのよ? 友達、だったっけ?」

「いや。依頼人っスよ」

「……依頼?」

「ええ。あいつのイデア、ミス・ムーンが予言したらしいんス。自分が殺されるって。その未来を変えたかったら、俺に依頼しろ、だそうで」

「――面白そうな話ねえ、それ」


 真子は、クスクスと笑い、紫煙を吐いた。


「まあ、俺もそう思ったから受けたんスけどね」

「んー……でも、そうなると、誠には言っといた方がいいかもしれないわね」


 何かを考え込むように、真子は一瞬だけ誠から目を反らし、彼に煙草を放り投げた。


 それを危なげなくキャッチして、掌で燃やすと「嫌な予感がするンすけど」と、嫌そうな顔をする誠。


「依頼に関係ありそうなんだから、黙って聞きなさいよ。誠は、は知ってる?」

「ま、名前くらいは」


 キケロ。

 外、あるいは医療都市内部で重犯罪を起こしたイデア患者が入る、医療都市の地下深くに存在する監獄である。


 何人もの、人を閉じ込めること、あるいは、戦闘に長けたイデア使い達が存在する、この世で最も警備が堅い監獄である。


「キケロから――何人かのイデア患者が脱獄したのよ」

「はっ?」


 いや、いやいや、と、誠は首を振った。


「こ、この世で最も堅い監獄ッスよね?」

「そう。おかげで、内々で解決しようとしてたキケロの連中から情報を引き出すのに苦労してんのよ。今までミスしなかった、なんてプライド、ミスした後となっちゃあ意味ないのにねえ……」


「……何人か、ってのは? まさか、具体的に何人脱獄したかとか、そいつらの名前とか、わかってないとか?」

「教えてくんないのよ、キケロの連中。おかげで、こっちはパトロール増やしたりとかしなきゃいけないし、キケロとの交渉もしなきゃいけないし」

「だから俺にこの仕事回したンすか……」

「これ、一応機密だから、薫ちゃん以外には言わないでよ」


 助手だし、彼女は知っといた方がいいでしょ、と、真子は人差し指を唇の前に置き「しーっ」のポーズ。


「ちなみに、こいつは?」


 と、誠は足元で寝転がって気絶している、ウェイターを指さした。顔面が血まみれで、前歯が何本が抜けていて、スプラッター映画の死体みたいになっている。だが、医療都市ならこの程度の怪我、万札が一枚か二枚あれば治る。


「違うみたいよ。ただ魔が差しただけの初犯、だと思う」

「あっ、そうスか。キケロからの脱獄犯なんて、かち合わない事を願ってまスよ」

「私が困ったら頼んじゃうもん。あーあ、誠がイデオロギー入ってくれたら楽なんだけどな」

「勘弁してくださいよマジで。俺、そういうきっちりかっちりした感じの苦手なんスから」

「大丈夫、手柄上げて出世したらなんも言われないから」


 苦い顔をする誠。この女、マジでやってるからな、と。

 彼女、小松真子は、32歳の若さにして、医療都市の中でも強者揃い、イデオロギーの幹部なのも、あらゆる特権的な振る舞いが許されているのも、彼女が強く、何人ものイデア犯罪者を逮捕しているからなのだ。


 その内の何人かは、誠の手柄でもあるのだが。


「……さって、私はそろそろ仕事に戻ろうかな。キケロの連中をはっ倒してでも、どういう連中が何人逃げたのか聞き出さないと」

「ちょ、待ってくださいよ真子さん」


 呼び止めた誠に、なぜ呼び止めたのかわからない、というような顔をして首を傾げる真子。


「いや、報酬。ザ・キラーの使いすぎて腹減ってるし、ついでに飯奢ってくれると助かるなー。俺、今日もう三食も摂ってるから、できれば金使いたくないし。あっ、お気に入りのジャケットもこいつに切られちゃったんで、その分も請求しまスね」

「えー……ち、ちなみに、総額いくら?」


 誠は、指折り数え「こんなもんスね」と、指を六本真子に見せた。


「ろ、六千円……?」

「ふざけんじゃあないッスよ! ジャケットがそもそも三万なんだよ!」

「こ、今月はキツいから、勘弁してもらえない?」

「経費で落とせばいいじゃないっスか……」

「だ、だめよ。今月だけで何回誠に依頼したと思ってるの? その分、サボってるのバレちゃったのよぉ。しかも、こいつキケロからの脱獄犯じゃないから、経費落ちないの」

「関係ないっスねー俺にゃあ。探偵動かすのにタダなんて、話が甘すぎっスよ」

「お願い! 経費で落ちるときまで待って! 今月は通販で買い物しすぎたの!」


 はぁ、と、誠はため息を吐いて「わかりましたよ」と頷いた。他の依頼人ならこんな甘いことはしないが、しかし、真子には小さい頃から世話になっている。その借りを返していると思えば、待つことくらいなんでもない。


「ほんと!?」

「できるだけ早くしてくださいよ。こっちだって、余裕のある懐事情じゃないんスから」

「大丈夫大丈夫!」


 何度も頷いて、胸を叩く真子。


(俺が言うのもなんだけどよぉー……この人も大分お調子モンだよなぁ……)


 内心、呆れながら、それをおくびにも出さない誠。そもそも、真子は誠の親代わりなので、誠が彼女に似たのだが。


「ん……んーっ……?」


 そのとき、二人の足元から、息が漏れるような声がした。


「こっ、ここは……」


 先程、誠が倒し、気絶していたウェイターが意識を取り戻し、周囲を見回す。


「あっ、てっ、てめえ……!」


 ウェイターは、誠を睨みつけ、手足をジタバタと暴れさせた。まな板の上の鯉、である。


「よぉ、起きたか。――んじゃ、真子さん、後は頼まぁ」

「はーい。誠、足の拘束解いてよ。あたしの細腕じゃあこいつ抱えてはいけないわよ」

「……」


 何かを考え込むように、誠は顎をさすり、ニヤリと笑った。


「いいっスよ」


 ちなみに、ウェイターの足はシャドウズ・フォールを発動できないように、両足首から先をすべて包み込むように蝋で拘束している。


 それを、誠は指を鳴らし、蝋を砕いた。

 当然、ウェイターは驚いた。彼の能力なら、逃げることはたやすいし、正直言って、真子は彼の目には弱そうに写っている。


「俺ぁもう、カロリー使い切ってるから、イデア使えないし、真子さん、気をつけてくださいよ?」


 それを聞いて、ウェイターは、今しかない、と、地面を押し、勢いよく立ち上がり、バックステップで誠と真子から距離を取った。


「バカかお前ら! この顔面の礼は、その内、たっぷりさせてもら――」


 しかし、今は逃げるのが先決。

 だから、彼は影に潜り、できるだけ遠くへ逃げようと思っていた。しかし、何度やっても、影に潜れない。


「なっ、なんで――」


 足元を見ると、足元が、凍っていた。まるでスケートリンクのようにまっさらな氷。路地裏全体が、凍っていた。その氷が、影とウェイターを阻み、症状の発揮を阻止していた。


 誠の症状じゃない。だから、思わず、彼は、真子を見た。真子の顔、右半分が、いつの間にか装着されていた片眼鏡を中心に、凍っていた。



 真子がそう呟くと、ウェイターが一瞬にして、氷像と化していた。ファンタジーでしか見ないような、でかい氷に閉じ込められた人間の像である。


「ヒューッ! さすが、『氷の貌アイス・メイカー』って異名は伊達じゃないっスねえ。久々に見たっスよ、真子さんのバニラ・ニンジャ」


 そう言って、わざとらしく笑いながら、拍手する誠。そんな彼の魂胆など、真子はすべてわかっているのか、誠の頭に軽くチョップをぶつけた。


「あんたねえ、いたずらもほどほどにしときなさいよね? ――ま、氷漬けにした方が、押して運べるから便利っちゃ便利だけど」

「はーい、すいませんね」


 けけけ、と笑いながら、誠は真子に手を振って、路地を後にした。

 お気に入りのジャケットを破られたのだ。氷漬けにくらいなってもらわないと困る。

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