『ウルフシェイム』②

「「えええええええええッ!?」」


 同時に叫ぶ三人。


 それを引き金に、周囲の人間もその人狼に気づき、あっという間に周囲が阿鼻叫喚の渦という図を描いた。


 反射的に、誠と薫の二人は椅子の影に隠れるよう床へ腰を降ろす。固まったままであるはずみは、誠に首根っこを掴まれ、椅子から引きずり降ろされるような形で床に落ちた。その様は着地に失敗したカエルのようでもある。


「たっ、高城さん……。なんか、私の扱いひどくありませんか……?」

「気のせいだ」

「そんなことどうだっていいよ」椅子の影から、その人狼の挙動を見守る薫。そのリアクションにははずみも納得いかず、「よくないですよぅっ!」と小声で精一杯怒鳴る。だが、本人に怖さがまるでないので、薫は特に気にした様子もない。


「……あれ、イデア患者? マジで? ファンタジーの世界から迷い込んできたヤツじゃないよね」

「イデア患者に間違いねえよ、ほれ」そう言って、誠が人狼を指さした。


 その人狼は、一足飛びで受付カウンターに飛び乗ると、バックを行員に差し出している。


 女性行員は、目の前で起こっている光景がよくわかっていないのか、声をあげずに大粒のナミダをこぼし、そのバックを受け取り、大慌てで金を収めている。誠からはよく見えないが、人狼は手元にあるあらゆる機械をこじ開けているようだった。


「ほんとだ。あの手際、人間だ」

「……どうする? 俺らには関係無いし、ほっといてもいい気がすんだけどよぉ」

「なっ、なに言ってるんですか高城さんっ。いいんですか見逃してっ! あの人、殺しをするかもしれませんよ! 倒さないと!」

「そこぉ!! るっせぇぞ!!」


 はずみの大声は行内に響き渡っており、当然、それを聞きつけた強盗は、三人を怒鳴りつけた。若い男の声だ。誠達より一つか三つ歳上ほどの。


 そんな人狼の怒鳴り声を聞き、少しムカついたというのもあるが、殺しをする可能性があるというはずみの言葉を無視できるほど冷たい人間でもなかった誠は、「しゃーない」と呟き、『ザ・キラー』を発動させ、バットを握った。


「薫、援護頼むわ」

「りょーかい」


 無表情で頷く薫の右手には、回転式拳銃(S&W M686)が握られていた。


「……おいそこ! テメエら、何してる!?」


 人狼は、誠と薫の不信な動きから、二人が逆らうつもりであるイデア患者であることを察した。

 そして、


(こいつらを先に始末しておかないと、後々面倒な事になる。自分の安全の為に、最悪殺す事も覚悟しなくちゃならねえ)


 彼はそんな決断を人知れず行い、人を殺すための心構えを作った。

 飛び出し、喉を抉って、それで終わり。自分の力を過信した男は、その単純すぎる計画が身を結ぶと思っていた。けれど


「行くぞ、ケモノヤローッ!!」


 飛び出したのは、誠が先だ。

 この差は、人狼が『殺す』という一大決心をする小さいけれど大きな時間の間に、誠が特に何も考えていなかったという、単純な理由で成り立った。


 しかしそんな差は、人間相手であれば致命的だったかもしれないけれど、人狼と人間では小さすぎてほとんどあってないような物だ。


 誠がまだ加速段階に入るか否かという時には、人狼がすでに目の前に居た。筋力、リーチ。すべてを上回っているのだから、当然とも言える。


 一瞬驚きさえしたが、やることは変わっていない。人狼は腕を振りかぶり、誠の喉に鉄さえも切り裂ける爪を突き立てようとした。


 しかし誠の背後から飛んできた弾丸に中指の爪を剥がされ、悲鳴を上げたのは人狼だった。指先から脳天へまっすぐ伸びてくる痛覚の雷に脳を貫かれ、その原因を見ようとしてしまった。その小さな隙を、誠は見逃さない。


 バットを思い切り両手で握りしめ、まるでボールを打ち上げるみたいに、人狼の顎をフルスイングした。


「ぬ、ぁ――!」


 その衝撃はただ硬い物が叩きつけられたというだけでなく、そのインパクトと同時に電気による痺れも襲ってくる。


「相手のイデアもわからないのに突っ込んで、油断しすぎ」

「ちっげえよ!! 薫ちゃんを信じたまで! 愛してるぅ!」


 誠は、背後を振り向かないまま言い訳を捲し立て、バットを持っている右手とは反対の左手を人差し指と親指以外握りこみ、人狼の肌を摘むように押し付ける。


 その瞬間、指と指の間に火花が走り、人狼の体を跳ね上げた。まさに、お手製スタンガンという具合だ。


「だっ――」(ダメだ……! なんだこいつらぁ……!!)


 人狼は思わず心から口を通し、外に漏れそうだった本音を押し込む。だが、それでも膝は崩れ落ち、誠に平伏すような体勢になってしまった。


 誠も、彼が本心でどう思っているのかをわかったわけではないが、ここは攻め時だと思った。楽勝だ。もう勝ったね。そう内心でほくそ笑んでさえいた。


 大振りの一撃を叩き込もうと、電気をまとわせたバットを振り上げたのだが、しかし、人狼はまだ諦めてはいなかった。口の奥を誠に見せつけるかのように大きく開く。吸い込まれそうなほど黒く奥が深いそこから、何か硬い固まりが飛び出してきたのだと、誠は一瞬錯覚した。


 だが、違う。それは、超スピード高圧力で噴出された空気だ。その空気の固まりは誠の腹にのめり込み、彼の胃をぐちゃぐちゃにかき乱した。先程の昼食が活発に自己主張を始めるが、腹に力を込めて、それを抑える。そちらに集中してしまい、倒れていく自分の体を支える事を忘れていた。


「いまだ――ッ!」


 下から伸びてくる人狼の腕。それは、誠の首を掴み、握り潰そうと爪を突き立てる。


「おっ……おごッ……! はな、ぜぇ……」

「く、ハッは! 切り札は隠しとくもんだろォ!! 大富豪でしょっぱなからジョーカー出すやつなんているか!? 俺の『ウルフシェイム』隠し球、『ギターシャウト』は効くだろォ!?」


「ったく……!」薫は銃を構え、人狼を狙う。


「おぉっと!! 動くんじゃねえ、そこのバカ女。動いたら、この茶髪の首折るぞ。銀行員ども! さっさとバックに金入れろヤ!! なんの為の高い給料だ!」

「……少なくとも、強盗に金を積むためじゃないと思うけど」

「あぁ?」


 この状況で聞こえてくる薫の挑発的な言動に、人狼は眉を潜めた。そして、先程よりも撃つ気に満ちた表情に、首を傾げる。


「てめえ……その銃捨てろ! んなことくらい言われなくてもやれよ! 気が聞かねえなぁ! そういう空気だろ、ホントに日本人かコラァ!!」

「や……れ……かお、る……」


 ぼそりと聞こえてくる声に、人狼は心底耳を疑った。人狼のイデア『ウルフシェイム』は、体を人狼化するだけでなく、その身体能力も上げる。筋力だけではなく、もちろん視力や聴力もだ。そんな彼の長く天を刺すばかりに伸びた耳でさえ、誠の言動が聞き間違いではないかとさえ思った。


 しかし、次の瞬間。薫は躊躇いもせず引き金を握りこんだ。真っ直ぐ飛ぶ弾丸は、誠のうなじを喉に抜け、人狼の掌へ到達。痛みから、人狼はその手を離す結果となり、誠は地面に落ちた。


 もちろん、その生命は消えた。死体だ。


「か、風早さん……っ!? た、高城さんを、う、撃つなんて……」


 薫の隣に立つはずみは、震えながら薫から一歩離れる。


「てっ――めえ、イカれてんのかよ! ダチじゃねえのか!?」思わず、敵であるはずの人狼も叫ぶ。

「『ラヴィアン・ローズ』」


 人狼とは対称的に、薫が呟いた。その瞬間、人狼の腕が、ムズムズと何かの違和感を訴え始めた。さらに、弾丸が入ってきた傷口から飛び出し、薫の銃へと戻っていったのだ。


「どれだけイカれても、あたしが誠殺すわけないでしょ。殺そうとしてた人に言われたくないよ。――あたしの『ラヴィアン・ローズ』は、撃って破壊してしまった物を、弾丸と一緒に巻き戻す事ができる」


 呆れた表情でガンスピンする薫。

 人狼は、掌を見ると、先ほど薫に撃ちぬかれた傷は、血も痛みも含め、すべてなかったかのように消えていた。


 ――つまり、


「あー、ビビった……。さすがに、死んでも大丈夫って思ってても、死ぬのはこえーわ」


 誠は、首を擦りながら、何事もなかったかのように、あっさり立ち上がってきたのだ。その光景は、例えイデア使いであっても、相当異様に映った。


「もう油断はなしだ。俺は今から、お前がまだジョーカーを持っていると仮定して動く」


 そう言って、誠はゆっくりと一歩一歩、人狼が何をしてきても即座に動けるよう、慎重に間を詰めていく。だが、今の光景で竦んでしまった人狼に、もうできる事などない。

 誠は拳の射程距離まで入ると、思い切り拳を握りしめ、人狼の腹に突き刺した。


「ぅごっ!!」

「最大出力ッ!!」


 そして、そのまま拳を抜かず、体内に残っている電力をすべて注ぎ込み、人狼の体内に痛みを流し込んだ。


「ばあぁあだああああああッ!!」


 悲痛な叫びが行内に木霊する。その光景に多大な凄惨さを感じたのか、はずみを始めとした周囲の人間たちは目を閉じた。一〇秒にも見たない時間だったが、電気ショックを食らった人狼は倒れ、彼の身体が泡になって溶けていく。


 その中には、典型的なBボーイファッションに身を包んだ若者がいた。彼のポケットからこぼれたスプレー缶も地面を少し転がって消える。どうやら、スプレー缶の中身を体に噴きかけることで変身ができるという能力だったようだ。


「ジョーカーどころか、もう手札もなかったみてぇだなぁー」


 ザ・キラーを解除し、誠は溜息を吐く。後ろから薫とはずみもやってきて、振り返った誠は「よぉー。援護サンキュウー」と軽く片手を挙げた。


「び、びっくりしましたよぅ……。風早さん、ホントに高城さんを撃ったのかと……ああいうイデアなら先に言って欲しかったです……」半べそをかいているはずみは、本当に生きているのか確かめるみたいに、誠の体をベタベタと触り始める。


 それを「うぜえ」と躱され、薫へと体を向けた。「それにしても、風早さんのイデア、すごいですね。命を蘇らせるなんてっ!」


「蘇らせてるんじゃなくて、巻き戻してるの。この弾丸以外で死んだり壊れたりした物は直せないし」薫は、『ラヴィアン・ローズ』を取り出し、はずみに見せつけるようにガンスピンさせる。これは、彼女がイデアを手に入れてから好んでやっている動作だ。


「例えば、二発弾丸を撃って、二個の物を壊したとする。そしたら、どっちかしか直せない。先でも後でも、どっちを直すかは選択できるけどね。直すまでに発射した弾丸は、直す選択肢を増やしてるだけだと考えればわかりやすいよ」

「へぇー……」

「感心してるとこワリーんだけどよぉー。逃げようぜ。超目立ってる」


 誠の言葉に、やっとはずみと薫は周囲に気を配るということを思い出した。周囲の、客行員全員が、三人を見ていた。


「しっ、失礼しましたっ!!」いの一番に駆け出したのは、はずみだ。

「あいつ、逃げ足だけは一流だなあ……」

「犬みたい」


 そう言って、誠と薫も、はずみの後を追い、銀行から飛び出す。後に残ったのは、乱闘で荒れた銀行、それだけだ。

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