『ミス・ムーン』
探偵の依頼には守秘義務がある。探偵に頼む事など、警察には頼めない事、他人には知られたくない事、とにかく騒ぎにはしたくない事など、様々な事情があるからだ。
まだ若い誠ではあれど、それを遵守するだけのプロ意識はあった。
それに、助手にも話を通しておかなくてはならない。
路地裏という場所で話始めようとしたセキュリティ意識の無いはずみを止めて、誠は彼女を自分の暮らしている寮へと連れて行くことにした。
繁華街から路地を三つほど抜けて、静かな住宅街に差し掛かった辺りで、彼の住んでいる学生寮が見えてくる。五階建てほどの、茶色い外壁をしたなんの変哲もないマンション。
その四階にある四〇七号室、風早薫と表札が掲げられた部屋の鍵を開ける。どう見ても誠の名前ではない部屋の鍵を開けている光景に、少しばかり困惑しているはずみを尻目に、誠は中に入った。
部屋の中には、奥のガラス戸から漏れる光で薄暗くなった廊下が伸びていて、誠はその戸を開いて、リビングへ足を踏み入れた。
「よぉー薫、帰ったぜぇー」
と、気の抜けた声で、リビングの中心に置かれたソファに座り、ポテトチップスを食べながらテレビを見ていた少女に、声をかける。
「……ただの浮気調査にしちゃ、時間かかったな」
少女は、ポテチをローテーブルに置くと立ち上がって、誠と、後ろからやってきたはずみを見た。
ひよこ色のキャミソールと、ライトグリーンのショートパンツという薄着だから、というのもあるが、妙に大きな胸と、すらりと伸びた足が目を引いた。黒髪のセミロングと、眠たげなタレ目の割に、その瞳の奥になんでも射抜くような鋭さを覗かせていた。
「……ん? そっちの子は誰」
「あっ、えと、私は……」
誠が軽く手を挙げて、自己紹介しようとしたはずみを止めた。
「こっちの子は一ノ瀬はずみ。面白そうな依頼持ってきたんで、お前にも聞かせようと思って連れてきたんだよ」
少女は小さく、息を漏らすように「ほう」と頷いた。
「んーで」
誠がはずみを見る。
「こっちのぱっつんボディが、俺の幼馴染兼、同居人兼、探偵助手の風早薫」
「よろしく、はずみちゃん」
はずみは、薫の差し出した手を取って、二人は握手した。
「さっき依頼こなしたばかりなのに、また依頼なんて、誠ってそんなに仕事熱心だったっけ?」
「俺も結構高い依頼金が入ったから、しばらく休暇にしようと思ったんだけどなぁ。面白そうだったから、受けることにした」
「あっそ。まぁ、誠がそういうなら手伝うけど。はずみちゃん、そこ座って、話聞かせて」
と、先程まで自分が座っていたソファを指差し、自らはキッチンへと向かう薫。
はずみは、彼女に言われた通り、ソファに腰を下ろした。
誠も、どこからか取ってきた椅子に腰を下ろし、二人は向かい合う。
「え、あの、お二人って、一緒に住んでるんですか?」
ほんのりと顔を赤くするはずみ。付き合っているのだろうか、という想像が頭の中をよぎっているのだろう。
しかし誠は、そんな彼女とは反対に、そっけなく「あぁ」と頷く。
「こっちの方が便利だからな。それに、俺、生活能力ゼロだし」
料理なんてしたことねえ、と、肩を竦める誠。
「それでウチに転がり込まれても、普通に困るんだけど……。まあ、こういう時は、又聞きしなくていいから、便利だけど」
いつの間にか戻ってきた薫は、二人の前にコーヒーカップを置いた。
「砂糖とミルクはどうする?」
「あっ、大丈夫です」
はずみはそう言って、コーヒーで唇を濡らし、小さくため息を吐いた。
薫もどこかから持ってきた椅子に腰を下ろし、二人ではずみを見つめるような形になった。それで緊張してきたのか、すこし肩を窄めて、うつむくはずみ。だが、それでも、言わなくてはならないのだろう。
顔を上げ、誠を見つめた。
「……私、数ヶ月前に、イデアに目覚めました。本当に、突然なんです。いきなり、私の手元に本が出てきて、それを開いたら――眼の前が真っ暗になって、声が聞こえてきたんです。
『あなたは閉じ込められる』
意味がわかりませんでした。――でも、すぐわかったんです。
目が覚めたら、私は病院にいて、イデア・シンドロームを発症したから、医療都市に入院させられるって言われて……。それが、閉じ込められる、って意味だったんだって。
そして、医療都市に来て、生活にも慣れかけてきたある日です。また、私のイデア、ミス・ムーンが勝手に発動して、目の前が真っ暗になって、声が聞こえてきたんです。
『あなたは殺される。高城誠を頼りなさい』
って。だから――」
「……ん? ちょっ、ちょっと待って」
いきなり、話を遮る薫。その表情は険しいもので、眉間に寄ったシワをほぐそうと、眉間を揉んでいた。
「それ……未来がわかった、ってこと? はずみちゃんの症状って、未来がわかるってこと?」
頷くはずみ。
「な? 面白そうだろ、この時点で」
楽しそうに笑う誠。だが、それとは対照的に、薫は深くため息を吐いた。
「……人格汚染の心配はないの?」
「じっ、人格汚染?」
首を傾げるはずみ。その言葉の意味はわかっていないが、しかし、頭に浮かんだ字面から、よくない意味なのはわかった。
「イデアは、その能力が強力であればあるほど、人格に与える影響が大きいの。イデアは『人間の心が外に出て、形を得たモノ』で、外に心が出ている分、人間性に影響を与えるんじゃないか、っていう学説が有力だから、その能力の強力さと、人格に現れた影響で、ステージが設定されてる。――はずみちゃん、担当医から、ステージはいくつって言われた?」
「えっ、えと……四、です」
「はぁ!?」
そこで、今までヘラヘラしていた誠が、驚きで目を見開いた。
自分がどういう状況になっているのか、さっぱりわかっていないはずみは「えっ、えっ」と小さく声を漏らしながら、二人を交互に見つめるしかできなかった。
「マジかよ。まあ、ステージは高いと思ってたけどよ。四って、最高クラスじゃねえか」
「そっ、そんなにすごいんですか……? えと、じゃあ、高城さんと、風早さんはいくつ……」
誠は、首筋をぽりぽりと掻きながら、バツの悪そうな顔で「俺ぁ一だ」
「あたしは二」と、横の誠を勝ち誇ったような顔で見る薫。
「え、高城さん、一なんですか? ザ・キラー、強力そうに見えましたけど……」
「俺の場合、射程距離が短い事と、ほぼ戦闘用な事、人格汚染がほぼ見られないってのがステージ上がってない理由でな。んなことより、お前だよ。ステージ四にしちゃ、普通に見えるぜ」
「あ、はい……担当の先生から言われた話だと、能力の発動時、人格が変わっちゃうんで、それの影響もあって、ステージ4だそうで」
「人格が変わる、ねえ……。なあ、ちょっと見せてくれよ」
「い、いや、それが……。任意での発動が、できないんです、ミス・ムーン……」
「ええ? なんだよ、それ。そんなイデア使いようがねえじゃねえか」
「はい……。未来がわかるイデア、って言われた時は、宝くじでも買おうかと思ったんですけど……」
えへへ、と照れくさそうに笑い、後頭部を撫でるはずみ。
「……なんか、一気にきな臭くなったんじゃない」
驚いて少し疲れたのか、ため息を吐いて、コーヒーを啜る薫。彼女の常識で言えば、未来が読めるイデアというモノは、いくら異能力の芽生える病気であっても行き過ぎたモノだし、任意での発動ができないイデアというのも聞いたことがない。
聞いたことがないものが二つも重なれば、信じられないものになるのも不思議ではなかった。
「信じてもらえないのは、その、わかります。私も、実はあんまり信じてない、っていうか……。でも、なんとなく、信じなきゃいけない、って気分ではあって」
「気分、ね」
クスクスと笑う誠。
「あぁ、わかるぜ。イデアの症状って、そういうんだよな。薫の方がわかるんじゃねえか?」
誠の言葉に、渋々という感じで、薫は何度か頷いた。
「まあ……もし嘘だったら、取り返しのつかない症状だからね、あたしのは」
「えと、薫さんの能力って、どういうんですか? 高城さんのは未来に教わったみたいで知ってるんですけど」
「あぁ、私のは――」
薫がそっと手を差し出して、イデアを出そうとした、まさにその時だった。薫が出そうとしたはずなのに、何故か、薫の手元に、分厚い百科事典のような本が出現していた。
三人の視線が、その本に集まる。驚きの視線がだ。
「――まっ、まさかこれかよぉ!? ミス・ムーンッ!」
「任意発動できないって――こんな、タイミング選ばないの!?」
誠と薫は、視線を本から何も言わないはずみに移した。先程、はずみからされた説明が確かなら、人格が変わっているはずで、それを確かめねばと思ったのだ。
しかし、確かめるまでもなく、すぐにわかった。
表情が、あどけなさを残したモノから、生気の無い、生きているとは思えないような、光のない目をしていたからだ。
そんなはずみが、本を開いて、それに視線を落とした。
『ウィーは、ミス・ムーン。高城誠、風早薫。あなた方二人には自己紹介の必要があると判断しました』
まるで機械音声のような声が、はずみの喉から鳴っていた。あまりにも異様な光景に、二人は何も言えず、はずみを見つめていた。
『あなた方には、マスターを守るため、マスターを信じてもらう必要があるのです。なので、未来がわかる、というところから信じてもらうことにしました。明日、午後二時、アスマ銀行にて、愚者による強奪が行われます。どうか、プリミティブな選択を』
ぶつり、電源が切れたように、はずみの顔が落ちて、手から本が消えた。
かと思えば、急に顔を上げて、きょろきょろと周囲を見渡し「あぁ……」と納得したように息を吐く。
「ミス・ムーン、出てきてくれたんですね」
「出てきはしたが、何言ってんだかさっぱりだったぜ。なんとなく、意味はわかったがよぉー」
誠は、驚いたせいでズレた尻の置き場を直しながら、なあ? と、薫に同意を求める。
「妙に機械的というか、回りくどいっていうか、変な言い回しだったけど」
「……へ? そう、なんですか? 明日、銀行強盗があるから気をつけて! くらいしか言ってませんでしたよね」
三人は見つめ合い、少し黙った。黙ってる間、誠と薫は『意識を失っているから聞こえ方が違うのか?』と推測を立て、それ以上つっこむのはやめた。
「――正直、疑ってもねえが、一応確認だ。明日、マジに銀行強盗が行われるか、見に行って見ようぜ」
「ま、いいけどね。暇だし、イデオロギーより先に事件解決するのも、面白そう」
「え、えとー、それで、あの、私の依頼、受けてもらえるんですか?」
誠は、鼻で笑って、一言。
「面白そうだ。受けるぜ、その依頼」
探偵とは、トラブルに自分から首を突っ込む仕事だ。そんな仕事をしているのだから、並大抵の事には動じないし、驚かない。
――そんな彼であっても、後に思った。
もう少し、考えてから受ければよかった、と。
それでも、結局は受けたのだろうが。
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