イデア・シンドローム―存在症候群―
七沢楓
『パブリック・エネミー』
プロローグ
『テイクオフ』
依頼が終わった帰り道、ついでとばかりに夜の散歩をしていたら、女の子が襲われているのを目撃した。
飲んでいた缶コーヒーを吹き出し、「マジかよおい」と呟いて、
小さな少女だ。一五〇に届くか届かないかという小柄な体躯の少女が、黒いパーカーを目深に被った『いかにも』な男に、路地へ引きずり込まれたのだ。来ているブレザーから、誠と同じ高校であることはすぐわかった。
誠も後を追うように路地へ入ると、少女が壁に追い込まれ、今にも大きな声では言えない事をされそうになっていた。
「ちょっと、アンタさ」
男はズボンのチャックを下ろそうとしていたが、その手を止め、声の主である誠へ一瞥する。
「やめとけよ。もったいないぜ。んなことやってもいいことないって。アンタ、モテそうな顔してるよ。そんなことしなくても、春来るさ」
とりあえずやめさせようと、誠は適当な事を口にした。本当にパーカーの男が端正な顔立ちである可能性はあるが、そこは路地裏。如何せん薄暗いし、そもそも目深にパーカーをかぶっていては判断が出来ない。
男はゆっくりと誠に向き直ると、ボソっと「邪魔すんなよ……!」と苛立ちで染まった声で呟いた。
「俺はアンタを助けてやろうとしたんだぜ? きっと頭に血が登ってるんだよ。この街の警察は優秀だしさ。その子を殺して口封じしたとしても、いつかアンタにたどり着くと思うよ」
血が登ってるのは頭じゃなくて股間か。
思いついたが、誠はもちろん口にしない。
男は誠に掌を見せつける。一瞬その行動の真意がわからず停止してしまった。が、動き出そうとして、すぐにわかった。身体が動かない。
「僕の力だよ……。『ウィ・アー・パペット』これは、僕の力だ。僕の腕から伸びる糸に繋がってしまえば、相手を完全に操れるんだ……」
男の掌と、誠の間には、確かに一本銀の光が走っていた。
勝利を確信して、男は笑った。人目についてはマズイ事はわかっているらしく、声は抑えているが。しかし誠も、余裕の――というより、平然とした表情をしていた。
身体の自由はもうない。それなのに、なぜ目の前の邪魔者は余裕なのだ。その疑問が頭を満たす。
「あっそ。その糸とやら……『繋がって』んだよなぁ。二回言っちゃうけど、糸は……確かにアンタと繋がってんだよなぁ」
「はぁ? それが何。もうキミにできることは……」
言い切る前に、男は誠の右手に、赤いバットが握られていることに気づいた。
あんなもの、してたか?
いや、あんなもの付け歩く人間がいるわけない。
その二つのステップを踏んでようやく。男はたどり着いた。と、いうより、忘れていたのだ。
誠が自分と同じ力を持っているという答えに。
この街は、自分と同じ力を持っている人間で溢れているということに。
「繋がってるなら、問題はないね」
「まっ、やめ――!!」
バチンッ。
まるでゴムが切れたような大きい音と、空を切る閃光。
そして、一瞬跳ねる男の身体。ぐらりと揺れて、そのまま地面へと沈んだ。
「ちょっとヒヤッとしたなぁー。身体の自由奪われるって、心臓に悪いね」
額の汗を拭うフリをして、ふぅ、と一息。
「そこの子、大丈夫?」
「はい、大丈夫です!」
あれ?
その返事は、誠の首を捻らせた。襲われかけたにしちゃ、元気いいな。
少女はトコトコ駆け寄ってくると、誠にお辞儀をした。
黒髪のボブカット。小柄で細身な身体は、激しく動くのに適していないとアピールしているようだ。あどけない顔立ちと大きな瞳は小動物のようでもあり、白百合みたいにわかりやすい愛らしさもあった。
「ありがとうございます。高城さん!」
「……まず間違いなく、名乗ってねえよな俺」
名前を訊かれたら『名乗るほどのもんじゃありません』と言って去ろう。そうしたら絶対かっこいいぞ。そんな事を思っていたので、名乗るのは必死に我慢した。なのに、目の前の少女は誠を知っている。
「俺の名前知ってるのはまあ、いい。多分、同じ学校だからだよな? ――つか、俺って結構有名だし、知っててもおかしかねえか」
「はいっ。同じクラスの一ノ瀬はずみって言います」
「あー」一応思い出した誠は、渋い顔で何度か頷いた。
体育の時間、いつも珍プレーでクラスを沸かせている一ノ瀬だ。ちょっと失礼な納得の仕方だな、と誠は思ったが、しかしそれくらいしか印象がないのも事実。
あとは、最近この街にやってきた、新入りだという事くらい。
「高城誠さん。
目の前に立つ無邪気な少女。ほとんど誰も知らない誠の能力と、その名前まで言い当てた彼女に、誠は得体の知れない不気味さを感じていた。まるで、自分の恥ずかしい過去までバレているのではないかと、そう危惧してしまうほどに。
「テメェ、なんで俺のイデア知ってやがる……」
誠はちょっとした事情で、顔は売れている。
彼の能力が『ザ・キラー』という病名で、バットの形をしている事は結構な人間が知っているが、カロリーを燃料に変換するという部分を知っている人間は、そういない。
そうぺらぺらと自分の能力について話すべきではないのは、この街で長いこと生きていればわかることだった。
そんな誠が、自分から知らない人間に能力の詳細を喋るわけがない。
だから、誠は、バットの握りを確かめた。
いつでも殴りかかれるように。
「ちょっ、ちょっと待ってください、高城さん!」
手を突き出して振りながら、勢いよく二歩ほど下がるはずみ。
「わたっ、私は高城さんの敵じゃないですッ! 高城さんの能力を知ったのは、その、高城さんから教えてもらうことになってたからでッ!」
攻撃されないように慌てて捲し立てたからか、若干甘噛み気味になるはずみ。
だが、すでに誠は、攻撃する気がなくなっていた。
教えてもらうことになっていた。
その言葉で、敵意よりも好奇心が勝ったから。
「俺がお前に教える――ことになってた? 言葉としておかしいだろ。どういう意味だ?」
はずみは、小さく深呼吸して、自分の小さな胸に手を当てた。
「えと、私の能力『ミス・ムーン』っていいます。その能力は、未来予知」
誠は、一瞬だけ、その言葉の意味がわからなかった。
いくら異能力が蔓延る街でも、そんな異能力は聞いたことがない。それでも、いろいろと納得はできる。
襲われたのに怯えていないこと、誠の名前や能力を知っていたこと、そのすべてが未来予知だとすれば、確かに辻褄は合う。
「――そして、本番はここから、なんです」
まっすぐ、誠の目を見つめて、彼の手を取った。
「高城誠さん! この医療都市、唯一の探偵だって聞きました」
はずみは、握った手に力を込める。その手は、小刻みに震えていた。
「私は自分の能力で、殺される自分を見ました。私が殺される未来を、変えてください!」
ここは医療都市。
突如として流行りだした、異能力が芽生える治療法の無い病気、イデア・シンドロームの患者達を隔離、反社会的行動を取らないように教育する為の街。
人を操る能力も、カロリーを燃料に変換して操る能力も、この街では珍しくない。
未来を変えてほしい、という依頼に比べれば。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます