矛と盾
森に入ること2時間弱。進むほどに樹冠はその密度を増してうす暗くなっていく中、誰もが考えていたであろうこと。しかし、その危険性故に口をつぐんでいたであろうことを、オレはあえて口にした。
「なあ、効率悪すぎないか?」
気まずい空気が場を満たす。あまりにも直球だったからこその空白時間。
もっとも、カラキリだけはいつもの調子を崩さず、みんなの目配せを不思議そうに眺めていた。
「オレなら自分の身は守れる。バッと走って来て、周囲に気配があるかどうかも察知できる。問題はその間集団から1人消えることだけど、カラキリもいるなら安全じゃないか?」
「いやだがな……」
おっさんの歯切れは悪い。平時であれば止めただろう。だが、今はもしかすると非常事態かもしれない。仲間が不測の事態に陥って、助けを求めているかもしれない。
となれば、それは1分1秒を争う。危険を冒してでも早さが求められる状況でもあるのが、その歯切れの悪さの要因だろう。
葛藤は短かくなかった。
が、代案もないなら、結果は決まっていた。
いかにもしぶしぶという風に頷く。
「気をつけろよ、盗っ人。何かあったら、思いっ切り叫べ。すぐに駆けつけてやっからよ」
「それはほら、この銀の腕輪がある。オレに何かあればカラキリに伝わるんじゃないっけ?」
言いながら、それも微妙だと感じていた。森に入ってから、オレたちの腕輪はどちらも無反応を貫いていた。
本当に何もなくて、誰も腕輪を使っていないなら良い。だがそうでなかった場合、何か使えない状況になっているという非常に良くない可能性が出てくる。
本当はここで一度使ってみたいところではあるものの、あいにくとこれは使い捨てとの説明を受けている。
仮にどちらかをここで使ってしまえば、例えばオレが1人で救出し切れない事態に直面して人手が必要になった場合に使えなかったり、逆にカラキリ達になにか起きたときにオレにそれを伝えられないなんてことがあり得てしまう。
おいそれと使うわけにはいかなかった。
「それより、カラキリの足は引っ張るなよ? 指示に従っておけば、大抵なんとかなるはずだから」
「なあに言ってやがんだ! オレに実戦経験がないと思ってやがんな? 獣も魔物も人間も、とっくに経験済みだ! 余計な心配しねえで、パッと行ってダッと帰って来い! こっちもこっちで、ちょいと辺りを探してみるからよ」
「うむ! ここはわしに任せて欲しい! 何せわしは国太刀であるが故!」
「アトラさんも、細心の注意を払ってくださいよ? 1番危ないのは間違いなくあなたなんですから」
頼もしい返答を聞いてから、オレは森のさらに奥へと駆け出した。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
森の深部へ向かうこと自体は、さして困難なことでもない。ただ暗い方へと向かって歩けば、自ずと深部へ至るだろう。
100m以上頭上にある樹冠。樹冠部の葉は固く半透明で、その緑の葉が、ステンドグラスのように光を着色する。そして森の深くへ進むほどに、樹冠は3層4層と多層化し、その層が5を超えたころから、人間の眼には夜も同然といった暗闇が一帯を支配する。
樹冠の薄い箇所から差し込む暗緑色の微かな光。その日差しの名残りが、ここでは唯一の光源となるだろう。
そんな中を、アトラは黙々と直進していた。闇の中を進んでいるとは思えない確かな足取りは、見る者によっては違和感すら抱くだろう。しかし、違和感に捉われるような目撃者はいない。
アトラは己が嗅覚に従い、既にいくつもの死体を発見していた。初めこそ腕輪を使って皆を呼び、その遺骸を運び出そうかとも考えた。だがその死体の損傷と、次々と死の気配を察知したことで考えを改めるに至った。
亡骸はいずれもが激しく損傷していた。いや、それは損傷などではなく、解体と言った方が実態に即するかもしれない。中身をばら撒き、血を撒き散らしているその肉塊は、死んだ直後にあえて何かしらの目的から行われたものと推測できた。
しかし、こんなマネをすることでどのような“利”があるのか。それがアトラには想像もつかなかった。
もしや、血の匂いで魔物を呼び込み、食わせることで死体を処理するのかとも考えたが、あまり現実的にも思えない。痕跡を完全に消し去れるものではないだろう。
そして様々な思考を繰り返しながら進む中で、遂にアトラは“仲間”を見つけた。否、見つけてしまった。
「————————」
そこは他と比べて明るい、樹冠の切れ間。その緑の光を浴びて、彼は半身を地面に埋めた状態で俯くように佇んでいた。
反応はない。アトラが、気づかぬはずもない距離にまで歩み寄っても動き一つない。
そしてそれを、アトラも沈鬱な表情で受け止めていた。まるで動かぬことを承知しているように。
「……………………ごめん、もっと早く……来るべきだった……痛かったろ……?」
ポツリと、謝罪が溢れる。聞く者もない中で。
アトラは数秒間、動かぬ彼を見つめていた。
教会の兵士は、もっと感情の機微のない人間だと想像していた。命令と教義に忠実で、昆虫みたいに無表情な連中と、勝手に信じていた。
だが、その先入観がどれほど愚かなものであったかは、もう十分に知っている。
彼らもまた、1人の人間だったのだ。
成果には喜び、他愛無い話題に花を咲かせ、仲間の身を案じ、困れば眉を下げる。
それはアトラ自身がこれからもこうありたいと願った人間の姿そのものだった。決して超人でも昆虫でもない、ふつうの人間だったのだ。
頭の中を駆け巡る様々な思いを振り切り、アトラは沈黙する彼を引き抜くために、その力の抜けた腕を掴んだ。
「さ、行こう。みんな待ってる。すぐに引っこ抜くからさ……なんだってこん、な————」
語りかける声が、硬直する。
彼の身体は持ち上がった。
————ズルリとした振動が、掌から全身へ這い回る。
その手応えの軽さに、アトラの顔から色が失われた。
アトラは彼の下半身が地中へと埋められているのだと思っていた。しかし、そのあるべき半身は初めからそこになかったのだ。
「…………………………………………」
辺りを見渡し、初めて気付く。
そこには全てが揃っていた。
どの部分が誰かは分からずとも、ソレらの中に、アトラの探している全員が含まれているのだけは理解できた。
上半身と別れていた残り半分が、到底許されざる痕跡をあらわにして放られているのも、同時に見つけた。
散乱する瓶は、治癒を目的とした魔法薬だろうか。軒並み使い切られたそれは、懸命に抵抗し、戦い、生きようとした形跡に他ならない。苦痛に耐えながらも諦めず、助けが来るのを信じていたはずだ。
バキリと、森には異質なその音は、アトラの口中から出たものだ。
森の木々は怯えるかの如くさざめく。
ギリギリと継続する音はやがて止み、アトラはその場に背を向け、歩みを再開した。
行き先はカラキリ達の方向ではない。森の更なる深部だ。
それはただ探す相手が変わっただけのこと。
何者が相手であれ、死体には明らかな遊びがあった。人間か人間に近い知性を持った存在の仕業か。そのどちらにしても、やることはもう変わらない。
「同じ目に合わせてやる————」
これらの玩弄を死後にやったか生かしながらに行ったかは知らないし知る必要もない。
そう、同じ目だ。
同じ目とはつまり半身を裂き睾丸を輪切りにしてそれらでもう半身を飾り立て自らの臓物をその落とした首に咀嚼させ砕き折った肋骨で両目を抉り全身を解体して面白おかしく組み替えてそれからそれから————!
到底単独で行ったとは思えない。これだけのことをここにいる全員にした以上、それには相当な労力を割いたはずだ。それはつまり、割けるだけの人員の余裕があったことを意味する。
————皆殺しにしてやろう。
決して抗えない圧倒的な暴力で、正面から潰してネジ切り自分の作った血溜まりで躍らせてやろう。
お前たちが生まれ落ちた意味など、ただ真祖の眷属に蹂躙されるための一点において他にないのだと教授してやろう。そしてその血は何の糧にもされぬまま、ただ乾き切って朽ちるままに任せてやれば、それは何と甘美で完全なる否定なのか。
アトラは視界が紅く染まるのだけを堪えながら、殺気を迸らせるまま気配の察知に全神経を注いだ。
吸血鬼の肉体はその殺戮と血の気配に歓喜の声をあげ、助けるべき味方を探すとき以上の、捕食者としての感知能力をアトラへ与える。
皮肉なほど呆気なく、余りにも他愛無く。
アトラは獲物たちを捕捉した。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
「4個部隊が壊滅したぁ?」
顰めっ面でそう外れた声をあげたのは、作戦の進行状況を確認していた金髪の剣士だった。
ゼリューことゼリア・グリューゲルに知らせを届けたのは、壊滅した部隊にいたと思しき男だ。這々の体で逃げ延びたという様子で息を切らせるその姿に、しかしゼリアはどこか違和感を抱く。
その目が冷たい怒気を隠すことなく、蒼白の男を見据える。
「その割には目立った傷もネーじゃん。……ああ、お前碌に戦わず逃げたろ。アビさんは献身やら自己犠牲はバカみたく愛するし、身内にもまあ呆れるくらいに甘々だわな。
だから勘違いも無理ないってとこだけど、敵前逃亡やら味方を見殺すだとかはマジで許さねーから。
————お前も贄になりたいってか?」
ブンブンと首を振って、悲鳴とも呻きともつかない音を漏らす男の様子は、恐慌状態一歩手前に思われた。これ以上は話にならなくなると冷静に判断したゼリアは、一度怒りを棚上げし、男を落ち着かせてから状況を質した。
そして男の語る内容に、再びその眉根に力が込められる。
「その話がマジなら……ヤツらの主力部隊? でもあのクソ女はいなかったんだよなぁ?」
「————隊長。レティシカ率いる主力部隊とアンビオン司祭が、たった今交戦を開始しました」
「……チッ、予定より速えな。ウチらの防衛線はまるきり機能してないって、何のために俺が走り回ってんだか。
てか人員配置にムダがありすぎなんスよね、これ。アビさんの守りが半端だし、案の定コレだもんなあ。キッツイわぁ」
護衛対象であるはずの司祭が戦闘中と聴いても依然として涼しい顔のゼリアを、報告した女は訝しむ。
女の片目は閉ざされている。
「よろしいのですか?」
「ギリ間に合った。あの結界内ならアビさんのヨユー勝ちなんで。心配無用って感じだから、今は勝手やってるヤツを潰すのがウチらの仕事っしょ。ほら、案内しろ」
ゼリアはいくつかの指示を残すと、強敵のいるはずの場所へと急行した。
現場へたどり着いたゼリアは、まず壊滅した部隊の骸を発見した。その大半は首が無く、同じ数だけの頭も転がっている。
そしてそれをやったであろう下手人の姿も、同時に視界へ収めていた。
「む」
「なんだぁ? まあだ来やがんのかよ」
「皆さん、新手です。構えてください!」
「全員準備できてる。できてないのはノックだけだ」
“嫌ににぎやかな集団だ”。それが第一印象だった。
緊張感の中にも士気の高さが垣間見え、悲壮感というものがない。転がる死体の数からして、多少なりとも息を切らせるなり負傷しているなりの消耗が見られていいはず。いや、見られるべき状況であろう。
しかしゼリアの見たところ、敵には連戦による疲労も憔悴も見られない。それが不可解であり、不愉快でもあった。
釈然としないものを感じたまま、右手を高く掲げる。それが合図だった。
「来たぞ!」
野太い声で発せられた、敵の出現を知らせる声。そこへゼリアの指示に従い、身を潜めていた12名の部下が全方位から短刀を投擲し、投げた先から地を滑るような挙動で敵へ突貫した。
威力偵察だ。既に複数部隊を壊滅させただけの何があるのか、敵の実力をまず測り、手の内を曝させる。〈装甲思念〉があって尚、ゼリアに慢心はなかった。
そのためにゼリア直属の精鋭部隊を引き連れている。ヘタに余裕を持たれて手の内を隠されては意味がないのだ。
そして、事が始まってすぐに、脅威が何であるかがハッキリした。
「忍びが如き芸当を、こんな大陸で見るとは思わなかった。や、もしや忍びの郷でもあるのか⁇」
呑気な声を聞いたと同時に、白刃が瞬いた。
1人、突出した剣士がいた。全ての投擲物を、その肉厚の鉈のような得物で叩き落とし、流れるように接近してきた者の首を刈って行く。
決して腕や脚などの部分的速度は突出したものではない。否、速いことは速いのだが、それは素人でも数ヶ月の鍛錬で出せる程度の速度だ。決して対処できないものでもない。
しかし、それでも首は刈り取られる。
ゼリアには、それが全身を完全に連動させることによるものだと理解できた。刃を振るうのは腕でなく全身を使い、各部位を高度に並行動作させている。攻撃は最小の動きで避け、自身の攻撃姿勢を崩さない。それどころか避けた際の動きすらも利用している。
完璧な身体制御と、恐るべき先読みがなせる業だろう。
それに動揺して崩れた者を、体格の良い男が的確に潰し、それに後の者たちが雪崩れるように続く。
そんなことを幾度か繰り返された結果、一瞬で部隊は半壊していた。
「もういい、退がれ」
これ以上は無駄であると判断し、ゼリアは部隊を退がらせる。おおよそのことは分かった。
脅威たり得るのは1人。腰に刀を提げた剣士のみだ。
体格の良い男も指揮を執り実戦経験もあるだろうが、あの程度であれば教会の訓練を積んだ一般的な兵士と大差ない程度。容易に対処できる。
つまり、ゼリアが剣士を屠ればそう時間もかからずこの集団は消える。〈装甲思念〉を突破する手段も見られなかったことで、ここからは自分1人で十分だとの判断も妥当といえた。
対するモンドらも、現れた金髪の剣士がこれまでの敵とは一線を画する者であることは、カラキリの視線が戦闘中も男から離れなかったことで理解していた。
言われるまでも無く、この臨時結成された班において誰が主力かは、彼らとて理解している。この自分より体格の劣る剣士がいなければ、とてもここまで進めず、また全員が生存とも行かなかったであろうことも、この場の誰もが認めるところだ。
その主力であり生命線でもあるカラキリの警戒は、否が応でも班員へ重苦しい緊張を強いていた。この少女とも見紛う剣士が敗れれば、そんな敵は誰にも止められない。
睨み合う両雄。ゼリアの視界には既に有象無象の影もなく、受けるカラキリの意識もただ1人へ向けられている。
間合いは未だに魔法戦のそれであり、剣士同士の距離には至っていない。
にも関わらず、まるで既に互いに切り結んでいるかのような張り詰めた空気は、両者にとってこの程度の距離など有って無いようなものであることを雄弁に物語っていた。
黒剣が抜かれる。
ゆっくりと、獲物を狙う獣の瞳を敵意に染めて、ゼリアは淀みなく歩みを開始した。
油断なく敵を見据えながら、ここでカラキリはある決断を下す。
「モンド殿。森の外へ退避は可能か」
「……………………そんなにヤバいってのか、あの野郎は」
「わしにのみ注力していれば良いのだが、そうでないときは護り切れぬ予感がある。
アトラ殿へ大見得を切った手前、汗顔の至りではあるが……」
ここで逃げたところで、道中に危険がないという訳がない。それらに対しては、モンドらはカラキリ抜きでの対応を迫られることになる。それは状況如何では、全滅という最悪の結末すら視野に入る撤退戦だ。
しかし、それでもなおここよりは安全であるとの判断だった。
「分かった。俺らのことは気にすんな。ここにいても足引っ張るだけだろ」
「かたじけない」
決めてからの行動は早かった。
モンドはカラキリを除く全員を引き連れ、素早くその場から離れていく。
見えなくなって行くカラキリの背を何度も振り返りながら、皆は単独行動している少年のことが頭を離れなかった。敵に襲われてからというもの、カラキリがいくら腕輪を使おうとしても反応せず、そのままここまで事態が進んでしまった。
彼は無事なのか。
合流の目処すら立たずに、それは皆の足を殊更重くさせていた。
「メンドイけど一応訊くわ。お前、教会の人間か? ま、チゲーだろうけど」
「……………………」
モンドらが十分に離れたのを、敵の視線の動きと背後の気配から察したカラキリは、意外な質問に微かに柳眉を動かした。
雇われの身である以上、無関係とは言えないが関係者とも名乗り難い立場である。結果返答はなく、冷えた空気だけが充満する。
「ヤる相手とはしゃべらない
ゼリアの言葉は中断を余儀なくされる。
相対する剣士が、得物であるはずの鉈を投擲してきたからだ。急速に迫る凶悪な
巧みに隠された予備動作と投擲の速度から、何かこの手の訓練を受けているのは疑いようもなかった。
「フッ——!」
しかしゼリアにとってこの程度、不意をつかれて尚対処に容易い。黒剣が閃き、迫り来る刃を頭上へ弾く。黒剣を抜いているのは、こちらの能力を把握していない敵が、あからさまに脅威である剣を警戒してくれればいいと考えてのものだ。
放っておいても害はないが、こうして剣で弾いたことで、敵は未だに〈装甲思念〉の存在を認識できない。
————はずだった。
喉元の“装甲”が、何かを防ぐイメージが返ってくる。
ほぼ同時に剣を持つ右腕、利き脚である右脚、通過して脊椎へと、その反応はたて続いた。
「————ッ⁈⁈」
久しく感じていなかった反動が、思考を揺さぶる。
咄嗟に黒剣で振り返りざまに薙ぐ。
だがすでに敵は平然と間合いの外へいた。
一方的に攻撃を受けたと悟り、一瞬の逡巡の後、ゼリアは全てを理解していた。
1対1の戦闘に限らず、敵に偽の情報を掴ませ誤った前提に立たせることを、ゼリアは特に重要視していた。
それを怠る者こそが狩られる側であり、これまでにゼリアが仕留めた強敵は軒並みこの手法で狩られてきた。
黒剣の持ち主であった妖精すらも、その例外ではない。
しかし、今回に限り謀られたのはゼリアの方となった。敵の男とも女ともつかない剣士を見て、ゼリアは“身体操作が神がかっており、その他の速さや膂力といった身体能力を補っている”程度に考えていた。
だが今の踏み込みも流れるような剣撃も、ゼリアの下した評価を大きく上回る速度で行われた。
つまり、あの剣士はゼリアの部下を屠りながら、その時から自身の能力を低く見積らせる算段を立てていたということであり、おかげで間合いを見誤り、先手を許し、〈装甲思念〉の守りを曝してしまったということだ。
「チッ……ホンキでダリィな……」
歯噛みするゼリアの、苛立ちの込められた視線。それを受ける剣士は、そんなことをまるで斟酌せず、新たに抜いていた美しい翠の刀身を見つめて首を傾げていた。
訝しげな視線は刀とゼリアを幾度か往復する。
が、やがて方針も定まったらしい。
緩く頷いてから、迷いのないその目がゼリアを見据えた。
一方で、ゼリアもまた苦いものを嚥下し、冷静さを取り戻す。圧倒的優位は変わらない。このまま正面から轢き潰すのみ。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
レティシカの武器は、“黒辺”と呼ばれる漆黒の棒である。自身の服の影に忍ばせることができ、任意のタイミングで手元へ出現させられる。その特性から、暗器のような用途にも用いられ、また正面から敵を打倒するのにも適していた。
“黒辺”はその重量にして100kgを超えていながら、教会に定められた者が握れば、その重量を使用者にとって扱いやすい重みにまで軽減させる。しかしながら、振るわれる敵には本来の重量として振る舞うという凶悪なものだ。
レティシカ率いる主力部隊15名は、敵の防衛線を突破し、結界の要である大魔法陣の祭儀場へと到達した。阻む敵は、悉くレティシカの黒辺や隊員らの餌食となり、勢いもそのままに敵の首魁たる司祭を捕らえるはずであった。
だが————
「はぁ……はぁ……はぁ」
現場はまさに死屍累々。樹冠が日光を遮ることによる闇を抜けた先に、唐突に樹冠の消えた空間が現れる。そこがこの祭儀場だ。
日光に照らされる鮮血は、ただでさえ堪え難い瘴気に赤い彩を加えていた。
その酸鼻な光景の中、赤い司祭は慈愛に満ちた表情でレティシカを見据えていた。
未だに抵抗を続ける彼女へ向けるその目は、まるで駄々をこねる子どもを見つめる、上位者としてのそれだ。
「秘蹟を封じられてなお抗うのですかァ? それにどれほどの意味があるのでしょうかねェ」
レティシカ以外に、立ち上がっている者はいない。半数は日光を照り返す銀の球体に圧殺され、もう半数は未だ存命のままに銀球へ囚われていた。
戦闘開始直後こそ、レティシカたちは優勢に戦いを進めていた。雪崩れ込む防衛部隊を黒辺で薙ぎ払い、〈障壁魔法〉を叩き破り、司祭へと肉迫した。
しかし、その瞬間轟いた心音によって、全てが逆転した。
凡ゆる秘蹟が打ち消され、特別製故に結界の影響を逃れていた魔道具は機能を放棄し、〈聖障結界〉は泡のように弾けた。
今のレティシカは、重量にして100kgを超える黒辺を、自身の膂力と驚くべき精神力で振るっている状態だった。
が、それも限界だ。既にその手首は腫れ上がり、全身の筋肉はこれ以上の責め苦には耐えられないことを、熱と痛みによって泣訴していた。
「貴女のおかげで多くの血が流れました。ああァ……死ぬ必要のなかった者たちが命を散らすのは、本当に辛いものです…………ですが、信仰心同士の衝突は、やはり美しいものですねェ」
「ふざけないで下さい……! 貴方のそれは信仰心などでは無く、ただの狂気です! 尊さのカケラもありません……!」
「えェ、えェ。信仰とは狂気にも似たものがありますから、そのような間違いもよくある話ですともォ?
しかし、一度は我々の教えを理解した貴女が、何故このような邪魔立てをするのでしょうか……。それが解せないのですよォ。
貴女が彼らを率いて来なければこのような被害は生まれず、彼らも明日を生きられたのですよォ?
責任を感じませんかァ?」
グシャリと、大きな銀球が収縮し、小さな穴から赤黒い液体が噴き出す。一瞬聞こえた奇怪な音は、まさか中身の断末魔だったのであろうか。
その想像がレティシカの頬をまた濡らした。司祭の望まぬ返答へ対する罰がコレなら、いま司祭がレティシカへ行なっているのはまさに躾であった。
「さァて、おかしいですねェレティシカさん。未だに神の助けが来ません。
いえねェ、ここで奇跡が貴女を救うのならばァ……ワタシも6神とやらの神性を信じなくもないのですよォ?
しかしどうでしょうねェ? 勝利したのはワタシでした。真なる神に仕える者ならば、当然敗北などしないはずではァ?
やはり、もう一度ワタシたちの元へ戻ってくるべきだと思いますがねェ」
「ッ……母を生贄にしたお前たちに! 私が⁈ ふざけないで‼︎
あのときだってお前たちは真の神を降臨させると言った! けどいなかった! 現れなかった! 母を無意味に苦しめ続けた!」
慟哭。悲痛な響きを聞きながら、司祭は優しく頷きを返す。
それは懺悔を聴き届ける神父の姿を彷彿とさせる。
「せめて虚神でも真祖でも、現れてくれたらどんなに良かったか! いてくれたならどんなに救われたか‼︎
せめて僅かの意味だけでもあれば! どんなに‼︎」
「しかし、それで他の神に縋って意味があるのですか?
縋る先を変えようと、貴女に救いは有りません。そうでしょォ? 貴女が救われるとすれば、この儀式を成功させて、母の死を“無意味”から“失敗”へと昇華させることではありませんかァ?
貴女は心のどこかで、この儀式の成功を夢見ている。
だから街への使いなど出したのでしょう?」
「————なに……を……」
「この儀式には、偽りの神々に汚され切っていない人柱が必要不可欠です。故に教会の兵士や騎士を幾人捧げたところで意味など有りません。それは貴女も知っていたはずですねェ」
司祭の暗い瞳が、レティシカを覗き込む。
レティシカの震える瞳を介して、さらにその奥底を暴くように。
「そして外部との連絡手段を失わせる結界の存在も、貴女は知っていたはずですよォ?
そんな状況で使者など街へ送ったら……どうなるでしょう? 危険を報せる手段が結界により阻まれる以上、使者は調査結果を“異常なし”と誤認したままに、予定通り無垢な魂たちを森へ招くことでしょゥ。
貴女の手にあの水晶球を渡らせるまではワタシの意志でしたがァ、そこからの行動は貴女の無意識です。
やがて祭りの再開を報された人柱たちがここへ到着し、遂に儀式は形を成すでしょう。
おめでとうございます、レティシカさん!
貴女の望んだ通りですよォ!
そして感謝を。貴女は今回の最大の功労者です!
なんと敬虔なのでしょうか、貴女はァ‼︎
無意識下での献身など、信徒の鏡というものです‼︎」
「そん、な……違う……違います私、わたしは……⁈」
「さァ共に見届けようではありませんか! 最後の真祖! 最後の御使いの招来をォ‼︎」
声高らかに、司祭は喜びの声をあげて残る銀球を圧縮する。くぐもった悲鳴と、湿った音がよく響いた。
その声と音に心音は呼応する。もはや司祭を阻む者などいないのだと。何らの障害もありはしないのだと。
そこへ————
「————見 ツ ケ タ」
あり得ないはずの障害。この圧倒的な優位をひっくり返せる者が現れるなど、誰が予想できたか。
神聖なる祭儀場へゆっくりと、幽鬼のように近づく人影。
それは大きく振りかぶる動作をすると、一瞬、その姿をブレさせた。
瞬間、心音すら塗りつぶす破裂音が響き渡った。
精霊の体毛たる巨木に炸裂し、樹皮を真っ赤に染め上げたソレが人であるなら、それをあの距離からこんな速度で投擲した人影は、一体何者だというのか。
「オオォ……貴方は……!」
歓喜と感動に震える声は、まるで生き別れた家族との再会を果たしたときと同じ熱を纏っている。
その声に、失意に飲まれていたレティシカの頭が持ち上がる。
彼女は森から現れた、返り血に塗れる少年の姿を見た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます