第三章 真祖崇拝

哀れな債務者と厄介な目利き


 ルミィナはオレに遅れて帰宅した。なんでも、やることが想定以上に多くなったらしい。

 今思えば、ルミィナが先に帰宅していたなら、あんな訳の分からない空間で髑髏と追いかけっこに興じることはなかったのだろう。今回は急いだことが仇になった形だ。なんだかとことん運がない。


 ルミィナ曰く、あの空間は防衛用の大結界らしい。侵入した者を中心にして疑似空間を生み出すというもので、常に中心となった人物の一定半径に生成される。その原理上単身での脱出は不可能。オマケに髑髏どもは善なる精霊が反転、若しくは誤って発生した有害な精霊である『悪魔』が召喚した手下のようなものであるらしい。

 ルカに助けられなかったら、あのままオレは消滅していたと告げられて、今さらぶるりと震えた。あの瞬間、本当に消える可能性があったという事実がに眼の奥が疼く。


 そうして色々の報告を終えたオレへ、ルミィナはあっさりと。


「そう。それじゃあ返済に努めなさい、坊や。教会の取立ては苛烈よ」

「……………………はい?」


 まるで教会や店への債務を、オレだけで返済するような口ぶりだ。

 本当に話を聞いていたんだろうか?


「いやいやいやいやいや! あれはルカが————」

「食べたのは坊やでしょう。そのカラキリとかいう男が手をつけなかった分は全て自分が処理したと、その口で報告してくれたじゃない。いえ、そもそもそういう事態にならない様に振る舞うべきでしょう?

 ルカちゃんを支えるというのなら、その程度はしなさい。今のところ価値を示していないわよ」


 有無を言わせぬ断定。この瞬間、オレは名実ともに債務者となったのだった。



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 あれからの数日間を、オレはどうやって先立つものを工面するかを考え続けていた。いくつもいくつも案を閃き、そのたびに×をつける。


「で、結局はこうなると」


 笑顔で見送る修道女に振り向かず、オレは足早に教会を後にする。

 そう、結局オレは教会……というより、あの修道女からの依頼を引き受けた。参加者への紹介のために、後日また来ないといけないらしい。


「はぁ……まあこうなったらやり切るしかないもんな……。ちゃんと報酬も貰えるし、賠償してもそこそこお釣りが残るし……」


 自分を納得させようと言い聞かせても、やはり釈然としないのはもうどうしようもない。


「帯剣の許可もあっさり出たし……これで武器を買えればやることはないか?」


 そう何度も往復したくない。ここは吸血鬼の感覚からしてもやや遠いし、森を彷徨うのもめんどくさい。以前は出会わなかった魔物どもが、オレだけになると顔を出してくる。

 いちいち相手なんてする気もないから走ってやり過ごし、その都度脳内の地図は狂わさるのだ。


「……ん?」


 例の店にことの報告をするために立ち寄ると、店内がずいぶん騒がしい。というより、歓声があがっている。


「この嬢ちゃんホンモノだ!」

「次はおれの! おれのでやってみてくれ!」

「今度は目隠しぃ⁈ 本当にデキんのかよ⁉︎」


 いかにも間に合わせで急遽作ったという風のステージに、なぜか布で目隠しをした見知った男の姿があった。

 誰であるかは、語るまでもない。

 相変わらず性別を間違われているあのサムライは、まごうことなき国太刀のカラキリだ。


 ギャラリーの男衆は、なにやら自分の得物をカラキリに渡したいらしい。

 しかし、なんでまた?

 

「剣舞でもするのか?」


 何はともあれ、まずは用を済ませることにして、店主の姿を探す。狭い店内にあの図体だ。厳つい顔はすぐに見つかった。


「おっさん」

「おお、盗っ人じゃねえか! 早速支払いに来たのか? ちと早すぎるな……またどっかから盗ってきたんじゃねーだろーな!」

「盗ってくるか! 支払いの目処が立ったって報告に来たんだよ! ……悪いけど、まだ金はない」


 「盗っ人」という言葉に、周りの何人かが視線を向けてくる。人聞きが悪いったらないが、たしかに店主にとっては盗っ人以外の何者でもないのが痛いところだ。


「ほーん、で? どうするってんだ? てっきりコツコツ返すつもりとばかり思ってたが」

「教会に雇われた。今度魔石を獲りに行くときにはオレも護衛を務める」

「あん? 護衛ぃ?」


 眉間に皺を寄せ、いかにも胡散臭そうに睨んでくる。いや、本人にそのつもりはないとしても、そうとしか見えないのだ。

 夜道で出くわしたら、反射的に手が出そうなほどには犯罪者顔だ。


 が、その実態は世間知らずな真祖の被害者、その片割れでなのであった。


「「「うおおおおおおおおおおお‼︎‼︎」」」


 けたたましい拍手と、野太い歓声。何事かと視線を向けると、カラキリが観客から渡された剣を振り下ろした状態で静止している。

 その前で、紙を両手にした男が興奮で赤くなった顔を破顔させていた。


 見れば、男の手には2枚の紙。重ねられたそれは、器用なことにカラキリ側の一枚だけが断ち切られていた。


「すっげ。あいつ本気で何者なんだ……」


 おそらく『国太刀のカラキリだ!』としか返ってこないであろう疑問を口にした。

 チャリチャリと、急造ステージの前にある木の皿へと、銅色の硬貨が投げ入れられていった。


 あいつ、これだけで食っていけるんじゃないだろうか?



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「ここが鍛冶屋か……」


 店主への説明も済ませ、なぜかまた食べ物を恵まれてと、少し長居してしまった。

 オレがここへ来たのは、武器が必要だからである。流石に素手で殴るだけでは、悪目立ちする。

 もっとこう、常識的な範疇の文化的な戦い方をしないとだ。


 とはいえ、買うからにはちゃんとしたものでなければ困る。粗悪品をつかまされるのはまっぴらだ。

 しかし、残念ながらオレには剣の良し悪しを見分けるような目はない。

 金は教会が報酬から天引きする形で出してくれるらしいから、まあ債務の履行に支障をきたすほど高くなければ、金額面での心配はしていない。

 が、目だけはどうしようもなかった。


「そこで先生の出番だ。鑑定頼んだぞ」

「うむ、品定めは任されよう。なまくらなぞ、このわしが許さん」


 カラキリ先生の目は真剣だ。先生はあの大道芸の後、自分に剣を渡した客に対して手入れの方法だの心構えがなってないだのと説教していたからな。こと剣に関しては一家言あるらしい。


「しっかし教会もケチだよな。どうせなら剣なり槍なり貸してくれればいいのに」

「おお、そのような手が!」

「いや、教会のもんは教会の人間じゃないと使わせないんだと」


 ポンと手を打ったカラキリが、話の続きを聞いて消沈する。武器を買わないとならないのはカラキリも同じだ。その場しのぎのウソはこうして後を引く。その時点ではこの町に長居する気がなかったのだろう。

 が、事情が変わり、カラキリはもうこの町で腰の刀を抜くことができなくなってしまったわけだ。


「さて、それじゃ……て、カラキリは予算足り——るな」


 カラキリの腰に括られた革袋は、中身の重みで底が抜けそうなほど伸びている。武器の相場なんて知らないが、まあ何かしらは買えるだろう。


 そんなことを考えながら、オレは目利きを隣に店に入った。



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 意気揚々と入店したオレは、意気消沈で退店することになる。理由は連れてきたコイツだ。


「どうするんだよ……」

「や、今回は先方に非がある。このわしが保証しよう!」

「……お前が怒らせたんだろ」


 入ったときとなにも変化がないが、なにも冷やかしのために来たわけじゃない。

 これはカラキリがやれ重心が悪いだの、やれ研ぎが甘いだのと、ケロリとした顔で品評しやがったからに他ならない。店主……にしては若かったが、ともかく笑顔が引き攣って行く様子は胃の辺りに幻痛すら誘った。


 これはまずいと察したオレは、取り敢えず斬れ味とかはいいから頑丈なのが良いと、店で1番幅のある剣を手に取ったのだが、カラキリは剣身を指で弾いて音を聞くなり、


「アトラ殿、これはダメだ。不純物が多い。恐らく見た目ほどの強度はない。そんなものに命を預けさせるわけには行かん」

「おまっ————」

「では売るものはありませんので出て行ってください。 2度と来んで下さいよ‼︎」


 切れ味鋭いカラキリの口撃は、的確に打ち手の逆鱗を斬りつけ、こうして仲良く出禁と相なったのだった。


「しかし期待を外してしまったな。いや、わしは大陸の魔剣妖剣を期待していたのだが……むぅぅ……如何にしたものか」


 少女然とした顔を曇らせながら、ウンウンと思案するカラキリ。そこに反省の色は微塵もない。清々しいくらいない。


「こんなとこにそんな大層なもんあるか……都市に行けばあるかもな。取り敢えず、ダメ元で他に武器を売ってるとこを探してみるか」


 ダメ元の行動ではあれ、一応はやってみる。万が一があるかも知れないと。

 が、やはりダメ元はダメ元であり、ダメなものはダメだった。


 カラキリは例の店の客らから、適当なお下がりを譲り受けることにしたらしい。よければオレの分も頼んでみると言ってはくれたが、それはまたの機会にと辞退した。

 そういえば、我が家にはさまざまな魔道具が揃っているはずだ。ちょうど手頃なものもあるかも知れないじゃないか。

 教会への用件も済んだことだし、ちょっと帰って探してみよう。


 オレはカラキリと別れ、森の光景を楽しみながら家路へついた。



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 深い森の中。人の手の届いていない自然。そこへ隠れるように祭儀場があった。

 アトラによって無力化され存在を希薄化させた魔法陣を前に、2人の男がいた。


「あ~、これムリっしょ。いくらアビさんでもキチー感じスよね?」

「既に取り込まれた魂は取り出すことができませんからねェ。いえそもそも、取り込まれた以上は既に肉体は死滅したはずですよォ? ご覧なさい……おぉォ……真なる神に仕える者が! 御使みつかいを招く礎になろうというのです! なんと敬虔なるかな……! 彼らこそ、真の庭師というものじゃありませんかァア‼︎」

「あれ、喜んでる感じ? 確実に殺されてるっしょこれ。そもそも肉体は不純物になるっつってたし、ウチらの魂とか非効率すぎないっスか?」


 黒い仮面に黒い外套。それが2人組の出で立ちだった。

 一方の男が、興奮を露わに魔法陣へ全身を投げ出す。外套の下からは赤い司祭服のようなものが見え、胸当てには黒い宝玉が、怪しく鎮座していた。

 その司祭の様子を呆れて眺めている剣士姿の男もまた、強者特有の空気を纏っていた。


 明後日の方向を向いた性格の両者だが、しかし自然体で話している様子は付き合いの長さを示している。


 ここは彼らにとって——正確には彼らの組織にとって重要な祭儀場だ。多くの生贄と魔法によってある奇跡を成就されるためのものであり、常に交代で人を配置していた場所だった。

 そして少し前から、送り出した祈祷師たちが帰って来ていなかった。ここは魔物も多い危険地帯ではあるが、祈祷師たちであれば問題なく対処できる。そう断じられる程度には、魔法に精通した者たちだったのだ。


 そんな人員で構成された一団が帰投できない事態となれば、最も懸念されるのが教会の干渉であり、聖騎士による襲撃である。結果、何が起きたかを確認し、聖騎士との戦闘が起きようと生還できる可能性の高い者が派遣された。

 それがこの2人組だ。


 黒剣の男は戦闘経験の豊富な生粋の戦士であり、その高い魔力感知能力によって、魔力を用いた罠や見えない魔法による攻撃にも反応できる。

 司祭服の男は、彼らの教団では現に司祭の地位にいた。魔法の才能はまさに天賦のものであり、もしも魔法陣が破壊されていた場合には可能な限り修復するのが彼の役割である。が、今回は魔法陣は破壊されたのではなく、魔力源を軒並み抜き去られて無力化されていた。

 こうなると、彼らにやれることはない。


 よって、後は祈祷師たちが何者かに殺害されたことと、魔法陣の状況などの情報を持ち帰るだけだった。


 そんな剣士と司祭は、唐突に顔を見合わせる。


「アビさん」

「ええ、何か来ますねェ。わたしの結界も何なく超えますか。クッフ、素晴らしい」

「その仮面越しだからいいっスけど、アビさん笑うとき表情動かねーのマジ恐いんスよね。てかこっち来るの教会の連中か? ぶっ殺しましょうよ。聖騎士ならやっかいっスけど」

「フゥーム、しかしですねェ。彼らも偽りの神にかどわかされた哀れな者たちです。どうにか洗脳を解き、御使様復活の一助にできませんかねェ」

「いや~、アビさん冗談キツいっスわ。話通じないっスよアイツら」


 彼らの教義は正統派のクリシエ教とは大きく異なる。

 クリシエ教の六神(父神・母神・理神・裁神・慈神・導神)は、彼らにとっては偽りの神、神の自称者にして傲慢なる獣の名だ。魔力という奇跡を人間から奪い、独占し、人類を支配下に置いていた魔王とも言うべき存在だ。

 そしてそんな簒奪者を打ち倒し、人類の解放者となった存在こそが、正統派において『虚ろなる神』とも『神の自称者』と称される者だった。

 それを、彼らは『真なる神』とも『解放者』ともいう。


 クリシエ教グレアノール派。シグファレムにおいて討伐対象とされている、異端中の異端。

 真祖を『御使様』であり『真なる神』の分身と崇める、まさに邪教と呼ぶべき宗派である。


 和気藹々と、しかし殺気を帯びて。

 2人の意識の大半は、これから姿を表すであろう何者かへと向けられている。


「あん?」

「おや」


 そんな視線の先、森の中から現れたのは燻んだ髪色に病的に白い肌が特徴的な少年だった。

 その虚ろな瞳は、感情というものを感じさせない。だがその薄い唇が開かれると、見た目に反した力強い声が発せられた。


「アンタら、こんなところで何やってんだ?」


 服装からして教会の関係者には見えない。であれば、わざわざ命を奪う必要もない。

 そんな指示を手振りで受けて、剣士の男は不満の声を飲み込んだ。

 なにを甘いことを。場所を知られた以上は生かして返すべきではないというのに。

 が、あくまでも彼は司祭の護衛としてここにいる。凡ゆる決定権は司祭が持ち、遍く責任は司祭が負う。彼は指示を遂行するのみだ。


 男は意識して陽気な声を作り、少年の警戒を解きにかかった。何せ司祭は生かして還すのをお望みである。ならば「怪しげな人間がいた」などと吹聴されるわけにはいかない。


「ああ、ちょっと薬草を探しにね」

「えェ、えェ。ここなら一帯を独り占めできますからねェ。あなたも同業者ですか?」

「同業者? アンタら薬でも売ってるのか?」


 少年は警戒を解かない。

 むしろ一定の距離から近づこうともしなかった。


 その様子に、剣士は内心舌打ちする。

 護衛対象である司祭は、これでも魔法に関してはまごうことなき天才だ。その司祭の結界を抜けた時点で、この少年は優れた魔法師である可能性がある。この距離で先手を許す気はしないが、それでも戦闘は避けたい。


「そう警戒しないでくれよ。見ての通り、武器も何も持ってないだろ?」

「それよりも、です。あなたはここで何を? 同業者では無さそうですがァ……迷いましたかねェ」


 少年は赤い司祭服の言葉にも耳を貸さない。

 視線は鋭さを増し、意地でも信じる気はないという風だ。

 ——それもそのはず。


「アンタら、その黒いナリに武器まで持って……何言ってんだ?」


 仮面の下から微かな動揺が漏れるのを、アトラは見逃さなかった。だがその動揺すら彼には意外なのだ。

 

 なぜなら、黒い仮面に黒い外套、一方は何やら曰くありげな黒い剣を装備し、もう一方は何やら禍々しい宝玉を胸当てに飾った赤い司祭。これで武器を持っていないとか薬売りだとか言われても、まさか本気とは思わない。

 そもそも本当に薬売りだったとして、魔物も獣も出る森で武器を持たないなら逆に不自然というものだ。


 だが、2人組は本気だった。本気で騙せると考えていた。

 

 当然、2人組も自分達の外見がどう見られるかは分かっている。だが、それでも騙せるという根拠が、この仮面と外套にはあった。

 本来であれば、今の自分達は無個性な一般的風体の成人男性に見えているはずなのだ。声も特徴のないものへと変えられている。武器も気付かれない。

 この仮面と外套は、そういった魔道具なのだから。


「アビさん、こいつ」

「ええ……“看破”か“真理”かまた別かは定かでありませんがァ……“眼”、でしょうねェ」

「あらら。じゃあ仕方ないっスね」


 仮面の片割れが、黒剣を抜く。剣を動かすたび、剣身に触れた空気が悲鳴をあげる様子にアトラの警戒心は数段引き上げられる。


「やっぱり、その仮面からしてまさかとは思ったけどな。お前ら、あの連中の仲間か……」

「あの連中ぅ? ……はぁ~ん、なるほどね。てことは殺したのはお前かよ。

 ——アビさん、ごめん。こいつ苦しめるわ」


 身を低くするアトラに、魔法発現前に仕留めようと、今にも踏み出そうとする黒剣の男。

 と、その空気を読んだ上でか読めていないのか。

 司祭姿の男は首を傾げた。


「ゼリューさん。ひとつ伺いますが、その黒剣は“母”に下賜されたものですか? 禍々しくも神々しいですねェ」

「なんかやたら強い森貴族エルフから貰いました。神々しいかは分かんないスけど、イケてっスよね」

「……殺して取るのは強奪というのですよ。死者からみだりに物を奪うというのは関心しませんねェ。くれぐれも、彼からは盗らないようにしてくださいよ? そして苦しめぬように」

「そうやってすぐ殺したって判断すんのも物騒っスけどね。ったく、なんだと思ってんだか。ま、殺したんスけど!」


 言い終わる前に、黒剣が走る。男は滑るように接近し、徒手空拳のアトラへと斬りかかった。


「はアァ⁈⁈」


 男の目が見開かれる。

 魔法師と思われた少年。武器も持たない点から、接近戦に持ち込めばすぐに片付くはずだった。


 が、一刀で両断されるはずの少年は、男の踏み込み以上の速さで間合いから逃れ、あろうことか跳躍して頭上を超えたのだ。


 そう。アトラの戦略は初めから決まっていた。

 それは戦略と呼べるかも怪しいが、あえていうなら全力逃避。得体の知れない敵はとにかく避けるがモットーである。

 ましてや、なにやら司祭じみた姿の人間までいるのだ。黒い司祭服であれば、黒が父神のシンボルカラーである以上は所属も判別できる。青なら理神、緑は裁神といった具合だ。

 しかし、赤がシンボルカラーの教会などアトラは知らない。アトラの知識によれば、赤は忌避される色だったはずだ。それを着用しているような、クリシエ教へ真っ向から喧嘩を売る連中と関わるなぞ、アトラは心底からごめんであった。用もないので退散するのみである。


 しかし、アトラに用がなくとも司祭にはある。


「なんとも元気なことですねェ。これが若さということでしょうか」

「アビさん!」


 仮面越しに微笑みを湛えて、司祭は両手を掲げる。

 地は隆起し、手の動きに合わせるように空中の獲物を包み込む。宙へ浮かぶ土塊は回転を始め、徐々にその色を銀へ、光沢を金属のそれへと変貌させる。


 ものの数秒で、銀色の金属球は獲物を捕らえていた。そのまま落下した球体は地響きじみた音をさせ、地へ半ばまで埋まっていた。中には最低限の空洞があるのか、微かに高く硬い音も木霊した。

 さらに圧縮するも内部を剣山のごとき拷問部屋にするも、今や司祭の自由である。誰が見ても生殺与奪は2人組の手中にあるだろう。


 無事に捕縛は完了したわけだが、しかしゼリューと呼ばれた男は不満な空気を隠さない。


「アビさん、これじゃ切れないんスけど」

「ええ、彼の跳躍を見てピンと来ましてねェ。是非我々の同胞になって頂けないか、と」

「まさかと思うんスけど、そいつに宣教師のマネごとする気じゃないスよね?

 祈祷師ぶち殺したのそいつっしょ」

「真似事も何も、わたしは元々宣教師ですがァ? それにですねェ、わたしの勘が告げるのですよ。

 彼は我々に必要な人材であると。きっと理解し合えますよ、えェ」

「……カーっ! なんだよ殺せねーじゃん! マジで言ってます⁈ ゼッタイ仲間になんてならないってえ!」

「いえいえ、この手の勘は外したことがありません。クッフ、クッククク」

「………………ま、いっか。そいつが改宗しないようなら俺にくださいよ。そんときは刻んでやるんで」


 男は名残惜しそうに黒剣を鞘に収める。

 こうなった司祭は頑なであるのを知っている以上に、司祭の勘の確かさを知っている故のことだ。

 司祭が信徒に相応しいと感じたのであれば、おそらくこの奇妙な少年と教団には親和性があるのだろう。


「けどアビさん。殺さないなら空気穴はいらないんスか? これ、多分死ぬヤツっスよ」

「ああ、わたしとしたことが失念していまし————」


 何か聞き覚えのない音を聞いて、2人の会話が停止する。怪音の出どころは1つしかない。


「っ、てめ——」

「なんと……!」


 耳をつん裂く銀の悲鳴。

 美しかった銀の球体は、内部からの衝撃に歪んでいく。

 何度も、何度も、何度も。

 そして遂に、銀の殻を突き破り、凄まじい勢いで拳が生えた。


 ゆっくりと拳は穴へと戻り、白い指がその穴を押し広げる。球体の檻がギゴゴゴという断末魔をあげ、裂けるようにして口を開けた。


 その光景はまるで、何か恐ろしいものが孵化したような錯覚を覚えさせるものだった。球体の裂け口から、ゆっくりと中身が這い出すのを2人は見届けてしまった。


「危なかった……本当に厄介だな、魔法って」


 言って少年は司祭と剣士を一瞥すると、自身を閉じ込めていた銀の殻を掴み上げる。ボコリと地面を捲り上げながら、見た目にふさわしい重量を持つはずのものが持ち上がる。振りかぶるような仕草は、まるで投球を思わせ——


「シィィヤッッ‼︎」


 気合いと共に射出される銀影。煌めく残像を残して、銀の球は自らを生み出した親の元へと帰る。


「アビさん!」

「守りはお任せしますよ、ゼリューさん!」


 即座に銀球を土塊へ還す。が、それでも放たれたのもが停止することはない。黒い雪崩となった土塊は、木々もろとも2人組を完全に飲み込んだ。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



 結末を見届けることなく、アトラはその場を離脱していた。これ以上厄介ごとに巻き込まれる前に、彼にとって一番安心できる場所、ルカの元へと足を速めた。

 思えばアトラが外へ出るようになってから、なんだか面倒事を毎度のように引き当てている。


 人のいる町では借金を背負い、教会と望まぬ接点を持った。では人のいない森ではというと、怪しげな連中に襲われた。

 もうどうしろというのだろうと暗澹たる思いが去来するのを感じながら、アトラは借金返済後の自堕落かつ安全な生活へと想いを馳せるのだった。


 もしもアトラにマトモな対人戦闘の経験があったのなら、2人組の死体を確認しないという失態は犯さなかっただろう。しかし人は経験で学ぶものである。

 火傷をしなければ分からないことは数多く、振り返ればアトラにとっての火傷とは、まさしく今回であった。

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