廃村


 カラキリと並んで歩く時間を、オレとルカはこの国に関しての説明や、カラキリからのざっくりとした質問への解答に費やしていた。

 質問の抽象度からそんな予感はしていたが、やはりこの男、教国に関しての理解も知識も皆無だ。きっと禁句とされる諸々を平然と口にしてトラブルを招くだろう。そうならないようにしてやりたかった。


「じいから銭に困ったら“冒険者”で稼げと言われたのだが、アトラ殿はご存知か?」


 その質問はそんなカラキリにしては珍しく、具体的な質問だった。


「冒険者か……たしかにカラキリみたいに腕に覚えがあるならいいかもな。“冒険者ギルド”に加入すればなれる」

「あれ? アトラ、冒険者ギルドって……」

「この国にはないな」

「なんと!」


 カラキリから驚きの声が聞こえた。が、稼ぎの当てが外れたにしては、相変わらず危機感のない感じだ。何か他に当てがあるのだろうか。


「【教国】では浸透してないんだよ、傭兵も冒険者も付け入る隙がない。教会が大抵のことをこなせるからな。3大国で“冒険者ギルド”がまっとうに機能してるのは【王国】、つまりはラハイツ王国くらいだ。【帝国】にもあったらしいけど、国に吸収されて違う機関になってるらしい」

「ふむ……つまりわしは【王国】に向かえば冒険者になれると」

「ギルドに加入できればな」


 すこしの間、質問は途切れた。その10秒程度にカラキリは何かを思案したあと、思い出したかのように口を開く。


「今さらだが、傭兵と冒険者の違いが分からん」

「あー、まあ……そうだろうな」


 たしかに今さらではあるが、カラキリの疑問は割と正しいものだったりする。初めはオレにもよく分からなかった。冒険者に関する記述を何度も繰り返し読み、自分なりに「つまりはこうか?」となるまで咀嚼した。そんな今も、正直オレの認識で合ってるのか確信は持てずにいる。


「冒険者はギルドってのが窓口でさ、依頼に関するやり取りはギルドを通して行われるんだよ。

 それに対して傭兵ギルドっていうのはないんだ。ひとりで活動している傭兵もいれば、傭兵団ってかたちで組織だって行動するのもいる」

「あれ、昔はあったよね? 傭兵ギルド」

「まあルカの言う通り一時的にはあったけど、今はなくなってるはずだ。少なくともオレの読んだ本が書かれたころにはなくなってたらしい。

 冒険者が戦争に参加できなかったり、紛争地での活動に制限があるのはそこら辺が理由だ。冒険者ギルドが大きくなると同時に傭兵との衝突が増えてきたんだよ」


 カラキリはしきりに頷き、「ほう」とか「なるほどなぁ」とかの反応を返してくる。相槌があると本当に話しやすい。ルカの場合、相槌を返してくれることもあるにはあるが、大抵は目を合わせて黙って聴いている感じだった。あれはあれでちゃんと聴いてくれてるのかもしれないが、正直観察されているようで落ち着かない。

 本人には言わないけど。

 

「傭兵に対しての各領地の規定も“自分たちは傭兵ではなく冒険者だ”って理屈で潜り抜けてたらしくて、傭兵を稼業にする人間からは反感を向けられてた。」

「それで許されるのは些か違和感があるな。強引に過ぎるぞ」

「まあ領地に関しては領主が決めるからな。良くない繋がりとか貢物とかあったんじゃないか?」

「ふむぅ……」

「で、そんな冒険者ギルドに対抗するために結成されたのが“傭兵ギルド”だったと。

 両者の間で色々と交渉が進んで、結果的には冒険者ギルドが譲歩する形で制約を受け入れたって感じだ」


 生徒の顔をうかがうが、頭の中でさまざまな考えが浮かぶのか、情報を咀嚼し切れていない感じがする。仕方ないから、最後にざっくりと方針を示そう。


「そんな訳で、カラキリが戦場で活躍したいなら冒険者は向いてないし、護衛や遺跡の調査に興味があるなら向いてるんじゃないか? 魔物の討伐なんかもたまにあるらしいぞ? ……まあ、そこら辺は今度は猟師や狩人との衝突があるらしいけどさ」

「ほぉー……! やはりアトラ殿は博識なのだなぁ!」


 そんなやり取りを続けていると、道は唐突に迫り上がるような上り坂になった。とはいえ、遥か見上げるほどのものじゃない。小さな丘があるだけだ。

 大した疲れもなく、時間もかけずに登り切ると、そこに不思議な景色が広がる。


「わぁー! なんだろう、すっごくグネグネしてるね!」

「すごい地形だな…………」

「そうだったのか。わしは大陸ではありふれた地形かと思っていた……。やはり珍妙か」


 視線の先をいく道は、地表に掘り出されたミミズを思わせるほどのたくっている。いや、道がおかしいんじゃない。おかしいのは道を歪めている丘だ。地形の方だ。激しくうねる緑の波形は、信じられないことにその全てが丘だ。

 こうして俯瞰して見てみると、藻に覆われた水面に石でも投げ入れたみたいだ。


「あれだ、アトラ殿」


 カラキリの指が、のたうつ道の先を示す。

 小さな村だ。距離のせいか、人気が感じられない。不気味な地形に、寂れた村。なるほど、ここへわざわざ来ようとは思わないだろう。道もああなるはずだ。


 のたくった白蛇はまだまだ先へと伸びている。その道から少し外れた場所に、その村はある。


 カラキリはやっと見つけたと軽い足取りで坂を下り、ルカもそれに続いた。


「もうここまででいい気もしてくるな」


 一応村も見つけたし、オレとしては十分だった。とはいえ、ルカが乗り気になっている以上は戻る選択肢はない。


 傾斜に逆らわずに小走りで下ると、村はもうすぐそこだ。そこまで近づいて、違和感は輪郭を持ち始める。

 急かされるようにカラキリが村へと駆け出し、オレもルカも困惑しつつも村に入った。


「そんな……バカな……⁉︎」


 村に入ってすぐのところで、カラキリは声を震わせていた。きつねがどうとか化かされたとかいう言葉が聞こえてくる。


「アトラ 」

「ああ、そうだな」


 オレより早く気づいていたであろうルカに、頷くことで同意する。


「誰もいないぞ、ここ」


 廃れた家屋、草まみれの地面。草の丈も腰ほどになる。植生が丘と違うのは、土が違うのだろうか。井戸を見つけて覗いてみると、そのどれもが鬱蒼とした雑草に阻まれて底が見えない。

 使い物にならないし、使う者もいないのか。


「ん……?」

「え?」


 何か言われた気がして振り返ると、当然ルカがいる。やや背伸びしながら、オレの後ろから井戸を覗いていた。


「なにか言ったか?」

「? ううん?」

「……そうか。じゃあ気のせいだったかな」


 何か言われた気がしたが、ルカはこんなことで嘘をつくことはない。だから、特に気にもとめずにこのことは忘れてしまった。


 さて、こうなるとカラキリに話を聞かなければならない。カラキリはこんな廃村で、誰に、何を頼まれたんだったか。


「カラキリ」


 声をかけたとき、カラキリの様子はすっかり元通りになっていた。いや、むしろ晴々しくすら見える。


「これでよかったようだ」

「ん? ……よかった?」

「満足いったと言われた。わしは役目を果たせたと、礼を言われてしまった」


 意味が分からず、ルカへ視線を投げる。もしかして、オレがおかしいのかと思ったからだ。

 そしてかわいそうなものを見るような態度のルカを見て、やはりおかしいのは目の前のコイツなんだと安堵した。


「まあ……よかったな、それは……」

「ちゃんと寝た方がいいよ? じゃないと幻聴とか幻覚とか、とにかく大変だから」

「む? わしは心配されているのか?」

「カラキリさんもニンゲンでしょ?」

「ルカ殿の予想に違わず、わしはニンゲンで国太刀のカラキリだが」

「じゃあ休まなきゃだめだよ」

「むむ……?」

「ルカの言う通りだ。カラキリ、森で遭難している間、どれだけ寝れたんだ?」

「…………おお、これは不味いな。一睡もしていないのか、わしは」

「寝ろ。とりあえず辺りに危険はなさそうだし、何かあれば起こすから」


 「しかし」とか「眠くない」とか言う不眠症患者を、2人で無理やり横にする。幸いここはベッドに困らない。天然素材のベッドに横たえると、眠くないはずのカラキリは瞬く間に眠りについた。


「スヤァ……」


 嘘みたいに気持ちよさそうに寝ている。


「こいつ、絶対ひとり旅に向いてないな……」


 さらに、起きていたならともかく、寝ているこいつの顔は可憐と言える少女のものであり、それが一層ひとり旅に向いていない。

 

 だがそんなものを今さらオレが気にしてもムダだ。思わず時間が生まれたことだし、適当にルカと話して時間を潰すか。


「ルカ」

「あ」


 カラキリの鼻先へ伸びようとしていた長草を、ルカの手から取り上げる。眠ってほしいんじゃなかったのか。

 肩を落としてつまらなそうにしているルカを無視して、オレは続けた。


「結局さ、もしもオレが捕まってたら……どうなってた?」

「?」

「いや、食べられるとかなんとか……」


 あえて分かりにくく逃げたオレの質問は、やはり伝わりにくかったらしい。何のことかと首を傾げるルカは、遅れて質問の意味は“オレがルカから逃げ切れなかったらどうなっていたのか”であることを理解したらしく、新しいおもちゃを見つけた顔を作る。なんかぞわぞわした。


「じゃあ、手ぇだして」

「手? …………ん」

「あ~~~~……ぐ!」

「ッおい⁉︎」


 指先にルカの尖った犬歯が食い込む。が、初めこそ慌てたものの、本気で噛んでいないことにすぐ気がついた。噛み付くと言うよりは、犬歯を押し当てるようなそれは、甘噛みとすら呼べるかどうか。


「アハハ! ビクってした!」

「これだけだったのか?」

「うん。本当に食べられちゃうと思った?」

「……割と捕食に近いことはあるかもって思った」

「えーー⁈」


 心底心外だと声をあげるルカ。


「アトラって怖がりだよね……」


 今度はオレが心外だと訴えたかったが、怖がりすぎた自覚があるだけに声が出ない。ぐうの音も出なかった。

 だから、つい反撃の糸口なんて探してしまい、見つけてしまった。


「慎重って言ってくれよ。ルカは怖がりじゃないにしたって、無計画過ぎる。さっきの森での件だって、カラキリが振り向いてたらどうしてたんだ」

「森で……? ……………………、?」

「おいおい……」


 その認識のなさはちょっと困る。

 森でルカとカラキリの誤解(?)を解き、2人の緊張も解けたタイミングで、オレは血溜まりや死体に関してルカに説明しようとした。しようとして、振り返った。

 すると、不思議なことに死体も血溜まりも消えていて、代わりに血溜まりのあった場所にはルカが立っていた。一瞬でマズいと思ったオレは、カラキリの背中を押して、とにかくそのあまりにも不自然な現象に気づかせないように振る舞ったのだった。


 あれは本当にヤバかった。見つかったら弁解が難しいし、今後あんなことは絶対に繰り返さないでほしい訳だが、当の第一容疑者はこんな意識の低さである。


「いや、だからさ——」


 オレはため息を吐きながら、“森での件”を説明する。途中で「ああ、そっか」と思い出すだろうというオレの予想はしかし、終始変わらないルカの困惑顔に裏切られる。

 ついにその困惑は説明を終えてすら変わらなかった。その頃になると、困惑はオレにも伝播していた。


「おい……? なんで分かってないんだよ……」

「ごめんね、アトラ 。でも……血なんて見てないよ? 死体も……見てない」

「はあ?」


 そんなはずない。だってルカも血や死体について何か言って……………………いや。

 ……………………言って、ない。ルカは一度として、あの死体にも血溜まりにも言及してない。

 した気になっていたのは、あんなものを見て何も言及しないはずがないからだ。

 にも関わらず、ルカは言及していない。それはやはり、ルカは見ていない。気づいていなかったことを意味する。


 だが、それこそあり得るだろうか?

 ルカはあらゆる面でオレより優れている。それは感覚においても言えることだ。あんな血生臭い、香ばしいものに気付かずにいられるはずが無いのだが……。


 こうなると、単純にルカが嘘をついていることを疑いたくなる。が、ルカはこんな嘘をつくタイプじゃないし、困惑が本当であることも、オレには分かる。


 じゃあ嘘なのは……オレか? オレの見ていたもの、体験したことが嘘なのか? カラキリはそこら辺どうだったんだ?


「…………やっぱり起こそうか」

「えーー! ダメだよ! さっき遊ぶのを邪魔したんだから、アトラも我慢しなきゃダメ!」


 厄介なことに、今は聞けそうにない。ルカの視点では、オレはおもちゃで遊ぶのを止めた上に、自分だけは遊ぼうとしている傍若無人として写っているんだろう。割と本気で怒っている。


「ん?」


 まただ。何か言われた気がしたが、ルカじゃない。カラキリか……?


「むにゃ……ちよぉ……それはしんでしまうぅ……ぅぅ、む……ぅ」


 なにやら魘されてはいるが、違う。


「どつしたの?」

「……いや、また何か言われた気がし『————う』っヅおうェ⁉︎⁉︎」

「キャッ!」


 跳ねるように立ち上がる。そのとき、ルカと衝突して転んでしまった。

 

「わ、悪い!」

「どうしたの⁈ なんかアトラ変だよ?」

「今の聞こえなかった——の————か————」


 視界に違和感。違和感の正体はすぐにわかった。視界の隅に、足が見えている。素足だ。ルカでもオレでもカラキリでもない。


「……………………」


 見上げる過程。視線を動かす中で、それは段々と増えて行き…………見上げるころには、足の数は10人単位に増え、足の数だけの人の顔がオレたちを見下ろしていた。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -




「ッ‼︎」


 身体は勝手に動いた。弾かれたように左腕が跳ね上がり、伸びた黒い爪は唸りを上げて空を裂く。

 手応えらしいものは感じられない。それが爪の切れ味によるものではないと直感して、押し倒してしまった少女と、少女のような男を引っつかむ。


「走る! ルカは刀を離すな!」


 返事は待てない。行手を阻む連中を下に眺めて、着地する。そしてすぐに加速した。もしもヤツらに実体があるなら、蹴った土砂や石で殺せたかもしれない。それくらいには全力だった。


「なんだ⁈」


 違和感の原因はすぐに分かる。走っても走っても、この廃村から出ることができない。確かに走っている。今更にカラキリが慣性に殺されてはいないかと心配になるほどにだ。


 だが、たどり着けない。あの、確かに見ているあの坂を駆け上がることができない。辿り着けないのだ。


 すぐに悪寒がした。


「ッ、調子に————」


 視界を紅く切り替えて、ありったけの殺意を込め振り返った。


 顔が……あった……。


「————————」


 コンマ数秒の、しかし永遠に思える不気味な一瞬。疲れ切って生気を失った目が、無感情に向いている。そして正面から見つめる男の顔が、表情が動き、口を開いた。


『————』


 それっきり、ヤツらの全てが掻き消えた。本当に、消えてしまった。


「………………『ありがとう』って、なんだよ」


 救ってくれて、ありがとう。そんな声とも意志ともつかないものを残して、ヤツらは消えてしまった。本当に全てが一瞬で、訳が分からない……。白昼夢と言われれば信じてしまいそうだった。

 後に残されたのは、突然蛮行を働いた男が1人と、その蛮行を咎める目。そして…………。


「うっ、ぷぶ……」

「っ、無事か、カラキリ⁈」

「ゥおrrrrrrrrrrrrrrッ‼︎‼︎」


 びちゃびちゃと全てを吐き出すグロッキーだった。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



「ハグ! むぐ、もぐ。アグ! ムグ!」


 机に並んだパンやスープや塩辛い何かの肉が、次から次へと消えていく。それを豪快だとか気持ちがいいとかいう声が聞こえてくるうちは良かったが、カラキリのペースが空になった皿を10枚積んでなお衰えないのを見ると、次第にざわめきも消えて、20枚目を超えた今、店内には大食らいの咀嚼音が響くのみだった。


 オレの隣にいる人物が、面白そうに眺めている唯一の観客だ。どうやらどこまで入るか気になってしまったらしい。積み上げられていく皿を、にこにこと見上げて『おかわり』を注文している。


「いやぁかたじけない。宿の手配のみならず飯まで馳走になるとは」

「オレはなにも。飯代はルカ持ちだ」

「カラキリさん、まだ食べられるよね?」

「む? いや、流石に腹8分目——」

「じゃあ入るんだ」

「入りはするが、わしはほら、国太刀ゆえ。国太刀たるもの常在戦場の構えでなくては。満腹で動けぬなどという醜態は——」


 国太刀がなんなのか知らないが、見上げた姿勢である。が、この大富豪の真祖にはまるで関係なかった。無情にも注文された品々が運ばれてくる。カラキリは出された以上粗末にできんと、ややペースを落としながらも平らげていく。

 そんな健気な奮闘を眺めながら、オレはなぜこうなっているのかを思い起こしてみた。


 自分のせいで完全にノびてしまったカラキリを背負い、ルカからは怒りと戸惑いと心配がごちゃ混ぜになった態度を取られながら、オレはとにかくカラキリを安全な場所に届けてやらなければならないと考えていた。


 本来そこまでする気はなかったはずだが、それはこいつに元気が有り余って見えたからだ。弱ってしまった————もとい弱らせた今のこいつを放っておく気にはなれない。

 主な原因がオレ自身なら尚更に。


 そんな訳でルカとの間に微妙な気まずさを抱えながら歩き続けてしばらく。日は真上を過ぎて、復路を数歩進んでいた。視線の先に町を、今度こそ本当の平凡な町を見つけたのだった。

 そこで安宿を見つけてカラキリの部屋……というよりをとり、そのころには歩けるまでに回復していたカラキリと別れを告げようとしたところで、カラキリもを見たことを告げられた。


 結果、ルカはようやくオレの言うことを信じてくれた訳だが、思わぬ助け船を出されたオレとしては、何か礼をしたかった。そこでカラキリに何かしてほしいことはないかと尋ねたが、なぜかカラキリは頑なに拒む。

 曰く、これ以上何かしてもらうわけには行かないらしい。


 しかしそこでカラキリの腹の虫が鳴いたことで、こうして量だけは揃えた店に入ったのである。ちなみにオレは無一文であることに入ってから気づいたため、支払いはルカということになった。使い方がよく分からないからと、支払い自体はオレがするみたいだが。


「ぐく……もう……入らン……」

「おいまた吐き戻す気か⁈ もうやめとけ!」

「しかし…………」

「注文した分はオレが食べるって……いいから少し休んだ方がいいぞ。今にも破裂しそうだその腹」


 かたじけないとか細く呟いて、カラキリは外の空気を吸いに店から出る。それを厳つい顔をホクホクさせた店主が見送った。思わぬ上客だ。そりゃ上機嫌だろう。


 というか、あのオッサンはオレたちに支払い能力がない可能性を疑わないんだろうか? ……疑わないんだろうな。なんたって、ルカの姿格好は完全にどこぞのお嬢様だ。身に纏う物も空気も違う。


 冷や汗を流すカラキリの後ろ姿が見えなくなったのを確認して、オレは皿の枚数を数えているルカの方へ顔を寄せる。「ろくじゅうし……」とか聞こえた。


「なあ、ルカ。結局ルカはあの廃村で本当に何も見なかったし感じなかったんだよな?」

「うん。アトラがおかしくなっちゃったんだって、本当に心配した……」

「悪かったな。でさ、オレやカラキリの話を聞いて、こう……何かピンと来たりはしないか? ヤツらの正体っていうかさ、これかも知れないみたいなヤツ」

「う~ん…………」


 視線で天井を撫でながら、指でテーブルをコツコツとする。こういうときのルカの仕草は、ルミィナさんの影響を多分に受けていた。

 が、ルカがやっても子供っぽいだけだ。本人は至って真剣なので、あえて口には出さないが。


「聞いたことないと思う。ルミィナが教えてくれたことはないはずだよ? 私から訊いたこともないから分かんない」

「あれが何だったのかは分からずじまいか。何となくオレが止めた魔法陣と関係ある気がしたんだけどさ…………ああ、それも見てないんだったか」

「うん」


 今のところ、ルカにも分からないならお手上げだ。あとはルミィナさんに訊くくらいだが、おそらく話だけでは何とも言えないんじゃ無いだろうか。

 その場合、あの魔法陣の場所までもう一度行けるかどうかも問題になってくるし……そもそもルミィナさんがそこまでしてオレの疑問に答えようとはしそうにない。


「はあ」


 そこまで考えてから、オレは今回の件をため息と共に忘れることにした。考えても分からないし、いつまでも悶々とするのはストレスだ。


 ため息ついでに少し小言が出てしまったのも、まあ仕方がないだろう。


「話は変わるけど、ルカ。さすがにどの貨幣がどの程度の価値かは覚えておけよ。物々交換でまわる村ならともかく、この先街に行かない訳じゃないだろ?」


 知識がなければトラブルも増える。騙されて気づかず大損するなんてしてほしく無い。そもそもこれくらい知っておかないと1人で買い物もできないわけで。


「あまり使わないからすぐ忘れちゃうんだ。うん、ちょっと頑張ります」

「おどけてるとこ悪いんだが、ルカは今まで金を使って来なかったのか? なんかいつぞやに行商人から買ったとか言ってた……なんだっけ、ほら。なんかあったろ、いくつか。そのときはどうしたんだよ」

「普通に買ったよ? ちゃーんと目を見てしたら、いいよーって」

「それ、おまえ……!」


 イタズラっぽく笑いこともなげに言ってのける盗賊に、反省の色はない。オレは呆れからくる硬直から解けると、さらに声を潜めた。


「魔眼で言うこと聞かせて受け取るのを“買う”とは言わないんだよ……! それは“強奪”だろーが……っ!」

「ち、ちがうよ……ふつうに——」

「“お願い”禁止な」


 全くとんでもないヤツだ。ところ構わず力を使うなんて、絶対にいつか教会に見つかることになる。ルカにとってこれがどれだけ自然なことで、『魔眼を使わない』ことが『指を使うな』くらい煩わしいことだとしても、それは慣れてもらわなければ困る。

 教会にあまり詳しくないオレたちは、少なくとも注目されるのは避けなければならないはずだ。


 表情を暗くするルカに胸を痛めつつ、ここは心を鬼にして——吸血鬼が言うのもおかしな気がするが——きちんと徹底すべきだろう。

 が、さすがにちょっと思い詰め過ぎている気がする。言い方がキツかったか? いや、これくらいで……だけど、なあ…………。


「どうしたんだよ、ルカ。その、一応これでもルカのためを想って——」

「————かな?」

「へ……?」


 何か言われた気がする。とても不吉なことを言われた。脳が聞かなかったことにするくらいには、不吉なことを。

 正直2度と聞きたくないし、聞き返すなんてまっぴらごめんだったが、そんなこと怖くて出来なかった。


「なんて……言った……?」

「お金、足りるかな?」

「…………うそだろおい。ちょ、ちょっと見せろ!」

「はい」


 あっけなく渡された革製の包みは、ズシリともジャラリとも言わなかった。すぐさま中を確認して、天を仰ぐ。天井に巣を作った蜘蛛が、引っかかったホコリにそっぽを向いていた。


「ルカ……」

「ごめんね……」


 さすがにしょんぼりするルカに、さてどうしたらいいんだと頭を抱える。おそらく足りなければ足りないで、魔眼を使うつもりでいたんだろうルカの軽率さにも、なんだか本当に頭が痛かった。


「アトラ。やっぱり今回だけは——」

「ダメだ」


 ルカの言わんとすることを、機先を制して止める。


「ルカ。この町にも一応教会があっただろ? 迂闊なことはできない」

「でも……う~ん…………」


 この町の中央の広場に教会と司祭館が建っているのを見た。そのお膝元で真祖の力を行使するなんて、あまりにも危険すぎる。


「お嬢様。お食事は楽しめましたかい?」

「えっ? あ」

「……………………」


 人が近づく気配には気づいていたが、コイツか……。


「お食事が済みましたら、へへへ、そろそろ」


 慣れない表情をしているせいか、店主の精一杯の笑顔が恐ろしい。いや、それとも胸の内のやましさがそう見せているのかも知れない。店主の視線はオレの手元を伺い、手は今にも数日分の稼ぎを受け取ろうと震えていた。


 つまり、もう誤魔化しようもなかったのだ。

 大黒字が一転、実は大赤字だったと知れば、この厳つい笑顔も真っ赤に染まるんだろうな、…………憤怒で。


 そんな確定した数秒後の未来を認めて、オレは重い腰を上げるのだった。

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