慶雲か妖雲か


「ふむ……」


 身じろぎの気配に視線を戻す。見つめ合うルカとカラキリは、その位置を僅かに変えていた。


 再び足音を消して、カラキリはルカの視線にオレを入れない位置へと移動していた。自然とその手は刀に添えられている。

 心なしか、カラキリの纏う空気が冷たいものへと変化していくような錯覚を覚える。困ったのは、それに応えるようにルカからも感情の起こりが消えて行くことだった。


「危険とアトラ殿は言っていたが……察するに女よ————」


 カラキリの声色に明確な敵意が混じる。

 瞬間、空気は凍りつき、風すらも動きを止めた。

 空気の流れがなくなったことで、辺りに死の臭いが一層立ち込める。その香りに一瞬眩暈を覚えながら、奥歯を噛み締めて冷静さを保つ。


「————貴様、アトラ殿の敵か」

「違う! 違うんだカラキリ、落ち着いてくれ。ルカもだ!」


 始まり《《》》の気配を感じて、咄嗟に間へ飛び込んだ。何を始めるつもりだったのかなんて、考えるまでもない。


「アトラ。その人、だれ? 危ないから離れた方がいいよ?」

「いや、ちょっと知り合ったヤツで、悪いヤツじゃないんだ。良いヤツだから大丈夫だから」

「やや、もしやわしの早合点であったか? しかし……今の殺気は普通ではない。怖気が走るなぞ久方ぶりだ。アトラ殿とはどのような間柄か」


 カラキリは警戒を解かない。ルカもルカで、まだカラキリについて結論を出せずにいる。


 とにかく、ここまで助けたカラキリを殺される訳にはいかない。ルカがひとたび戦闘に入れば、目撃者であるカラキリを生かす道は絶たれる。


 始まる前に、なんとか空気を変えるのが急務だった。


「アトラは私のk——」

「——家族だ」


 先を制して、ルカの返答に割り込む。

 今絶対に眷属って答えようとしただろ危ないな……『知られた以上殺す』を狙っているとしか思えない。本当に頭が痛い。お願いだから冷静になってほしい。

 何がルカにそうさせるのか知らないが、落ち着いてくれ……。


「アトラ……」

「ほう…………アトラ殿のご家族であったか……」

「ああ、オレの姉だよ」

「アトラ……!」


 ルカの機嫌が一瞬で持ち直したのが分かった。

 単純なヤツめ。だが今はその素直な性格がありがたい。


 ルカの様子に納得したのか、カラキリの手が得物から離れる。


「……すまぬ、わしの早とちりであったな。アトラ殿のご家族とは知らず、とんだ無礼を働いてしまった……面目次第もない……」


 先程までの剣呑な空気から一転、途端に弱々しくなる。


 感情の起伏が凄まじいというか、それとも切り替えがはやいと称賛すべきなんだろうか。

 なんとも判断に迷うところだ。


「アトラ、この人は?」


 ただ、未だに“姉”の判断は変わらないらしい。ルカの警戒心は相変わらずで、“不機嫌に警戒”から“上機嫌に警戒”へと移行しただけ。

 カラキリをどうするのかは、未だに決せられていない。


「こいつはカラキリ。変わったヤツだけど良いヤツで……えー、そう! 友だちに……なったんだ……」

「なんと! アトラ殿はわしを友と思ってくれるのか⁈ たしかにわしとアトラ殿は胸襟きょうきんを開いて語らった仲と多少強引に言えなくもない!」

「ちょっと黙っててくれ面倒になる」

「へー! もう友だちを作ったんだ!」


 すごいすごいと手を叩いて、カラキリを見るルカの目に初めて興味の光が灯った。

 カラキリを守り切った瞬間だった。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



 朝光が夜闇を払う。もうすっかり地上を支配した早朝の空気が、冷たく森へ降りて来たのが肌で感じられた。


 ひんやりとした風が、木々の葉をサワサワと揺らしている。まるで眠った森を揺すり起こしてるみたいだ、などと子どものような感想を抱きつつ横を歩くカラキリをチラリと伺う。


「す~~~~…………はぁ~~~~」

「さっきから何してるんだ、カラキリ?」


 ルカを先頭に、オレたちは森を進んでいる。

 街道の方向なら分かるというルカの言葉がきっかけだ。

 しかし、言ってどこか考える様子のルカだったが、目を輝かせたカラキリが方向だけ聞いて歩き出したことで追求することはできなかった。また迷われたら目も当てられない。

 結果、先導役をルカが。カラキリの手綱を握るという面倒役をオレが受け持ち今に至る。


 ルカとカラキリの間に入って会話を繋がなくてはと気を揉んでいたオレを他所に、ルカもカラキリも根っこの部分は似通っているのか、互いに二言三言話してすぐに打ち解けてしまった。

 もう2人は互いに“ルカ殿”と“カラキリさん”と呼び合っている。


(意外と社交性高いんだな、ルカは)

 

 つい口にすればむくれられるに違いない感心を抱いてしまう。

 思えば、ルカが他人と話す場面を見るのはこれが初めてのことだ。

 ルミィナやオレの前では子どものような奔放と無邪気の塊であるルカだが、それは身内限定だったらしい。こうしてちゃんとした振る舞いもできるのが分かったのは、今後行動を共にする側としては一安心だ。


 そしてそんな和気あいあいとしている中、不意に深呼吸を始めたのがカラキリで、先の発言はそんなカラキリへ対して投げた問いだ。


「ああ、これはな……朝の澄明ちょうめいな空気を味わっているのだ。こうしてみると、やはり異国だなぁ……。わしの知る味とはまた違う」

「チョウメイな……空気?」

「透き通った空気ってことだよ」


 器用に後ろ歩きをしながら首を傾げる先導役に補足する。カラキリの言葉はたまに難しい。

 もう少し簡単な言い回しを身につけなければ、おそらく今後苦労するだろう。

 だが、当然そんな忠告はしない。今後も付き合いが続くならともかく、今回限りの仲ならこの程度のことにまで世話を焼くことはないのだから。


「こうした空気の変化も旅の楽しみ。ルカ殿も遠く離れた異国へ行けば、自ずと理解できるはずだ」

「ふ~ん」


 言われてルカは鼻をふすふすとする。が、あまりピンと来ていないのは側から見ても明らかだ。

 案の定もう興味を無くした。


 そんな2人を見ていると、そういえば最初に訊くようなことを訊いていなかったことに気づいた。


「そういえばさ、カラキリはなんで旅なんてしてるんだ? 1人なんだろ?」


 今更な質問かもしれないが、気になったので訊いてみる。オレとしては、ちょっとした質問のつもりだった。

 

 しかし、意外なことにカラキリは腕を組んで考え込む。訊くべきではないことだったのかと、少し後悔。詮索と思われたのかもしれない。


「ムムム……どこまで話して良いのか……」

「いや、話しづらいならいいって。詮索するつもりじゃなかったんだ」

「や、そうじゃないアトラ殿! ふむ、すこしややこしい問題でもあって説明に窮したのだ。

 ざっくり言うとだなぁ……相続のため、だな」

「相続ぅ?」


 思ってもみなかった単語に、思わず聞き返す。

 相続といえば、家族なんかが死んだときの、あの相続だろうか?

 なんで相続のために旅なんてしているんだ、こいつは?

 相続人に旅なんてされたら困るだろうに。むしろ相続が嫌で旅立ったという方がしっくりくる。被相続人に多額の借金でもあって、かつ何かしらの理由で相続放棄が不可能。そんな状況であれば、夜逃げと共に国を発つのも頷ける。

 が、相続のために旅に出るとはどういうことなのか。


 しかし、そんな流浪の相続人であるカラキリの口からは、オレの想像もしない、まさに異文化な内容が語られた。


「わしの国では相続の開始に“仇討ち”を要する場合があって……まあ今回のわしがそうなのだ。

 わしは父を斬った者を討ち取り、正式に“神刀”……つまりは父の地位を引き継がねばならなくなったのだが……いやあこれが本当に面倒で……しかし“神刀”が不在ではのっぴきならぬ状況故、じいに尻を叩かれ海を渡ったという訳だ……。

 はぁぁ…………アトラ殿ぉ……死ぬかもしれんね、わし。

 そもそも父なぞ顔も覚えていないのだしそんなもののためになぁんでわしがいのちをかけねばならんのかちぃともわからんしうんぬんかんぬんかくかくしかじかしのごのとやかくどうのこうの————」


 深い、長いため息。

 一度語り出すともう止まらない。余程ため込んでいたのか、カラキリの語り口調は説明のそれではなく、後半は完全に愚痴へと変わっている。


 要するにカラキリの父親は海を渡った先で殺され、不運にも居なくてはならない立場の人間だった。カラキリがその父の“地位”を相続するためには“仇討ち”の必要があり、はるばる海を越えて親の仇を探しに来たらしい。


 そしてカラキリはこの件で死ぬかもしれないという。カラキリの強さの一端を見たオレには、カラキリがそこらの剣士に負けるのは、ちょっと想像がつかない。つまりカラキリは、父親を殺した相手はそれだけの強者だと見ている訳だ。


 父親の強さを知っていることでそう判断したのか、はたまたもう仇の情報を得ているのか……。


 そんなことを頭の中で整理しながら、止めどなく溢れる愚痴へ、適度に相槌を続けた。


 カラキリの愚痴は、多くの同情すべき事情を含みながら笑いどころもあり、当事者の心情はともかくとしてとても聞き応えのある話だった。木々の雰囲気が変わり、森の終わりを察したルカが歩を緩めるくらいにはである。


 結果として森が途絶えた頃には、オレたちはカラキリの事情にそれなりに詳しくなっていたのだった。


「カラキリさん。あれで合ってるかな?」

「おおぉ、あれだ! 間違いなくあの街道だ!」


 白く幅広な石畳の道を指差して、カラキリは歓喜の声をあげる。

 人の手が入らなくなって久しいのか、街道の石畳からは、その隙間をこじ開けるように逞しい草花が勢力を広げている。

 かなり古い街道だ。普通、こうした街道に雑草が生えても、わだちのように馬車の車輪の通る場所だけは草も避ける。

 だが、そうした様子すらない。


「あまり使われてないんだな。馬車すら通ってないんじゃないか?」

「むぅ……妙だなぁ……わしが森に入ったときはここまで荒れていなかったはずだが……はて?」


 森を振り返って、首を捻る。

 辺りの景色には覚えがあるらしい。


 短時間で石畳の道がこんなに荒れる訳がない。となると、単にカラキリが見落としていたと考える方が自然だ。

 だが、なんとなく違和感もあった。言葉にできない食い違った感覚が。


「とりあえずは村ってのに戻るしかないんじゃないか?」

「ふむ、今はそれが先決か」

「カラキリさんは村に戻ったらどうするの?」

「大見栄を切ってこのざまだ。委曲を尽くし、叩頭こうとうして謝罪する。わしにできるのはそれだけだ……」


 言ってカラキリは歩き出す。肩に力が入っている後ろ姿は、カラキリの緊張を如実に物語っていた。


 後ろ姿は、一瞬空を見上げる。


豊旗雲とよはたぐもか。常であれば、慶雲だと喜べたのだろうな……」




- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -




 第6裁神聖堂の一室。高度の機密性を求められる会議に用いられる会議室には、重い空気が流れていた。高い天井も意匠を凝らした壁や柱も、心なしか窮屈そうに色褪せている。


 長机に座っているのは3人。人数に対して大き過ぎる長机は、本来大人数での使用が想定されたものだ。

 人数分の他に、椅子はもう一席用意されている。壁に立ち並ぶ者が座ろうとする気配はない。そこは今から来る人物のために用意されたものだからだ。


 耳鳴りすら覚える静寂の中、部屋の両扉の向こうから、かすかに足音が聞こえてくる。

 軽く、一定のリズムを崩さないそれは次第に近づき、やがて扉の前で停止した。


「ルミィナ様がご到着されました」


 外からの声と同時に重厚な扉が開かれると、顧問官の制服姿の女が、室内の視線を一身に浴びながら入室した。

 神域到達者、【紅の魔女】ルミィナの姿がそこにあった。


「ごめんなさい。すこし待たせてしまったみたい」

「いいえ、予定の時間にはまだ少しありました」


 形だけの謝罪に司教服の女が答える。司祭服の男は会釈をし、白い軍服姿の男は一瞥のみ。

 三者三様の反応を気にせず、ルミィナはカツカツと足音を響かせて室内を進み、残りの一席へ腰を下ろした。

 軍服の男の、対面に座ったルミィナへ対する視線は鋭い。だが、それを受けるルミィナの表情に変化はない。見惚れる様な微笑の仮面は揺らがない。


 そんな両者を見て、青い司教服の女は口を開いた。


「それでは始めましょう。ルミィナ卿も召還された理由はすでにお察しかと思います。第6裁神聖堂下第18司祭教区のセトナ村の件について、ご説明を頂きたいのです」

「————」


 ギリと、歯を噛み締める音は、ルミィナの対面から。その隣に座る司祭も、態度に表さずとも心中穏やかでないのは誰の目にも明らかである。


 魔女は僅かの緊張の様子もなく——


「私からの説明は変わらないわ。嫌な気配を感じたから焼いた。それが全てよ」


 ——それが何なのかとでも続きそうな返答をした。


「ふざけるなあッ!」


 軍服の男がいきり立つ。その隣の司祭も同感なのか、ルミィナに向ける目はもはや睨みつける域に達している。


「派遣した調査隊を皆殺しにしておきながら、よくも抜け抜けと! キサマは嫌な予感とやらを理由に裁神教会の兵士ごと村を消し炭にしたのか‼︎」

「あれは不運だったわね。まさか調査隊なんて来ていると思わなかったのよ。知っていれば、辺り一帯を焼き払うような手の抜き方はしなかったわ」

「なぜ事前に確認をしなかった⁈ 調査隊がいなくとも、村人はいたかもしれないとは考えなかったのか‼︎」

「いてもいなくても、私のやることは変わらなかったでしょうね」


 ルミィナの飄々とした態度に、男の表情が固まる。額に浮かぶ血管は、今にもはち切れんばかりに浮かび上がり、憤怒の表情には危険な感情すら見え隠れしていた。彼の手元に武器がないのが幸いだった。もっとも、どちらにとって幸いだったのかは言うまでもない。


 だが、男の激情も司教が制するように手を掲げることで抑えられた。あくまで表面上のことではあるが。司教はルミィナの態度に思うところがないのか、はたまたそれらを完璧に抑え込める精神の持ち主なのか、変わらぬ表情と声色で魔女に問いを発する。


「ルミィナ卿。【魔女】である貴女が現場を詳しく見る前に攻撃を仕掛ける。その“予感”というのは、それ程だったのですか?」

「ええ。反射的に更地にする程度には良くないものがいたわね。もしかすると、“悪魔”でも居たんじゃない? 仮にそうだとしたら、寧ろ感謝を受けても良いはずよ」


 ルミィナの視線が、司教へと真っ直ぐに向けられる。悪性へと堕ちた精霊のような“人類に対する害悪”を指す“悪魔”。その“悪魔”の出現を察知できず、悪魔討伐における部外者である【魔女】の手を煩わせたのであれば、それは教会側の落ち度だ。


 事が起きたのが第6裁神聖堂の管理する一帯の教区内であれば、その責任は目の前の司教に問われることになる。もちろん、そこで顔色を悪くしている管区司祭も同様だ。


 青い顔をする司祭を一瞥してから、ルミィナはからかうように司教を見つめる。そこに娯しみを見出すように。


「いいえ、それはないでしょう」


 しかし、女司教は変わらぬ表情で断言した。

 それはセトナ村にいたのは“悪魔”ではないという断定でもある。

 その言葉に、ルミィナの目から色が消える。あるのは、その言葉の真意を見定める魔女の目だ。


「実は悪魔狩りの実績を持つ聖騎士が現場へ入っていたのですが、その際にやはり“良くないもの”を直感したと言うのです。

 それは悪魔とはまた違うものに感じたが、即座に聖槍の投擲により殲滅。手応えと共に気配の消滅を確認したという報告が上がっています。

 だからこそ、私は調査に聖騎士を派遣せず、聖堂騎士を同行させるに止め、後を管区司祭へ任せました」


 司教は一度言葉を切る。

 話を聞いていた司祭は、初めて聞く話に目を丸くしていた。聖堂から聖堂騎士が調査隊の隊員として与えられたのがそういった経緯によるものだとは知らなかったのだ。

 もっとも、即応できる聖騎士がおらず、報告者である聖騎士も対応できる精神状態にないというのも理由だったが、司教は魔女に対しその様な情報を与えるつもりはなかった。


 司教は先程より語気を強め本題へ入る。


「しかし卿は、その後に派遣された調査隊ごと村を焼き払っています。つまりその“何か”は複数存在しているか、同一個体が復活している可能性があるのです。卿はこの一件は終わったつもりかも知れませんが、そうではないようです。

 以上を踏まえまして、今後は我が聖堂主体で調査隊を編成します。

 その際には是非、【紅の魔女】である貴女にもご協力いただきたい」


 その言葉に、ルミィナの目が細められる。この話を長引かせると厄介になる。魔女の嗅覚がそう告げたからだ。


「ええ、構わないわよ。何かあれば魔法師協会に使いを送って。話はこれで終わり?」

「いいえ、あと一つだけお願いがあります」


 切り上げようとするルミィナに、司教が待ったをかける。


「調査に際し、貴女のへの立ち入りをご了承いただきたいのです」

「————」


 来たなと、ルミィナは内心舌を打つ。教会から向けられる不信感と恐れ。それらは普段であれば気にもならないが、こういう場面で鬱陶しさを感じざるを得ない。

 協力の了承を受けた直後のこの要請だ。タイミングも上手かった。


「そういえば報告が遅れていたわね。ごめんなさい」

「いいえ構いません。ご多忙なのは承知しています。それでは、如何でしょうか」

「構わないわ。ただし、条件として事前の報告と、都度私の許可を取ること」

「それは何故でしょうか? 私と致しましては迅速な調査のためにも——」

「それだと命の保証が出来ないのよ。人を入れる予定はなかったから、色々と準備が必要になるの。事前に完全に解除するのは再設置が煩わしいわ」

「貴様! 煩わしい程度で——」

「分かりました。卿のおっしゃる通りに致しましょう」


 軍服を再び手で制し、いくつかの取り決めの後、ルミィナは退室した。僅かに聞こえる足音が遠ざかり、数分して扉の向こうから鈴の音が響く。

 ルミィナが聖堂のこの区画から移動したことを示す合図だった。


「はぁ、皆さんお疲れ様でした」


 司教の言葉に、他2人の空気が変わる。正確には、元に戻った。


「如何でしたか? 何か読み取れたでしょうか」

「すみません……私の眼では、彼女が嘘をついているのかどうか……視れませんでした」


 ひと言も発さなかった司祭が、目頭を揉みながら謝罪する。過度の集中による疲れからか、はたまたの酷使による疲れからか。

 おそらくはその両方によるものだろう。


「ワシは上手くできていましたかな?」

「ええ、本当にお上手でしたよ。おかげで彼女の目をスクルト司祭から逸らせましたから」


 柔らかく深みのある声は、誰が聞いても先ほどまで怒号を発していた人物とは思えないだろう。

 自身の役目を全うできたと分かると、軍服の男は声と同じ笑みを浮かべる。


 司祭が魔眼に注力することで図らずも生じてしまう“睨みつける”という行為。それを自然に見せるため、“睨む”キッカケを作るための役が、つまりはこの“直情的な中年軍人”だったのだ。

 また、騒ぐ役と冷静に切り込む役とがいることで、司祭が静かなことに違和感を抱かせないという効果も見込んでいた。


「しかしスクルト卿の眼でもとなると、魔眼は無理そうですね。これで少しは優位に立てると見込んだのが甘かったようです」


 女司教は思案する。スクルトという司祭の魔眼は、その権能自体は嘘を見抜くという単純なものだ。だが単純故に対処が困難であり、性質上防御も難しいとされる。

 魔眼への対処法である〈対魔眼結界〉はなかった。これは確定だ。この聖堂内であれば、目の前の人間が自身の魔力で魔法を構築すれば、司教にはその発現前でも感じ取れる。

 しかし、その感覚は覚えなかった。


 ならば答えは自ずと出てくる。イヤリングかネックレス。そのどちらかが魔道具である可能性……左耳か、右耳か、はたまた首から提げた方か。

 その全てだろうとまで思い至って、司教は視線を感じて思案に区切りをつける。


「それではワシは次の任務へ向かいますので、失礼いたしますぞ」

「はい。聖騎士ナクラムの放った聖槍の回収を急いで下さい」


 司教の言葉に軍服の男は一礼してから部屋を後にし、部下である壁に控えていた者たちも音もなく退室する。


「さあ、聖槍はなにを貫いたのでしょう。調査結果は、すこし覚悟をしておくべきでしょうね」


 誰にともなく溢れた言葉。それを聞いた司祭は、言い知れぬ不吉なものを覚えるのだった。

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