思い出は遠く、目を覚ます


 なんとなく、これが夢だと分かった。


 そこは屋敷の庭だった。


 大きくはないが、丁寧に手入れをされた花が咲き、柔らかな光が降り注ぐ。そんな庭だ。


「……………………」


 屋敷は大きくはない。それは庭も同じだ。

 それなのに広く、大きく感じる理由は、自身の体を見下ろして分かった。


「なんで……は……」


 まじまじと、子どものように小さくなっている体を見下ろす。


「ん……剣?」


 始めからそうだったのか、手には木剣がしっかりと握られていた。

 小さな体に、この木剣はすこし重い。

 それでも不思議としっくりくる……。


「どうかしたのか、アトラ?」

「え——」


 不意の男の声に振り向くと、栗色の短い髪を汗に濡らした男が、温かな笑顔をこっちへ向けていた。

 上半身は、引き締まった無駄のない肉体をそのまま日の光にさらしている。そして手には、大人用の太く長い木剣が握られていた。


 ——お父さんだ……。

 

 なんで忘れていたのか分からない。

 今日は久しぶりに、剣の稽古の相手をしてくれていたんだった。


「……ちょっとぼーっとしてたんだ」

「何だ、疲れているなら休憩を伸ばすぞ?」

「ううん、いい。はやくつづきやろーよ、お父さん!」

「ダメだ、まだ休憩したばかりだろ? 休む時はキチンと休む。大事なことだ」

「えー! ……わかった。ぼくはいい子だから……休む」

「はははは! ほおを膨らませなければ完璧だったな」


 父の手が頭に置かれ、ポンポンと二度撫でた。

 

 ゴツゴツとした硬い手のひら。

 すこしだけ痛くもあるその手のひらが、力強くて、優しくて、熱いくらい暖かかった。


「そういえば、アトラ。お前、母さんに将来の夢を語ったそうじゃないか。つれないなー、父さんに隠すことないだろ~?」

「う……」


 撫でられる感触に身を任せていたら、不意打ちに触れられたくない話題を出される。

 

 将来の夢。憧れは、もうとっくにあった。

 ただ、それを父に言うのは妙に恥ずかしくて、同時に怖くもあった。


 もし笑われたら……。

 もし、お前には難しいと言われたら……。


 もちろん、父はそんなことは言わないと知っている。

 それでも、やっぱり怖かった。嫌な想像に限って、頭の中に居座り、大手を振って歩き回るんだ。


「…………」


 顔を上げると、さっきと変わらない笑顔を向けてくれている父と目が合った。

 それで、不思議と覚悟は決まった。


「ぼ、ぼく…………に、なりたぃ……」

「ん? 何て言ったんだ?」


 心臓がドキドキとする。

 それでも、勇気を出してもう一度言った。


「ぼく……、ぼく、聖騎士になりたい! お父さんと同じ聖騎士になって、お父さんもお母さんもアリアも守りたい……!」

「……………………」


 ずっと思っていたことを、叫ぶように吐き出した。


 一瞬の沈黙。

 父は、余程に意外だったのか、目をパチクリとさせて、次の瞬間——


「え——うわあ!」


 満面の笑みで、ぼくの小さな体を抱き上げた。


「あっははははは! そうか聖騎士か! 俺と同じ……父さんみたいな聖騎士かー! ははははは!」

「わっ、わわわ……!」


 撫で、キスをして、高い高いをしたと思えば、強く抱きしめる。

 怖れていたのと違って、父のはしゃぎ様はすごかった。


 窓から見ていた母も、呆れ顔で庭に出て来る。それを見て、父は自慢気な表情を浮かべた。


「おおアリシア聞いたか?! アトラはなぁ、ははっ、アトラはなぁ、俺みたいになりたいって——」

「はいはい、聞こえてたしこの前アトラから聞いていたから落ち着いてねナクラム。アトラが目を回しちゃうから」

「っと……悪かったなアトラ。父さん、ちょっと興奮していた」


 父の強烈なスキンシップからやっと解放された。

 母の言うように目は回っていたけど、こんなに喜んでくれたのが嬉しくて、照れ臭くて、クラクラが治っても目が回っているフリをしてごまかした。


「けどねナクラム。あまり真に受けすぎてもダメなんだからね? あなた、張り切りすぎちゃうところがあるんだから……」

「わ、分かっている、大丈夫だとも。さ、そうと決まれば特訓だな、アトラ! はっはっは、任せろ! 父さんが必ず聖騎士になれるところまで引っ張ってやるからな!」

「はぁ……ケガしちゃダメよ?」


 父の様子にため息を吐きながら、母の顔は明るかった。

 

 当たり前の日々——


 もう見れない、失った光景——


 ごめんなさい……もう、聖騎士にはなれないんだ——


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


「ぅ……ん……」


 まどろみから抜け出して目を覚ますと、なぜか視界はぼやけていた。


「——ん、涙……? 泣いてたのか、オレ……?」


 顔に触れた手は、目から溢れた涙で濡れていた。

 理由は分からないが、ひとまず服の袖で涙を拭った。


 と——


「あれ? この服……オレのじゃない……」


 村で目覚めた時は、確か腹部にボロボロの孔の空いた服を着ていたはずだ。

 それが今は、シミひとつなく肌触りのいい服に変わっていた。かなり上質なものだと思う。


「村のときと違う。村の、とき……そうだ!」


 村での出来事が一瞬で頭に浮かぶ。


 転がる死体、武器で襲ってきた男たち、そして……白銀の槍……孔。


「っ——!」


 体に掛けられた布団を跳ね飛ばし、服をまくりあげる。

 そこには、貫かれて出来た孔が——無かった。


「どう、なって……」


 孔は確かにあったはずだ。

 記憶をたどっても、孔が無くなった記憶はない。

 

 なら、そもそも孔などなかったのだろうか——


「ありえない。あんなのが夢だったはずがない」


 夢にしては、あれはあまりにも生々しかった。

 

 貫かれた時を思い出す。

 始めは、貫かれたとは気づかなかった。

 貫かれたと気づいた後も、痛みが襲ってくることもなく、ただ感覚が孔の付近から徐々に消えて、自分が欠けていく……それが何よりおぞましく、そして恐ろしかった。


「…………ふぅ、落ち着け……落ち着け……」


 思い出すと、気分が悪くなる。

 落ち着こうと、胸に手を当てて目を閉じて、少し上を見上げる。


 相変わらず鼓動は感じられない。

 心臓は動かず、死ぬときは灰になる……。


「本当に……人間じゃないんだな」


 ぽつりと、未練がこぼれた。


「はぁ…………で、ここはどこだ?」


 少し落ち着いて辺りを見れば、またも知らない場所だ。

 もっとも、知っている場所なんてないのだが。


 目を覚ましたオレは、なぜか知らない部屋で寝ていた。


「埃っぽいな。あと……本がたくさん」


 部屋の特徴は、とにかく本がたくさん積まれているというくらいで、その他は至って普通の、木造家屋の一人部屋という雰囲気だ。


 何となく、一番近くにあった本を手に取ってみる。赤い色が特徴的な本は、タイトルも赤に似合うものだった。


「『誰でも簡単! 楽しく出来ちゃう拷問術 ~入門編~』…………」


 ソッと元に戻した。

 今度は紺色の本を手に取る。


「えーと? 『歴史に見る三国間の緊張関係・後編』——なんか難しそうだな」


 また戻した。


 そうしていくつかの本を取っては戻しを繰り返していると、部屋の外から近付いてくる気配があった。


「えっ、まず——!」


 反射的に本を戻そうとして、積み上げられた本に手が当たった。本の塔が、ゆっくりと嫌な緩慢さで倒れていく。


 それが音を立てて崩れ、埃を舞いあげるのと、部屋の扉が開かれるのとは同時だった。


「開けるわよ——あら、何? 随分と散らかしてくれてるのね」


 入って来たのは、赤く艶のある長い髪に、赤と灰色のローブが特徴的な女性だった。

 女性は、部屋の惨状と埃臭さに目を細める。


「目覚め時くらい静かにできない? 小さな子供を相手にする気分よ————」

「おわっ?!」


 女性が呆れた表情を浮かべながら指を振るうと、一陣の風が吹き、部屋中の埃やチリを集めてまり玉ほどの球体を作る。

 それは一瞬空中に留まった後、自然の法則に従って落下し、床に落ちる直前に燃えて消えた。


 部屋には埃一つない。

 今の一瞬で、『本で散らかった埃臭い部屋』は『本で散らかった埃一つない部屋』になった。


 ……オレのぶちまけた本は相変わらず散乱している。


「すごい……これ、魔法……か」

「魔法は初めて、坊や? こんな使い方をするのは珍しいけれど、使えたら便利よ」


 女性が部屋に入ってくる。

 どうなっているのか分からないが、床に広がった本は女性が歩くのを妨げない様に道を開ける。


「————————」


 その不思議な光景を、ただ口を開けて見ることしかできなかった。

 頭が目の前の光景を理解しようと回転するのに、まるで間に合わない。


「間の抜けた顔ね。もうすぐルカちゃんも来るんだから、これでも飲んでシャンとなさい」


 女性が、持ってきた盆を置く。

 それだけで胸の双丘が揺れた。


「ぁ……どうも……」


 色々と突然すぎて、気の無い返事を返すのが精一杯だ。

 

 女性はそのまま何も言わずに、こちらを一瞥してから退室した。

 扉が閉まる音がした。


「————はっ! 色々訊きそびれた!」


 女性の閉めていった扉を眺めること数秒。

 本来ならまっさきに訊くべきあれこれを、何一つ訊けていない。


「誰か来るって——ルカ……だっけ? ルカって誰だ? いや、そもそもここは? さっきのは誰なんだ?」


 いくつもの疑問に、当然扉は答えない。

 部屋の静けさが虚しい。


(そういえば、あの人は何かを置いていったよな。何を持って来たんだ?)


 盆の上に目をやると、そこには一つのカップが置かれていた。落ち着く為に、まずは一息入れるのも良いかもしれない。


「……とりあえず、飲み物でも飲んで落ち着こう。まだ誰か来るみたいだし。それまでの辛抱だ……」


 置かれたままになっているカップを手に取って、一口飲んでみた。

 途端に、柔らかな味が口に広がり、落ち着く香りが鼻に抜ける。

 そのまま飲み込むと、胃に落ちた温もりがじわ~と身体中に広がり、染み込んだ。


「——ホゥ……おいしい……!」


 経験したことのない味に、思わずカップを見る。

 

「なんの飲み物なんだ? 色は……ちょっと赤っぽいな」


 カップの中で揺れている液体は特に色を持たなかった。

 ゆらゆらと揺れては、時折キラリと不思議な光の粒子を浮かべる。

 カップの底には赤いものが塗られていて、それが液体に赤く溶けていた。


「——ふぅ。あっという間に飲んじゃったよ」


 カップの中身を飲み切り、ぼんやり余韻を感じるころには、すっかり頭は軽くなって、寝起き特有の気怠さは消えていた。


(もし、あの女の人が入って来た時に今くらい頭が動いていればなぁ……あんな情けないことにはならなかった)


 そんなことを考えて時間を潰していると、また何かが急速に近づく気配がした。


「こんなに感覚鋭かったっけ? 村のときより敏感になってるような?」


 首をひねる間にも、気配は近づいて来る。

 そして、想像していたよりも軽い足音を立てながら、気配は扉の前で停止した。


 直後——


「アトラ! 大丈夫?!」


 けたたましい音を響かせて、扉が勢いよく開かれる。部屋には一人の少女が入って来た。


「……あ、えー、どうも、はじめまして? ——え?」


 予想外の少女の勢いに、用意していた言葉がどこかへ飛んだ。やっとのことで、たどたどしい挨拶を口にする。


 返事は返ってこない。少女はズカズカと近づいて来ると——


「ちょっとお?!」


 そのまま黙ってオレの着る服を掴み、捲り上げた。


「な、なにして、ぐぅぅッ——うそだろ?!」


 押さえようとする腕ごと上げられる。

 こんな細い腕に、男たちを圧倒していた腕が負けている。完全に力で負けている。


 抵抗するオレを他所に、少女は真剣な顔でオレの腹を見たり触ったりした後、安堵の表情を浮かべて蛮行をやめてくれた。


「よかった……本当に大丈夫なんだね。ルミィナが大丈夫って言ってたんだけど……見るまで安心できなくて」


 よかったを繰り返して、少女は笑顔を向けてくる。

 それを見て、不思議と文句を言いたい気持ちは消えてしまった。


「……まあ、いいよ。えー、そう、それより……ここは、どこなんだ?」

「ここ? ここはねぇ、ルミィナのお家。あの村から安全なここまで運んだんだ」

「ルミィナ?」

「あ、私が来る前に会ったよね? 髪が長くて、赤くて、キレーな人! ルミィナはね、魔法が得意なの。 後でアトラにも見せてあげるね、本当にすごいんだから!」


 キラキラとした目で、少女は早口に語る。

 どうやらこの家の主がさっきの女性で、名前は『ルミィナ』らしい。


 魔法が得意で、少女が頼めばいつでもそれを見せてくれる優しい女性。

 さらに博識でもあり、この部屋にある大量の本はすべて、彼女の著書だという。


(拷問の本なんて書いてる人が……優しいのか?)


 口にはしないものの、不安は大きい。


 さらにもう一点気になっているのは、目の前の少女が口にする『アトラ』という言葉だった。


「——それでね、その時にルミィナが——」

「ちょ、ちょっとごめん。教えてほしいことがあるんだ」

「ん? どうしたの?」

「その、さっきからオレのことアトラって呼んでないか?」

「……? アトラはアトラだもん、当たり前でしょ?」

「ってことは、オレはアトラなのか……。アトラ……そっか……」


 自分の名前を聞いて、胸がざわめいた。

 嬉しい以外にも沢山の気持ちが溢れて、なんだか泣きそうになった。

 安心が一番強いかもしれない。自分が誰なのか分かって、なんだかたまらなかった。


「えっ、アトラ? どうしたの……どこか痛い?」

「ぃや……なんでもない……。……君が、ルカ……だよな?」

「う、うん。急にどうしたの? ルミィナを呼んできた方がいいのかな……」


 『ルカ』は扉とオレとで視線を往復させながら慌てている。今にも『ルミィナ』を呼びに飛び出しそうだ。


 その前に少女の手を掴んで、最も伝えないといけないことを口にした。


「じゃあ、ルカ。聞いてもらいたいことがあって……」

「——うん、なに?」


 何かを感じたのか、ルカの表情が真剣なものに変わる。

 それを見て——


「実はオレ……記憶がないんだ」

「————え?」


 ——オレは、自分の欠陥を伝えた。

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