人外の少年、怪物の少女
ルミィナの家は魔法による特殊な造りをされており、不自然なほどに広く、部屋数も多い。
そんな数多の部屋の一つに、三人はいた。
部屋の中央に鎮座する重厚なデザインのテーブル。そこには2つのカップが置かれ、落ち着いた香りを漂わせている。……アトラの分はない。
「——そう。記憶を失う……あり得ない話ではないわね」
造りの良い椅子に優雅に腰掛けながら言うのは、この家の主であり、謎多き妖艶の魔法師——ルミィナだ。
彼女はアトラの抱えている欠陥を「あり得る」と肯定し、目の前の少年からその隣の少女へと視線を移した。
「いつまで拗ねてるのよ、ルカちゃん」
「ぶぅ……アトラ、私のこと忘れた」
視線の先では、膝を抱えてほおを膨らませる少女が恨めしそうに少年を睨んでいる。
白磁の様に白く美しい肌と、それとは対照的に腰まで伸びる黒髪が目を惹く。可愛らしい白の上着に、フリルの付いた黒いスカート。そんな服装で座る彼女が、アトラをルミィナの家まで運んで来た張本人——ルカだった。
そんな彼女に睨まれているアトラは、居心地が悪そうに頭を掻いて、誤魔化すように固い笑みを貼り付けている。
「それは坊やの意思にかかわらず起きたものよ。それにね、男なんてそんなものなんだから。過度な期待はよしなさいな」
「ブッ! 男とかは関係な——いと……思います……」
ルミィナの鋭い視線を前に、アトラの語気はみるみる小さくなる。
「えー……そう、オレの記憶がなくなったのがあり得ることって……それは、どういうことですか?」
視線から逃れるべく、早々に質問に移る。
ルミィナは自分について何か知っている。そうでなければ、今の様な肯定は出て来ない。
そう考えての質問でもあった。
「あ、それは——」
「ルカちゃん。坊やには正しく現状を認識させる必要があるの。少しだけ、私に任せてもらえる? ごめんなさい」
「…………うん、分かった。ルミィナに任せるね」
こうして、ルミィナの口から村で起きたことの一部始終が語られる。
それはアトラにとって、想像だにしないものだった。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
「まず、坊やが目覚めた村だけれど……どうやら盗賊に襲われたみたいね」
「はい……」
最初に出た言葉は、オレの目覚めた村についてだった。
オレが聴いたのは、オレの記憶がないことについてだ。なのに、返って来たのは村についての話題……。
長い話になる気がした。
「オレ、どうしてあの村で……。もしかして、オレはあの村で暮らしてたんですかね?」
「ええ。ルカちゃん曰く、坊やはあの村の住民だったみたいよ」
「ルカ曰く? どうしてルカがそんなこと知ってるんだ? この家で暮らしてたんじゃないのか?」
意外な人物に、視線をルカに向ける。それにルカが何か言う前に、ルミィナが口を開いた。
「ルカちゃんと坊やは以前から面識があったそうよ。まあ、私も今日知ったのだけれど……。森で迷った坊やを助けたのをキッカケに、以降は偶に森で会って話すようになった——そうだったわね、ルカちゃん?」
「うん。そしたら、今日は遅いなって思ってね、こっそり見に行ったら……」
「村が……襲われていた……?」
ルカがゆっくりと頷く。
「そこで急いで村に近づいてみると、死に掛けの坊やがいた。ルカちゃんによると、その時の坊やは酷い状態だったみたいね。顔は陥没するほど殴られて、手足は何度も踏み折られていた。その上、腹部は刃物でグチャグチャにされるまで刺されていたそうよ?」
「……それは………………」
「坊やの記憶が無いのはその時の影響もあるでしょうね。ここまでされるなんて——何をしたのかは知らないけれど、余程の恨みを買ったのね」
「……………………」
その場面を想像して、気分が悪くなる。厄介なのは、その時の記憶に限って、僅かに思い出せるということだ。
腹部に、疼くような痛みを覚える。分かってる、記憶による錯覚だ。
ただ、こんな傷は到底助かるものじゃない。
「でも……オレは生きてる……」
「そう。ルカちゃんに感謝なさい。坊やが生きているのは、その場に駆け付けたのがルカちゃんだったからよ。他の誰が来ても、その時の坊やは助けられなかったんだから」
「ルカが——?」
思わずルカをまじまじと見つめた。
ルカはオレより小さい。多分、頭半分くらいの差はあるだろう。腕も細く、年齢こそ大差ないだろうが、死に掛けの人間をこれほどまでに治癒する手段を持っていたとは……どうにも信じられなかった。
他の誰でも、オレを救えなかったとルミィナは言う。
なら目の前の少女は、実はものすごい人なんじゃ……。
「ルカが……なのか?」
「うん……そうなの……」
だが当の本人の様子はおかしい。どこか浮かない表情を浮かべているというか、怒られるのを待つ子どもの様に、その肩は震えていた。
その震えに気付いた時、ルミィナの口からその言葉が飛び出た。
「そう。その致命傷の坊やを助けた方法が、坊やが記憶を失った主たる原因であり——坊やが人間でなくなった原因でもあるわ」
「————え?」
ルミィナの言葉をあまりに無防備に受けて、思考は漂白され、身体は固まった。
視線はルミィナの赤い目に捕らわれて、蛇に睨まれた様に動けない。
なぜ知っている? どうやって知った? オレは何も言っていなかったはずだ……!
「なん……で、それを…………」
「あら? まさか、気付いていなかったの?」
「だから、なにを……」
「坊やに出した霊薬——あのカップに入っていた液体だけれど、少し赤くなかったかしら?」
まだ衝撃から立ち直れていない中、印象的だったあの飲み物を思い出す。
そうだ、たしかあの飲み物はカップの底に塗られていた赤いものが溶けて……少しだけ赤かった。
実を言うと、もう一度出してもらえるかもと期待していた。でも、その飲み物がなんだと言うのか。
「——あれね、血なのよ」
「————————」
………………………………嘘だ。
「あの霊薬は味が独特なのよね。坊やには合わないと思って、底に血を塗っておいたのだけれど——フフ、美味しかった?」
「おいしい、わけ……」
声が震える。
ルミィナは全てを見透かしている様な目を向け、まるで戸惑っている様を愉しむようにそれを細めた。
「その様子だと、坊やは自分が人間じゃないのは分かっていても自分の種族までは分かっていないのね」
「オレの、種族……?」
「ええそうよ? 興味、あるわよね?」
不思議と、それを考えていなかった。
自分が人間でないことは知っている。嫌というほど知っている。
だが、その種族までは考えなかった。
それが単に思い至らなかっただけなのか、それとも考えたくなかったのか……それはオレ自身も分からない。
それでも、これから生きていく為には向き合わなければならないことだけは、間違いのない事実だろう。
戸惑うのも混乱するのも後だ。今は、今だけは向き合わないと。
「……心の準備はできたみたいね」
「はい。教えてください……オレの、正体を」
決意を込めた視線を受けて、ルミィナはクスリと笑ってから、カップを一度傾けて——言った。
「——坊やの種族はね、ざっくり言ってしまうと“吸血鬼”って言うものよ。他者の血を取り込むことで活動する吸血種。その中でも最上位に位置する種族ね」
「吸血鬼……」
なんとなく聞いたことがある気がする。
うまく思い出せないけど、自分はそれをどこかで聞いたはずだ。
…………思い出せない。
「この吸血鬼には二種類あるわ。一つが、元から吸血鬼として生まれた者。これが“真祖”よ。もう一つが、“真祖”の血によって吸血鬼へ生まれ変わった者。これは“虚祖”と呼ばれているわね。この二種の内、坊やは明確に“虚祖”よ」
“真祖”は生まれながらの吸血鬼。
“虚祖”は生まれ変わりの吸血鬼。
オレの場合は人間から吸血鬼になったから、つまり“虚祖”だとルミィナは言う。
「ん? …………あれ?」
何か、おかしい。
「オレが“虚祖”ってことは……オレ……“真祖”の血を……」
「そうね。坊やが“虚祖”として吸血鬼になったのなら、坊やに血を与えて眷属とした者——“真祖”がいるはずだって言いたいのよね?」
そう、アトラという人間が“虚祖”としてここにいる以上、オレをそうした存在がいる。
目が覚めてから、オレは一度正気を失い、記憶がない瞬間があった。それから男たちに囲まれるまでの空白に何かされた?
「簡単なことよ」
ルミィナの視線が、オレの隣へと移動する。ルカは俯いたままだ。
「言ったじゃない。坊やはルカちゃんに救われた。それが人間でなくなった理由だって。人間なら助からない傷だもの。救うなら人間で無くすしかないでしょう? だからそうした。それだけよ」
「ルカ、お前——」
オレとルミィナ、二つの視線がルカに向けられる。
俯いていたルカはオレに顔を向けて——
「うん……。私が、アトラを眷属に……“虚祖”にしたんだ……」
そんなことを口にした。
きっとオレは今、相当間抜けな表情をしてるんだろう。
「ルカが……吸血鬼?」
「うん……。あのね? あの……あの時のアトラ、すごい傷で……見た瞬間に死んじゃうんだって分かったの……」
ルミィナに聞いた話では、いつまでも来ないオレを心配して迎えに来たルカが見たのは、見るも無残な姿のオレだったはずだ。
友人がそんな状態で倒れているのを見た時のルカの気持ちは……オレには想像できない。
けど、ルカの目にあるのはそれを思い出した悲しみだけじゃない気がする。
助けてくれたのになんで、なんでそんなに苦しそうなんだ……。その目に罪悪感を宿すのは、何故なんだ。
「だから、私の血をあげて……眷属にしちゃった。アトラを……人間じゃ無くしちゃったんだ。……ごめんね」
「あ————」
そうだった。
オレは元は人間で、ルカに救われる代わりに吸血鬼になった。それは、ルカのせいで人外になったと言える。
「————————」
心臓が動いてないと知った時の感情を覚えてる。
あの時オレの中にあったのは…………絶望だった。
心臓が止まっていて、なのに生きていて……あの時抱いた絶望は、何に対してのものだったか。
死んでいると思ったわけじゃない。
むしろ、生きていることに絶望した。
何か、大切な約束を破った気がして。
何か、大切な夢が砕けて消えたと分かって。
それが何なのか、記憶のない身では分からない。
「……………………」
ルカは不安そうな目でオレを見ている。
オレは——
「ありがとう」
「え——?」
ありったけの想いを込めて、この感謝を伝えた。
今度はルカが変な顔で固まっている。
だからもう一度伝えた。
「ありがとう、ルカ。ルカのおかげで助かった」
「え、あ、アトラは、怒ってない……の? 勝手に眷属にしちゃったし……これからすごく、大変になっちゃうけど……恨んでないの?」
「恨むもなにも、オレは記憶がないんだってば。以前のオレが分からないんだから、前の自分とは比べられないだろ? だから今は、今の自分しか分からない。今のオレはルカのおかげで生きてるんだから、感謝しかないよ」
「————————」
ルカの目が見開かれる。
オレの伝えたいことは、これが全てだ。
もしかしたら、記憶のあったオレなら恨み言の一つや二つ口にしたのかも知れない。でも、今のオレが伝えたいことは感謝だけだ。
再び俯いたルカは、袖で目元をぐしぐしとして——
「うん、どういたしまして! これからもよろしくね、アトラ!」
満面の笑みで、そう言ってくれた。すごい力で手が握られ、ブンブンと振られる。それも、なんだか悪い気はしなかった。
「良かったわね、ルカちゃん。——まぁ、ここで妙なことを口走るお馬鹿さんなら……フフ」
「……………………」
冷や汗がほおを伝う。
迫っていた死を無自覚に回避したらしい。
この身体になってからやたらと気配に敏感になった所為で、ルミィナが本気かどうかも感じ取れてしまう。
「ん、アトラ?」
「ぃゃ、な、なんでもない」
ルカに手を握られてる間、冷や汗が止まることはなかった……。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
ルカとの和解が済み、しばらく雑談をしていた。
ルカの話では、前のアトラは今のオレと少し違ったらしく、一人称も「ぼく」だったと言う。
何だそいつは。ちょっと、自分のこととは思えない。
その他にも、ルカはオレの記憶を埋めようといろんな話を聞かせてくれた。時々嘘みたいに人格者なアトラが出てくる度に、オレは本当に脚色されていないのかを疑わなければならなかった。
いや、本当に誰だそいつは……。
そんな話もようやく一区切りして、ルミィナが唐突に言った。
「さて、ルカちゃんが満足したところで本題に入りましょう。坊やにとっては命に関わることだから、今知っておかないと面倒だもの」
「命に関わること?!」
ルカに解放されてどこか弛緩した気持ちが、ルミィナの言葉で一気に張り詰める。
「ええ。坊やにはまずこの国のことを知って、自分の立場を認識してもらわないといけないわ」
まだルミィナの話は終わっていない。
ルカの口にした「大変」の意味を、オレは知ることになるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます