血の池


 場に静寂が訪れる。


 最前列で少年に襲いかかった男たちは、踊る様に痙攣しながら血と臓物を吹き出す。そして、自ら作った血溜まりに音を立てて沈んだ。


「ハァッ……、ハァッ……、ハァッ……、ハァッ……」


 少年の荒い呼吸だけが、静寂の中に響いている。


 男たちは冷水を浴びせられたかの様に青ざめ、どうしたらいいか分からないと、“頭”へすがる様な視線を投げた。


 手下の一人が、震えながら声を絞り出す様に叫んだ。


「な、なんだよあれ……魔法、か? 引きずり出すなんて魔法聞いたことねえよ……頭ぁ! あ、あのガキ魔法師だなんて聞いてねえ……!」

「……ま、魔導具だ! どんな効果かは分からねえが、あのガキが魔法師なんざあり得ねえ! こんな魔法が使えんなら、教会がほっとくわけがねえ!」


 青い顔ですがり付く手下を突き放して、ブレニッドは怒鳴る。そうであって欲しいという祈りを込めて、自分を奮い立たせる様に怒鳴る。

 

「それに見ろテメェら! アイツらを殺してから明らかに弱ってやがるだろぉが! こんなムチャクチャしやがる魔導具だ、相当な代償があるに決まってらぁ! ……そいつはもう、打ち止めだあっ!!」


 祈りの込められたブレニッドの言葉はしかし、今の手下たちがすがるには十分な説得力と希望があった。


 現に、仲間を惨たらしく殺してから、敵は如実に弱っている。呼吸は荒くなり、元々虚ろげだった気配はさらに弱々しくなっていた。


「死にかけでも完治する魔導具に、ぃ引きずり出す魔導具まであるときた。どれか一つでも手に入れりゃあ遊んで暮らせるぞ、テメェら!!」


 その言葉に、男たちは勢いを取り戻した。


「よくもやってくれたなクソガキ……」

「もう一度腹かっさばいて中身ぶちまけてやるぜ」


 なぜか動かない少年に、憎しみを目に宿した男たちがにじり寄る。少年に、再び殺意が向けられた。



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 気が付いたら、身体は鉛の様に重くなり、地面に膝を付いていた。

 視界の紅は溶け消え、世界は元の正しい色を取り戻している。


 喉が、渇いた。焼けるような渇きとは裏腹に、身体は凍えるようだった。


「ここは……オレ、どうして……?」


 最後の記憶は、自分の心臓が動いていないことに気づいた瞬間だった。そこから先の記憶は、プッツリと途絶えている。


 何とか思い出そうとしているそんな中、不意に足音がして顔を上げた。


「——なッ?!」


 周りを、武装した男たちが囲んでいた。

 向けられるいくつもの視線は、どれも血走った殺意と憎しみに満ちている。


————まずい……!


 身体が警鐘を鳴らし、本能がここから離れろと訴える。


「まっ、なん……、オレ、ちがぅ——」


 あまりに突然の出来事に、うまく言葉が出てこない。

 ただ必死に、「違う」と伝えようとした。


 何が違うのかも分からない。

 でも、そんな目を向けられる覚えはない。

 そんな殺意を向けられる人間じゃない。


 言わなきゃならない言葉が多すぎて——


「ぅ、……ぁく」


 呻きだけが、枯れた喉から漏れ出た。


「よくもやってくれたなクソガキ……」


 殺される。訳もわからず殺される。


 全身の毛穴が開いた様な不快感。背中を伝う冷たい汗に、吐き気の波が押し寄せては引いて行く。


 迫る死の予感に、腹の両わきがヒクヒクと痙攣して、上手く力が入らない。


「ぁ、あぁ……」


 喉からこぼれた震えた声は、男の足に踏み潰された。


「もう一度腹ぁかっさばいて、中身ぶちまけてやる」


 もう一度……。


 中身……?


「あ……」


 何かが、頭をよぎった。


 貫かれる身体、激痛、恐怖…………。


 見下ろす顔は……そう、まさにこんな顔で…………。


「あぁアあ——」


————皆んなと一緒に、殺サレタンダ。


「アァあぁアアぁあァあああぁアああッッッッ!!!!」

「うお——ギャッ!」


 身体は弾かれた様に動いた。

 

 叫んで、叫んで、がむしゃらに腕を振り回す。目の前にいた男の頭蓋が潰れた感触なんて、まるで気にも留めなかった。


「速——カッ?!」

「あぎぃいィい! うでえぇえ、おれのうでがあぁァあァア!!!!」

「剣を弾きやがった?!」

「こ、これも魔導具だってのかよ……!?」

「頭ぁムリだぁ! こ、こいつ、強えぇ! ぁグハッ!」


 いつの間にか指先からは黒い爪が伸び、爪ではあり得ない硬質な音を立てて剣を弾き、男たちを切り裂いて行く。


 剣が体に当たっても、まるで痛くない。


 男たちはただ腕を振り回すだけで、その数を減らして行く。今、また一人死んだ。


「チィッ! これも魔導具か? 一体いくつ持ってやがる……。——短剣は下がれぇ! 盾ぇ持ってるヤツは前ぇ出ろ! 間から槍で刺し殺せぇ!!」


 予想外の展開を前に、“頭”と呼ばれた大柄の男は青筋を浮かべながら叫ぶ。

 すると、男たちの動きが統率のとれたものに変わった。


「オレたちの後ろに下がれ!」

「グゥウッ! 盾ごと持ってかれ……!」

「おい、槍持ってないなら手伝え! 後ろから支えるぞ!」

「なんだこいつぅ! ……槍が刺さんねえ!?」


 爪が盾と衝突して、深い爪痕を刻む。木と皮でできた軽い盾だ。盾の男は爪の斬撃を受け止め切れず、男の体は盾ごと崩れそうになる。

 だがその度に、槍を持てなかった他の男たちがその背中を支え、両わきから槍が突き出された。


 でも、それも痛くない。刺さらない。


 槍の刃は皮膚をわずかに傷つけるだけで、体を撫でて……それだけだ。突き立つことすらできない。


「おかしいだろぉが…………」


 腕を振るい、体を返り血に染める中、誰かの憎々しげな呟きが聞こえた。


「槍を防ぐ魔導具があんなら、あん時に使ってるはずだ。それだけじゃねえ、あんだけの効果だ。一つの魔導具で足りるはずがねえ。あのガキはいくつ持ってやがる? あの格好だぁ、隠し持つにも限界が…………まさか……」


 男のある考えが形を持った時、屋敷から数人の男が、手に何か棒状のものを持って出て来る。

 それが視界の端に見えた途端、鳴り止まない警鐘が一際けたたましく何かを伝えてきた。


————アレは、マズイ。


「か、かか、頭ーー!」

「テメェらぁまだ探してやがったのか!?」

「へい! そんであった、ありやした、お宝ですぜ! 執務室をもっかい調べたら、頭の座ってた椅子の裏に仕掛けがあって——」

「——うるせえっ、テメェの目は腐ってんのか!! 今はお宝だの言ってる場合じゃ——」


 場違いな声を発する手下に、顎を砕かんという勢いで振り下ろされた拳が、止まる。


「——待て。テメェそれは……」

「ヒッ——え? ……あっ、へ、へい! おのぞみの“聖具”でさあ」

「っ! そいつをよこせ!」


 返事を待たずに、男は手下の腕からソレを引ったくると、盾の男の元へと駆け寄る。


「うがっ! なっ、盾が!?」


 がむしゃらな斬撃で、すでに盾役は5人に数を減らし、槍を構えているのも10人程度になった。

 

 邪魔だった槍も、もう気にならない。

 痛くない——刺さりもしない槍なんて、まるで気にならない。


——人間ゴトキ。


 そんな考えがチラつく。


 爪から心地いい感触が伝わる度に、ドス黒くて何か粘性のある感情が湧いてくる。どこか冷静な自分が、ソレに呑まれたら終わりだと告げていた。


 でも、止められない。


 熱を持った思考は、冷静になれという考えすら燃やして捨ててしまう。


 だから、止まらない。


 止めたくない。


「どけぇーーーー!!!!」

「か、頭?! あぶねぇ、さがれ頭ぁ!」


 思考が赤熱し、再び視界は紅く染まり始める。

 

————哀れな血袋たちを、今こそ殺し尽くして、吸い尽くそう。それはきっと素晴らしい瞬間だ。


「こんのバケモンがあぁああ!!!!」


 大柄の男が、何か棒状のものを突き出す。

 熱に浮かされた様な頭では、それが何なのか分からない。だがそれを向けられてはならないのは理解していた。


 それでも、躱すには油断が過ぎた。

 下がろうとした足を、紅い思考が止める。

 人間を相手に下がることを、その思考は許さない。


 だから、躱せないのは当然だ。


 次の瞬間、男の突き出したソレは、狙い違わずオレを捉えた。


「グ……?」


 なんだろう、これは……?


 腹部に、銀色の細い棒が……おし当てられている……。


 なぜかちからが入らない……。


「せなか……あつ……」


 あつくて あつくて 手をまわすと 何かにふれた 。


 気になってせなか をみる と


「あ゛…………?」



——背中から、白銀の槍先が生えていた。



「グ——ギ……」


 氷水を浴びせられた様に頭の熱が消え去り、同時に、空けられた孔から感覚が死んでいくのを感じる。


 同時に理解した。

 ずっと感じていた悪寒、聞こえていた警鐘は、全てこの槍に対してのものだったんだ。


「ガあぁあああぁあああ……あ……ぁ!?!?」


 槍が捻りを加えられながら、乱暴に引き抜かれた。


 カクンと膝が抜けた。

 気づけば、視界にはまだらに紅くなった地面が広がっている。


 倒れた感覚すら、なかった。

 孔を開けられたというのに、そこに痛みはない。それがなおのこと不気味で恐ろしい。


「頭……そいつは……?」

「…………屋敷で見つけたってぇ“聖具”だ。見た目通りならぁ聖槍になるんだろうな、こいつぁ……」


 “聖具”たる槍の穂先が掲げられる。

 柄と同じく白銀色のその穂先は、敵の血によって紅く汚れている。


 そして次の瞬間、それは起こった。


「「「————ッ!!」」」


 その現象に、男たちがざわめく。

 釣られる様に顔を上げて、オレもソレを見た。見てしまった。


「…………ぅ、そだろ……?」


——そこにあったのは、白銀の穂先が仄かな光を放ち、付着した血が煙を上げて消えて行く……そんな光景だった。


 あれは、オレの血だ。


「ぁんな……ので……」


 あんなものが身体を貫いたかと思うと、背筋が凍る。

 

「……っが、グゥ……ギィい——!」


 傷を見ようとしてもうまく力が入らない。

 力の入れ方すら思い出せない。


「“聖印”が……反応して…………!」

「なんでだよ……こいつは“あの”ガキだろぉ?! だったら人間じゃねーか!?」


 ざわめきは広がる。

 目の前で何が起きているのか分からないと、ざわめく中には震えた声も混ざっていた。


「んなもん、決まってんだろぉが」


 低い声が響く。

 その声は、槍を持った男からだ。


「元から魔導具はひとつっきり。人間をバケモンにしちまうってぇ効果でもあったんだろ。だから聖印がこんな反応をしたっつぅわけだ」

「で、でもよう……なんだってそんなモンを聖騎士が……自分の息子に……?」

「聖騎士はバケモンをころすやつらって聞きやすぜ?」

「うるせぇなっ! んなもん俺が知るか! だがぁそれ以外ねぇだろうがっ!」


 手下からの矢継ぎ早の質問に、槍の男が青筋を浮かべて睨み、黙らせる。

 そして、オレを見下ろした。

 

「チッ! ……おう、ガキ。テメェのおかげでぇ俺の手下どももこんだけだ。もう盗賊を続けることもできねぇ」

「そ、そんなぁ?! じ、じゃあ、おれたちぃこれからどうすりゃあ——」

「——うるっせぇってんだろぉがっ!! こん槍ぃ売っぱりゃあどうとでもなんだよ! 『王国』も『帝国』もぉ聖具は欲しくて仕方がねぇだろぉからなぁ。買い手にはこまらねぇ。…………てぇわけだぁガキ。聖騎士の息子がバケモンになるなんざぁ皮肉だがぁ、オヤジの槍でぇ殺されるっつんなら悪くねぇだろ————」


 槍が構えられる。


 もうすっかり血を消し去った白銀の槍は、先端を下へ向け、倒れた獲物の頭部を貫かんと穂先を輝かせる。


「……………………」


 今度こそ、殺される…………。


 身体の感覚は、とっくに消えていた。あるのはただただ、凍てつく様な寒さと、焼けるような渇きだけだ。

 視界も、端から暗くなりつつある。唯一十全に機能しているのは、聴覚だけ。


 サァ……と腕の先が崩れ、灰となり飛んでいった。

 それが、自分の死に方なんだと理解した。

 灰になり、朽ちて死ぬ。何の形も残さずに…………。


 

————この身体は、どうしようもなく……バケモノなんだ。

 


「な、なんだぁこりゃあ!?!?」


 閉ざしたまぶたは重く、視界は闇に閉ざされている。

 そんな中で、突如驚愕と怯えの混ざった声が上がった。

 その声はだんだんと大きくなって、ついには悲鳴へと変わる。


「わ、わわ!」

「うわっ、な、どこから?!」

「ひぃいっ!?」


 バジャバシャという水音が聞こえる。


 水場なんて、無かったはずだ。なら、この音は……?


 あまりに場違いな音が気になって、オレはまぶたをもう一度開いた。


「————————っ!?」


 声が出せたなら、きっと男たちと同じ声を上げたに違いない。それほどに、目の前の光景は異質で、周囲の景色は余りにも地獄じみている。


「ち、血だぁっ!!」


 そう。まぶたを閉じた間に、辺りはどこからか湧き出た血によって、紅い池になっていた。


 なぜかその池は、俺の周りだけは避けている。まるでオレがそうしているように見えるだろうが、オレにこんなマネをした覚えはない。


「まだ広がってやがる!」


 男たちが騒いでいる間にも池は広がり、男たちの足を赤黒く汚して行く。やがて、男たち全てが足を血の色で染めた時——


「チィッ! テメェの仕業かぁっ!!」


 うろたえていた大柄の男が、一人だけ汚れていないオレに気が付いた。


 槍が再び振り上げられる。


 今度こそ死を覚悟した、次の瞬間——


「ガプッ————」


——血の池から勢いよく生えた紅い槍が、男たちを一瞬で串刺した。


「ォ、ォぉォ…………」


 急速に、男たちの身体が水分を失い萎んでいく。男たちの流した血は全て、紅い槍と血の池に吸収されていった。


 そして、ミイラの様な死体が出来た時——


「————」


 視覚はここで限界を迎えた。

 視界は暗くなり、もはや目蓋が開いているのかすら分からない。体の感覚も消え、自分の形すらも思い出せなくなっていた。


 消えていく……。

 自分の存在が消えていく……。


 そうして意識も暗闇に沈んでいく中、誰かが近づいて来るのを、残った聴覚で感じた。


「アトラしっかりして! アトラっ! ……ひどい……灰化が……こんなに……」

 

 それは少女の声だった。記憶にない声。


 なのに、なぜか聞いてホッとした。

 この声をもう聞けないと思っていたのに、それが聞けて安心した。


「アトラ、口を開けて。お願い、飲んでよぅ……」


 声は震えている。泣いているのかもしれない。


 それは……いやだ……。オレは、この子に泣いて欲しくない……。


 少女の声は、次第に聞き取れない音へと変わる。

 聴覚すらも死に始めたんだと、すぐに理解できた。


 ほとんど音の消えた無音の世界で、感覚は閉ざされ、意識は薄れていく。


「……ッ、…………ッ! ……ぅ……なったら…………」


 閉じきった感覚の中、唇になにか暖かいものが触れた気がした………………………………………………………………。

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