悪役令嬢ー勇者彩花編Ⅰー

一話

 夜。俺は量のリーゼの部屋のテーブルで微睡んでいた。


「くー。くー。ぐぐっ」


 はっ。今息が止まったぜ。

 俺は急に止まった呼吸に驚いて目を覚ました。息なんて必要のないからだだけど、前世の癖がいまだに抜けていないのか夜いびきをかくことが稀にある。稀にだ。リーゼにうるさいと言われたこともないし稀だと思う。


「んん? なんだこれ?」


 目が覚めた俺は周囲の異変。世界の異変に気が付いた。世界の表層を覆うように広げられた精霊力。さらに言えば、黒い精霊力だ。


「世界全体を覆っているのか。最上級精霊か? それにしても、精霊力の濁りが気になるな」


 俺の知識には精霊のことが詰まっている。

 精霊力が濁るってことは、俗にいう悪魔として精霊力を集めているってことだ。


 精霊が力を集めるとき、多くの精霊が生命体と契約して魔力や気力をもらって神力を蓄える。しかし、神力を蓄える方法はそれだけではない。魔力を持っている生命体を飲み込めばその生命体の持つ魔力を手に入れることができる。おかしいことではないだろう。契約という手順を踏まずに多くの魔力を手に入れようと思えば最短の道の一つであることに違いはない。ただ、この神力の作り方にデメリットがないわけではない。

 この方法では、生命体を殺すことで魔力や気力といった生命力を得る。そこには、生命体の持っていた命を奪うという行為が存在し、その生命体の持つ感情を含めたすべてを奪うということだ。これによって生命力は汚れる。

 汚れた生命力など浄化してしまえばいい。しかし、浄化しきれないほどの汚れを得た精霊はその属性を汚していく。そして、その精霊の持つ精霊力は濁るのだ。


 この濁った精霊力もそういった汚れた属性を持つ精霊の物だろう。

 別に汚れることは悪くない。汚れた属性も自分の新たな属性だと思えばいい。神も善神だけではない。悪を司る神もいる。だから、精霊としての行動としては間違っていないのだ。


 現状の問題は、濁った精霊力が世界を覆っているということ。


 濁った属性を持つ精霊は、前世で言う悪魔だ。悪魔精霊とでも言えばいいか。。

 命を対価に願いを叶える。精霊召喚がある世界では必ず悪魔召喚も存在する。なんせ両方同じ術式なのだから。ただし、精霊召喚ができるからと言って悪魔召喚もできるとは限らない。

 悪魔として精霊が活動するには、その世界の神の許可が必要だ。許可といっても、個体に対しての許可ではなく「この世界は悪魔として活動してもいいよー」といった許可だが。


 そう考えれば、この世界は悪魔として精霊が活動することが許可されているということだ。この精霊力の影響が気になる。


 リーゼは未だにベッドの中で静かに寝息を立てている。

 それを確認した俺は自身の状態を確認する。動きに問題はない。自らの体を雷に替えることも問題なくできる。ここ十年で俺の力の操作力は格段にアップしている。リーゼの魔力もあって、神力も生まれた当時と比べたら月とすっぽんだ。今なら俺の持つ権能も使用できるだろう。使用できるだけだがな。


 俺の体に問題はない。力も十全に使える。リーゼへの影響もないように見える。となると、この力はなんだろうか。人に影響がないとすれば環境か? 俺は部屋の窓から外を伺う。


 「うーむ。特に変化はないか」


 ここ数年、何度も見た景色が窓の外にあった。

 学園の校舎は城だ。どこぞの小説にで出てきたイギリスにあるという魔法学校もびっくりな感じだ。悠然と建つその城を見るだけで神定国の国力が分かる。王城はこれ以上だけど。

 空は曇天。暗雲漂うって感じだ。雨が降らなければいいが。


「わからんなー。見た感じ表面を覆っているだけだしな」


 この濁った精霊力は世界を覆っているが、表面を覆っているだけだ。世界の中核へは手を伸ばしていない。


「これは様子を見るしかないか」


 俺はそう言って、もう一度テーブルの上でまるまる。

 明日はリーゼの卒業式だ。そんな晴れ舞台に眠くて寝てましただなんて一傍観者としてあるまじき行為だ。今日はもう寝よう。うん。そうしよう。


 ここで、もうすこし調べていれば。何か行動を起こしていれば。リーゼ母のちんくしゃ妖精型精霊であるタタノに話を聞きに行っていれば、これから起こりうる問題を未然に防げたかもしれない。


 でも、もう遅い。時間という歯車に逆回転は存在しない。




-------




 クライン家の一室。リーゼ父、アンゼルムとリーゼ母、オティーリエの寝室。


 「これは……!!」


 アンゼルムは世界を闇が覆った瞬間に目を覚ます。その驚きの声にオティーリエも目を覚ます。


「あなた? どうし……っ!!」


 オティーリエも上級精霊を使役する優秀な精霊術師だ。精霊力を肌で感じることはできる。


「アル!」


 掛かっていた布団を跳ね飛ばすように上半身を起こしたアンゼルムがそう叫ぶとベッドの横にモノクルを付けた初老の執事が現れる。


「ここに。どうやら汚れを持った精霊が力を行使したようです」


 アルと呼ばれたその執事ヴァルターは冷静にアンゼルムに対して答えた。

 それを聞いたアンゼルムはさらに問う。


「その効果は?」

「詳しくはわかりませんが、人の思考の誘導と改変かと思われます」

「改変だと。内容はわかるか?」

「いえ。そこまでは」


 ヴァルターの話を聞いたアンゼルムは数秒の思考の結果、非常事態であると判断する。


「ヴァルター。クライン家の当主として命ずる。我が領土を守る。その力を開放せよ」

「かしこまりました」


 当主の命令に一礼して答える執事は次の瞬間、初老の男性から青年へと変じていた。


「古の盟約により力を行使する」


 そう呟いたヴァルターは自身の精霊力を使ってクライン家の敷地、邸宅と邸宅の裏にある庭に強力な結界を張った。

 結界を張り終えたヴァルターは青年の姿から初老の執事へと戻る。


「これで大丈夫でしょう。この結界を超えることなど神格を持つもの以外に不可能です」

「そうか」


 ヴァルターの言葉を受けて、アンゼルムは無意識に息を吐く。


 「な、なによこれー!!」


 ベッドの横にあるテーブルの上に置かれた小さなベッドでスヤスヤと眠っていたオティーリエの契約精霊であるタタノは目を覚まし、驚きの声を上げていた。タタノはキョロキョロと頭を揺らしてながら宙を飛んでからヴァルターを指さす。


「あんた人じゃないの!?」

「ヴァルターは我が家と契約する精霊だ」

「精霊!?」


 それに答えるアンゼルムはさらに続けた。


「オティーリエ。私は古の盟約を果たさなければならない。なにもなければよいと君には話してこなかったが黙って私とともにいてほしい」


 アンゼルムはオティーリエに真剣な顔で問いかけた。


「もちろんです。私はあなたの伴侶ですから。いついかなる時もあなたと共に」


 オティーリエはその綺麗な顔に笑みを浮かべた。それは、アンゼルムにしては最愛の人の笑顔。それが一粒の宝石のように輝いて見えた。


「ありがとう。それにしても、我が子たちは大丈夫だろうか」

「クルト様もアンネローゼ様も自室で寝ているようですね。この精霊力に影響を受けた様子もございません」


 ヴァルターが寝室の壁の向こうの何かを見るように視線を動かしてから言う。


「リーゼロッテは?」


 オティーリエがヴァルターに聞いた。何も知らされていないオティーリエだが、すでにヴァルターが強い力を持つ存在であることは察していた。


「ここからでは確認できませんが、リーゼロッテにはコンコンが付いています。下級とはいえ、あの精霊は神格を持っています。神格を持つ精霊の契約者であるリーゼロッテ様がこの濁った精霊力の影響を受けることはないでしょう」


 ヴァルターが落ち着いて答える。その様子にオティーリエは安堵するが、オティーリエもアンゼルムもその理由に驚く。


「あ、あの精霊は神格を持っているのか?」


 アンゼルムは驚きながら聞き返した。


「はい。どのような権能かはわかりませんが、強力な神格を持っています」

「この濁った精霊力があの精霊の物ってことは、ないか」

「はい。旦那様。あの者は善神となるべく力を与えられた存在。あの者の精霊力が濁ることはないでしょう」


 ヴァルターによって子供たちの安全を確信したアンゼルムは自らの役目を思い出す。


「そうか。生魂の森樹が狙われると思うか?」

「ないとは言えません。汚れていても精霊です。精霊自身が狙うことはあり得ませんが、召喚した者が狙う可能性は否めません。用心に越したことはないでしょう」

「それもそうだな」


 アンゼルムはまたも決断する。


「ヴァルター、メリチェイイに伝えてくれ。あなたの力が必要になるかもしれない。用心せよと」

「かしこまりました」


 主の命令を受けてヴァルターは姿を消す。最初から何もそこに居なかったかのように。


「き、きえたんだけどぉ!!」


 タタノが驚きながらオティーリエの肩を揺らす。

 そんなタタノをよそに、何やら思案するアンゼルムにオティーリエは自身の腕をアンゼルムの腕に絡め、アンゼルムの肩に頭を預けた。




-------




 これはどういうことだ。

 何がどうなってこうなった。

 だれか説明してくれ。出来たら三行で。


「落ち着け、俺。俺はコンコン。精霊ふぁ。ひひっひふー。ひっひっふー。ふー」


 よし落ち着いたぞ。

 今日は学園の卒業式。リーゼは学年の代表として、神にこの先の精進と正しくあり続けることを誓う役目だったはずだ。それがどうしてこうなった。


「リーゼロッテ=クライン! お前は僕にふさわしくない! お前との婚約は破棄する!!」


 卒業式の冒頭。卒業生と在校生が入学式の晩餐会を行ったのと同じ会館に揃い、これから式が始まろうというところだ。

 朝起きたリーゼは一人で制服を着ていた。身支度を整えながら俺に対して「今日で卒業になるのは悲しいけど、神様に宣誓する役目である私が悲しんでいてはいけないわね」なんて言って、ぎこちない笑顔を浮かべていたんだ。そんなリーゼが俺には眩しく見えて、彼女が契約者でよかったと思ったんだ。なにかあったら仕方ないから対価なしに守ってやろうと思っていたんだ。それがこれはなんだ。


 壇上に立つのはリーゼの一つ下の学年のゲルハルト=プローミュデックだ。名前からわかるようにこいつはプローミュデック神定国の王子。神定国の三男である。我が強いところがありリーゼと対立したこともあった。


「どういうことでしょう? 私とあなたはそもそも婚約などしていなかったはずですが?」


 そうなのだ。リーゼとゲルハルトは婚約などしていない。してないよね? 俺が知らない五年の間にしていたってこともないと思う。


 しかし、そのリーゼの発言を聞いた生徒たちからざわめきが起こる。

 気が狂ったのか。あれほどまでに仲睦まじかったのに。婚約者であると周囲に威張り散らしていたのに。


 どういうことだ。生徒たちは皆、ゲルハルトの味方なのか。しかし、生徒たちの声に何一つ心当たりがない。

 これにはリーゼも戸惑いを隠せないようだ。動揺が顔に出ている。


「そうか。やはり。貴様は……」


 なにやらゲルハルトが深く考え込んでいるんだけど。なにがやはりなんだよ。

 そんなゲルハルト君の立つ壇上に一人の女性が現れた。かわいらしい女性だ。小柄でちょっとの衝撃で折れてしまいそうな四肢。髪色は黒っぽい紫。少しウェーブが掛かっているが綺麗なロングヘア―になっている。その女性がゲルハルトに自身の腕を絡める。


「私への仕打ち忘れたとは言わせませんよ」


 そうリーゼに対して言い放つが誰でしょうか、あなた。

 リーゼもそう思ったのだろう。


「あなたへの仕打ち? そもそもあなたは誰ですか? その壇上は王族の方のみ上ることを許されているはずです」


 この発言に生徒はまたもざわつく。ゲルハルトの表情は驚愕の色の絵の具をバケツでぶっ掛けられたように変化し、一瞬で冷徹なものへと変わった。


「彼女は僕の愛する人だ。名は--」








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