第3話 ゴールド・スレッド
最初の授業はつつがなく終わった。
道徳というから何をするのかと思えば、教科書があり、そこに物語やら社会の出来事、または仮定の話が載っており、それについて先生が説明し、生徒にその解釈を求め、プリントに書かせるという単純なものだった。
プリントには解釈の助けになる……いや、解釈を狭める……?
まあそれこそ解釈しだいだろうが、とにかく設問が用意されており、それに答えていけばよかった。
とは言っても、それをあなたはどう思いますか、とか。
賛成ですか、反対ですか、理由も一緒に、とか。
そんなもんである。
さて、一限目が終わり、休憩時間、なぜか全員がいそいそと移動を始めていた。
「あれ、みんなどこ行くの?」
知らんのだから聞くしかない。
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥。
これは、ことわざってやつか、本当にどうでもいいことばかり覚えている。
いや、これは役立つことだ。
よく覚えていた。
「次は、海水浴……じゃなくてフィールドワークの授業だから、更衣室行かないと」
答えてくれたのは
まさか、それでそう読むとは。
「そうか、もしかして引寄くん水着ない?」
「渡されたような……、だとしても、寮まで取りに行かないと」
持ってきてはいない。
先生は困ったような様子で。
「そっかー、どうしよう、私、生徒を見てないといけないから、でも引寄くん、海岸の場所分からないよね?」
「そうですね」
海水浴の授業すら知らなかったのだから当然そうなる。
「……俺が、案内しますよ」
なんと、そう言ったのは
なぜだろうと純粋な疑問が浮かぶ。
「いいの? じゃあお願いできる?」
先生もうれしそうに解決策に乗っかる。
「えと、じゃあよろしく……」
なんとなく頭を下げる。
「いいから、水着取って来いよ、待っててやるから」
「お、おっす」
思わぬ厚意に驚きながら、小走りで寮へと戻る。
「……岩樹、どういうつもりよ」
橘樹が怪訝な目で、岩樹を見る。
「別に、さて俺も着替えてこねーと」
「えっ、あんた水着で、引寄くんの事待つの?」
「あん? だってあいつが来てから着替えんの時間もったいないじゃん」
当たり前だろと言わんばかりの表情だった。
「……うーん、まあいいかぁ、風邪引くんじゃないわよ~」
「うっせ。お前も遅れるぞ」
岩樹はもう、廊下にいた。
「お前っていうな! ったく……」
橘樹は岩樹を追い抜いて更衣室へと向かったのだった。
~~~~~~
面倒くさいので、水着に着替えてから教室へ。
岩樹はどう待っているかわからないが、行動が早いことにこしたことはなかろう。
タオルと着替えも持った。
ガラッと教室の戸を開けると、そこには水着の岩樹。
一瞬の間。
「じゃあ、えっと、行こうか」
とりあえず、案内してくれと先を促す。
しかし、岩樹は腕を組みながら、机に寄りかかり、微動だにしない。
なんだ。
なにが起こる。
「……なぁ、転校生」
「……はい」在校生。
「お前、
急に何の話だ。
いや、命名者と受名者の関係なのだから。
変な質問でもない気がするが……。
いや、やっぱり今する質問ではない。
「どうって、言っても……そう、だな。名前は気に入ってる。かな」
何故か、その一言で、周囲の空気が攻撃的になった。
あくまで感覚でしかないが、そう思った。危機感というやつを感じる。
「俺も、あいつとは長い付き合いじゃない。この学園で会った」
語りが始まった。
それを止めたら、この攻撃的な空気が悪化する気がして黙っておく、しかし、たとえ何も言わなくても、良い方向には転ばない気がした。
「あいつは……まあ気に入らねぇ、意見が合わねぇ」
つまり、その関係者も嫌いという話か、それとも、その気に入らない意見のシンパが増えないようにと釘を刺したいのか。
だが、それは杞憂だった。
いや、それ以上だった。
「でも、小説書いてるときのあいつの横顔は……好きだ」
告白だった。
紛れもなく、それは、今ここにいない、少女への愛の吐露だった。
「でも、やっぱり意見が合わねぇから話も合わねぇ、あいつが好きそうな話題に入っても、最後には喧嘩になる。喧嘩するほど仲がいいなんていうけど、あいつは本気で不機嫌そうだった。もうこんな小学生みてぇなことやめたかった。でも、やっぱり、あいつが休み時間に小説のメモ取ってるの見て、心臓が張り裂けそうになった」
一体、何を聞かされているんだ。
いや分かっている。
何を、ではない。
何故、こっちに、だ。
それはあっちに話すべき事だ。
「なあ、岩樹……くん……?」
くん付けするつもりはなかった。
というか昨日から話すタイミングがない。
こっちは言葉を浴びせられるがままだ。
どうしろというのだ、
結論を言え。
「なんだよ」
睨み付けられた。
だがどうしようもない。
ええい、ままよ!
「つまり、なにが言いたいんだ? 岩樹、くんが、蒼島、さんを好きなのはわかった。でもそれは俺には関係な――」
そこで、岩樹は思いっきり目の前の机を蹴飛ばした。
ガァンと、結構な音が響く。
蹴られた机は、他の机に絡まった。
「お前は! 俺が毎日! 必死に苦しい思いで目指してる場所に! 一瞬で入っていったんだよ! しかも、どうあがいても俺がなれないような場所にだッ!」
怒号。
嫉妬。
苦痛。
彼の表情は、いろんなものがごちゃまぜだった。
それは様々な方向に感情が飛んでいるからだろう。
蒼島に、こっちに、自分に。
恋慕が、憎悪が、後悔が。
後から思えば、そこが、臨界点だったのだろう。
急に岩樹は苦しみだした。
胸を押さえ、うずくまる。
「おい、大丈夫か」
駆け寄ろうとした、その時だった。
空間が、歪んだ。
岩樹を中心に、世界が収斂していく、まるで彼がブラックホールになったようだった。
そして、俺は、その光景を――
「知ってる。俺はこの現象を知っている!」
そして、その対処法も知っていた。
俺は引き寄せ、手繰った。
それは金の糸。
俺は、それを手につかみ、指に絡め、空間に放った。
それは、輪郭を形作る。
角ばってはいるが、それは紛れもない人型だった。
対する目の前のブラックホールも姿を変えていた。
それは
それはまるで神話の光景だった。
金糸の輪郭は、いつの間にか空色の衣を纏っていた。
いやそれは、装甲か。
すでに教室など、壊れていた。
巨人と怪物が対峙する。
互いに睨み合って動かない。
いや違った。
もうすでに勝負は決まっていた。
金の輪郭、空色の装甲の巨人は、己が輪郭を飛ばし、鰐を絡め捕っていたのだ。
そして、糸を束ね剣を作り出した。
糸に絡まり、動けず、顎も開けない怪物は、それでも必死に身じろぎしていた。
だが、決着。
金糸が一刀のもとに切り伏せる。
大顎は縦に切断され、悲鳴も上げずに虚空に消えた。
巨人もそれに合わせ、まるで幻であったかのように静かに消えた。
そこに残されたのは二人の少年。
壊れた教室は、いつのまにか元に戻っていた。
~~~~~~
双眼鏡で、その光景を眺める者が二人。
一人は引寄からおっちゃんと呼ばれ、もう一人は鍵沢校長と呼ばれていた。
「記憶を失ってもまだ、職務を全うするか、あいつも、つくづく働き者ですね」
「どこかに残っていたのだろう、戦っていた時の記憶が、それよりも、教室が再生した。これは……」
「ブルーフェーズ、やっぱり存在するんですかね」
「そうとしか思えん。今や十一月になろうとしているのに、ここの住人は疑問も持たず『夏』だと思い込んでいる」
おっちゃんは首に掛けたタオルで顔の汗を拭いた。
「俺だって、時々、忘れそうになりますよ、この暑さじゃね」
「それが、PSESの影響ではないと、何故言い切れる」
鍵沢校長も、汗を浮かべていた、それは暑さからか、それとも。
「鍵沢先輩の言い分も分かりますけどね、発生源が分からないんじゃどうしようもないでしょ、とりあえず、岩樹はレッドフェーズ『空喰い』になった後、『空繰り』の処理で、グリーンフェーズへ、
「では、やはり彼女だろう」
鍵沢は、今だ校舎を睨んでいる。
ため息を付くおっちゃん。
「はぁ、じゃあなんであいつを近づけたんですか、何が起こるかわかりませんよ、というか俺はまさか、名付け役なんて急接近するなんて夢にも――」
おっちゃんの言葉を遮り、鍵沢は言う。
「だからこそ、だ。やはり彼女がアクションを起こすのならば彼しかいないということだ」
おっちゃんはどこか冷めたような視線を鍵沢へ送った。
「あんまり、人の恋路を利用すると、碌な死に方しませんよ」
「元より、あの事件の時に死んだようなものだ。ならば、彼らには最後の決着まで付けてもらう」
「理想通りになるとは限りませんよ」
「理想などない。この『永遠の夏』に決着が付けばいい。そうすれば、この群青町も本来の役目を取り戻す」
もう一度ため息を吐く。
「はぁ、そら、異常なことだとは思いますが、それでも役割事態は正常でしょうに、結局、先輩の自己満足でしょうよ」
「なんと言ってくれてもかまわん。だがこれは『上』も納得している事だ。君も監視を続けたまえ」
そう言い残して、その場を去る鍵沢。
残されたおっちゃんは、もう一度、額の汗を拭う。
「あっついなぁ……損な役回りだよまったく」
~~~~~~
教室に背中合わせで倒れこんでいる二人。
引寄は、意識があるかどうかもわからない相手に語り掛けた。
「なぁ、多分、なんだけどさ」
岩樹の返事はない。
だけど、呼吸の音は聞こえる。
はぁ、というため息も。
「お前のソレって、恋とか愛とかじゃないと思う」
「なっ、ああ⁉」
岩樹が飛び上がるような音がした。
それが可笑しくって思わず笑いだす。
俺は寝転んだまま、岩樹に背を向けたままで話続ける。
「蒼島さんが、小説を書いてる時、アイデアをメモしてる時、その時にドキッってなった、それってつまりさぁ、岩樹って夢とかないんだろ」
話が急に、方向転換したように思うだろうか。
だけど、引寄はただ一つの結論を目指していた。
「……ああ! 無いよ! それがなんだってんだ……」
吐き捨てるように言う岩樹。
「つまりさぁ、『憧れ』てたんだよ、自分が好きなものに夢中になれる。その『行動』にどうしようもなく、憧れた。それは『好き』じゃなくて、『俺もああなりたい』だったんじゃないかって」
我ながら、悪くない推理だと思った。
意見も合わない、趣味も合わない人間を、口喧嘩して本気で不機嫌になる他人を好きになる。
それはきっと憧憬だと思った、少し嫉妬の混じったソレは、恋と勘違いするのも無理ないのかもしれなかった。
「……そんな、……でも、そっか」
岩樹の声が穏やかになる。
「はぁ~……そっかぁ、通りで、普段は全然好きに見えないはずだわ……なんか、納得しちまったよ、引寄」
転校生ではなく苗字で呼ばれた。
なぜか、それが嬉しかった。
「いや、俺も、岩樹の話、聞けて良かった」
「あん? なんでだよ」
少し笑っていた。
お互いに。
「きっと俺たち、いい友達になれる。そうだろ?」
起き上がり、岩樹へ向き直る。
それは悪いことじゃない。
憧れを恋と勘違いしたことと同じで。
きっと良いことだ。
「……かもな」
二人でなんとなく拳を突き合せた。
もう授業に出る気分ではない。
そのあと二人は気を失う様に、その場で眠った。
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