第2話 ネームレス・オブ・ジ・エンド
寮の部屋は意外と広かった。
ベッド以外に物がないからだろうか、しかし、なぜか壁に違和感を感じた。
なんか薄い気がする、隣に人がいるとアレなので、叩くのではなく押して確認する。
やはり薄い、壁というか板だ。
どうやら、広い雑魚寝用の空間だった場所を、無理やりに区切って個室にしてるらしかった。
これは防音などは期待しないほうがよさそうだ。
ちなみに当たり前の話だが、男子寮と女子寮に分かれている。
ここは男子寮。
そういえば結局、名前は決まらなかった。
おっちゃんと鍵沢さんもとい鍵沢校長が、あれがいいこれがいい、それはだめだなんだそれは、と大口論となり、なぜか明日決めようというオチになった。
生徒たちに決めてもらおうと。
いや、何故そうなる。
正直、なんだか疲れていたので、もう寝ることにした。
ぼんやりと眠りに落ちる直前に、体育館で、生徒全員の前に立たされ、『彼の名前を決めてあげてください!』とマイクで校長が叫び、その隣の少年は顔を真っ赤にしている。
そんな悪夢のような光景を幻視しながら、眠りに落ちる。
~~~~~~
朝だ。
希望の……どうだろうか。
緊張の朝な気がする。
そういえば服の話だが、ここには洗濯機があるらしく、自分の服はそこで、洗濯してもらい、自分はこの群青学園のジャージをもらい着替えたのだ。
実はそれ以外にも、何枚かの服と下着を、おっちゃんが買ってくれたのだった。
お世話になりっぱなしである。
いつかバイトして返すと言ったが「いいよいいよ気にすんな」とあしらわれてしまった。
そして、これから俺は朝礼に出るため、群青学園の制服に着替え体育館に向かう。
気が重い、せめて名前決めは教室で……、いやそれもキツイが、まあ体育館よりはマシだ。
多分……
体育館、改造格納庫。
意外と、もともとが戦闘機が出入りしてた場所とはわからないものだ。
フローリングの床が敷いてあるからだろうか。
生徒が集まっている。
数はそんなに多くない。
一クラス、いや二クラスぐらいの人数だ。
それに年齢層も幅広い。
小学生みたいな子から、大学生みたいな人までいた。
年齢問わず、道徳を教える公共施設。
なるほど、その通りらしかった。
おずおずと、その人の集まりの近くにいく。
何人かこちらを見る。
明らかに、「誰だ?」という目つきだった。
だが、それ以上の追求もなかった。
制服の効果か、はたまた自由な校風ゆえか。
どうやら生徒が全員集まったらしく、鍵沢校長が、生徒たちの前に姿を現す。
いやまあ、さっきから横にいたのだが、ちなみに、なんか台に乗ったりとかはしないらしい。
あと、この体育館に、舞台のようなものはない。
それが普通の学校の体育館との違いだろうか。
「えー、みなさん、おはようございます」
おはよーございまーす……とまばらな返事が起こる。
「はい、座っていいですよ」
その言葉を待ってましたとばかりに、座りだす生徒たち、あぐらをかいてるやつもいた。
立たせないで朝礼とは珍しい。
それが珍しいという記憶はある。
本当にどうでもいいことばかり覚えている。
「えー、特に、朝礼で発表する大きな出来事はないのですが、小さな事は一つあります」
なんだなんだとざわつく生徒、何人かはこっちを向いてひそひそ何かを言っている。
まあ、そういう帰結になるだろう。
「前に出てきてくれるかな?」
校長の声、誰とは指定していないが、他にいまい。
そっと立ち上がり、生徒の群れを迂回して校長の隣に立つ。
「えー、皆さん、彼は今日からこの学園に通う転入生なのですが、驚かずに聞いてほしい、彼は記憶喪失であるそうです」
驚くなは無理がある。
生徒たちのざわざわは先ほどの比ではない。
記憶喪失!? なんだそれ? という声が聞こえてくる。
無理もない。
「皆さん、それでですね、彼は、自分の名前も思い出せないそうなのです」
まずい、この流れはまずい。
学校で飼うウサギの名前を決めるのではないのだ。
なんとかして流れを変えなくては――
その時だった。
バッと、立ち上がる、一人の少女。
長い黒髪をはためかせ、彼女は、こっちを指さした。
「あんたの名前は『ヒキヨセ タグル』押し引きの引に、寄せては返す波の寄、手繰り寄せるの手繰る、からひらがなの『る』を取ってタグルって読ませるの! どう、いいでしょ!」
あっけにとられた。
ただ茫然とした。
自失である。
校長、他生徒たちも同じく。
その衝撃の原因だけは、なぜか誇らしげに胸を張っていた。
「えー……どうかね?」
校長が問う。
いや、どうかねと言われても。
そこに、座っている生徒のどっかから、ぼそりと声が投げられた。
「それ、お前の自作小説の主人公の名前じゃん」
マジか。
衝撃の情報に、驚きを隠せなかった。
こっちの表情を見た少女は、心外そうな顔をした。
「なによ、私の小説だろうがなんだろうが、いい名前でしょ⁉」
もはや必死である。
どうしろというのだ。
――ただ、なぜだろう。スッっと胸に入る不思議な感覚。
まさか、それがドンピシャのビンゴでホントの名前でしたなんてことはなかろうが、何故か、悪い気がしなかったのだ。
ただ驚いただけで、急だっただけで。
深呼吸する。
決心する。
言い放つ。
「
頭を下げた。
どうにでもなれ。
速攻で拍手をする人物が一人。
深々と頭を下げたので誰かは……いや、間違いなく発案者の少女だろう。
少し経った後、他の生徒からも、パラパラと拍手が沸いた。
「えー、朝礼は以上です。先生方からなにか、発表はございますか」
三人くらいが、生徒から少し離れた場所に立っていた。
そのうちの一人、女性が校長の隣に立った。
「えっと、引寄くん? は、うちのAクラスに入ることになってます。みんな仲良くしてね……以上です」
ホームルームで言うことを今のうちに済ましてしまおうみたいな感じだった。
簡略化は果たしていいことなのか悪いことなのか。
まあ、二度手間になるよりいいか。
「よっしゃ!」
命名者がガッツポーズを取っている。
彼女もAクラスらしい。
「はぁ……」
思わずため息が出る。
これは前途多難だ。
そんな気がした。
教室に移動する。
そこも必死のリフォームがあったらしく、意外と教室らしくなっている。
やはりフローリングと学校机の視覚的効果からだろうか。
しかしなぜか真四角というわけではなかった。
元の部屋の形までは変えられなかったようで、教室の入り口、つまり廊下側を底辺として、校庭側の窓の方が少し狭い、つまり全体的には台形のような感じ。
仮にもともと管制塔の施設だったとしても、別に部屋は四角になると思うのだが。
あの窓側を狭めている壁の中には、隠しておきたいものでもあるのだろうか。
そんな日本軍の在りし日の機密を妄想していると、声をかけられた。
「手繰、アンタの座る席はそこ」
出たな命名者。
彼女が指さしたのは、狭まった窓側にある席の列、その最後尾だった。
「良かったわね! 主人公席よ!」
なんの話だ。
生徒がほとんどいっぱいなら、転校生などはたいてい後ろの隅になる。
記憶とかそういう話ですらなく、論理的帰結の類いだ。
「ありがとう……」
そんな反論しても特にはならないので、言われた通りの席に座る。
そして、その前の席に彼女が座る。
ああ、自分は不幸な星の下に生まれてきたらしい。
記憶喪失して海辺に流されたのだ。
さもありなん。
「ねぇ手繰」
「はい、なんでしょう」
いきなり呼び捨てかよとか、そんなこと命名者様に言えるわけもないのだ。
「……嫌、だった?」
意外な言葉だった。
あんなに自信満々だったのに、いや、後から冷静になったのか?
「実はね、私の小説の主人公も記憶喪失なの」
なるほど、それは偶然の一致にしては面白い。
だからといってそれを現実にまで持って来ようとするかは別だが。
「それで、朝礼で、話聞いたらもう、手繰だ! ってなっちゃって……ねぇ、もし嫌だったら、今からでも先生に言って――」
「いや、手繰でいい。引寄手繰、それが俺の名前だ」
すらすらと言葉が出た。
悪い気がしなかったのは事実なのだから。
嘘じゃない。
「ホント⁉ 良かったぁ……。私ってば、たまに、こう勢いで動いちゃう時があるっていうか」
なにやらまだまだ言い訳したいらしい少女、そういえば名前を聞いていない。
聞こうと思ったその時だった。
「
……少女の苗字はアオシマか、漢字は後で聞こう。
それより割って入ってきたこいつだ。
「
どうやら、いつものやりとりらしい。
そういえば、あの体育館の、「小説の主人公だろ」発言の声と、同じ声だ。多分。
「だってよお、お前が暴走するといっつもこっちにとばっちり来るんだ。授業を脱線させて、時間長引かせたりしてよお」
「議論の授業なんだからしょうがないじゃない。結論が出るまで話すのは当たり前でしょ!」
「結論なら、出てただろ、それをグチグチグチグチ……」
「なによ!」
「あんだよ」
睨み合う二人。
転入初日からこれはキツイ。
そこに助け舟が来る。
「はいそこまでー、
喧嘩する二人に介入したのは小柄な女子生徒だった。
アオシマミレンに、イワキカズヤか、今入って来た彼女の名前はなんだろう。
目の前で起こる喧噪より、クラスメイトの名前を覚えるので必死だった。
「あっ、ごめん手繰。でも
もん。て
「
タチバナリミ……よし覚えたぞ、記憶がない分、すらすら情報が脳みそに入る気がする。
「お節介すぎとは、なによ『すぎ』とは!」
お節介は否定しないのか。
というか、介入の余地がなくなっていく。
これが元からある人の輪か。
全く入れる気がしない。
もとはといえばこっちの話で、途中でも、こっちに「困ってるじゃん」と意思表示の機会が来たと思ったのにこの有り様だ。
そんな時、朝、俺がこのクラスに入ることを語った先生が教室に入って来た。
「はい、みなさん席についてくださーい、ホームルーム始めますよー」
一時休戦。
目の前で起きた戦争は、とりあえずの終結を迎えた。
焦土の上にたたずむ兵士の気分で、ホームルームを迎えたのだった。
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