サマーフィル・ブルーフェーズ

亜未田久志

第1話 ロスト・エピソード


 夏に焦がれていた。

 ひまわり畑。

 そこには、白いワンピースに麦わら帽子を被った、可憐な少女がいる。


 はたまた海辺。

 そこには、波打ち際ではしゃぐ、日焼けした肌をさらす水着の活発な少女がいた。


 それか街。

 陽炎に揺れる道路。

 学生服、夏仕様に身を包む二人は、夕暮れまで行く当てもなく進む。


 そんな「夏」なのに青「春」せいしゅんな光景を脳裏に浮かべた少年が


 答えは二番。

 はたまた海辺。

 此処はどこだ。


 俺は誰だ。


 記憶を失っている。

 少年は、茫然と海を眺める。

 その海岸は、道路の近くにあった。

 砂浜があったが、海水浴場という感じでもなかった。

 砂浜のある部分が少しだけ。

 その周りは、デコボコがひどい岩肌の塊。

 近くにある道路と砂浜は、ガードレールで遮られ、段差があり。

 そこに行くには、岩肌を無理やりよじ登り、ちょっとしたジャンプに挑戦しなければならないようであった。


 しかし、道路に行ってなんとする。

 記憶を失った自分はどこへ行く。

 ただ夏に焦がれた想いだけが残る伽藍洞。

 そこから発展する物語などなく。

 ここで、完。の文字が付くかと思われた。


 しかし、捨てる神あれば拾う神あり。

 道路に入って来た車。

 それがこちらに気づいて止まる。

 窓から顔出したおっちゃんが声をかけてくる。

「何してんだオメー、こんなとこで、そこ立ち入り禁止だぞ?」

 少年は返す。

 ありのままを。

「気づいたらここにいたんですー!」

 それ以外、なんと言えというのか。

「なんだそりゃあ、酔っ払って迷い込んだんかー?」

「そうかもしれませんー!」

 可能性だけなら無限大だ。

「まあいいや! 近くの町まで乗っけてってやるよー! どうだー」

 軽い調子でお節介を焼くおっちゃん。

 ありがたく、厚意を受け取る。

「ありがとうございますー!」


 さて、少年は、岩場からジャンプした。

 少し、腹の当たりをガードレールで打った。

 だがなんとか、そのままガードレールにしがみつき、道路へと躍り出た。


 車の中は蒸し暑かった。

 こんなんで大丈夫なのか、と心配になったが、走り始めると、全開にした窓から入る風が気持ちいい。

 なるほど、と少年は得心する。

 記憶がない事を話した。

 夏への憧れは話さなかった。

「はぁ、今時そんなことあんのかねぇ、そういや昔ニュースなったよなぁ……なんだっけバイオリンマン、違う、オルガンマン……」

 なんのことかわからない。

 自分のことさえわからないのに昔のニュースなど知るわけがない。

 ただ、自分と同じ境遇の人が過去にいた、というのは少し安心できるような、変な感覚だった。

「思い出したピアノマンだ」

 なんにせよ楽器のヒーローみたいな名前は変わらなかった。

 楽器……バイオリンだのピアノだのが、楽器だとはわかる。

 楽器がなんなのかはわかる。

 ニュースとか、ガードレールも知っている。

 少年は、自分は意外とモノを覚えていることに気づく。

 そもそも、本当になにも覚えていないなら赤ん坊になってしまう。


 しばらく、ドライブは続いた。

 太陽はまだギラギラと輝いている。

 自分は朝、目覚めたらしい。

 今は昼。

「町って、遠いんですか?」

 素朴な疑問。

「いや、もうすぐだよ、なんだ腹でも減ったか、もうちょっとの辛抱だ」

 ガハハと笑うおっちゃん。

 腹か、そんなに減ってはいないが、かといって食欲がないわけでもない。

 食べれるなら食べたい。

 しかし、そこまで世話になっていいものか。

 少年は、それが遠慮という感情だと知っていた。


 海沿いの道、流れる景色を眺めていると、どこかに魂を持っていかれそうになった。

 空の青と海の青が流れていく、ぽつぽつと生える木や草が流れ、岩肌が道路の横に寄り添い流れる。

 そのまま、焦がれる暑さを、汗とともに、風が吹き飛ばしていく。

 その風に乗って、魂も飛ばされるかと、錯覚していたのだ。

「ほら見えてきたぞ」

 おっちゃんが言う。

 見えてきた町は、またしても、青かった。

 そこはどうやら港らしかったが、建物の色は全て青だった。

「群青町へようこそ、ってな」

 おっちゃんが笑いながら言った。

 

 そこから港の近くにある定食屋で海鮮丼をご馳走になってしまった。

 とれたての魚介に、少し醤油をかけていただく。

 正直、なんの魚かわからないのも多かった。

 だけど、味は問題ない。

 旨かった。

「あの……」

 やっぱり、お金を払わないのは気が引ける。

 だが金など持っていない。

 着の身着のままだ。

 というか、よくぞ服は残っていてくれたという感じだ。

「気にすんなって、それよりにーちゃん、記憶喪失なら行くあてもねーんだろ?」

「はい……」

 何から何まで、何もない。

「じゃあ、そんなあんたにうってつけの施設がある」

「えっ」

 そんな都合のいいものが。

「元日本軍基地、現群青学園」

 なんだそれは。

「学園ですか? いやそれより元基地って」

「再利用だよ、再利用。細かいこと気にすんな。んでな、にーちゃん見た目は高校生ぐらいだからよ、そこなら入れるはずだ」

「いや、そんな、なんか手続きとか」

「いらんいらん、学園とは名ばかりの公共施設でな? こう十代以下から二十代以下ぐらいまでなら年齢問わず、勉強教えてる上、寮まであるっつう、そらにーちゃんにおあつらえ向きなのよ」

 おあつらえ向き過ぎるにもほどがあるだろう。

「年齢問わず勉強って何を教えてるんですか?」

「道徳」

「えっ?」

「最近じゃこころの勉強とかいうんだったか? とにかくよぉ、ここらへんまだまだ自然が残ってんだろ? それに触れて心の豊かさを養おうって寸法らしい」

 らしい、と言うわりにはよく知っている気もする。

 しかし、元軍施設で寮まで用意して道徳の授業。

 自然に触れて云々の部分を聞かなければ、うさん臭くて、新手の少年兵育成施設なのではと思うところだ。。

 ……そうだろうか?

 少年は自分の思考に違和感を感じる。

 『軍』という言葉がひっかかる。

「どうしたにーちゃん」

 おっちゃんが顔の前に手を振っている。

 ボーっとしていたらしい。

「いえ……とりあえず、そこに行ってみようと思います。ありがとうございました」

 頭を下げる。

 深々と。

「いいっていいって、つーか、場所わかんねぇだろ? 後で連れてってやるから、これ見終わってからな」

 定食屋に備え付けられたテレビ。

 野球中継だった。

 何の気なしに聞いてみる。

「どっち応援してるんですか?」

 おっちゃんはニヤリと笑みを浮かべて言う。

「青い方さ」

 ……群青町ギャグだろうか。


 ~~~~~~


 群青学園。

 元軍基地というのはどうやら本当のようで、学校でいえば体育館に当たるであろう場所が、戦闘機などを入れておくガレージ……いや、なんというのだったか。

 思い出した格納庫、もしくはハンガー。

 ……どうでもいいことばかり覚えている。

 肝心の自分のことは思い出せない。

 とにかく体育館がハンガーだった。

 そう言うと意味が分からない。

「どうしたにーちゃん。あん中にゃもう戦闘機は入ってないぞ?」

 ここまで送ってくれたおっちゃんが言う。

「いや、それはそうでしょうけど……」

「ははーん、元軍基地ってのは俺のでまかせだと思ってたわけだ」

「ぐっ」

 バレた。

 夏の日差しがアスファルトから照り返して熱い。

 だがそれとは別で汗が出る。

 冷や汗。

 涼しそうな字面だが、いっそ寒い。

「はははっ、まっ、普通、信じないわな」

 特に気にしてる様子はないらしい。

 まあ、そんなものか、無駄に緊張した。

「で、あれが校舎だ」

 おっちゃんが指を刺した方向には、正直、見てすぐに「なるほど校舎ですね」となるような形ではなかった。

 あれはいわゆる管制塔とか、そういう類いのものではなかろうか。

「で、さっきにーちゃんが睨んでた元ハンガーが体育館で」

 やはりそうなのか。

「あれが寮だ」

 指さす先にあるのは、寮……といえば寮だろうが、あれも正確に言うなら兵舎ってやつだろう。

「本当はあの兵舎の方を校舎にしたかったらしいんだがな」

 やっぱり兵舎なのか、さっきからおっちゃんの言うことを頭の中で反芻してばかりだ。

 いや、反芻しているのはおっちゃんだ。

 俺の思考の方が先回りしている。

 頭が熱い、黒髪がジリジリと焦がされる。

 半袖のシャツと、薄手の長ズボンが体に張り付く。

 おっちゃんの見立てじゃどこかの学校の夏服らしいが、さすがに学校を特定するまでにはいたらなかった。

 校章っぽいものは印刷されていたのだが、校章なんてどれも似たようなものなので、それだけで、スマホで写真を撮り、画像検索し、やったわかった解決だ、

 ありがとうございました、故郷に帰ります。

 とはならなかったのだ。

 おっちゃんのスマホを、おっちゃんと一緒に覗き込みながら、これじゃないかあれじゃないかと小一時間、議論した結果、わからんとなったのだ。

 閑話休題。

「んであの管制塔の校舎が曲者でなぁ、授業のスペースを作るときの工事に手間取ったとかで……おい、にーちゃん聞いてるか?」

「聞いてませんでした」

 暑かったので。

「そうか、ま、いいや、んじゃ、早速、校長先生様に挨拶に行くぞ」

「はい」

 なにもかもスムーズに行き過ぎだが、まあこっちに害があるわけでもない。

 むしろ利しかないのだから、唯々諾々と従っていればいい。


 管制塔もとい校舎の中に入り、エレベーターに乗る。

 どうやら校長室は上にあるらしい。

 ちなみに校舎の中はクーラーが効いていて涼しかった。

 助かった。

 エレベーターが一番上の階で止まる。

 開いた先には、扉。

 あの中が校長室か。

 はたまたレーダーの管制室か。

 おっちゃんがノックして「鍵沢さん、俺だ! 連れて来たぞ!」

 実は、ここに来る前に、おっちゃんはちゃんと電話でアポイントメントを取っていた。

 当たり前の話だ、記憶がなくても分かった。

「どうぞ」

 渋い声だった。

 おっちゃんはガバッと扉を開けて入ったので、その後に続いて部屋に入る。

「ようこそ、群青学園へ」

 髭を蓄えた初老の男性、スーツ姿だった。

 おっちゃんのがちょっと若く見える。

 というかおっちゃんがアロハシャツに短パンとかいうラフな格好が過ぎる。

「君は、記憶喪失、という話だったけど、どこまで覚えているんだい?」

 いきなり本題……いや、本題ではないか、俺がここに来た理由はここに住まわしてもらえるかどうかだ。

「住んでいた場所も、名前も、家族の事も、なにも覚えてません」

 どうでもいいことばかり覚えている気がします。とは言わないでおいた。

「そうか……それは大変だったね」

 純粋な同情の声、素直に、その想いを受け取る。

「いえ、すぐおっちゃんに……、そういえば名前なんていうんですか?」

 今の今まで聞いていなかった。

「ははっ、おっちゃんで構わねえよ」

 えっ。

 声には出さないが、別に名前を名乗らないタイミングでもないだろう。

 名乗るタイミングでもないけど。

「彼はそういう人なんだ、気にすることはない」

 鍵沢さんまで、なんだ群青町の常識か⁉

「はぁ、まあとにかく、なぜか砂浜に打ち上げられてて、そこで目を覚まして、でもすぐに助けてもらったんです。だから大変だったというより、これからどうしようという感じでして」

 だからここに住まわしてください。

 そう言外に語った。

 それを鍵沢さんも察してくれたらしく。

「わかった。君が群青学園に通えるよう手配しよう。寮にも空きがあるから、安心したまえ」

 ああ、ようやくホッと一息つける。

 これで、目下のところの生活の、まあとりあえずの「衣食住」の「住」を確保することが出来た。

 残りは、まあアルバイトとかするしかあるまい。

「朝と夜は用意出来ないが、給食も出る」

 まるで思考を読んだかのような一言、だが驚きよりも、やはり安心や喜びが勝った。

 自分は自分で思っていたより、現代的な生活に執着があったらしい、野宿し、野生の中で、サバイバルする勇気は無いらしかった。

 当たり前のような、情けないような。

「だが、そういうものはサービスではない、君もちゃんと授業も受けてもらう、生徒なのだから、いいね?」

 念を押すような言葉。

 確かに、目の前の事で手一杯だったが、学園なのだから、ただ住むとこではないのだから、そういう話になるに決まっている。

「わかりました」

 素直に承諾する。

 特に異論はなかった。

 記憶喪失なので、ちょうどいいくらいかもしれない。

 道徳の授業らしいが、まあ、なにか記憶を思い出すことのきっかけになるかもしれない。

 アルバイトは放課後にすることになるだろうが、まあそれも大した問題でもあるまい。

「さて、そこでだ、今日はもう授業はないから、寮に案内したいと思うが、その前に」

「?」

 首を傾げた。

 なんだろう。

「君の名前を決めなくてはな」

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