第2話 魔法の森の、魔女の子
心地良い微睡みから目を覚ますと、一人の女性が俺を大事そうに抱えていた。
ウェーブのかかる黒い髪をしていて、真っ赤な虹彩を持つ妖しい風貌の女性。
深い慈愛に満ちたその顔は、自分を産んでくれた本当の母である事がわかる。
俺の視界に映るのは“母”と、隣で眠るもう一人の赤ん坊のみだ。
その子は自分よりもやや大きい。
その身を包む布に愛らしさを感じさせる意匠の刺繍が施されているから女の子――“姉”なのだろう。
“姉”の寝顔を観察すると、西洋系の顔に、白い髪。
白雪のような肌に、少し尖った耳は人ならざる何かを感じさせる。
あどけなく寝ているが、これだけで神秘性が滲み出るほどに美しかった。
「――、――?」
俺が目を開けた事により、“母”は何か語りかける。
当然ながらわからない。
続けざまに“母”は、穏やかに何かを言っているが、何かちょっとわからない。
この世界の地方語なのだろうか、北欧っぽいアクセントだ。
とはいえ分からないものは仕方がない。
『聞こえてますよ?』と言わんばかりに手を伸ばし応答の意を示すと、感極まったかのように抱き締められた。
鼻孔を満たす母の匂い。落ち着いた、自分のより大きな心音。
子としての充実感を満たすそれらの要素が、再び睡魔を呼び寄せる。
まだ起きたばっかりだ。あと少しだけ。
何とか眠気を振り払おうにも、畳み掛けるように背中を擦られては抵抗のしようがない。
眠たそうにする俺の事に気が付いた“母”は、ベッドに俺を寝かせ頭を撫でる。
「……いい子ね、ケイ。おやすみなさい」
最後に何故その言葉が理解できたか一瞬戸惑った。
だがすぐに思い出す。
“母”は俺を寝かしつける時にいつもこれをいうのだ。
就寝の挨拶と、自分の名前。
まず俺が真っ先に覚えた言葉なのだろう。
唯一聞き取れる親の言いつけを素直に守り、再度眠る。
転生後の自分に与えられた名前は“ケイ”なのだ――
◆
暖炉を焚かねば肌寒い季節。秋か、冬か。
俺が意識を取り戻してから初めての誕生日を迎えた。
どうやら3歳になるらしい。
歩く事も走る事も出来るようになり、識字も会話も卒なく出来るようになった。
ようやく人として復活した気分だ。嗚呼、生きてるって素晴らしい。
1歳そこそこから、うわ言のように言葉を練習していた為か、家族から妙な期待をされてしまい、子供向け――というより平民向けの簡単な教材を与えられた。
結果として本が読めるようになるのは僥倖だ。
妙に物覚えの良いのは“転生モノのお約束”なのだろうか。
なんにせよ、全くもってありがたい話である。
さて。どうやら俺は、“魔女の家”に生まれたらしい。
魔女といってもそう身構えるような恐ろしいモノでもない。森で得た収穫物を加工して近くの人里に魔法薬や軟膏を売り付けて回る薬師、獣避けの結界や見張りの使い魔を放して人間を見守る森の賢者のような存在だ。
そんな奥様は毎日のように、鼻歌雑じりで変に発光する奇しい液体を嬉々として混ぜ混ぜしている。
俺と姉はそれを黙々と眺めている。毎日、それを、じっと眺める。
魔女の子としての習性のようなものだ。
母の作業風景がそのまま娯楽であり、学習でもある。
家から出られないという理由もある。
何気なく窓から見た景色は、それはもう見事ともいえる森。というか樹海。
しかも常に霧がかっていて日照権などあったものではない。
トドメとばかりに、ほぼ全て動植物が魔力由来の発光性を持ち、強い魔力に反応して唄って躍るのだ。
種から出てきてキラキラバシューンである。怖いからやめてよね。
現実、森の管理者である魔女の子を害する植物も動物も表立って居ないのだが、それでも積極的に外で遊ばせたくないのが親心、怖いから遊びたくないなぁと思うのが子心である。
思った以上にファンタジーな空間に躍り出てしまった感がある。
というかそれを通り越してディスコのようだ。踊らないけど。
とはいえ、引き篭もってばかりでは居られない。
生きている以上は食料品や日常雑貨を補給しなければならない。当然だ。
その場合に限り、子供達は外出を許される。
月に二回程の買い出しは、我が家で共通される最大の娯楽であった。
◆
「ケイー? 先行くよぉ?」
「わ、わわ、ちょっと待ってくださいよ姉さん!」
姉である“コリン”に促され、俺は慌てて外出の支度をする。
ドアの隙間から可愛らしく顔を覗かせるハーフエルフの幼女だ。
白銀の髪を伸ばし、くりくりとした青い瞳が活動的な雰囲気をもたらしている。
これは殆ど、スノーエルフである父の特徴をそのまま受け継いでいる。
「もう、意地悪しないの。ケイ、慌てずにね」
「〜〜っ!」
「ムキになって暴れてるし……」
せっかちな娘と、癇癪を起した息子を諭すのは、母である“エリー”。
娘とは真逆の黒い髪、闇に灯るような赤い瞳が何とも妖しい。
俺も母に似た黒髪と赤い瞳を受け継いでおり、一家で二分となる色合いを見せる珍しい状態に陥っているのだとか。
それはさておき。
今現在、俺が四苦八苦しているのは荷造り。
何でもこの世界は全ての生物に固有の空間が与えられており、そこにモノを収容する事ができる力があるんだとか。
その容量は、使用者の身体能力・魔力・精神力など、ある種キャパシティめいた資質を鍛える事によって増大するらしい。
異世界モノにありがちな〈収納〉や〈アイテムインベントリ〉のような能力をデフォルトで獲得しているのだろう。
転生でお約束の『神との
さて、何故俺がこの力の扱いに四苦八苦しているのかというと、これは容量の問題ではない。
――単純に開き方がよくわからないのだ。
よく考えて見てほしい。
地球人の基準で空間をこじ開けろなんて難題を誰がこなせると言うのか。
身体は比較的丈夫ではあるし、魔女とエルフの子でありトレーニングもしているから魔力も十分。精神力なんてもっての外だ、少なくともそこらの3歳児に負けるはずもない。
両親にも『潜在能力自体は、ずば抜けて高いはず』と太鼓判を押してもらえる程であったが、肝心の使い方が判らなければ元も子もない。
家族3人とも使えるというのに、自分だけ“収納”が使えないとなると流石に焦る。
あらゆる手段を試し、滅茶苦茶に魔力を回して、目まで回して、ぐるぐると。
癇癪を起こし見苦しく足掻く弟を見かねたのか、エリーが動いた。
「だぁ〜、もう下手あ! 見てらんないなぁ、おりゃあ!」
そういってコリンは手に魔力を込めて、俺の収納空間を無理矢理こじ開ける。
コリンと俺は、外見はともかく魔力の性質は酷似しているらしく、特殊な儀式なしでも力技で干渉する事ができるらしい。
何というか某心の壁をこじ開ける人型決戦兵器のようで怖い。
「んんん〜! はや、く……!」
「あ、うん。ごめん姉さん」
非正攻法故に相当負担にかかるようで、顔を真っ赤にしながら催促してきた。
余りにも強引な手段だった為に唖然としたが、コリンの声で我に返り急いで荷物を放り投げる。それと同時にコリンが手を離し、ぱぁんと小気味の良い音を立てて収納空間が勢い良く閉じる。
干渉しあっていたお互いの余剰魔力が反発しあって辺り一面に衝撃波がいきわたり、轟音と共に森の木々を揺らした。
割りととんでもない光景だと思うが、これが我が家の日常である。
「ぜぇ、はぁ。……どっと疲れた」
「お手数かけました?」
「かけ、すぎよ……」
「コリン、少し休む?」
「大丈夫だよお母さん。ケイが代わりに休んできてくれるから」
「それじゃ僕が買物にいけなくなるし、そもそも姉さんの疲れは取れないよね」
そんな他愛のない会話をしながら、近くのちょっと大きい村へ出立する。
野菜と香辛料、蝋燭などの日用品を買いに。
◆
ここは国に匹敵する広大な領地、メルギルド公領の隣――“常夜の森”と呼ばれる禁足の地。
禁足地といってもそう物騒なものではなく、神々が霊脈の保護の為、文明種族による国土の指定を禁止したある一定の領域というだけだ。
スノーエルフの一氏族が管理し、各所に点々と居を構える魔女たちが補佐を行う。
“常夜の森”は、名の通り常に魔分を含む霧に包まれた魔法の森である。
魔法の森というだけあって当然、そこに住まう動植物も当然クセの強い連中が勢揃いであり、簡潔に纏めるならば『何かみんな光ってる』という一点に集約する。
大体が魔法生物としての側面を持ち、当たり前のように
最初は疑問に思ったものの、考えてみれば当然なのかもしれない
闇に紛れようにも自分も相手も魔法生物、魔力感知が潜伏を許さないからだ。
ならば包み隠さず自らの手札を曝け出すことによって、一種の威嚇や警戒色として魔分発光を行う、という道理なのだろう。
“常夜の森”はただ暗いだけじゃない。
霧に隠され薄暗い森に、イルミネーションじみた生態系。
森に居ながら星空を漂うかのような感覚に陥るから“常夜の森”なのである。
――閑話休題。
俺は今、母が捕まえてきた“
何でもこの全幅三メートル近くある黒々とした陸蟹は、金属を含む鉱物をボリボリと喰らい、自らの甲殻に取り入れて外敵から身を守るらしい。
金属を纏うだけあって力が強く、
そして性格は極めて温厚。魔女たちのテリトリーに多く生息する上、使役の魔法に快く引き受けてくれる。
専ら荷物運びと
余談だが、乗り込むにあたり荒縄で縛って即席で保持する箇所を確保するのだが、その見た目が完全に魚市場で陳列される蟹そのもので面白い。食用に適さないのが少し惜しい。
俺は最初、使役の魔法と聞いて魔物の“テイミング”が出来るのかと色めき立ったものの、母がやっていたそれは端から見れば通行人がタクシーを捕まえるそれにしか見えなかった。面白シュールな光景ではあったが、魔法っぽい何かを期待していた俺としては複雑な心境を禁じ得ない。実に我儘な人の心である。
「ほんっと、丁度良いところにいたわね。有り難いわぁ」
「ステンクラブさまさまですね」
「ねぇ、お母さん今度それ教えてよ!」
「勿論よ。蟹さんの協力無しに森を歩くには辛いわ」
「……うーん、僕もお願いします」
興味深い遊びをねだっているようにしか聞こえないだろうが、“常夜の森”の道を歩くのは子供には辛いものがあった。
日常的に踏み固められ、更には等間隔に石を埋め込む事によってある程度の舗装は実現されているものの、それだけで簡単に踏破できるほど森というものはそう甘くはない。
子供の体格的にどうしても超えるのに苦労しそうな高低差や水溜りなどがあり、森の動物達の協力なしでは村にたどり着く事すらままならない。
よほど身のこなしに優れた人でない限りは『動物たちを使役する/協力を乞う』『身体能力を補う』といった手段が不可欠であり、その一つの回答案こそが魔法だった。
よって魔法が使えない未熟者である以上、両親の同伴が無ければ遊びにいく事すらままならないのが現状である。
子供達が躍起になって買い出しについて回るのもそういう事であるし、母もそれを微笑ましいものを見るように受け入れてくれる。
遊びに行きたければ魔法を覚えるしかない。
童心に還って遊ぶつもりはあんまりないが、俺としても今後の為に魔法は覚えたい。
なんて事を考えていると、ふとコリンと目があった。
やる気に満ちた、明らかに何か企んでいる目だ。
お互いに協力し競い合うのもいいかもしれない。
こくり、と同時に頷きあう。
思いが合致した、たった今、同盟が結ばれた。裏切りは許されない。
――そんな二人のやり取りを、エリーはにこやかに見つめるのだった。
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