一章二話 馬鹿を見ているのは滑稽だな


 汰空斗(たくと)が街に着いたのはあれから少し後、月が見えるようになった頃だった。

 町は外壁がなく自由に出入りできる作りになっていた。風景は定番の西洋風。噴水などもあるが町自体の規模はそう大きくない。


 「いくら西洋風が定番だからって、ここまでされるとさすがに異世界感しないなー」


 軽くあたりを見回せども町を行き交うのは人しかいない。獣人も亜人もいなければ、服装も洋服がほとんど。これならドイツやフランスを歩いているのと大差はない。彩葉(いろは)がそう思うのも無理はないだろう。


 「確かに彩葉の言う通りだね。僕らつい最近北海道に戻るまではずっとフランスにいたわけだし」

 「ま、これぐらいがちょうどいいんじゃねえか? 一番最初の街にしては結構立派だしよ」

 「そんなことよりお腹減ったよー。汰空斗ー」


 汰空斗の肩を揺さぶりながら空腹を訴える紅葉(あかね)。


 「知るか。てかお前はさっき食ってただろ」


 今の汰空斗は紅葉の手を振りほどくのも面倒なのか、揺られるままに頭を揺らしながらも歩み続ける。


 「えー。でももうあれから結構時間たったし、そろそろ宿とか探そうよぉ」


 汰空斗の対応が不満だったのか、揺さぶる勢いが激しさを増した。流石の汰空斗も揺れの激しさに堪えたようで、無気力に紅葉の手を振りほどく。


 「宿に泊まる金も飯を食う金もねーよ」

 「お、おい、汰空斗。それはマジなのか? 今日の晩飯はどうなるんだよ!?」


 顔を青く染めた鉄も腹を空かせていたのだろう。汰空斗の肩を掴みグッと自分の正面へと向かせた。


 「このままだと、間違いなく飯抜きだな」


 鉄をあしらう汰空斗に覇気が無いのは、今日一日の疲れの現れ。その原因は異世界に転生してしまったことではなく、間違えなく他5人の対応に追われてのことだ。だがどれだけ疲れようと、汰空斗に休む暇などありはしない。


 「異世界なら魔物を倒すとお金くらいドロップするのが常識でしょ!? なんでそれすらないのよ!」


 今度は彩葉に申し立てられる。


 「仕方ないだろ。素手で殴ったくらいじゃ殺せないんだから」

 「だが、それならエクスカリバーが飛んで来ただろ?」

 「そんな慌ただしい時に誰がドロップアイテム回収してんだよ?」

 「言われてみればたくさん落ちてたような気がするね。まぁ、誰も拾ってなかったけど」

 「拾ってなかったけどじゃねーぞ、紫草蕾(しぐれ)。お前と彩葉なら十分その時間あったんじゃねのか?」


 鉄の顔が鬼のように厳しい。食べ物の恨みはなんとやらだ。


 「そんなこと言わないでよ、鉄(てつ)。僕らだって暇じゃなかったんだから。ね? 彩葉」

 「そ、そうよ。驚きでそれどころじゃなかったんだからしょうがないよ」

 「彩葉。お前、そんな言い訳が通用すると本気で思ってるのか?」


 厚い胸板の前で合わせた掌からパキパキと音が鳴る。三白眼が見下ろすは背丈に25センチ以上の差がある彩葉だ。


 「い、いやだなぁ……冗談に決まってるでしょ。そんな顔しないでよ。鉄の怒った顔って結構怖いんだから」


 冷酷な視線を遮ろうと、後ろを歩く汰空斗の背に身を隠す。

 汰空斗の前を横切る彩葉の頬が、沈みゆく夕日に照らされ赤く染まっていた。同刻、目元できらりと光る滴が宙に溶けたのを、汰空斗は見逃さなかった。


 「おい、鉄。いくら彩葉でも女子を泣かせるのはどうかと思うぞ?」

 「嘘だろ? 俺が悪いのか?」


 鉄の問いに汰空斗は沈黙を持って肯定する。背中の彩葉は、汰空斗の後ろに隠れたっきり顔を伏せたままだ。


 「鉄。謝っておいた方がいいんじゃない?」

 「紫草蕾てめぇ。他人事だと思って……」

 「事実他人事だと思うんだけどな。それより謝らなくていいの?」


 紫草蕾は憎しみがこもった鉄の視線を軽く受け流すと俯いたままの彩葉の方を見た。あたかも鉄に促すように。


 「わ、わかったよ。謝ればいいんだろ……悪い。言い過ぎた。だから泣くなよ。めんどくせぇ」

 「……」


 くすんっと鼻を鳴らすだけで、彩葉から帰る言葉はない。


 「……ごめん。俺が悪かったよ」


 多少なりとも頭を下げて謝る鉄から、少しばかりの誠意が感じ取れた時だった。


 「いつ見ても思うが、お前の演技力はかなりのもんだよな。 そこだけは唯一手放しで褒められる」

 「は?」


 想像に反した汰空斗のセリフに顔を上げた鉄は間の抜けた表情で固まっていた。


 「馬鹿を見ているのは滑稽だな」


 その様子を鼻で笑う姫燐(きりん)。


 「え、演技なのか?」


 未だに信じられない鉄は固まった表情のまま彩葉を見つめることしかできない。


 「うふふ……」


 俯いたままの彩葉から聞こえる微かな笑い声。それによく見ると腹部に

手を当て小刻みに震えている。


 「彩葉、笑い堪えられてないよ」

 「ふははっ。もう無理! 鉄面白すぎ!」


 耐えきれず笑い声をあげた彩葉は、笑い過ぎて溢れた涙を拭う。


 「演技だったのかよ……」

 「結構怖いのはほんとだけど、でも高校二年生がそんなことで泣くと思う? ふっ」

 「お前性格悪すぎるだろ」

 「まあね。だってこういうのが私の仕事でしょ?」


 悔しさで顔を歪めた鉄に小悪魔のように笑みを浮かべた。


 「まぁ間違ってはいないが暇を持て余して座ってるくらいならアイテムの一つや二つは取って欲しかったもんだな」

 「うっ。た、汰空斗。それ今言っちゃいけないやつだよぉ」

 「まぁ、もう過ぎたことだ。いくら言っても戻らないし、覚悟を決めて今日は飯なし野宿の場所でも探すか」


 気を改めると、来た道を振り返り汰空斗は歩き出す。


 「えぇー! 無理! それだけはほんっとうに無理! せめて私たちだけでも宿に泊めてよ。ねぇ? 姫燐も紅葉もそう思うでしょ?」

 「ああ。こいつらと野宿など死ぬよりしてはいけないことだ」

 「姫燐、お前は俺たちを何だと思ってるんだ?」


 迷わず同意した姫燐が、どうにも気に食わない汰空斗だった。


 「ねぇ、みんないつまで話してるの? そろそろ宿行こうよ〜?」


 紅葉は空腹でいつもの元気が出せないようだ。今までほとんど喋っていないのもそれが原因だろう。


 「紅葉、お前今までの話聞いてなかっただろ?」

 「んー? ちょこっとだけ」


 元気なさげに何かをつまむ仕草で答える。


 「ちょっとじゃないだろ! この町に来てからした会話の8割は聞いてねーよ!」

 「あれ? そうなの? みんな何話してたの? 何か大切なこと?」


 こんなにも至近距離にいたのに会話のほとんどが聞こえていなかった紅葉は首を傾げた。


 「金がなくて宿に泊まれないっていう話だよ。なんでずっと一緒にいた奴に今までの会話を要約してやらないといけないんだ」

 「え? みんなお金ないの? もうしょうがないなぁ。私の分みんなに分けてあげるからもう宿いこ?」

 「お前金持ってるのか? こっちの世界の金だぞ?」


 あんな慌ただしい状況だったのだ。紅葉の言葉が信じられないのも無理はないだろう。とはいえ、遠回しに馬鹿にされた紅葉は、じと目で汰空斗を睨みつける。


 「ねぇ、汰空斗。今しれっと私のこと馬鹿にしたでしょ? 汰空斗の分は出して上げないよ?」

 「本当の本当に持ってるのか?」

 「だから、持ってるってば。ほら」


 紅葉はポケットから一枚のお金らしきメダルを取り出した。

 日本の1円玉くらいの大きさで100円くらいの厚さのコインだ。色は銀色で女性の横顔が描かれているそれは、明らかに前の世界のものではない材質だった。


 「これだけかよ……」


 紅葉の出したそれは、あくまでお金らしきものであってお金である確証はない。それに枚数も一枚しかないときた。

 なぜ紅葉はあそこまで堂々と言い切れたのか。汰空斗にはそれが不思議でならなかった。


 「白いのが飛んで来た時に目の前の犬が落としたの。これだけ銀色だったから珍しいのかなー? って思って拾っておいたんだぁ。いくらくらいかわからないけど、銀でできてるみたいにぴかぴかだし、多分大丈夫だと思うよ」

 「さすが紅葉! 出来損ないの参謀とは違うね!」

 「おい、誰のことだ? 彩葉」

 「さぁ? 誰のことかな? まぁそんなことはどうでもいいよ。それよりささ、早く宿行こう!」


 ここぞとばかりに仕返しを済ませた彩葉は、汰空斗から出る無言の圧など気にもとめず一人、歩く速度を早めた。


 「そうは言ってもよ。銀のコイン一枚って元の世界ではたった100円だぞ? 買えてスーパーのおにぎりが精一杯だ。本当にこれ一枚で全員泊まれるのか?」

 「もー。てっちゃん。そんなこと私にもわからないよ。だ・か・ら、はい、汰空斗。彩葉と二人で何とかしてきて」


 紅葉はメダルを一枚差し出すとニコッと笑って見せた。


 「何とかってなぁ……相変わらず要求が曖昧だな。まぁ、何とかしてみるか」

 「え? 私も?」


 突然の指名に振り返り自分に指を指す。


 「宿屋が相手なんだから当然だ。交渉、演技、かけ引き。それがお前の仕事なんだろ?」

 「あー。まぁ、それもそっか」


 コインを受け取った彩葉の表情は、それはそれは苦いものだった。



 あれから数分が過ぎた頃、六人はなるべく安そうな宿に入った。入り口正面はすぐにカウンターになっていて、スーツ姿の従業員が二人。

 汚れた木造づくりの外観とは違い、中はホテルのような気品ささえ感じる。意外にもしっかりとした宿屋のようだった。


 「俺は極力口を挟まないようにする。だから後は任せたぞ?」

 「う、うん」


 汗で湿っている手を強く握りしめると彩葉は不安そうに頷いた。

 おぼつかない足取りでカウンターの前に立つと、入り口付近に立つ四人を少しばかり振り返った。親指を立てて紅葉が笑顔を振り撒いている。

 不安な面持ちのまま正面に戻り、小さく深呼吸をして口を開く。


 「すいません。部屋借りたいんですけどー」

 「はい、かしこまりました。お二人様ですね? 部屋はお一つでよろしかったでしょうか?」


 受付は白く透き通った肌が美麗な女性だった。日本語を流暢(りゅうちょう)に使いこなしているが、両耳が長く、いわゆるところエルフだ。

 それでも普通に日本語が通じ会話が成立しているのだから、この世界に来た日本人は少なくないのだろう。ただ、店内にある文字は全て汰空斗の知らない文字だった。


 「いいえ。6人二部屋でお願いします」

 「はい、かしこまりました。でしたら、4人部屋が二部屋になりますがよろしいですか?」

 「はい」

 「滞在期間はどのくらいでしょうか?」

 「これで過ごせるだけ」


 彩葉はカウンターに一枚のコインを乗せた。


 「え? これ……あっ、すいません。つい」


 明らかな動揺の後、何度も頭を下げて謝罪したエルフ。


 「あの、一応確認なのですが、本当に全額お部屋代でよろしいのですか?」

 「はい。大丈——」

 「——すいません、ちょっと待ってください」


 突然、口をはさんだ汰空斗がエルフに背を向け、小さく彩葉に話しかける。


 「俺にはお前ほどの対人スキルがないからわからないんだが、このまま続けて大丈夫なのか?」

 「うん。問題ないよ。ラノベあるあるならこの場合、あまりの金額の大きさに驚いているシーンだよ。このままいけば間違いなく泊まれるよ」

 「それがどうにも信用できないから聞いてるんだよ?」


 彩葉のそれは空想上のことであり、確信的な証拠ではない。それでも、彩葉はユウがない自信を振りかざす。


 「大丈夫だって。最悪、演技で何とか乗り切るから」

 「ならいいんだが……」


 よほど彩葉の演技力を信頼しているのか汰空斗はあっさりと承諾する。


 「すいませんでした。何でもありません。続けてください」


 またエルフの方に向きなおす二人。


 「わかりました。では少々お待ちください」


 エルフはその場にしゃがむとすぐにまた立ち上がった。手にしていたのは汰空斗達も見慣れている普通の電卓。それをカウンターに置き、慣れた手つきではたくと、くるっと回し二人に見せた。


 「六名様で銀貨一枚分ですと166日ですね。本当によろしいですか?」

 「166日! ちょ、ちょっと待ってください」


 今度は彩葉が汰空斗を掴んで振り返る。


 「ど、どうしよう? さすがに多くない? 166日って約5か月だよ?」

 「わかってる。もちろん変更だ。三日でいい」


 指を三本立てて囁いた。


 「え? そんなんでいいの?」

 「ああ。それだけあれば十分だ」

 「わ、わかった」


 そしてまた戻る。わざわざ何度も背を向けては振り返る二人をエルフは不思議そうに見つめていた。


 「やっぱりやめます。三日で。三日でお願いします」

 「はい。かしこまりました。六名様、三日で銅貨24枚でございます。ただいま釣銭を用意しますね」


 笑顔で頷いたエルフはまたしゃがみ込み、今度は茶色い大きめのポーチを取りだした。それをカウンターに置くと、カウンターに少しばかりの振動が伝わる。


 「お待たせいたしました。こちらがお釣りです」


 その中にある大量の銅色コインから24枚抜いて袋ごと差し出した。


 「え? こ、こんなに……?」


 中身を覗いた彩葉はそのあまりの量に圧倒されていた。


 「はい。銅貨976枚です」

 「976枚!」


 思わず声を上げた。

 すぐに手で口を塞ぎあたりを見回すが案の定、視線が集まっていて頬が赤くなった。


 「あ、あの。失礼を承知の上でお聞きしますが、もしかしましてこの世界に来たばかりの方々でしょうか?」

 「え、えっと……は、はい」

 「そうでしたか。でしたらこの世界のお金についてもあまり存じていないのではないでしょうか? 良ければ簡単な説明だけでもさせていただきたいのですがよろしいですか?」

 「え、あ、は、はい。ならお願いします」


 動揺しながら返答する彩葉の傍ら、汰空斗はため息をこぼした。


 「ではまずこのコインについて説明しますね」


 先ほど抜いた銅色のコインを一枚、カウンターに乗せたエルフ。


 「これは銅貨です。千枚で銀貨一枚分です。ですから先ほどお渡したポーチには銅貨976枚が入っています。そして、銀貨百枚で金貨一枚となります。世界中に流通しているのは主にこの銀貨になります。ですがこの町はこの世界に来たばかりの方が多いので使用されるのは銅貨がほとんどです。また、町の近くの魔物も銅貨しか落とさないのも理由の一つですね」

 「へぇー」

 「一つ聞いていいか?」

 「はい。どうぞ」

 「ただの推測なんだが、この町で近頃何かしらのイベントでもあるのか?」

 「はい。今日から明日にかけてこの世界に来たばかりの方々をメインにした格闘大会が開かれています。街の中にこのようなポスターが貼ってあるはずですよ?」


 エルフはカウンターに一枚の紙を置いた。そこには何語かわからない文字が敷き詰められていて読み取れないが、一緒に素手で殴り合っている男四人の姿が描かれているので何となくわかる。


 「中には熟練者の方もいるみたいで毎年すごいく賑わっていますね」

 「なるほどな。わかったよ。で、部屋はどこだ?」

 「はい。ただいまご案内させていただきます」


 カウンターの外に出るエルフ。それを見たほか四人が汰空斗と彩葉の元へとやってくる。


 「それではこちらへどうぞ」


 建物の奥へと進んでいくエルフの後について歩き出す汰空斗達だった。

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