第23話「無責任」

 翌日。


「あ、やっと来た! のぞみんおはよう!」

「おはよ礼奈」

「おはよう吉野さん」

「――おはよ」

 あたしは鞄を机のフックにひっかけることで向坂くんからの視線を外し、短く答えた。すぐさま反対隣の礼奈に向き直り、

「今日、信号悪くって。遅刻するかと思ったー」

「えー、のぞみん家から学校まで信号2つだけじゃん。最近、朝も喋れるようになってよかったーと思ってたのに、また遅刻ギリギリ生活に戻っちゃうのー」

 礼奈が呆れたように声を上げた時、ドアがガラッと開いて、担任が入ってきた。


 その日から、真横から、礼奈と話しているときは背後から、チラチラ視線が投げられていることはヒシヒシと感じた。でもあたしは、一切何にも気づいていませんの態で礼奈と話し、黒板を睨み続けた。


 ならばと、今度は足元に消しゴムやらペンやらを転がされるようになったけど、あたしは授業と礼奈との話に集中してます! 他は何にも見えてません! の気を立ち上らせて、それを拾い上げることはなかった。小さくため息をついて、それらを拾い上げる向坂くんを見ることもしなかった。


「はい」


 あたしの脇をすり抜けて、ペンを手にした礼奈の手が伸びる。

「あ、ありがと。神田さん」

 背中から、戸惑い気味の声。礼奈は身体をちょっと右に傾けて、あたしの背後に目を投げると、

「向坂くんさ、最近ちょっとモノ落とし過ぎじゃない?」

 何故かあたしが焦ってしまった。礼奈の視線があたしをすり抜けていることに、心底安堵する。

「そう、かな。気をつけるよ、ありがとう」

 思いっきり動揺した声。でもこれで、もうモノを転がされることはないだろう。そう思い、心底安心する。

「いえいえ。ねえのぞみん、ジュース買いに行こ!」

 勢い良く立ち上がった礼奈につられるように、あたしは立ち上がった。大股で教室を出ていく礼奈を追いかけたら、階段の手前で礼奈はピタリと足を止めた。

 くるっとこちらを振り返り、


「ねえ、向坂くんと何かあった?」


「えっ何、何かって? だってそんな、仲良くないし」

 思いっきり声が上ずった。我ながら怪し過ぎと思う目の前で、礼奈は腕を組み、「だよねえ…」言いながら小首を傾げている。

 あたしは畳みかけるように、

「そんなことよりホラ、早く行こうよ。昼休み終わっちゃうよ」

「あ、ホントだ」

 そこで話は終わって、あたしは心底ホッとした。


 何かって――何もない。

 そう、何も、あたしは向坂くんにされてない。

 だから、ここまでの態度は、おかしいのかもしれない。でも。


『ゆうちゃん』


 聞いたこともない優しい声で、相手が目の前にいるみたいにスマホに笑いかけていた……。


 思い出すだけでムカついてくる。

 スマホ持ってないなんて、何でそんな嘘つく必要があるわけ? あんなにやり取り苦労したのに。あたしに連絡先を教えたくなかったってこと? 

 それに『すぐ行くから待ってて』って――倶楽部活動が二人の逢瀬の障害みたいじゃない! あたしが始めたんじゃないってのに!!


 もういい。


 やっぱり学校生活はつつがないのが一番。


 学校に来て、勉強して、合間に友達と喋って、帰る。それでいい。

 そしたら楽しくて盛り上がったり、悲しくてやりきれなかったり、無駄に感情を揺さぶられて、苦しい思いをすることなんか、二度としなくたっていい。



 そして水曜日。


 あたしは、授業が終わると同時に鞄をひっつかみ、「じゃあ礼奈、また明日ね」声をかけると、返事も聞かないで、まだわちゃわちゃしている教室内を突っ切って、廊下へ出た。

 授業終わりが遅かったので、廊下には他のクラスのコたちが結構いる。よかった、人に紛れて逃げ切れる――思いながらあたしは、足早に階段を駆け下りた。


「あれ?」


 踊り場でバッタリ会ったのは、選択授業帰りと思しき、スケッチブックを手にした江上くんだった。


「帰るの?」

「うん。じゃあ」

 あたしは目線を外しながら、彼の脇をすり抜けようとした。だが。


「ちょい待ち!」

 後ろから鞄を引っ張られ、二段目に足をかけようとしていたあたしは、後ろにこけそうになった。

 ちょっと! 振り返ったあたしの抗議の視線を無視して、「ワリい、先行ってて」江上くんは一緒にいた友達に声をかけていた。

 「おう」友達はあっさりと階段を上っていき、あれ? 展開が読めないでいるあたしに、江上くんは向き直ってきた。

 あたしは一段下りていたので、彼と目の高さが同じになっていた。かつてない距離感と、見たことない真っすぐな目に、あたしは気圧されてしまい、足を止めてしまっていた。


「俺、入ったから。『奇譚倶楽部』」


 えっ! 変な声が出そうになったけど、慌ててこらえた。もう関係ないし! そう自分に言い聞かせて。


「今日、活動日だろ? 何で帰るわけ? 先週もいなかったし。もしかして辞めんの」


 『辞める』


 そう。

 「つつがない生活」に戻るなら、それは当然のことだった。

 だけど、それを口に出すこと、口に出されることから、逃げているのだ――あたしは。


「急ぐから」

 そう言い捨てて、階段を降りようとした。だけど。


「おまえさ」

 背後からの大きな声に、再び足が止まる。


「おまえが、俺に目をつけたんだろ。ストーカーみたいにつけ回してさ!」


 真横を通りかかった一年女子が「えっ?」て顔でこちらを見てきた。

 わーっ、ちょっと何言ってんのやめてー! あたしはわたわたと振り返り、「ストーカーって、そんなことしてない――」


 だけど江上くんは、あたしの動揺なんか意にも介さず、

「俺にしてみたら、そういうことだ。なのにおまえは、何の説明もなく逃げるわけ? 無責任だろ」


『無責任』


 冷たい声が胸に突き刺さった。


 それは、あたしが何度も何度も、心で吐き続けていた言葉だった。


「じゃあ」

 あたしは言い捨て、踵を返した。 

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