第11話「好きなもの」

 向坂くんは桜の木一本一本を凝視していて、その怖いくらいの気迫に、あたしはどうしたらいいか分からなくなる。


「ねえ、どこ!」

 振り返った彼の目がゾッとするほど真剣で、どうにかごまかそう、なんて軽い考えは吹き飛んでしまった。


「ごめん、嘘」

「え?」


 意味が分からない、とばかりにきょとんとする向坂くん。

 胸が痛い――思いながらもあたしは、あははーと白々しく笑い、


「もう、冗談だってば」

「冗談――?」


 呟いた向坂くんの顔から、みるみる表情が消えていく。


 どうしようあたし、――なんかもの凄く悪いことしちゃった。

 人の真剣さを笑っちゃうみたいな、人としてありえないことをやってしまった気が。


 どんどん表情が暗くなるあたし。すると、

「そっか、冗談、だよね。そりゃそうだ。そんな簡単に見えないよな」

 まるで励ますみたいに明るい声をあげた向坂くんは、ごめん立てる? とあたしに手を差し出してきた。

「うん」

 あたしがその手を取って立ち上がると、今度は自分の自転車を起こしにかかる。

 そしてバッグの中に手を入れて、


「よかった、何にも壊れてないや」

 

 そう、安心したように息をついた。よかった、元通りみたい……。あたしも密かに安心する。


 あたしたちは再び、自転車を引いて歩き出した。


「俺さ、霊って見たことないんだよね」

「あたしもない。小さい子は見れるって聞くよね。やっぱり純真さかなあ」


 となると、子供のころのあたしには、純真さがないってことになりますが?


「年を取ると、余計なものを見過ぎちゃうのかなあって思う。あとは惰性で生き過ぎなのかな? もっと毎日を丁寧に生きてれば、見えるようになるのかな」

 向坂くんはふっと左手に目を投げる。

 川面は傾いた日差しを受けて、さざなむたびにキラキラしている。日光の集まるところは、まるで鏡のように光り輝いている。その川辺では、小学生たちがランドセルを放り投げたまま石投げをしていた。

 「やった五段!」「おれなんか十段だぜ!」といった声が賑やかだ。


 あたしふっと右に目を投げる。

 よく見たら、葉っぱの中に桜に赤みを帯びた緑の実がぶら下がってるのが見える。毎日通ってる道なのに、全然気づいてなかったな。

 ま、だいたい遅刻間際で早く帰りたいから、かっ飛ばしちゃいますからね。


 彼の言わんとしていることが分かる、気がする。なんとなく、だけど。


 ケータイ見ないで、生の相手と対峙して、古典に触れて、自分で選んだ好きなものに囲まれて――。


 あれ? その中にあたしって入ってるの?

 

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