第33話 総選挙は・・・
総選挙は6月の初旬に投票がはじまった。
梅雨のないロンバルドでは、すでに夏であった。夜になれば少しは気温が下がるが、日中の陽射しは夏のそれである。
この国では選挙投票日は平日の1日を休日にして行われる。店などは開いているので完全な休日というわけではないが、土曜日曜は完全に休む日であり、そんな日には選挙であっても実施しないロンバルド人気質が、こんなところにも表れている。
当日は、国内のみならずヨーロッパ中のメディアが、特派員を派遣して、朝のニュースから総選挙の様子を伝えていた。
関心の中心は、言うまでもなくEU離脱を公言してはばからないジーラ党首の愛国者党が、どこまで議席を伸ばすかである。
「EU離脱を公約としている愛国者党ですが、投票前の調査ではどの程度の議席を獲得できる見込みなんですか。」
「ちょっと待ってください。今の質問を少し修正させてください。」
本国にいるアンカーマンの質問に、特派員はそう返している。
「実は、愛国者党は公式の公約としてEU離脱を掲げていません。あくまでも党首のジーラ候補がそう言っているだけです。」
「ということは、どういうことなんでしょうか。」
「愛国者党も一枚岩ではないということです。
ジーラ党首はそのカリスマ性で愛国者党の支持をここまで伸ばしてきました。ただ、急拡大した党はいろいろな主張をその中に取り込んできました。
一部の穏健派の中には、EU離脱まで主張するのは行き過ぎだとする人たちもいるわけです。」
「なるほど、その穏健派なんですが、どんな人たちですか。」
「経済界の人たちが多いとされています。この国の経済を支配しているとまで言われる、パラッツォ・ホールディングスのような大企業ではなく、中小の伝統的な企業の経営者が多いと言われています。
この愛国者党の穏健派は、いわば旧来の右派に属する人たちで、移民や難民には警戒感を持っているが、ヨーロッパの伝統的な価値観にも共感を抱いている。
穏健派は、あくまでも自分たちはヨーロッパ文化の一員だという意識が強い。愛国者党の極右的な考え方からは距離をおいているとされています。」
また別のヨーロッパからの特派員は、カメラの前でマイク握りながら話していた。
「愛国者党がいくら支持を伸ばしているといっても、過半数の議席は難しいとの見方を、当地のメディアは示しています。その場合、アドリアーノ・ソベッティ首相は多数派工作を行い、現政権の維持をはかることになると思われます。
つまり、現政権が議席をどの程度まで守れるかが、もう一つの今回の総選挙のポイントとなります。」
玲子はこのニュースを朝のパリで聞いていた。
デファンス地区のホテルのビュッフェで、アメリカ人観光客にまじって、大量のソーセージとスクランブルエッグ、そして野菜を皿に盛り上げながら、ビュッフェに置かれているテレビでロンバルドの選挙の報道を見ていた。
「あなたはもう投票を済ませてるの。
…それにしても、それすごい量ね。」
そう言ったのは、同じテーブルに座った日本人女性だった。
「ええ、期日前投票で。ここのロンバルド大使館で昨日やってきたわ。
…朝はがっつり食べるのよ。私。」
玲子の前にいる日本人は、パリ在住のデザイナーで九條典子いう。彼女がパリで開いているブティックは、このところ評価を高めていると聞いている。
玲子と典子は、今日パリで開かれる在欧日本人ビジネスパースン協会のイベントに参加するため、ここにきていた。
玲子はロンバルドで典子はフランスだが、いずれにしても外国人であることには変わりはない。
極右の台頭はフランスでも同じことだ。マリーヌ・ルペンの国民戦線は支持を伸ばしている。ロンバルドの愛国者党と政策は必ずしも一致するものではないが、反移民は同じことである。
在欧州の外国人にとっては、いささかの不安を抱く相手であることは間違いない。
「ロンバルドの選挙のゆくえは、このフランスにもきっと影響するわよね。」
典子は特に不安そうな表情はしていないが、それは彼女がビジネスパースンだからだろう。とはいえ典子の言葉には、この現象を好ましく思っていないことを言外に物語っていた。
「今日の7時には投票が締め切られる。その後、即時開票となって、日付が変わる頃には大勢が判明することになるわ。」
「もし、ジーラが首相になったらどうするの。」
「どうするも何も、どうしようもないわ。国民の選択を受け入れるだけ。ジーラがいくら過激なことを言っても、私のようなすでに国籍を取得している外国人を、すぐにどうこう出来るわけないわ。」
「そう、すぐにはね。だけど時間が経てば…。」
怜子はそこで話題を変えた。有難いことにテレビのニュースも内容が変わった。
その後、典子が使っている車に相乗りして、玲子は在欧日本人ビジネスパースン協会のイベントが開かれるホテルに向かった。
イベントには300人ほどの日本人が集まっていた。
このイベントはどちらかといえば懇親会のようなもので、とりたてて重要な議題があったわけではない。議事はスムーズに進み、皆でランチを食べながら、会話をはずませ、典子の閉会の挨拶がなされた時間は、まだ午後3時だった。
その後、玲子は他の何人かの参加者たちとホテル内のカフェに移動した。席には知った顔、知らない顔がランダムに座り、コーヒーを前にしている。
「日本では不思議に極右が台頭しませんね。」
そう口を開いたのは、あるメガバンクのパリ支店長の男性である。
「日本人は頭がいいのよ。だからここの人たちみたいに、極右に騙されないの。」
典子はラテを口に運びながら、怒ったような口調で返した。
「いや、そうでもありませんよ。ネットなどでは外国人に対するヘイトスピーチや、最近では在日韓国人や中国人に対する、ヘイトデモもやっているらしい。
ヨーロッパの現状は、いずれ日本にも訪れる時代の前触れですよ。」
「でも、ここでロンバルド国民が良識を示してもらいたいと思います。いくらなんでもジーラ党首のアジテーションには乗らない人たちであってほしい。」
「私もそう思いますがね。だがロンバルド国民がその良識を持っていますかね。
…いや、玲子・リドさん。あなたはもちろん違ますよ。常識を持った方だ。」
会話はなかなか終わらなかったが、玲子は飛行機の時間だからと告げて、カフェを後にした。
飛行機とは言っても、リド家の所有するビジネスジェット機で、時間を気にしなくてもいいはずなのだが、いつまでもカフェで駄弁っているわけにもいかなかった。
シャルル・ドゴール空港から、玲子のファルコン900型機は夜の17時に離陸していた。あと1.5時間ほどで玲子はロンバタックス空港に着くことになる。
空の上では音楽を聞いていた。
それでも気がざわついた。ロンバルドに来てから何度もさまざまな選挙はあった。だが、これほど気持ちを騒がせる選挙は初めてだった。
窓の下には灯りが広がっていた。
街の光が夜光虫の塊のようにあり、そこから光の筋が東西南北に走っていた。光の筋の道路を走る車は見えなかったが。その光の図形には生活の匂いがあった。
この目の下に広がるヨーロッパで起きつつある事態。今までの理想主義は捨て去られようとしているのだろうか。人々は眼下に広がる光の図形の中から「外国人」を排除しようとするのだろうか。
風が変わろうとしているのかもしれない。
その思いが玲子の気をざわつかせていた。
機長が操縦室から出てきて、高度を下げるのでベルトを着用するようにとアナウンスしてきた。
ベルトを着用すると同時に、ファルコン900は高度を下げ始めた。
眼下の光はどんどん大きくなり、見慣れたロンバタックスの夜景になってきた。そして軽いショックと同時にファルコン900は滑走路にランディングした。
怜子はすぐに手に持ったタブレットの機内モードを外した。そしてニュースサイトを開いた。
「愛国者党、第一党に。」
この文字が最初に飛び込んできた。
予想していたことだった。だが玲子の気持ちをさらに重くざわつかせる言葉だった。
「愛国者党々首、ジーラ氏はトップ当選。」
「ジーラ氏の首班指名は確実か。移民排斥を唱える氏の政策は。」
「ロンバルド、EU離脱へと向かう。イギリスに続き有力加盟国の離脱は、EU崩壊への導火線に火をつけるか。」
次々とネットニュースのタイトルが目に飛び込んでくる。ある時代が終わり、また別の時代がはじまろうとしているのかもしれない。それが今日という日なのか。
その思いに、玲子は慄然として窓の外の滑走路を見つめていた。
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