第29話 テレビ討論会で玲子は
議会の解散と同時に総選挙が告示された。その日、ロンバルド国営放送の討論番組は生放送で行われることになっていた。
怜子は生放送となる午後7時までに、新市街のロンバルド国営放送ビルに入った。
出席者は、玲子・リドのほか、愛国者党ジーラ党首、与党自由党のドゥーア党首代行、その他、キリスト教民主党、社会民主党、旧共産党である労働党などから、党首や党首代行が出席する。
政治家以外では、経済界の代表としての玲子のほか、芸術界を代表して、この国の有名な画家であるエレーヌ・シャルロが出席するのは、いかにもロンバルドらしい。
その日、ロンバルド国営放送ビルの中の控室で、玲子は初めてジーラと言葉を交わした。
ジーラは映像で見た通りの太った大柄な男だった。いつもはラフな格好をしていて、それがトレードマークになっているのだが、今日はスーツにネクタイを締めていた。
「はじめまして、玲子・リドさん。お目にかかれて光栄です。」
初対面のジーラは、意外にも知的な印象であった。
映像で見るジーラは、下品で教養が無く、ひたすらアジテーション繰り返す扇動政治家だったからだ。
もっとも知的で教養がある人物の印象を持ってしまうのは、ジーラがこの国の最高学府と言ってよい大学を出て、官僚などのエリート養成機関でもある高等政治学大学院にすら通っていたことを知っていたのなら、当然とも言えた。
「今日はエルベルト・リド氏で無いのが残念ですな。リドCEOにはいろいろと聞きたいこともあったのですが。」
「エルベルトは今日は他に仕事もあります。こういう討論会は私が出席するのが、パラッツォ社での業務分担です。」
馴れ合いにならないよう、玲子は少し冷たい口調をしたつもりだった。今日はこのジーラと勝負になるのだ。
放送開始15分前に出席者たちは、スタジオに入る。
怜子が指定されたのは、エレーヌ・シャルロの隣の席だった。
一度会ったことがあるので軽く挨拶した。
エレーヌは彫りの深い目をしている。その名の通り生まれはフランスで、ロンバルドの美術学校に入学してそのままロンバルドに住み着いていた。ロンバルドに在住したまま、その絵画は国内のみならず世界の美術界で高い評価を得るようになったエレーヌは、ロンバルドを代表する画家と言っていい地位を確立していた。
今では国籍もロンバルドであるが、現在のEUならば域内での国籍は大きな意味は持たない。
その深い瞳が示すように、エレーヌはアラブ系であった。父母がアルジェリアからフランスに移住していたのである。
「今日の主役はジーラになるかもしれないわ。」
「そうはさせませんよ。」
怜子はそう答えた。
司会は国営放送のアナウンサーが、男女並んで務める。
「10秒前です。…5秒前、4.3.2.1.スタート。」
放送が始まった。モニターにタイトルが流れるのが見えた。
男性アナウンサーが口上を述べ、各党党首に政策公約をスピーチする時間を与える。各党は3分間ほどの間に、順番に政策公約を話していく。
とはいえ、エレーヌが言った通り今日の最も注目される出席者はジーラ党首だった。
何も見えたり聞こえたりしているわけではないが、テレビの向こうにいるロンバルド国民が、ジーラの言葉や振る舞いや、その意外なまでに知的で教養に満ちた態度を、注視しているのが、いわば第六感で感じられる。
「ただいま述べた通り、移民さらに今では難民の流入を阻止するために、愛国者党はあらゆる手段を取るつもりです。
愛国者党は、ロンバルド国民に仕事と平穏な生活を取り戻します。」
「もう質問していいかしら。」
口を挟んだのはエレーヌだった。
司会者は「どうぞ」と発言を促す。
「愛国者党の主張は聞き捨てなりませんね。特に私のような外国からこの国の国民になった者にとっては。
どうして移民など外国人がこの国にとって害をもたらすと言えるのです。私はロンバルドに害をもたらしていますか?」
「もちろん、あなたが害をもたらしているなどと言っているのではありません。害をもたらす者たちを排除すると言っているのです。」
「言葉の遊びですね。
いずれにしても愛国者党の政策は、すべての移民を有害なものとして阻止すると言っているにすぎません。区別をつける政策とは仰っていませんね。」
ジーラは斜めな目線でにエレーヌを見た。少し皮肉な表情にも見える。これは作戦なのかもしれない。
「私をトラップにはめようとしているのなら、もっと上手にするべきですね、エレーヌ・シャルロ。
ではどうやって移民たちを有害な者と、有益な者たちに選別するのです。現実には無理だ。国境を閉ざし移民は原則として受け入れ拒否とする以外に方法は無い。
だから私たちは移民全面阻止を政策として掲げているのです。」
「移民が有害と仰るのには、異論があります。」
今度は玲子が発言した。
「確かにこの国には大勢の移民たちがいる。ですが彼らが安い賃金で働いてくれるからこそ、この国の経済は現在の好況を維持できている。
そうではないのですか。」
「パラッツォの令嬢が、思った通りの発言をしてくれた。
この国の好況とはよく言いますね。景気がいいのはパラッツォなどの一部のグローバル企業だけだ。街で普通に暮らしている者たちはどうなっている。
パラッツォの工場を解雇され、その日暮らしの安い賃金で働いている人たちもいる。なんとか賃金のいい仕事にありついても、そこは住み慣れた街とは違う場所にあって、ふるさとを離れなければならない人たちも少なくない。
これがあなたの言う、ロンバルドの好況というものなのでしょうか。」
ジーラは驚くほど頭のいい政治家だと、玲子は思わずにはいられなかった。
自分を言い負かすための発言をしていない。テレビの向こうの国民を強く意識している。情感に訴えて、支持を集めるための言い回しをしている。
「移民労働者のことばかりに話が集中していますが、ここで難民について、ジーラ党首にお伺いしたい。」
司会のアナウンサーが話題を振る。
「愛国者党は難民についても、受け入れ拒否を政策にかかげていますね。
難民は移民とは若干違う位置づけのように思えます。この国でただちに労働につくわけでもない。これについてお考えは?」
「治安の維持のためです。
難民たちが至る所でロンバルド国民とトラブルを起こしていることは知っているでしょう。この前の、女児連続レイプ事件の容疑者、…なんと言ったかな。そうラシードだ。
こういう連中がこの国を堂々と闊歩している現実を見れば、拒否政策は当然でしょう。」
「すべての難民が犯罪を犯しているわけではありません。」
怜子はここでも反論した。
ジーラは首をすくめた。少し憐れむような眼差しで玲子を見る。
「だが現実に犯罪を犯している者がいる。
彼らは長く苦しい旅路の果てに、このロンバルドの難民キャンプに辿り着いた。ここにはうまい食事や、アラブでは手に入りにくい酒もある。そして可愛らしい女の子たちもいる。
彼らは欲望に耐え切れなくなっているのですよ。
そしてあのおぞましい事件が起きた。今手を打たなければ、誰が幼い少女たちを性のケダモノから守るのです。」
ジーラは玲子に反論しようといているのではなかった。テレビの前の国民に向けてアジテーションしているのだ。
ここでジーラに反論しても、ジーラの思う壺になる。そう考えて、玲子はそれ以上発言しない。
「だが、移民や難民を合法的に阻止する手段は無いよ。ジーラ。あなたは知らないかもしれませんがね。」
自由党のドゥーア党首代行が口を挟んだ。
「わがロンバルドがEU加盟国である以上、EU域内の人の移動は自由だ。難民にしても他の国、たとえばドイツやイタリアに入れは、そのままロンバルドにやってくることが出来る。
国境を閉ざすことは出来ないんですよ。」
「ですからEUは離脱します。」
ジーラは短く言った。
「ちょっと待ってください。今のは重大な発言です。」
司会のアナウンサーが驚いて話を切った。
「ジーラ党首。それは愛国者党の公約には入っていませんね。もし愛国者党が政権を取ったならば、EUを離脱すると仰るんですか。」
「公約に入っていないと言うのなら、ここではっきりと表明します。愛国者党が政権を取れば、ロンバルドはEUを離脱します。」
ジーラはあっさり答えた。
出席者たちはざわついた。
「そんなに簡単に離脱できるものではない。最低限、国民投票にかける必要があるはずだ。」
出席した党首の一人がそう発言する。
「そうでしょうか。
ロンバルドがEUのルーツである、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体に加盟したのは、創設時点からでしたが、その時に国民投票は行われましたか。
まったく行われていない。そのままなし崩し的に今のヨーロッパ連合にまで来てしまったが、この間、一度たりとも国民投票で国民の意思を確認することは行われなかった。
ならば、政権与党と政府の判断で離脱できるでしょう。」
「だが、これは重大な問題だ。国民投票に値する政治的課題だ。」
「その通り。今まで行われていなかったのは確かに問題かもしれない。ならばこれからやればいい。」
党首や党首代行らは口々に異論を述べた。
「ロンバルドをヨーロッパから断ち切ってしまって、それからこの国はどうするのか。いったい何が起きるというのか。」
「女王メルケルの支配下から脱するのです。すばらしいことではないですか。
今のヨーロッパ連合はもはや当初の理想から大きく離れてしまっている。いまやEUはドイツ第四帝国と呼んでいい。我々は第四帝国の女王、メルケル首相の顔色を伺いながら、国家の運営をやらなければならない。
イギリスはすでにこんな状態、第四帝国の属国であることを拒んで、EU離脱を表明しました。
素晴らしい。次は私たちロンバルドが第四帝国の支配から離脱するのですよ。」
ジーラは得意げに話し続けた。
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