第24話 国家の象徴でもセックスは・・・

 男の乗ってきた車は、パラッツォにいくつもある通用口のそばの林の中に隠すようにして停められていた。

 この通用口から、男はベアトリーチェの運転する車に乗って、デートの場所であるパラッツォの森の奥深くにある一軒の東屋に向かった。

 そして逢瀬が終わると、いつもと同じようにベアトリーチェの運転する車でここまで戻ってくるのであった。


 パラッツォにはいくつも門があるが、セキュリティのためにほとんどは使われていない。

 だが家人であるベアトリーチェは、その一つを開けることが出来た。

 全くと言っていいほど使われない入り口なので、バレる心配は無かった。

 外で逢うと、国民に顔と名前を知られているベアトリーチェが、見咎められる可能性はかなり高くなってしまう。

 こうやって、男をパラッツォに招き入れたほうがリスクが少ない。

 そう判断したのはベアトリーチェであった。

 今日もセックスが終わると、ベアトリーチェの運転する車に乗って、真っ暗なパラッツォの道路を走り、ここまでやってきた。

 いくら広くても個人の邸宅であり、街灯などほとんど灯っていない。

 ベアトリーチェの車のヘッドライトを頼りに、男は自ら運転してきた小型のハッチバックに乗り込んだ。


 それは男の経済力が、リド家のそれとは比較にならないほど小さいものであることを、暗に表している。

 男はベアトリーチェにキスを求めた。


「今日は素晴らしかったよ。愛してる、ベアトリーチェ。」


 ベアトリーチェも同じようなことを言い返して、熱いキスを交わした。

 そうしながらも、キスでは先ほどのような性的満足は得られないと、内心思っているベアトリーチェである。

 男の車は通用口から外に走り出し、ベアトリーチェはリモコン式のゲートが固く閉まるのを確認してから、自分の車に乗り込み走り出した。

 一直線のパラッツォ内部の道路は、まるで漆黒の森の中を走っているようだった。

 これで道路が一直線に敷かれていなければ、かなり危険ともいえる。

 ベアトリーチェはヘッドライトをハイにして、それでもスピードを出さないで走っていた。


 ふと、後ろに車のヘッドライトを感じた。

 誰かの車が後ろから走っているのだった。

 パラッツォの使用人たちは、昼間の勤務が終わると屋敷の外に出てしまう。この時期、邸内にいるのは警備員か、何かの理由で残っている使用人たちだが、パーティでもない限りそれほど多くはないはずであった。

 この時間帯に、2台もの車が接近してパラッツォの道路を走っているのは、かなり珍しいことだった。

 ベアトリーチェは路側に車を止めた。

 後ろの車に、何かの「意思」を感じたからだ。

 ベアトリーチェが車を止めたのは、なんということもないパラッツォの道路の一か所であった。道路の反対側には、高さ二十数メートルの樹木が生い茂っている。


 ベアトリーチェの後ろに、パラッツォGTロードスターが止まった。

 怜子だった。

 車を降りてベアトリーチェはそのまま立っていた。

 怜子も車を降りてきた。


「あなたの車だと思って。」


「ええ。そうよ…」


 それ以上、ベアトリーチェは何も言わなかった。

 もう玲子は知っているのだ。なぜ自分がここを走っていたのかを。隠しても無駄であることも、聡明な彼女は解っていた。

 むしろ言葉に詰まっていたのは玲子だった。

 ベアトリーチェにそれだけ返事をされて、これから何を言えばいいのか、解らないでいる。


「こんな夜遅くにどこへ。」


 怜子はやっとそれだけ言った。


「自分の家に。」


「そう…」


 それだけ言ってから、玲子は勇気を振り絞るようにして続けた。


「どこから。」


「どうしてそれを聞くの。」 


 怜子を虐めるつもりは無かった。だが自分から告白する勇気はベアトリーチェにもない。

 そのまま沈黙が続いた。

 ベアトリーチェは少し玲子がかわいそうになって来た。

 兄の妻の不倫を知って、どうしていいのかわからなくなっている。どんな言葉を発していいのか、この若い日本人女性は困惑し、立ちすくんでいる。


「玲子。ごめんなさい。

 もう聞かなくていいわ。あなたも解ってるんでしょ。」


 怜子はほっとしたようだった。


「どうして…」


「どうしてって、世界中の間男と会っていた人妻は、そう聞かれたらどう答えるのかしら。」


 怜子はまっすぐベアトリーチェの目を見た。


「お願い、ベアトリーチェ。冷静になってちょうだい。使用人たちの中には気付いている人もいるわ。いずれエルベルトの耳にも入ってしまう。

 そうなればどうなるか。」


「どうなるの?」


 ベアトリーチェは自らの言葉が意外だった。

 もし自分の行為が明らかになってしまっても、こんな開き直った言葉を発するであろうとは、思ってもみなかった。


「だって、そうなればスキャンダルよ。

 レーフクヴィスト王室の王女が不倫だなんて。国中の、いや世界中のスキャンダルニュースになってしまうわ。」


「そうでしょうね。」


「ベアトリーチェ。解ってやっているの。

 あなたが、まさかそんな…。」


 怜子は動転しているようだった。


「あなたはただの人妻じゃない。 

 この国の最大企業のオーナーの妻よ。もし社交界なんてものが今でも残っているのなら、そこの華というべき女性なのよ。

 それだけじゃない。あなたはこの国の王室の娘でもある。格式あるレーフクヴィスト王室の王女。国民の人気と人望を集めているのがあなたよ。

 お父様も含めて、レーフクヴィスト王室の人たちは、このロンバルドの歴史と伝統を体現している君主よ。


 あなたは国家の象徴なのよ。それを思い出して。」


「国家の象徴でもセックスはするわ。」


「セックス…」


 怜子はその言葉にたじろいだ。

 いや、たじろいだのはベアトリーチェも同じだった。

 こんな大胆な言葉を自分が発したことが信じられなかった。

 今日の自分はどうかしているのかもしれない。いや、どうかしていると言うより、今までの自分から今の自分自身がはるか高くジャンプしている。そんな気分だった。


「国家の象徴はセックスしてはいけないの。レーフクヴィスト王室のプリンセスは、セックスの快楽を楽しんではいけないの。」


 言葉の快楽に酔っている。そう感じている。


「レーフクヴィスト王家は、この国の歴史と伝統を体現している。 

 いえ、君主制そのものが、それぞれの国の歴史と伝統を象徴している。そんなことは解っているわ。


 私はプリンセスとしての自覚を失ったことはないわ。それだけははっきり言える。

 でも、そのプリンセスは女よ。生きているのよ。他の人たちと同じように、肉体を持ち、心を持ち、人を愛し、ときには憎んだりもする。

 そしてセックスもするのよ。」


 ベアトリーチェの言葉に玲子は圧倒されるように黙っていた。


「体が男を求めているのに、どうしてプリンセスだからそれを求めてはいけないの。

 こんな残酷なことは無いわ、プリンセスに生まれたら、肉体の牢獄に閉じ込められなければいけないの。

 いえ、それが王室に生まれた者の宿命かもしれない。

 それでも自分の体はどうにもならないわ。本能の要求は、プリンセスだからといって手加減してもらえるものではないのよ。」


 ベアトリーチェは少し涙が出てきた。

 少し羞恥心も頭をもたげてきた。言い過ぎかと思えてきた。

 玲子は圧倒されるように黙っていた。


「ごめんなさい、怜子。 

 あなたを困らせるつもりは無かったの。」


「いえ、…ただ、エルベルトの耳に入ったり、外部に漏れてスキャンダルになったりする前に、冷静になってほしいの。

 これはあなたのためよ。」


「ありがとう。」 


 もう寝るわ、と続けてベアトリーチェは車に乗り込み、走り出した。  

 それを目で追いながら、怜子はまだ立ちすくんでいた。

 その周囲には、パラッツォの漆黒の森がただ静かに広がっているだけだった。

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