第22話 少女たちをじっと見る男たち

 2人を乗せていたミニバンは玲子を下ろして走り去った。

 怜子はフェアリーを学校に迎えに行くことにしていたのだが、この渋滞で間に合いそうになかった。


「歩いて学校まで行くわ。10分か20分歩くとフェアリーの学校には着くと思うから、そこからタクシーを使ってパラッツォに帰るわ。」


「俺は会社に戻る。気をつけてな。」


 そう言い残してエルベルトはミニバンに残った。

 旧市街は広くはない。この場所からなら地理的に、歩いてフェアリーの通うサン・フランチェスコ女学院までさほどの時間はかからない。

 そう判断したのである。

 中央駅を過ぎたあたりから、歩いて少し戻ることになるが、裏路地を通れるので時間は意外にかからないはずであった。


 路地から旧市街は始まっている。

 ロンバタックスでは旧市街ははっきり条例で定められていて、「旧市街」と呼ばれている地区はが、すべて該当する。旧市街は文化財保護と観光目的のため、すべての建物の改築や取り壊しが禁止されている。

 改装するのも、外部に手を付けるのは全面的にダメなのである。

 怜子は19世紀に整備された石造りの建物の間を抜けて歩いた。

 歩きなれた道とも言えた。サン・フランチェスコ女学院は玲子の母校でもあった。怜子は片手でスマホを操作してタクシーの予約をしながら、狭い路地を進んでいくと、どこの通りにも必ず観光客がいる。


 アメリカ人らしい高齢者ばかりのグループの観光客は、立ち止まってしきりに写真やビデオを撮っている。一人で歩いてきたナップサックを背負った若いアジア人女性は、ゆっくり歩きながら感嘆した表情で建物を見上げている。

 日本人かもしれないと玲子はすれ違いながら思う。

 角を曲がると一瞬足を止めた。


 路地の向こうにはサン・フランチェスコ女学院の裏門が見える。

 その路地に2人の男がいた。正確に言うと寝そべっていてた。穴の開いたズボンをはき、一人は汚いコートを着ている。もう一人はやたらと新しいダウンジャケットを着ていて、そのことがかえって違和感を感じさせる。

 どこかで盗んだものかもしれないとさえ思わせる。

 2人とも若い。30代くらいか。アラブ人なのは間違いない。そしてその2人は道に寝ころんでいたのだ。

 怜子は再び歩き始めた。思わず2人を遠回りするように避けてしまう。2人の寝そべった男たちは、怜子のタイトスカートを粘っこい目つきで見ていた。


 そのまま振り返ることもせず、怜子はサン・フランチェスコ女学院の裏門に着いた。

 裏門のセキュリティコードキーに、知っている暗証番号を打ち込んで中に入る。

 この学校は高い塀に囲まれている。そのことが玲子に安心感を与え、2人の方向を振り返る心理的な余裕を与えた。

 路地の向こうにまだ2人は寝そべっていた。すでにこちらを見るのは止めている。


「玲子・リド様。」


 頭の上で呼ぶ声がして、玲子は振り向いた。

 裏口の石段の上から一人の中年の女性がドアを開けて、怜子を呼んでいたのだ。


「お待ちしていました。カメラにあなたが写りましたので、出てきましたのよ。」


 怜子も知っている、この学校の女性教師の一人だった。


「カテルィーナ・リドは中にいます。」


「ありがとうございます。」


 怜子はもう一度、向こうの2人に目を向けながら石段を上がっていった。


「あの人たち。まだいるのね。」


「まだって、前にもいたんですか。」


「数日前から、ああやって路地に寝ころんでいるんです。ホームレスみたいだけど、夜になるといなくなるし、どこか住むところは確保できているみたいですよ。」

「警察は追い払わないんですか。」


「追い払ってますよ。

 ここは旧市街だし、ホームレスは立ち入り禁止地域です。いくらかわいそうであっても、ここはダメだと言ってね。 

 あの人たちは、昨日追い払われた人とは違うように見えますね。」


 怜子は不安げにまた2人を見てから、ドアを閉めた。

 この女子校では、怜子のいた頃から変質者がうろつくことは珍しいことではなかった。何しろ今やロンバルドでも数少なくなった女子校なのである。10代の少女たちが集まる場所である。

 それでも、この学校でトラブルが起きたことは無かった。


「ああやって、最近外国人が旧市街にもやってくるようになって、気味が悪いですわね。」


 中年教師はそう言ってしまってから、怜子も外国人であることに思いが至ったようで、「いえ、怜子・リド様のように、素晴らしい外国出身の方もいらっしゃいますけどね。」と、慌てて付け加えた。

 怜子は特に気を悪くしたわけではない。このような言い方にはもう慣れている。

 中にはいるとすぐにフェアリーが出てきた。


 この女子校の小学校の制服を着ていた。第一と第二ボタンをはずして、何か遊んでいたようだった。

 フェアリーは玲子と一緒にいる教師を見て、あわててそのボタンを留める。


「もうすぐタクシーが来るから、それでパラッツォに帰りましょう。」


「今日はお姉さまの車じゃないの。」


「すごく渋滞してるの。自分の運転では来れないわ。」


 怜子はまだ外の2人が気になっていた。

 フェアリーは玲子と並ぶようにして窓の外を見た。


「あの2人、ずっといるのよ。

 みんなトドって呼んでる。」


「トド?」


「動物のトド。トドみたいだから。」


 怜子はちょっと吹き出した。フェアリーの天真爛漫さが玲子の心の曇りを少しだけ払ってくれた。

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