第17話 オペラ演出家 クリストフ・ハイダー
クリストフ・ハイダーは大柄な男であった。190センチはあるだろう。170センチの玲子でも彼を見上げるようにしなければならない。
ブロンドの髪はヨーロッパ北部にルーツを持つことを示しているが、その黒い瞳は他 の民族の血もまざっていることをうかがわせる。あるいはロマ人の血なのかもしれない。
玲子を見下ろしながら、そのクリストフは話し続ける。
「面積は十分だな。二千人の観客席を設けられる十分なスペースがある。舞台はこっちが用意する野外用のオペラ舞台を設置したい。
4面舞台で、そのスペースもある。」
「オペラ用の4面舞台なんて、持ち込んだりできるの。」
「現代のオペラ装置をバカにしてはいけないな。野外でもオペラ劇場並みの演出ができる、組み立て式のセットがあるんだ。
ただし設営費はかなりかかる。パラッツォ・ホールディングスとリド家は、それを払える財力はあると思ってるよ。」
クリストフは遺跡の中を歩きながら、そう話し続けていた。
パラッツォの遺跡は、すべて発掘されたままの状態にあるのではない。その半分ほどは露出させて保存しているが、後の半分は埋め戻されている。
外気に触れることによって、遺跡の破壊が進むのである。保存のために発掘調査が終わると埋め戻されたのだ。
その埋め戻された部分に、野外オペラの設営をするため、それが可能かどうかを確認するため、クリストフはパラッツォを訪れていた。
クリストフ・ハイダーは、現在ヨーロッパで最も注目されているオペラ演出家であると同時に、ビジネスマンでもある。自らのオペラ劇団を率いているのだ。興行主の要請によって、各地のオペラ劇場などで公演する。
もちろん要請があれば野外でも行える。
「それにしても驚きだな。
こんな屋敷は見たことが無い。20平方キロ以上におよぶ面積があり、その中にローマ時代の遺跡まであるとは。これが個人の所有物なんだからな。」
「元、ここは王宮だったからよ。そこをリド家が手に入れたの。」
「それは知っている。何かの雑誌で読んだよ。」
クリストフはスタッフを数人連れていた。
そのうち2人は測量用具を使って、敷地の距離を測ったり、地盤の固さを確かめている。
「どうだ。地盤は十分か。」
「埋め戻された土だから少し弱いが、まあセットの設営は出来る。で、どういうレイアウトで舞台をセットする。」
クリストフはむき出しになった遺跡の真ん中にそびえるローマ式の柱を指さした。ローマ円柱はこの遺跡の象徴ともいえるもので、復元されて4本が立っていた。
「あの柱を背景にしたいな。いい雰囲気が出る。」
「賛成だわ。私もそうして欲しいと思っていたの。」
スタッフは指をかざして距離を測る仕草をしながら言った。
「これも十分いける。
とにかくここは広い。想像してたよりもね。」
クリストフと玲子たちは、広大な遺跡を見回していた。
その道路に面した場所に車が一台停まった。
怜子は見慣れている、ベアトリーチェの車だった。
白い服に包まれた金髪の女性がこちらに歩いてきた。美しい姿なのは相変わらずである。
「こちら、兄のエルベルトの奥さんでベアトリーチェです。」
怜子は一同にそう紹介する。
「お目に書かれて光栄です。レーフクヴィストのプリンセス。」
クリストフはベアトリーチェの手を取ってその甲にキスをした。クリストフ以外のスタッフたちは握手で応じた。
「ベアトリーチェは当家の当主の夫人です。」
怜子は呟くように繰り返した。
何故だかわからないが不快だった。それが表情に出たのかもしれない。
クリストフは玲子をちらりと見た。その黒い瞳は笑っているようにも見えた。
「皆さん、ようこそパラッツォへ。」
「すばらしい屋敷です。この場所にヨーロッパの歴史と伝統が凝集されているような場所ですね。」
「お誉めいただいて光栄ですわ。」
「ここはもと王室の宮殿だったと伺っています。」
「ええ、でも私の王朝になってからはここは使っていませんの。宮殿だったのは第二次世界大戦までのことですわ。」
怜子が口を挟んだ。
「クリストフさん。まだ下見は終わっていませんが。」
クリストフは玲子を見てにやりと笑った。わかったよ、と目で言っている。
スタッフとクリストフはまた敷地の測定を始めた。
ベアトリーチェは玲子に舞台の設営のやりかたなどを聞き始めた。怜子はさきほどクリストフと話した内容をまた繰り返す。
「あの円柱を背景にして舞台を設定するのね。
素晴らしいことよ、玲子。世界で一番魅力的なオペラ劇場が出来るでしょうね。」
「パラッツォには外部からお客様が来ることになるから、会場運営や警備などでも人手が必要になると思うの。
また忙しくなるわ。」
「玲子も疲れをためないようにね。例の事件の対応も玲子がしているんでしょ。」
当然のことながらパラッツォの工員が起こした事件のことは、ベアトリーチェも知っていた。おそらくそれがパラッツォの会社とリド家に及ぼすであろう影響についても理解している。
「このオペラがリド家にとって、いい方向に進むといいわね。」
ベアトリーチェは真顔で言った。
「そう私も願ってます。」
怜子は少しビジネスライクな気分になって、クリストフたちを見ていた。
彼らの演出によっては、あるいはロンバルトに燻っているパラッツォ社とリド家への反感を、弱める方向にもっていけるのかもしれない。
そのことはこのオペラを企画した当初から、怜子が意図していたことでもあった。
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