第16話 少女の事件は

「で、そのラシードという男が、うちの工員だということは間違いないのか。」


「ええ、まあ今では工員だったと言うべきでしよぅか。身柄拘束のニュースが入った直後に解雇しました。」


 副工場長はそう説明した。隣に工場長も座っている。2人とも今日はスーツ姿で、表情をこわばらせている。

 このエルベルトのオフィスには、エルベルトと正副の工場長のほかに数人の重役たちがいる。怜子ももちろんそこに座っていた。

 この日は月曜日であった。

 怜子がアテナの甲板にいたのは土曜日だった。

 そしてその翌日、日曜日にはネット上に連続幼女レイプ事件の犯人が、パラッツォモータースの工員であるという書きこみが至る所に表れ始めていた。

 その日のうちにエルベルトから電話かあり、現在、事実関係を確認している。明日朝いちばんに、自分のオフィスに来てくれと指示されたのだった。

 そこで怜子は、連続幼女レイプ事件の犯人が、ラシードというアラブ系の男で、つい金曜日までパラッツォモータース首都工場で働いていた男だと知らされたのである。

 予想はしていたことだが、はっきりとそう言われて怜子は動揺していた。


「まずいな…。」


 そう言ったきりエルベルトは黙った。


「いい話ではないですね。

 現在支持を伸ばしている極右政党は、私たちパラッツォ・ホールディングスを目の敵にしています。そのパラッツォの工員だった人物、しかも外国人労働者が事件を起こしたとあっては。」


「玲子。メールをしておいたが、プレスコメントは考えておいてくれたか。」


「はい。

 短いコメントを広報から出します。内容は、事実であることを確認した。パラッツォ社は今回の事件に驚いている。しかしながらパラッツォ社は今回の事件の当事者ではない。

 以上です。」


 怜子の隣に座っていてた重役の一人が口をはさんだ。


「我々が事件の当事者ではないと言い切るのはどうですかな。責任を回避しているように取られませんか。」


「そう言葉尻をとらえられる危険性はあります。

 しかし、今後の捜査の方向や法的責任などを考えますと、やはりここは明確にパラッツォ社は事件と関係が無いことを、公言しておくべきかと思います。」


 エルベルトはうなずいた。


「私は怜子の意見に賛成だ。

 世論や極右の連中は我々を叩くだろうが、それは織り込み済みだ。まず会社に法的責任が無いことは宣言しておくべきだろう。」


「法的責任は回避できるでしょう。」


 そう発言したのは、パラッツォ・ホールディングスの顧問弁護士である。


「これについてはお任せください。

 従業員の労働時間外の犯罪について、会社が責任を問われることはありません。これは世界中どこであってもです。もちろんロンバルドでもです。」


「あとは世論ということになりますね。」


 怜子は続けた。


「世論がどれくらいこの問題に注目するかは、正直読めません。ただ極右政党がこのところ支持を集めていることを考えると、今まで以上にパラッツォ社に対して攻撃的な言論が展開されることは、予想しておいたほうがいいと思います。」


 エルベルトは顔をしかめた。


「バカな奴らだ。

 外国人を敵視してどうなる。彼らが安い賃金で働くからこそ、ロンバルド経済は持っているのだ。

 これで外国人労働者の流入制限などやりはじめたら、パラッツォモータースも業績悪化が避けられない。この国で最大の製造業がだ。さらに系列のパラッツォケミカルとパラッツォ銀行も、つられて業績が下がることになる。

 それでロンバルドが持つのか。」


 エルベルトは苛立っていた。こつこつと指で椅子のひじ掛けを叩いている。苛立った時の癖だった。

 しばらく皆は黙っていたが、怜子がその沈黙を破るように発言した。


「パラッツォ社の方針は今まで通りです。そのことをプレスコメントに付け加えましょう。

 パラッツォ・ホールディングスは、創業者マッシミリアーノ・リドの理想を守り、移民、難民など外国人労働者を歓迎する。

 それが私たちなのだと。」


「そこまでコメントしなくていい。親父の理想主義のことはこの際関係ない。」


 エルベルトは、パラッツォ社が外国人を受け入れているのは、あくまで利益のためだと言いたげであった。


「ところで、ラシードというその変態野郎はどんな奴なんだ。」


「まだ昨日のうちに確認できたことだけですが、まだパラッツォに就職して1年は経っていないようです。 

 現場監督の話ですと、ロンバルド語も満足に話せなかったそうです。」


「それで、ロンバルド人の幼女に手をだしたのか。」


「最初から性犯罪を目的にして入国したのかもしれませんね。」


「それは違います。そんなはずはありません!」


 思わず叫ぶように玲子は言った。

 エルベルトもその場にいた全員が、怜子のあまりの声の大きさに静まり返った。

 すぐに冷静になった玲子は「すみません。」と、今度は小さな声で言った。


「玲子は日本から来たんだ。」


 だから外国人を玲子の前で誹謗するようなことは言うな、とエルベルトは言葉にしないで続けていた。

 一同はエルベルトのこの言葉でない言葉をすぐに理解していた。エルベルトの下で働きはじめてそれなりの時間を過ごしてきた者たちだった。


「さて、これからどうするかな。」


「午後にプレスにFAXでプレスコメントを流します。

 その前に会長に文案をお見せしますので、裁可をお願いします。」


 エルベルトは頷いた。


「記者会見まで開く必要はないと思います。いずれにしても、パラッツォ社には法的責任はありませんから。」


「その対応でいい。

 あとはとりあえず世論の反応を見よう。あの『ロンバルドのバカ野郎党』だったかな。あの政党がなんと言うか楽しみだ。」


 一同は笑顔を見せた。


「極右政党がこの事件を支持拡大に利用しようとするのは、間違いありません。こちらもそれを織り込んで対抗策を練ります。」


「いいぞ。そうしてくれ玲子。出来のいい妹がいると助かる。」


 こうして、この朝のミーティングは解散になった。

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