第5話 ロンバルドの人々はリド家を・・・
怜子はベアトリーチェを自宅に誘った。
ベアトリーチェは自分の車で遺跡に来ていたので、2人はそれぞれの車に乗って遺跡を後にした。先に怜子の車が走り、その後をベアトリーチェの車が追いかける形になった。ベアトリーチェの車は、怜子は名前を忘れてしまったが、これもパラッツォモータースの高級セダンだった。
パラッツォの中を数分走って、怜子は横道にそれた。正面に白とガラスに映える緑の小ぶりの建物が現れた。ここが怜子の「自宅」だった。
去年建てたばかりの新しい住宅である。
怜子がパラッツォ・ホールディングスの広報担当重役になることを、エルベルトから内示されてすぐのタイミングで、それまで姉妹たちと住んでいた建物を出て、ここを新築して移った。
ロンドン在住という建築家に設計を依頼した、現代的なデザインである。パラッツォの建物はどこも巨大で、たいていは古く使い勝手が悪い。それもあって怜子は、この自宅を近代的で使いやすさを重視し、コンパクトな設計にすることを建築家に依頼 した。そして建築家は怜子の希を十分満足させてくれていた。
2人は怜子の自宅の前で車を降りた。
ここにベアトリーチェが来るのは、これで2回目になる。
「よくこんな狭い家に住んでられるわね。」
「日本人だもの。日本ではみんなもっと狭い家に住んでるのよ。」
ベアトリーチェは苦笑いして、それ以上何も言わなかった。
怜子の「コーヒーでいい。」という言葉に、「それでいいわ。ありがとう。」とベアトリーチェは返して、怜子はキッチンでコーヒーの支度をした。
冷蔵庫からケーキを取り出し、コーヒーとともにトレイに載せると、それをリビングに運ぶ。リビングは5メートル四方ほどの部屋で、怜子自身の手できれいに片付けられている。
怜子はプライベートな空間に他人が入り込んでくることを嫌い、ハウスキーパーをこの自宅に入れなかった。一方で、パラッツォの中の別の家に住んでいるベアトリーチェは、新しいことは同じだが、ここよりはるかに広い建物に、ハウスキーパーやバトラーたちに囲まれて住んでいる。
夫のエルベルトと一緒にである。
怜子は飲み物をテーブルに置くと、テレビの電源を入れた。
「そろそろロンバルドABCのワイドショーの時間よ。」
ウィンクするように怜子はベアトリーチェにそう言った。
ロンバルトABCのワイドショーはすぐに始まり、いくつかの小さな全国ニュースの後に、リド家のパーティについての話題になった。
若い肌の色の浅黒い司会者が話しはじめる。
「リド家のパーティですが、ソベッティ首相は欠席だったのですね。」
「そうなんです。それでも出席者はそうそうたる方々ばかり。最後の社交界と言われるロンバルトの大財閥リド家のパーティだけのことはありました。」
そう話すのは女性のリポーターだが、怜子はこの女性リポーターをパーティの会場で見なかった。
怜子が見逃したのかもしれないし、もともとこの番組はこのように、出席していないリポーターがいかにも出席したように報告する、という構成なのかもしれない。
いきなり怜子の姿が画面に映し出された。
「今回のパーティでホステスを務めた怜子・リドさんですね。今年からパラッツォ・ホールディングスの広報担当重役に就任しています。」
「いわゆるリド家の三姉妹ですね。」
司会者が話を振ると、横に座っていたコメンテーターが首をかしげる。
「何ですか。そのリド家の三姉妹というのは。」
「リド家には、現在の当主であるエルベルト・リド氏のほかに、娘が3人います。これがすべて養子なのです。
一番うえの姉が黒人のマライカ・リドさん。二番目がこの怜子さん。そして三番目が、ええっと…。」
リポーターは口ごもった。
ここは司会者が助け舟を出した。
「…一番下の娘さんはまだ学校に行っている年齢ではなかったかな。名前はリド家も公表していないのでしょう。」
「それにしても、黒人、白人、アジア人と、それぞれ1人づつ養子をとるとは、パラッツォの先代も面白いことをしましたね。」
「パラッツォの先代、マッシミリアーノ・リド氏には、奥さんから生まれた血のつながった娘がいたそうです。」
リポーターが話を引き継いだ。
「そのお嬢さんが亡くなった後、養女として3人を自分の娘にしたと言われていますね。」
「マッシミリアーノ・リド氏は、理想家気質の人物だったと言われています。人類の融和をはかるという意味で、白人、黒人、アジア人それぞれの子供を、自分の娘としたと。」
「それは素晴らしい。理想家とは。」
コメンテーターが口をはさんだ。だが、1その口調にはとげがあった。コメンテーターは続けた。
「まさにリド家はこんなにも幸せで、人類融和の理想を体現している。すばらしい。
だが、その一方でパラッツォモータースはロンバルド国内にいる12万人に及ぶ従業員のうち5万人近くをリストラした。
この人たちの幸せと理想はどうなるんでしょうかね。」
「しかしその後、パラッツォ社は全体で5万人を再度雇用しなおしました。」
「そう、確かに再雇用した。
しかし雇用されたのは誰です? 東欧やアラブから来た移民たち、さらに最近では難民までいる。彼らはパラッツォモータースに雇用されて幸せになったのだろう。
その一方で、ロンバルド人の労働者はどうなりました。仕事を失ってその後は… いずれにしてもリド家はそんなことは関知しないのかもしれない。」
怜子はこのコメンテーターの名前がすぐに出てこなかった。しかし常に鋭く、ときには皮肉な言い方でコメントを放つことで、テレビで人気のコメンテーターだということは知っていた。
「パラッツォ・ホールディングスは、パラッツォ化学会社の工場をヨーロッパ全土に展開している。そこで新しく雇われた従業員のほとんどは移民や難民だと言われている。
そのことでパラッツォは、弱者に優しい会社だと評価された。人道的な会社だとする記事を書くメディアもある。
だがこれまでこの会社で働いていた従業員はどうなります。
パラッツォのために何十年も働いた。それぞれの工場のある地域で生活を築き上げた人たち、その生活を根底から破壊された。会社を解雇され仕事を失い住み慣れた土地を離れた人もいただろう。彼らは幸せなのか。彼らの幸せはどうなるのか。」
司会者はこのコメンテーターを止めようとはしていなかった。
ふとみるとベアトリーチェは自分のスマホを操作して、テレビを見ていないふりをしている。彼女は十分に場の空気を読める賢い女性だった。
コメンテーターは続けた。
「パラッツォのようなEU域内の企業が移民や難民を雇ったことで、ロンバルトとヨーロッパのGDPは押し上げられた。経済統計だけ見れば、経済成長率は押し上げられ、失業率は下がった。リド家の資産もおおいに膨れ上がったはずだ。
だが、元からのロンバルド人。ヨーロッパの人々はどうなったか。彼らの、いやこの私たちの暮らしはどうなったのか。
平穏な生活を破壊されたのは、もとからヨーロッパに住み、そこで生活を築き上げていた人たちではないのでしょうか。」
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