第6話 パラッツォ本社

 エルベルトのオフィスからはロンバルドの首都、ロンバタックス市の大部分が見渡せる。ここは高さ365メートルの巨大な超高層ビルの最高層階にある。

 パラッツォ・ホールディングスの本社として建てられたこのビルの高さ365メートルは、ロシアを除けばヨーロッパで最高の高さで、設計はアメリカの設計事務所に依頼したものだ。ビルはゴチック様式の建物で統一されている、ヨーロッパの伝統的な街並みを見せるロンバタックス旧市街のあちこちから見ることが出来る。

 この巨大なタワーは、ありし日のただずまいをみせるロンバタックス旧市街にいる人々に、現在が21世紀という時代であることを教えているかのようである。

 もっとも近代的、いやネオモダンと言うべき未来的なフォルムのこのビルは、その完成が間近となったあたりから、旧市街の歴史的景観を破壊するものだと、旧市街に住む人たちから激しい非難を浴びたものだ。


 それでもエルベルトは意に介さなかった。そのまま工事を続行させたのだ。

 ビルの設計とデザインについて、市当局の許可を得ているというのが、その理由だったが、今更設計を変更すれば、建設費が膨大なものになってしまう、というのも理由の一つだった。


 さらに…

 エルベルトは思った。反対していると言ってもわずかな人数だ。ロンバタックス市長も文化観光相の官僚たちも、このパラッツォ・ホールディングスの本社ビルの建設を止められるものではない。

 「上級国民」たちはパラッツォの味方だ。誰も逆らえない。その上級国民のさらに上、最上級の国民こそがリド家だ。


 ビルの完成以来、エルベルトはここからほぼ毎日、旧市街を見下ろしている。

 デスクの上、…このデスクもほとんどセミダブルベットくらいの大きさがあるが、その真ん中あたりに置かれているディスプレイに、アラートが表示された。

 外にいる秘書が、誰かが自分に会いたがっていることを知らせていた。


 ほとんど同時にドアがノックされた。エルベルトは手元のスイッチにタッチして、自動でオフィスのドアを開けた。

 白髪の男が一人入ってきた。

…誰だったかな。

エルベルトは思い出すのに時間がかかった。


「エルベルト様、外の様子をご報告にあがりました。」


 ようやく思い出した。秘書の一人だった。

 最近雇ったのだ。この男はロンバタックス市庁舎に勤めていたとかで、市長の紹介で退職同時にパラッツォの秘書の一人となった。

 会社で何の仕事をしているのかエルベルトもよく知らなかったが、こういう形で市長に恩を売っておくのも悪くはないのだ。


「外で何があったんだ。」


「デモ隊が来ていました。もう解散しましたが。」


「デモ隊だと? うちに何を言いにきてたんだ。」


「よく解りません。エルベルト様も別にご興味は無いのではないかと。」


 エルベルトは立ち上がって窓から真下を見下ろした。このオフィスの窓の真下が正面エントランスになる。


「もう解散したので、デモ隊はおりません。それに人数も十人ほどでしたし。」


「君が解散させたのか。」


「こちらの警備員の人数を増やしましたので、それを見て引き下がったようです。」

「よし、そのやり方でいい。」


 何をパラッツォに要求していたのか知らないし、興味もない。いちいち反応していたのでは、こちらも大変だ。


「ここのところ、毎日デモ隊が来ています。」


「ここのところじゃないだろう。これまでいつもうちの会社の入り口には、デモ隊がいたような気がする。」


「そうかもしれません。」


「左翼のバカどもがグローバリズム反対だの、リストラで失業者を出すなだの、いろいろ言いに来る。

 あの連中は私の会社の入り口で騒いだら、パラッツォ・ホールディングスが彼らの言い分を聞くとでも思ってるのか。」


 エルベルトはまたデスクチェアに腰を下ろした。秘書の男は立ったままである。


「ところが最近では右翼系のデモ隊がよく来ております。去年あたりから左翼のデモ隊は来ていないようです。」


「右翼が? なんでだ。」


「私にも彼らが何を要求しているのかよく解りませんが、雇用がどうのとか言っていました。」


「うちは人を増やしてるじゃないか。工場も増設した。ここ1年でロンバルドでうちほど雇用数を増やした会社は無い。」


「ロンバルド人を雇えと言っているのです。新規に雇用したのは移民や難民出身の労働者ばかりでしたから。」


「それをやれと言ったのは首相だ。首相の言う通りにしただけだ。次の選挙のためにな。

 わかった、もういい。君の昇給を考えておく。」


 秘書は「ありがとうございます」と答えて、背中を見せた。

 グレーのスーツと白髪の後頭部がエルベルトから見えた。エルベルトはそのままディスプレイに目を向けて注意を集中した。


「あの…」


 顔を上げると秘書がドアの前でこちらを向いていた。


「何だ?」


「ベアトリーチェ様はいかがお過ごしでしょうか。」


「妻がどうかしたか。」


「…いえ、ただどうしておられるのかと存じまして。」


 ベアトリーチェ。自分の妻にしてこのロンバルド王国、レーフクヴィスト王室の王女でもある。

 その美しさで国民に知られ人気があった。そのロンバルド国民の一人であるこの男が興味を持ったとしても、さほど不思議なことでもない。


「元気だよ。」


 エルベルトはそう答えて、言外に「興味を持つな。答えるつもりはない」と告げた。


「失礼いたしました。」


 そう答えて、秘書は再び背中を向けた。

 エルベルトはその表情に淫卑な気配を見た気がした。


 こいつ、俺とベアトリーチェのセックスを想像しているのか。

 そう思ったエルベルトの心に浮かんだのは、不快な感情ではなかった。むしろ奇妙な優越感だった。

 全ての国民に知られ愛されているベアトリーチェ王女を、ベットの上で組み敷いてペニスを突っ込んでいるのは俺だけだ。

 そう思うと、何ともいいようのない優越感を覚えた。

 ロンバルド王室の王女と…、美しいベアトリーチェと結婚してよかった。そう思えるのが、この瞬間だった。

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