第2話 リド家の3姉妹
客はほとんど帰ってしまった。
あれほどの客でごった返していた大広間も、今はボーイたちが後片付けをしているその雰囲気は、どこかの倉庫のようでもある。
怜子は椅子で酔いつぶれている客に声をかけて、ボーイに命じて外の車まで案内させたり、メイドたちに指示して、片付けを取り仕切っていた。
その怜子に黒人の女性が近づいてきた。
「お疲れ様。今日は大活躍ね。」
「あなたもそうだったでしょ。」
「そう…、と言いたいんだけど、私は客と飲んでいただけ。役立たずのマライカよ。」
マライカと名乗ったその女性も、怜子と同じパーティドレスを着ている。
「リド家で役に立つ女は怜子だけね。姉のマライカはただの飲んだくれ。」
「それでも居てくれるほうがいいわ。」
怜子は黒人の姉にそう言ってから、あたりを見回した。
「フェアリーはどこ? いたはずなのに。」
「もうベットルームに引っ込んじゃったんじゃない。パーティがおしまいになる頃には、私も見なくなったし。」
怜子はバックからスマホを取り出して操作した。
「反応ないわ。」
「まあ、どこかにいるでしょ。このパラッツォは自宅なんだし。」
「自宅といっても、ここは2000ヘクタールあるのよ。建物だって数えたことないくらいあるし。私、ここに来た頃迷子になったことがあるもの。」
どちらからそう言い始めたわけでもないが、2人はフェアリーを探しに歩き出した。そして玄関わきの控室にいることをメイドの一人から聞き出して、2人はそこへ向かった。
控室と言ってもそこは広大なスペースだった。かつてここにはこのパラッツォ本館が王宮だった時代に、馬車で客を運んできた御者たちが、休むために作られた場所だったのである。テニスコートほどもある室内を見回して、壁際のソファーの一つに寝そべっている金髪の少女を見つけた。
フェアリーの名前のとおりプラチナの金髪で、今は閉じられているその瞳が晴れ渡った空のように青いことを、怜子とマライカは知っている。歳の頃はローティンといったところだろうか。
「フェアリー。起きて。もうパーティは終わったわよ。」
フェアリーと呼ばれた少女は目をこすりながら起き上がった。
「もうみんな帰っちゃったの。」
「そう、あなたが寝ている間にね。私とマライカは見送ったわ。」
「ネエサンたちごめん。私も手伝うつもりだったんだけど。」
「いいわよ。あなたはアテにしていない。」
マライカの言葉にフェアリーは不満そうだった。
「さあカテルィーナ。もう帰りましょう。」
「フェアリーよ。そう呼んで。」
「そうだったわね、フェアリー。あなたのニックネーム。よくそんな名前が気に入ってるわね。カテルィーナのほうがずっといいのに。」
「フェアリー!」
不満げにそれだけ言って、フェアリーことカテルィーナは立ち上がった。
3人は玄関に向かって歩いて行った。
玄関にはこの本館担当のバトラーがいた。
「お嬢様方、もうここはケタリング業者が片付けます。お帰りになってお休みください。後のことは本館担当の私がいたします。」
バトラーの言葉に怜子とマライカはうなずいて、フェアリーはあくびをした。
「じゃお願いね。ところでエルベルト兄さんを見なかった?」
「もうとっくにご自宅に引き上げておいでです。あとは私に任せると。」
怜子は笑った。
「エルベルトらしいわね
それじゃ、私たちも引き上げましょう。お疲れ様。」
3人は並んで玄関を出た。そこはまだ照明が落とされず、サッカー場ほどもある車寄せ前の芝生を照らしている。それでもこの照明が照らしているのは、パラッツォの1%にも及ばない面積にすぎない。
パラッツォ。
誰がそう呼び始めたのかわからない。かつてここが王宮だった頃かららしいが、この広大な敷地とそこにある建物群はそう呼ばれている。
かつてここはこのロンバルト王国の王宮だった。それが第二次世界大戦後の王室資産処分によって民間に払い下げられ、何人かの人や企業の手を経て、今はリド家の屋敷になっているのである。
リド家はここを自宅として改造して、今のパラッツォがある。
パラッツォの敷地総面積は2000ヘクタール以上に及ぶ。敷地のほとんどは広大な森や芝生や人工の池で占められていて、その中心に本館と呼ばれている旧王宮がある。
今怜子たちがいる旧王宮の本館は、東西300メートルにも及ぶ巨大な建物で、建築は意外に新しく19世紀前半の完成である。当時のロンバルト国王があのベルサイユ宮殿を真似て立てさせたと伝えられる、ネオゴチック様式の宮殿であった。
現在、リド家はここには住まず、森の中にはるかに小ぶりの自宅を新築して、生活はそこで営んでいる。いくらなんでもゴチックの大宮殿では、21世紀の現在は生活がやりにくいのである。
このすべてが、今では個人が所有する邸宅としては世界一の規模とも言われている、リド家の本宅となっていた。
怜子、マライカ、フェアリーの3人は玄関前に横付けされた大型ワンボックスカーのドアを開けた。広大なパラッツォの中を移動するために用意された車だった。
3人並ぶと、姉妹らしい雰囲気になる。だが3人はそれぞれ、東洋人、黒人、白人なのである。
3人ともリド家の養子であった。父、母と血が繋がっている者はこの中には1人もいない。父の実子は兄のエルベルトだけだ。
「養子社会」。この言葉がヨーロッパに定着したのはいつの頃からだっただろうか。EUの創立期からの加盟国としてヨーロッパの大国の一つ、このロンバルドでも「養子社会」の言葉は、マスコミではずいぶん以前から使われていた。
怜子たちリド家の姉妹だけではない、彼女らの友人たちにも養子として家族の一員となっている者は多くいた。ここロンバルト王国、そしてロンバルドの存在するヨーロッパ社会では、珍しくもない家庭でもある。
彼女らの養父にあたるマッシミリアーノ・リドが、黒人、白人、アジア人からそれぞれ養女を迎えた。女ばかりにしたのは、はっきりその理由を聞いたわけではなかったが、おそらく兄のエルベルトがいたからだろう。
自分が亡き後、後継者のことで揉めるのを嫌ったからなのは、3姉妹にもわかる。
車は3人が普段の生活を営んでいる、パラッツォの中にある自宅に向かって走っていた。かなりスピードを出しているのに、5分かかってもまだ到着していなかった。
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